父の思い、守るべきもの
新年明けましておめでとうございます。
今年初投稿となりました。
今後もイスファターナ戦記をよろしくお願いいたします!
ラドファタス―そこは未来にイスファターナとソウェスフィリナを結ぶ水道橋が設置される商業都市の名前である。
リヨルが婚約の際に通ってきた国境に面した宿場町タンベルクと同じく、ソウェスフィリナと繋がる街であったがタンベルクとはその街の巨大さが違った。
かつてカルデミナ大帝国時代、カルデミナ帝国の都カルカヴァスから現在の三国を通り、再びカルカヴァスへ通じる大陸航路がつくられた。このラドファタスの街は、その大陸航路が通っている。
シウォン達がソウェスフィリナとの同盟を考えた際に、このラドファタスこそがイスファターナとソウェスフィリナを結ぶ真の窓口となることが示唆された。つまり、ラドファタスはいずれ本格的に国境が開かれたときに大いに栄え、イスファターナ、ソウェスフィリナ両国の都に次ぐ商業都市となるであろうと見込まれる場所でもあった。
「…これが、お前の答えか?シウォン」
一夜のうちにナフカとハクによってまとめあげられた資料を帝に提示したシウォンは、どこか静かな空気を纏っていた。
「ええ。ご承認いただけたなら直接伝えにいくつもりです」
「…直接か」
帝はポツリと口にした。
「それが私なりの誠意のつもりです」
帝は椅子に深く腰掛け直すと、その資料をシュワームに渡す。
「お前はそれを誠意と言うか…。それが、上に立つものとしてお前の決断なのだな」
帝はシュワームの淹れた紅茶を飲んで話を続ける。
「今回、お前は学ぶことがあっただろう。ナフカやキシュという有能な部下がいたからそれを乗り切れた。だが、本来それはお前がしなくてはならないことだ。今後は今回のことも頭に置き、いよいよ将来を見据えて物事を見ろ」
「はい」
父としての言葉ではなく、帝としての言葉として告げられたそれは、シウォンの心にまっすぐに落ちてきた。同時に悔しさもあった。決断の遅れや誤りが引き起こすのは、事態の大きさに比例する。国全体の未来を手にするならその誤りはあってはいけないことなのだ。その重さに慣れることも見失うことも許されない、それが帝の座る場所なのである。
「…まあ、ともかく健闘を祈ろうか。お前は私が手を出すのを喜びはしないのだろう?」
「…というよりもそれでは解決しないのです。私が帝と認めてもらうためには。それよりも帝、一つお礼を申し上げます」
帝は興味深くシウォンを見る。
「私にリフキアという手札を与えてくださって感謝しております。リフキアの存在がなければ同盟後の計画はあと十年先延びしていたことでしょう」
「フッ…感謝か。嫌々リフキアを受け入れていたあの頃とは言い分が違うな。使えるようになったか」
「ええ。使えすぎて困るほどに」
帝はにやりと笑う。
「左様か。では、半日待つがよい。午後の会議で決議し、シュワームに報告させる」
シュワームからの報告は昼食を待つまでもなくあった。平然とした面持ちでやって来たシュワームだが、どこか疲弊が見え隠れしている。
「…どうやら無理をさせたようだな。私からもそなたに詫びよう」
シウォンがそう言うと、シュワームは首を振った。
「元々この件は帝がお考えになっていたことです。ある程度強硬が必要なことは分かっておりましたから。ですから、お気になさらないでください」
すると、シウォンはちらりと側にいたナフカを見て、それからナフカとキシュに部屋を出ていくように命じた。
ナフカとキシュが不思議がりながら部屋を出ていくと、シウォンはシュワームを座らせて話し始める。
「…さて、少し話しておきたいことがあった。ゆえにナフカ達を出ていかせたのだが」
「はい」
シュワームは落ち着いた物腰でシウォンの話を聞く。
「帝の御心中はいかがなものか」
「と、申されますと」
「シュワーム、これは皇太子としてではなく一人の息子として聞いている。無論、皇太子としては話を聞いたところで今後の進む道を変えることはない」
シュワームは「なるほど」と一呼吸おいた。
そして、ずいぶんと落ち着いた目をしているものだと、シュワームは思ったのである。これまでのシウォンは確かに次期帝に相応しい風格を備えていたが、今のシウォンはそこからさらに一皮剥けたようなそんな空気を感じさせる。
「私は私のために動く。帝…父上はそれを否定されることはないが、自分の子どもと妃の争いだ。父上にとってこれから起こることは決して後味のよいものにはならないだろう。これほど心苦しいことがあるかと思ったところだ。シュワーム、帝に何か変化は?」
何事をするにしても、帝は基本的に反対することはない。その代わりに説明は求めてくる。これから皇妃シシルとカトレシア家との争いは、激しくなっていくだろう。それは帝にとってどう映っているのか。
シウォンは一番近くにいるシュワームに聞いておきたかった。
「亡き皇妃様、シヴァ様は帝が一番愛しておられた方。それは変わらない真実でございます」
シュワームはまるで何かを思い出したかのように小さく笑った。
「…帝は昔、お心を壊されかけたことがございました。一度は兄君を亡くされたとき。二度目はシヴァ様を亡くされたときでございます」
皇立学校時代、シュワームがアドロフ三世をまだアドロフと名で呼んでいた頃、帝は慕っていた兄を亡くした。それまでの帝のすべては「兄のため」であった。今のリフキアのように、いつかは兄を支える存在になると話していた帝は、ある日突然、皇太子殿下と呼ばれるようになった。
帝は皇太子と名が付いてからしばらくは放心状態であった。しかしそれも一ヶ月ほどのことだった。皇太子となってからはその仕事に追われ、悲しんでいる暇も与えられなかった。兄を失った悲しさと、皇太子として与えられた責務の重さに苦しむ帝を、シュワームは見ていることしかできなかった。
『仕事があるということが今の私を動かしている』
そう側近として仕え始めたシュワームに言うほどに、仕事がなければ空っぽの帝が出会ったのがシヴァ妃であった。
シヴァ妃は考え方がイスファターナの人間とは変わっていた。いい意味で楽観的で、常に陽気に笑う妃に、政略結婚といえども帝が救われたことは間違いない。あるとき、当時の帝(先帝:ルシアン四世帝)が病床に倒れて政務が押し寄せてきたときに帝はシュワームに言った。
『シュワーム、妃が言うのだ。無理だと思ったらちょっとだけ足を突っ込んでみて、やっぱり無理なら諦めればいいと。諦めるということも肝心なのだそうだ』
その時から帝は政務の合間にも笑われることが多くなった。親友のような間柄であったシュワームでさえ友を救うことはできなかった。それを救えたのは異民族の妃だったのである。
「帝が救われたのは間違いなくシヴァ様のお力です。そして、帝となる一ヶ月前に殿下がお生まれになった。帝となられるまでのまさにその一ヶ月は、帝にとって最上のひとときだったと思います」
そう、シュワームは言った。
「結論から申し上げますと、今の帝はシヴァ様との約束で生きておられるのです」
「…約束」
シヴァが皇妃になるや反発は想定以上に押し寄せた。帝となってますますの重圧を感じていたが、シヴァ妃の元に行くことを回りは許さない。行けば行くだけシヴァ妃は傷ついていく。
帝は愛する人を守ろうと何度も策を講じた。何度も何度も、失敗しても試みた。
すると、それを止めた人物がいたのである。シヴァ妃本人だった。
『何を迷われておいでですか。あなたの力は私を守るためのものでは無いでしょう。国を守るために命を懸ける。それが帝ではないのですか』
目が覚めるような思いだったと帝は後に言われた。
『女に溺れた君主が国を滅ぼしたその例が歴史にいくつあるとお思いですか。帝であると名乗られるのでしたら、妃のことなど放っておかれなさい』
それからはどんなに取り次いでも特別なことがない限りシヴァ妃は帝とお会いにならなかった。
「母上自らお会いにならなかったと言ったのか?」
「…左様でございます」
言われて気づいたことだが、シウォンは母と父とが一緒にいる姿を正確には記憶していなかった。皇務などの時を別にして、何度その光景を目にしただろうか。
それでもシュワームは父と母を愛し合っていたと言う。シウォンは言った。
「…それから父上はどうなさった」
「何もございません。帝としてその務めを全うされる日々を送られています。昔も今も」
帝は言っていた。
『昔とは違う。会わずともシヴァを信じていられるから仕事に邁進できる。だから、私はそのために成果を出さなくてはいけない。そうして時が来て、私が帝を降りるときにようやくシヴァと会うことができる』
帝はその日を待っていた。しかし、別れの日は思いがけずやって来た。
シヴァが病に倒れた。その一報はこれまで保たれていた帝の極限の集中をぷつりと途切れさせるものであった。
報告したシュワームの言葉を最後まで聞かず、帝はシヴァの元へと向かった。これまでは何があっても足を向けなかった場所へ。
初め、衰弱したシヴァの姿に帝は声を失っていた。
『…まあ、お早いこと』
帝はそのか細い声を聴くと、涙を流して細い手を握り、「すまない」と何度も何度も口にした。
すると、ひょっこりと帝のいる場所の反対側の寝台からシウォンが現れた。シヴァはその姿を見て微笑むと、シュワームにシウォンを連れていくように言った。
この先はシュワームが去り際に聴いたシヴァ妃の渾身の言葉だった。
『私はきっと長くない…お願いします。シウォンを守ってください。あの子があの子の生きたいと思える道を生きられるだけの力を与えてやってください。何も帝にしてくれといっているのではなく…私が見届けられないあの子の未来を支えてやってほしいのです!』
シウォンは涙を流していた。シュワームがシヴァの渾身の言葉だと言ったそれは、どこかで記憶していた母の言葉だった。その経緯を知るとその重みはグッと増してくる。
「殿下は幼いときより優秀であられました。帝は殿下に無茶とも言える仕事を回し、今では殿下は一国に立つに十分のお力を得られたかと思います。すべては、あの日。シヴァ様とのお約束がその始まりでございました」
「…っ」
「ですから、今回のことは帝にとって長年の約束の終結点だとも言えます。もちろん、皇妃シシル様のことに心を痛められていないとは申しませんが、子どもが成し遂げようとすることを阻む親がどの世界にいるでしょうか」
シウォンはシュワームの手を握った。
「話してくれて感謝するぞ、シュワーム」
「私は何もしておりません」
「いや、父上の思いを知ることができたからこそ私は先に進めるのだ。それにナフカを見つけてきてくれた」
シュワームは笑った。どんなに成長しても、シウォンには帝である親友アドロフと、シヴァの面影は消えていない。むしろ、その二人の強さを詰め込んだような輝きは、とても眩しく思えた。
シュワームはそれから少し考えながらシウォンに言う。
「…シウォン様。それでは少しお願いを申し上げてもよろしいでしょうか」
「願い?構わないぞ」
「では…。願いといいますか、これは親としての心配からでございます。ナフカに関して」
シウォンは頷いた。
「ナフカは私の養子、つまりは血の繋がりはございません」
「無論、知っている」
「ナフカとの出会いは、私の代わりに非業の死を遂げた者に弟に等しいナフカを頼むと言われたことによります。ナフカは初め兄と呼んだその者の死に絶望しておりましたが、これまで何とか兄の言葉で生きてこれたのです」
シュワームは頭のなかにかつて森の離宮での事件を思い出していた。ナフカが夜が苦手になったのと同じく、シュワームはしばらくは雨を見ると事件を思い出していた。
「ナフカは内に秘めているものが大きすぎるために、心の揺らぎが仇となる時が来るかもしれません。私は殿下にナフカを進めたときから、ナフカにとっても殿下の存在が必要であると思っておりました。執務官としてはお仕えする方にこの様なことをお頼み申し上げるのは間違っております。このご無礼、お許しいただこうとは思っておりません」
「許しを得るつもりがなくて何とするつもりだ。執務官を辞めるか」
「時が来れば然るべき裁きを受けるべきと長く思っておりました」
シウォンはため息をついてシュワームに言う。
「たとえ私がお前に利用されていたとしてだ。私はナフカを利用し、グリュネール邸にも世話になっている。これで良しではないか?」
「…」
「ナフカの過去は聞くつもりはない。元より、お前のことだから簡単にはわからない細工を施してあるだろう。過去に何があったかは知らないが、ナフカを手放すことはない。だから安心していろ、シュワーム。それに、出会わせてくれたことには感謝の気持ちだけだ」
シュワームは深々と頭を下げた。
「帝が待っているだろう。もう下がってよい」
「はっ」
シュワームが部屋を出ると、ナフカとキシュが代わりに部屋に入ってきた。
「けっこう長く話をしていたな」
ナフカが言う。
「お前を頼むと言われたところだ」
シウォンがそう言うとナフカは顔を赤くする。
「頼むって…本当か?」
「ああ。このままだと俺は銀髪の側妃を迎えることもあるかもしれないなぁ、キシュ」
キシュも面白がって答える。
「ナフカの女装か…意外といけるか」
「何がいけるだ!まっぴらごめんだぞ」
恥ずかしさと怒りとで顔をより真っ赤にするナフカを見てシウォンとキシュは盛大に笑う。一笑いしたところでシウォンはナフカとキシュを近くに呼んで抱き締めた。
「…妃ほどとは言わないがそれに近い距離にはいてくれよ。お前達を失ったら俺は道を失ってしまう」
ナフカとキシュは少しシウォンの行動に驚きながら返事をするのだった。
「ああ」
「いつまでも側にいるさ」
▽▽▽▽▽
「リヨル、体調はどうだ?」
シウォンは出掛ける前にリヨルの部屋へ寄った。
リヨルは色白の顔をより白くさせていた。食事が喉を通らない。匂いにも敏感になっているので余計に気分が悪かった。
「お昼もあまり召し上がられませんでした」
シハルが言うと、シウォンはリヨルの頬に触れた。
「顔色が悪いな。食べられなくなるものだとは聞くが、心配になる。何かこれだけなら食べられるものなどはないのか?」
「…残念ながら何も喉を通らないのです」
「そうか」
シウォンはしばらくの間シハル達を部屋から出ていかせてリヨルとの時間を作った。
「すまないな。そなた自身が一番不安だろうに。せめて私の母が存命であれば助けにもなったかもしれないが」
「何をおっしゃいますか。イスファターナの名医にも診てもらっておりますし、いずれ食べられるようにはなりますから。それより…」
リヨルはシウォンの服を指す。
「何か一歩動かれるのでしょう。まずはその事にご集中ください。私は何があってもお味方致しますから」
そう言ったリヨルをシウォンはやさしく抱擁した。
「察しがいいと言うか何というか…」
シウォンはそのままリヨルに言った。
「今から一つ進めてくる。終わったら…俺は傷ついて帰ってくるかもしれないから慰めてくれるか」
「どのようなシウォン様でも変わらずお迎えしますよ。思いをお届けしてください。きっと伝わります」
「そうか。では、行ってくる」
「いってらっしゃいませ、シウォン様」
シウォンは廊下に待たせていたナフカとキシュを伴って宮殿を出た。
行き先は東宮殿。リフキアのもとである。




