緊張と和み
少し最後の辺りを変更いたしました。
「アイゼン、少し外に出よう」
宮の殿を訪れた翌日、これまではずっと本を読みふけっていたリフキアであったが、外に出ようと言い出した。
「庭園に出られるのですか?少し肌寒くなってきましたから上掛けをお持ちします」
そう言って動こうとしたアイゼンをリフキアは止めた。
「違う、アイゼン」
そう言われてアイゼンはきょとんと首をかしげた。
「都に行きたいと言っているのだ」
「み、都ですか…」
アイゼンは都に行くと言ったリフキアを諌めた。
「殿下、今はお止めください。何のために殿下が都での復興の仕事を皇太子殿下に引き継いで帰ってくることになったのか、分からぬわけではないでしょう」
「しかし…」
「それに、私一人で都に出るわけにはいきません。フレルド達のことがあったように都は今、安全とは言えません。ヨルナも無しに外に出れば万一の時に殿下をお守りする術が無くなるのです」
そう言われるとリフキアは何も言えなくなてしまう。毎日のようにリフキアに送られてくる宮の殿からの書類は全て妃選びの候補者について事細かに書かれたものであった。
以前、シウォンが宮の殿を快く思っていないと聞いたことがあったが、今ではその気持ちがとても理解できた。書類の内容は人の粗探しをするかのようであった。出会う前からこれでは選ぶものも選べないと、すでにリフキアはその書類に目を通すのをやめた。
やめたとはいえ、日ごとにやって来る書類にはうんざりだったし、何しろこの状況がリフキアにとって心が苦しいのである。シウォンのためならばきっと一生妃を得ないことがよい。どこかでそう思っていた。宮の殿でオジンと話してからその考えは多少変わったのだが、そうとは言えども自分が強くなるための妃とは簡単に選べるものではないだろう。そして、それがシウォンの立場を邪魔しないという保証はどこにもない。
「…わかった。無理を言ってすまない」
「いえ、お心はわかっているつもりです。お気になさらないでください」
アイゼンはそのあとリフキアにケーキと紅茶を持ってきた。しかも、リフキアが好きなフルーツタルトである。
「…珍しいな。これが出てくるとは」
「ヨルナの差し入れです。都で評判の店から買ってきたのだそうです」
リフキアが用意されたケーキと紅茶を楽しんでいると、アイゼンは言った。
「殿下、先程はその…申し訳ありませんでした。しかし、ヨルナもあと二日で戻って参ります。そうなれば、外出の許可を必ず取りますから…その…それまでは…」
リフキアはアイゼンの様子に少し笑っていた。
「アイゼン、お前の分も差し入れはあるのだろう?」
「は…はい。ヨルナが気を使ってくれたので」
「ここに持ってこい。お前もここでケーキを食べろ」
アイゼンは驚いてそれを拒否する。
「わ、私は勤務中でございますから」
「私の命令だ。心配はいらない」
「ですが…」
「頼む。そうしてくれ。そうでもないと味気ない」
ケーキが口に合わないのではない。何ならこのケーキは本当に美味しかった。しかし、少しの間に頭によぎるものが味を失わせる。
アイゼンはリフキアの頼みに応える形で自分のケーキを持ってきた。そして紅茶を淹れようとしたアイゼンを見て、リフキアはその手を止める。
「アイゼン、そこに座ってくれ。私が淹れる」
「えっ?」
「ナフカに習ったのだ。この茶はこうして淹れるのが一番香り高いのだと」
リフキアの慣れた手つきを見てアイゼンは呆然としていた。
「殿下、紅茶の淹れ方を学ばれたのですか」
「お前達に出会う前だ。私は帝の命で兄上の宮殿に行った。行ったら何がしたいかと言われて、兄上を知りたいと言ったらナフカの代わりになれと言われたんだ」
「ナフカ殿の代わりですか」
アイゼンはあの当時のリフキアと同じ反応をした。シュワームの執務官の心得を学んだ、敏腕執務官ナフカの代わりがそう簡単に勤まるはずがない。
「初めの週はナフカの仕事の補佐、翌週から実践だ。今でもちょっと身がすくむ」
リフキアは少し懐かしくなって微笑んだ。
「その時に紅茶の淹れ方を学んだんだ。ナフカは兄上の仕事量や疲れ具合で紅茶を淹れていた。そこまでは出来ないが、どの茶葉をどの具合で淹れるかはわかっているつもりだ」
リフキアは紅茶を一口、口にする。
「あの時、兄上は私に仰った。『今のお前は全く怖くない。何かひとつでも武器を身に付けろ』と」
アイゼンはシウォンが言ったというその言葉がとても恐ろしく感じられた。アイゼンが知るシウォンはリフキアとの交流も深まってきた頃の形からである。仕事においては厳しそうな人物であるが、弟に向ける言葉としては一段と厳しいものに思われる。
「…あの頃は私は手を引かれていたのだ」
リフキアは言った。
「何も出来ない私は本来見捨てられていた。這い上がろうとしたから手を引かれた。だが、レールに乗ってしまえばあとは自分で進むしかない。私が今悩んでいることは、兄上に相談してどうにかなるわけではない」
「殿下…」
「これは嬉しくもあるんだぞ、アイゼン。兄上が今回の件を知らないはずかない。それについて何も言われないということは、手を出すまでもないと言われているということだ。少なくとも、皇太子宮殿に行った頃とは変われたということなのだろうか」
リフキアはタルトケーキを食べ進める。
アイゼンはリフキアを見ながら心が痛くなった。自分は何かできているのだろうか。そう思う気持ちが募っていく。これが皇太子宮殿のナフカやキシュなら違うのだろうか。もっとうまく主を支えられるのだろうか。
昼休みになって、アイゼンは外を歩いていた。なんとなくそうしたい気分だった。そうしてたどり着いたのは、まだ新卒で務めていた頃に人気を気にせずにいられた庭園の池の橋の下であった。
都を流れるカディーヌ河ほどとは言わないが、宮殿の庭園にも人工的に作られた川がある。厳しい訓練のあと、汗臭い宿舎に帰る前にここで黄昏ていたのだ。
すると、「あら」と声をかけられてアイゼンは振り返る。その先にいた人物に気づいて慌てて立ち上がった。
そこにいたのは皇太子妃リヨル、その人であった。リヨルは侍女のルシアと共に、にこやかに近づいてくる。
「こんにちは。リフキア殿下のところの武官殿でしたよね。シュライン武官の相方の」
「はい、アイゼン=ヴェルバイナでございます。妃殿下にご挨拶を申し上げます」
アイゼンは騎士の礼をとった。リヨルはそれを受けると、アイゼンに話しかけた。
「なぜ、ここに?ここはあなたのお気に入りの場所ですか」
「はっ。時間を見つけたらここを訪れることにしています」
「何か考え事をするのにここは、とても気持ち良さそうですものね」
リヨルはアイゼンに笑みを向けた。
「何かに迷っている…そんな雰囲気を纏っていますね。私に会ってそれは増したようです」
アイゼンはリヨルに心の内を覗かれているような感覚を持った。向けられる笑顔がなぜか素直に受けとることが出来ない。
「迷うとは…私は別に」
「そう。それなら良いのですよ」
リヨルは話を変えてヨルナのことを尋ねた。
「シュライン武官はその後どうです?復帰の兆しはどのようになっているのですか」
「はい。二日後に隊務に復帰する予定です。ご心配いただきありがとうございます」
「あの方は私の中の特別なのです」
「特別…でございますか」
リヨルは何かを思い出したようで声を出して笑った。アイゼンは驚いてルシアにちらりと視線を移す。しかし、当のルシアはまるで何も知らないというようにその視線を無視した。
「シュライン武官は素直な性格だとは思いませんか」
「はぁ…」
「あなたももう少し素直になっても良いのではないですか」
「私は別に何もございませんが」
「リフキア殿下の妃選びの件、私も耳にしました」
「!」
顔色を変えたアイゼンを見て、リヨルは微笑む。
「リフキア殿下の心中は察します。きっと迷われていることだろうと。あの方のように純粋に兄に対して尊敬をもてるのは羨ましいです。私と兄は仲が悪いわけではありませんが、殿下方の関係とはまた異なるものでしたから」
「確かに、お二人のご関係は私も羨ましく存じます」
「あら、あなたにもご兄弟が?」
「はい。私は三兄弟の次男です。男ばかりの家で喧嘩の絶えない私達兄弟は、親からすれば扱うのが大変だっただろうと思います。今では気の合う酒飲み仲間ですが」
「まあ、それは楽しそうね」
アイゼンはリヨルの空気にいつの間にか乗せられていた。リヨルが何をもって声をかけてきたのかはわからない。単純にシウォンのことを心配してのものなのか、しかしそんな簡単な話ではないように思われる。
「ヴェルバイナ武官」
「はい」
「リフキア殿下が目指すのは皇太子殿下かもしれません。しかし、あなた方が目指すのはナフカやキシュでなくて良いのですよ」
「…」
突然、リヨルが言った言葉はアイゼンの心の奥にストンと刺さった。
「人は高いところを目指そうとしがちです。それ事態は悪いことではありませんが、それが重石となるなら話は違います。ここに来て初めに驚いたことは何と言っても皇太子殿下と側近の関係です。あれはむしろ稀有なものでしょう。普通、あそこまで相手を信じきることは出来ないでしょう。多少の疑念がつきまとうからです。あの関係は目指せなくても、相手を知り、時に諌め、慰めあえる関係は作れると思いませんか」
リヨルの言葉にアイゼンは聞き入っていた。
「ヴェルバイナ武官、リフキア殿下を良くお知りなさい。リフキア殿下は心の狭い方ではないはず。あなた方の言葉なら受け入れてくれる、そういう関係が作れたとき、主従は成立するのです」
「…」
アイゼンは先程リフキアに都に行くことを諌めたことを思い出した。言ってみれば、それがアイゼンの中で何ができているのか問うきっかけとなったのだ。
「私の好きな言葉にもあるのですよ。レティシア=フィヨルの言葉で『知りなさい。知ろうとすることが人と人には不可欠なのだ』と」
「どうして…今その話をなさるのですか」
リヨルは笑った。
「私も側付きを置いてある程度相手がわかってきたとき、少し関係が悪くなったことがありましたから」
そう言ってちらりとルシアを見る。ルシアは少し照れたのか頬を赤く染めて顔を反らす。
「だから気負うことはないのです。特にここ最近は、ヨルナ武官も不在で一人で背負い込むこともあったのではないですか」
アイゼンはここでようやく笑みをこぼした。
「…なんでもお見通しなのですね、妃殿下。しかしながら少し気分が軽くなった気がいたします。ありがとうございました」
「…そろそろ休憩は終わるの?」
「はい。主を待たせるわけには参りませんから」
アイゼンはそう言って礼を施すと歩きだした。その時である。
「姫様!」
ルシアの声がした。慌てて駆け戻ると、リヨルが胸を押さえて苦しんでいる。
「妃殿下、わかりますか」
アイゼンは声をかける。
「…っ」
リヨルからは声にならない返事が返ってきた。アイゼンはルシアに言った。
「私が妃殿下を宮殿へ運びます。医官をお呼びしてください」
「はい。ありがとうございます」
ルシアは急いで駆ける。アイゼンはリヨルに言った。
「妃殿下、御身に触れること申し訳ありません。体勢は横の方が楽ですか?」
リヨルは頷いた。
「…では、しばらく辛いかもしれませんが失礼致します」
アイゼンはリヨルを腕に抱いて皇太子宮殿を目指した。途中、出会った兵に詳細を皇太子宮殿とリフキアの東宮殿に伝えることを命じると、あとはリヨルの体調を見ながら慎重に運ぶ。
「辛くはありませんか、妃殿下」
「大丈…夫」
顔色はそう悪くなさそうである。毒ならもっと症状が明らかなはずだし、食べ物に当たったのならもっと早く症状が出ているはずだ。原因がわからない以上、急いで医官に見せるしかなかった。
宮殿が見えたとき、シウォンとキシュが走ってやって来た。
「リヨル!」
シウォンはリヨルを抱き抱えたいたアイゼンをちらりと見て、またリヨルに視線を移す。アイゼンもそれに気づいて何となく気まずい空気が二人を覆った。
「…シウォン様」
リヨルがシウォンの手をとった。
「リヨル、どうしたのだ」
「…シウォン様、申し訳ありません…お忙しいのに」
「何を言う。仕事などどうにでもなる。それより具合は?」
すると、ルシアがナチ医官を連れてが到着した。
「さ、早く部屋に」
「アイゼン、私が代わろう」
キシュにリヨルを託して、アイゼンはリヨルを見送った。その場に残ったシウォンとアイゼンはしばらく互いを見つめていた。
「妃はどうしてあのようなことに?」
「妃殿下とお話をさせていただき、休憩を終えて帰ろうとしたところ、突然苦しまれたようです。私のようなものが妃殿下の御身に触れましたこと、お詫び申し上げます」
「いや、よく運んでくれた。こちらから礼を申すことはあれど咎めることはない。妃も望まないだろう」
「…はっ」
「心配をかけたな…。リフキアはその後どうしている」
突然の問いにアイゼンは慌てて答えた。
「はっ、はい。その後お変わりなくお過ごしです」
それがシウォンの問いに対する答えかどうかはアイゼンにはわからなかった。それくらいシウォンの問いは抽象的なものだったからである。
「…そうか。そろそろ休憩も終わりであろう。下がってよい」
アイゼンはシウォンに礼をすると去っていった。
シウォンはしばらくアイゼンの立っていた場所を見て、それからリフキアのいる宮殿の方を見つめた。シウォンの心のうちには、対立する思考のせめぎ合いの嵐が起こっていたのであった。




