夜の密会
夜、シウォンと法務長官オルモンド=ダナフォートは宮殿の一角にて対面した。人目を避けるために用いることとなった、この使われなくなった宮殿は少しばかり埃っぽい。月明かりが差し込み、立ち上がる埃を光らせるのはどこか怪しさを感じさせた。
「この様なところにお招きして申し訳ありません、殿下」
オルモンドはまず謝辞を口にした。
触れるところには手に見えるほどの埃がつく。そんなところにこの国の皇太子を呼ぶとは無礼極まりないことであった。
「いや、構わない。事が事であると理解している」
「ありがとうございます」
「それで?人目を避けたとはいえ、長居は良くないのだろうから本題に入ろうか」
オルモンドは頷き、息を吐ききるとシウォンにまっすぐ視線を合わせた。
「殿下は、リフキア殿下の妃に私の娘が候補となっていることをご存じですか」
「知っている」
オルモンドは尋ねておきながら、返ってくるであろう答えを知っていた。
オルモンドはシウォンについてある一定の評価をしている。シウォンの行動の早さは言うまでもなく高水準であると思っている。貴族の後ろ楯なくとも貴族の行動には敏感であり、さらに評価されるのは決断の早さである。
それに寄与するのは側近のナフカ=グリュネールとキシュ=コンワートであろう。ナフカに関して言えば、執務官としての働きは養父のシュワームに負けないものであろうし、シウォンの決断の早さは決断に至るまでの情報が正確かつ多いことであろうと考えられる。その情報を揃えているのは、おそらくキシュではなくナフカだろう。文官としての仕事はオルモンドの二人の息子、アルヴィンとイシュフォードにも学ばせているが、おそらくナフカには敵わないとも思っている。これについてはそう感じるという程度の事だが、ナフカには底知れぬものがあると、オルモンドは見ていて思うのである。
そしてキシュについても評価していた。シウォン、ナフカはともに生まれてまだ二十年ほどの若者である。それゆえ、イスファターナの戦争期には子どもであった。シウォン、ナフカ共にイスファターナの未来を担う天才には違いないが、若いゆえの行動をキシュはうまくまとめている。戦争を知っているからこそ、そして当事者であったキシュにとって今回の同盟にはおそらく並々ならぬ思いがあるはずだ。軍事面の今後の動きはキシュの意見が検討されることも少なくないだろう。
総じてシウォンはいい部下を持っている。しかも、身分を問わない人選を自らやって見せることは前例となる。そこにシウォンの今後のイスファターナの展望が見えてくる。
「では、それについてどうお考えですか」
オルモンドは再び尋ねた。
「それは私を心配しての問いか。心配をするなら行動をやめれば良いだろうに、それをしないのだろう、ダナフォート卿。リフキアは魅力的か?」
シウォンはオルモンドにまるで悪戯をする子どものような笑みを向けた。
「あなたはリフキア殿下をどうするおつもりですか。手元に置くのか、あるいは手放すのか」
するとシウォンは笑みを消した。
「さては、その答えを私に聞くために動いたのか。手の込んだことをするな。皇族に忠実なるダナフォート家にしては珍しいことだ」
「おっしゃる通り、我がダナフォート家は代々皇族の方々に忠誠を誓ってまいりました。しかし、時代は変わろうとしている。ダナフォート家は意味もなく皇族の方に忠誠を誓うわけではない。その決断のために是非にもお聞かせ願いたいのです」
すると、シウォンは窓枠の埃を払って腰かけた。
「迷っているか、ダナフォート卿。私にしてみればあまり嬉しいことではないが」
「…」
黙したオルモンドにシウォンは言った。
「どちらかが折れない限りいつかはぶつかると私は思っている。戦いは好まないが今回は国家間の話ではなく国内でのことだ。被害を抑えつつ私はこの地位を磐石としなくてはならない」
「殿下がそうおっしゃるのなら、衝突は避けられぬのでしょう。しかし、それにリフキア殿下を巻き込むのは惜しいと私は思うのです」
シウォンはオルモンドにその訳を問う。すると、オルモンドは都でのリフキアの話をした。
「…皇太子殿下、あなたには先見の力がある。そして行動力と何よりもこの国を誰よりも思っておられる。しかし、私は常々思うのです」
この話にシウォンは傾聴した。オルモンドはその心のうちを人に見せることはほとんどない。そして、今この男をおいてイスファターナの行く末を自己の利益や保身を抜きに第三の方向から見る者はいないだろう。
シウォンはその青い瞳をより深い色へ染め、自らの思考も深く深く沈めていく。
「法務長官である私は、時に法をもって人を裁くことがございます。しかし、今のイスファターナは国とそこに住まう者の距離が遠いと感じるのです。ゆえに国法は民のために存在するわけでなく、身分制度を守るための柱と化しているのです。国とは…王や貴族は民のためにあるもの。そう語った建国当初のこの国の有り様とは異なるものになっているのです」
オルモンドは一呼吸ついて、また話し始める。
「先程述べましたように、あなたには帝になるための気質は十分に兼ね備えておいでと思っております。しかし、同盟という前例無き新時代に生き残るためには民を忘れてはならない。民に近い帝もまた必要なのです」
「それがリフキアだと言うか」
「左様。民に近い帝…あなたに出来ないというのではなく、時の早さがあなたの手に負えなくすると申しているのです。見えておいでなのではありませんか。同盟が結ばれた後のこの三国の有り様がいかなるものであるべきか。時に追いつけなくなった国はおそらく…滅びるでしょう」
部屋に沈黙が訪れる。
シウォンはオルモンドをちらりと見ると、その顔に言葉の重みと熱意が描かれているようだった。
「帝にはこの事を話したか?」
シウォンは少しだけ話を逸らす。
「いいえ。私の考えを述べたのはあなた様が初めてです」
「そうか」
シウォンは短く返事をすると少しだけ間をおいて、それからオルモンドに近づいた。オルモンドは驚いて頭を下げる。
「よい、ダナフォート卿」
顔をあげたオルモンドが目にしたシウォンはまるで光を纏っているかのように眩しく映った。
「ダナフォート卿。今回、お前は私の考えを知るためだけでなく私を試したのだろう。そしてリフキアを切り捨てると言えば私を見限る…こともあったかもしれないな」
「…」
シウォンはクスッと笑った。
「だが、少し遅かったな。リフキアには既に話をしてある。『ナフカとキシュに出来ないことをできる、私が最も信頼する人間となれるか』と」
オルモンドは表情に出すことはしなかったがシウォンの言葉に大いに驚いていた。
「…それで、返事は何だと?」
「あいつはやると、そう言った。つまり、カトレシア卿も知らぬ間にリフキアは私の手の者になっているということだな」
「そ、それは…」
「お前が今思った通り争う必要はどこにもない。しかし、彼らはそう言ったところで止まらないだろう。反皇太子、そして反同盟。国が新しくなることを恐れる者達は多い。規模が大きくなるほどに止まることは難しい」
すると、急にオルモンドから見たシウォンが表情を変えた。
「ダナフォート卿。お前にはリフキアを陰で支えてほしい」
「!」
『支えてほしい』と言われてオルモンドは言葉を失った。そこにいたのは兄という一人の人間だったのである。
「争う必要はどこにもない。だが、私とリフキアの生まれがそれを生むのだ。私がカトレシア卿らに勝ち得たとき、同時にリフキアは新時代で最も警戒されるべき存在へと変わる。今の私と同じだ。新時代で生きるものがリフキアを消そうとすることは大いにあり得る。世の中の流れから私は一度、リフキアを遠ざけなくてはならないだろう。しかし、お前が私に与える忠誠とリフキアに対して支えがあれば、決して遠くない将来、リフキアを手元に置くことが出来るようになる」
「…っ、皇太子殿下」
オルモンドは目の前の人物に対してそれ以上の言葉を紡ぐことができなかった。
「だから私は、お前の娘との婚姻の話は悪い話ではないと考えている。当のリフキアは慌てていることだろうが」
「皇太子殿下、あなたはどうしてこんなにも…」
―こんなにも大きいのだろうか
届き得ない境地なのだと、オルモンドは理解した。試す必要も、オルモンド自身が考えていたことも、この人の前ではやらなくてはならない一事なのだ。世界の狭さと広さを一度に感じる、そんな感覚をオルモンドは味わっていた。
「ダナフォート卿、リフキアを頼む。この争いがどんな結果になっても、リフキアを守れるのはイスファターナの盾であるお前だけだ」
オルモンドは言葉の重みに身がすくむ思いでいた。託されたのは単にリフキア殿下を守ることにあらず、その本質はこの国の根幹を守ることである。そうわかったとき、それを託される光栄さと、その重さに潰されそうになる。
「…もったいないお言葉です」
やっとの思いで吐き出した言葉はなんとも格好のつかない声で発せられた。
シウォンは続けて言う。
「当面はカトレシア卿にいい顔をしていればいい。立場というものがあるだろうからな。あまりこういう言い方は好きじゃないが、妃選びは必ず勝ち取れ。リフキアを守るにはそれしかない」
それを聞いたときオルモンドはふとシウォンに尋ねた。
「あなた様はどうなさるのです」
シウォンは一度たりともオルモンドに自分を守れとは言ってこない。後ろ楯もなく、あるのは自身の力のみ。普通なら自分のことを守ろうとするのにその陰は見られない。
尋ねるとシウォンはオルモンドの予想を遥かに越えて軽快に笑った。
「私は世の中に必ずある反対側の意見だ」
オルモンドはその言葉の意味をすぐには理解できなかった。
「人の考えは人の数の分だけ存在する。しかし、行動に移さなければ何も変わらない。動いたのは私とカトレシア卿達だけだ。相反するものがぶつかるのは当然のこと。そしてどちらが善悪なのかは結果が唱えることであって、本来はそのどちらにも正しさは存在しない。私が消えるならそれだけのことで終わる。それだけなんだ」
不思議なことにシウォンは物事の正しさについてナフカと似た見地を持っていた。正しさの本質についての捉え方が似ているのは主従ゆえか。しかしながら、シウォンとナフカ、互いがそれを知るよしもない。
「…殿下、それは」
「世の中でこういう考えは無責任とか、考え無しとか言う者もいるが、善悪を決めることで求める秩序なるものが出来上がる。お前の近くにある法はその典型的なものだろう。しかし、その本質は必ず生まれてしかるべき人の感情なのだ」
親子ほども歳が離れているのに、親の方が子どもに諭されている。この図はある意味で不自然なものだった。シウォンのこの考えの深さ、いや、覚悟の強さは一体どこから生まれてくるのか。
「ダナフォート卿。万一のときは、お前を含め今後ダナフォート家の当主になる者に頼みがある」
「…何でございますか」
「イスファターナの盾としてこの国が終わるときまでその務めを果たしてほしい。曇らないその目で見たものを信じ、民のための国を理想とし、いつまでもこの国のために生きてほしい。頼めるだろうか」
オルモンドは文官であった。しかし、武官としての心得は十分に備えていた。彼は武官のように床に膝をつき、シウォンの前に頭を垂れた。
「そのお言葉、我がダナフォート家の家訓とし、先の時代にまで伝え志すことをお約束いたします」
「そうか。感謝するぞ、ダナフォート卿」
「…はっ」
オルモンドは使われなくなった宮殿の部屋を去った。宮殿の入り口ではナフカとキシュが控えていた。
「…君らの主には敵わないな。しかし、仕えがいのあるお方だ。失うにはあまりに惜しい。殿下を必ずお守りしてくれ。無論、私などが言わずとも君らの心は決まっているだろうが」
すると、キシュが答えた。
「はい。我々の主はあのお方ただ一人。その側近として、いついかなるときもお守りするのが我々の役目でございます」
オルモンドは笑った。オルモンドは人前で笑うことも珍しい。それほどに感情を表にする人物ではないのだ。ナフカとキシュは驚いていた。
「叶うなら君らと同じ時代に生まれたかった。少し早く生まれすぎたか…。君らが羨ましいよ。しかし、出会えただけでも幸福か」
「ダナフォート様のお力あってのこの国でございますれば、我々もまだまだ学ぶことが多い身の上。こちらこそ、これから大いに学ばせていただきます」
ナフカが言うと、オルモンドは苦笑した。
「君にこれ以上の才覚を見せられたら、私は自信消失するだろうよ。いやいや、学ぶことは大いに結構。その向上心は常に持っていて然るべき。学びは人を強くする。しかし、学びに及ばない唯一のものに気付いたら手離さないことだ。これは歳を重ねている人間からの忠告だ」
オルモンドはそう言って去っていった。
オルモンドの言葉はナフカに刺さるものがあった。学びに及ばないもの。これまで生きてきた中で考えたこともなかった。
―学びこそすべて―
実際に飛燕の頃も執務官になってからも学びに助けられたことはたくさんあった。それに勝るものがあるのだろうか。
「…フカ、ナフカ?」
キシュに顔を覗き込まれてナフカは我に返った。
「シウォンを迎えにいくぞ」
「あ、ああ…すまない」
ナフカがこの言葉の意味を理解するのはまだ先のこと。しかし、オルモンドの言葉はナフカに新しい考えを与えたことに違いはなかった。
▽▽▽▽▽
「ご機嫌ですね、旦那様」
帰りの馬車の中で執事のキースが言った。オルモンドは笑う。
「そう見えるか?確かに今の私は気分がいい。帰ったらアレッタを部屋に呼んでくれ」
「妃選びはやはり行われるのですね」
「ああ。そしてダナフォートが必ず勝ち取らなくてはならない。取りこぼせばおそらくダナフォートはこの先二度と立ち上がることは出来ない。すべてがアレッタにかかっている」
キースは少し不安げな顔をした。
「お嬢様が少し心配でございます。いえ、お嬢様は旦那様譲りの強いお心をお持ちですが、お家の期待を抱えるのはやはり緊張や不安もありますでしょう」
オルモンドは首を振った。
「キース、アレッタはおそらくアルヴィンやイシュフォードよりも強いと思うぞ。かのソウェスフィリナ王は皇太子妃殿下が男であったなら王にしたかったと言ったと聞くが、私もアレッタが男であったなら、たとえ三番目に生まれていようと当主にしたかもしれん。家のためを思うならその方がよいかもな。イスファターナは女当主が禁じられているわけではない。だが、当主になれるほどの才幹は別の道で生かすことができる」
「それが皇族に嫁ぐことだと?」
「しかも、新時代のイスファターナ皇族に嫁ぐのだ。今となっては皇太子殿下の妃に選ばれずによかったかもしれん。帝の妃は窮屈なこともあろうが帝の弟の妃となれば皇妃よりは自由があるだろう。何はともあれ楽しみだ。これからのこの国がな」
オルモンドは笑った。キースは不安を抱えてはいたがオルモンドの期待が高まっていることは理解できたし、嬉しくも感じた。
この国のためと本来の志望であった武官にならず、長いこと文官として働いてきたオルモンドが、ようやく本当にやりたいことができる。花を咲かせようとしているのである。
夜は既に更けきっていた。静かな都の貴族街をダナフォート家の馬車は屋敷へと道を急いで走っていった。
お読みいただきありがとうございます。
次話は近いうちにお出しできるとよいな、などと思っておりますので、お楽しみに。




