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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
五章 変革の鐘
55/125

宿場町の被害

今回は少し長くなりました


 復興作業はおおよそ順調であった。リフキアが視察に出ておよそ一週間が経ったその日、ヨルナは朝食を終えたリフキアに言った。

 

 「殿下、恐らく気になっておいでだろうと思って私、昨夜国籍不明者の宿場町に作られた仮設のテントに行って参りました」

 

 リフキアがシウォンに依頼したことにより、翌日には宿場町に医者や薬師が派遣された。ヨルナの報告では、災害の被害による死亡者がおよそ六十四名。負傷者二百五十三名とのことだった。そして、少し躊躇いながら処置が間に合わずに亡くなったであろう人の数を言う。

 

 「…およそ、七十六名とのことでした」

 

 リフキアもアイゼンもそれを聞いて言葉を失う。ヨルナによれば、治療に耐えられずに亡くなった者も含まれるというが、いずれにしろ百三十名の死者が宿場町だけで発生したことになる。宿場町と同様に被害の大きかった大通りでも、死者は合わせて二十名弱。この差はあまりに大きすぎる。

 

 「…その報告は誰からのものだ?」

 「医師団を取り仕切るグロンド医師長からのものです」

 「現場の様子は?」

 「まずは傷病者に医術を施すことに注力しているらしく、復興作業は遅れそうです」

 

 リフキアはアイゼンに目を向ける。

 

 「こっちの作業はどうなっている?」

 「泥や瓦礫の撤去は昨日ほとんど終えました」

 

 リフキアはそれを聞くと、何かを決意したような顔をする。ヨルナとアイゼンはそれに気がついたようだ。

 

 「…向かわれるのですね」

 

 ヨルナが言う。

 

 「ヨルナが報告してきたということは安全確認を済ませてきたんだろ」

 「ええ、一応は」

 「では支度をしてくれ。ヨルナとアイゼンも食事を終えたら出発する」

 「承知しました」

 

 ヨルナの表情はどこか硬い。アイゼンはヨルナと一緒に部屋を出ると、声をかけた。

 

 「ヨルナ、お前大丈夫か」

 「…何のこと?」

 「顔色が悪い。何かあったんじゃないか?あるいは体調が良くないとか…」

 

 アイゼンがヨルナの肩に手をかけると、ヨルナはそれを激しく振り払った。

 

 「何もないっ!」

 

 叫んですぐにヨルナはそう言った自分自身に驚いたらしく、アイゼンを見つめながら驚きに表情を固めた。そして何か気まずくなったのかゆっくり視線を外す。

 

 「…悪い、アイゼン」

 

 心配してくれた相手に何をしているのか自分でも収拾がつかない。


 「どうした。俺には言えないようなことか?俺達は同じ主に仕える同士だろ」

 

 ヨルナはなおも苦い顔をしていた。その時、作業人達の声が近づいてくるのが聞こえたので、アイゼンはとっさに自分の部屋にヨルナを招き入れた。

 

 「…新手の勧誘か何か?」

 

 ヨルナは重い表情を少しだけ微笑みさせて言った。アイゼンは顔を真っ赤にして否定する。

 

 「違う違う!その、これはだなぁ…」

 「ハハッ、わかっている。私のためなんでしょう」

 

 ヨルナはため息をつくと言った。

 

 「アイゼン」

 「お、おお」

 「もし、何かあったらさ」

 

 恐らく、いや、間違いなくそれはリフキアの身に何かあったらということなのだろう。アイゼンはそう理解した。

 

 「あんたは私のことを迷わず切り捨てて殿下を守ることだけを考えて」

 「…」

 「自分の命を粗末にしてるとかそういう訳じゃなくてね。何のために私とアイゼンの二人の武官が殿下にお仕えしているのか。もっともそれを有効に使う手段は何なのか考えた結果だよ」

 「だったら俺が残ってお前が殿下と…」

 

 ヨルナは首を振った。

 

 「頭を使ってよ、アイゼン。私は女だ。体力じゃ負ける。最後まで殿下を守るためには、アイゼンが残るのがいい」

 「…急にどうして。何かあったのか?」

 「何もないよ。ただ、殿下が今後も視察に出かけられるとしたら、そこに伴うリスクも増えておかしくない。万一の時のことを考えておく必要が大事だと思った」

 

 ヨルナは淡々と話す。アイゼンはそんなヨルナがどこか遠くに感じた。

 

 「確かにお前は女だろうが、そこらの男には負けないだろ。万一の時は俺達のところまですぐに追いついてくるんだろ?俺は、ヨルナほど馬を速く駆れる武官を他に見たことがない」

 「…ご期待に添えるように頑張ることにするよ」

 「当たり前だ」

 

 ヨルナはそう言って部屋を出ていく。扉が閉められると空気に乗ってヨルナの残り香が鼻にぶつかる。少し甘い、花の香りだろうか。


 (…何を背負っているのやら)

 

 アイゼンは簡単に支度をすると、リフキアの元へ戻っていった。

 

 

 ▽▽▽▽▽

 

 

 「殿下、私も連れていってもらえますか」

 

 そう言ったのは他でもないムーアンだった。リフキアは最初、驚いていたがそれを許可した。

 

 宿場町の洪水によって大きく開かれた土地には、医療団の天幕が張られていた。そこに次々と入っていく人々を見るとリフキアは心の奥が痛かった。

 

 「まずはグロンド医師長に会おうか」

 「では、お呼びして参ります」

 

 ヨルナがそう言って天幕に入っていく。

 

 「ムーアン、確かそなたは代々建築に携わってきた家だろう」

 

 リフキアが言った。

 

 「左様でございますが」

 「都でも一二位を争う大きな建築の業者だ。もし、今後もお前達の力を頼りにすると言ったら協力してくれるか」

 「…」

 

 ムーアンは間をおいて言う。

 

 「それは例の河の工事と水路の話でございますか」

 「そうだな」

 

 リフキアが答えると、ムーアンは少し考え込んで話した。

 

 「…私どもは先代の父が戦争で体を悪くしたり、それによって元の働く先で辞めさせられた者達を雇って今の規模です。みんなどこか悪くしていて、受ける仕事も選んできたつもりです。何よりソウェスフィリナをよく思っていない者も多い…」

 

 リフキアは頷く。

 

 「私とて、ソウェスフィリナを心から好きかと言われたらわからぬ。これは内緒にしていてくれ。見たこともその現地の人間と話したこともない。残っているのは過去の恨みばかりで、同盟が成立した。訳がわからぬのは私も同じだよ」

 「では、なぜそのように本気になれるのですか」

 

 リフキアはその問いの答えを真剣に考えた。

 例えば、『今日の夕飯は何か』という問いをイスファターナでした時、恐らくソウェスフィリナでも同じ問いをする人間はいるはずだ。空腹は自然の摂理。それは国境で隔てられても変わることがない。

 何が問題なのかとすれば、お互いをよく知りもしないで過去の恨み言ばかりを並べ立てること。こちらで悲しむ人間がいれば、やはり壁の向こうでも悲しむ人間がいる。

 そうであるなら、人間は国境という壁に隔てられてはいても同じものを持っていることになる。少しずつその共通項を互いに知っていけば、友と呼べる存在になれるのではないか。同じ方向を向くことはできるのではないか。

 今はまだ国境は閉ざされているけれど、今後入ってくる両国の文化を見つめることは、互いを知る一番の手段だろう。過去の歴史と現在のあり方を別にしてはいけない。過去というものがあっての現在なのだから、それを無視することの罪は大きい。

 過去を知るものは未来に何をできるのか、その思考は永遠に閉ざしてはならない。

 

 「本気なのは私が皇子だからだ。それで納得してくれないか、ムーアン」

 「…そうするといたしましょう」

 

 ムーアンは笑った。見事に交わされたのかもしれないが、恐らくこの目の前の皇子は本心で国を変えたいと思っているのだろう。

 ザクロがこの皇子に興味を持つのもわからなくはない。若さゆえの何か熱いものを内に秘めているような、そんな感じがする。自分には、もう長らくない感情かもしれない。何かに熱くなることなんて、そんな青春みたいなこと―。

 すると、ヨルナが戻ってきた。後ろには白衣を着た男がついている。

 

 「ムーアン、少し待っていてくれるか。話をして来る」

 「はい。それでは少しこの周辺を歩いておりますので」

 「ああ」

 

 ムーアンはそう言って、ただの大地となった元宿場町を探索した。普段、ここにイスファターナの人間が立ち入ることはない。治安も悪ければ、そこに住む人間のがらもあまりよくない。

 ムーアンは恐らく天幕を張るに際して集めた瓦礫が積み上がった場所に近づいた。床板や柱となっていたであろう木材を手に取る。触ってすぐにムーアンはその木材の質を見切った。

 

 (低ランクの木材だな。安いにも程があるだろう)

 

 その木材は強度もなければ恐らく燃えやすい木を使っている。イスファターナの都の住居は主に石造りが多いが、奥に行けば行くほど昔の住居が残っている。昔のものだけに安全とは程遠い作りになっていたりする。ムーアンの建築場には昔の家の強度を高める仕事も舞い込んでくるから、その下見で肥えた目に偽りはない。

 この宿場町もできてから相当古い。これまでよく火災が起きなかったと、むしろムーアンは感心した。

 災害が起きた日、あの日のカディーヌ河の水は命が宿っていたと言う人間がいるほどに凄まじいものだった。あの水がこの地域に押し寄せたとすると、住居がこんな風になるのも用意に想像がつく。

 

 「こりゃ酷でぇなぁ」

 

 ムーアンの隣でよく知る男は言った。

 

 「こんなもんで、よくこの当たりの家はもっていたな」

 

 少々歩きづらそうにしながらやって来たのは旧知の友である。

 

 「何をしに来た、ザクロ。休日だろう?お前のことだから酒でも呷って寝てるのかと思っていた」

 「さっきまではな。阿呆どもをなだめてたら、宿場に行くって言うから見に来たのよ」

 「阿呆どもって…」

 

 ムーアンが振り替えると少し離れたところに若者衆が集まってこちらを見ていた。

 

 「あいつらまだ何か言っていたのか」

 「そう言うな。お前だって、思うところがあってここに殿下と来たんだろ?」

 「…」

 

 ムーアンはため息をついた。

 

 「…若いな、あの御方は。熱いものを持っている。俺には長らく縁がなかったものだ。どっかに置いてきてしまったのかもな」

 「お前は必死だっただけだろ。先代が抱え込むだけ抱え込んだ作業人達を食わせていくために。俺達はそこに背負わせてもらっていただけだった。でも、今は軌道には乗ったんだ。お前も夢を見てもいいんじゃねぇのか」

 

 夢と言う言葉にムーアンは妙な懐かしさを思い出した。昔、ザクロと酒を呷りながら語ったことがある。六年前の戦争より前のことだ。いずれ親から仕事を引き継いだらどうしていくのか。確か―

 

 「…人を喜ばせるための建築家、か」

 

 ムーアンは思わず口に出していた。隣にいるザクロはニヤニヤとこちらを見ている。

 

 「笑うな、ザクロ」

 

 ムーアンは若者衆を見ながら言った。

 

 「若者の夢に力を貸すのは俺達の仕事だろうか、ザクロ」

 「…さぁ、気づく奴もいれば気づかねぇ奴もいるだろうよ。俺個人としては面白いからあの殿下についていきたい。それだけだよ」

 

 ザクロは大きな欠伸をする。

 

 「俺、帰るわ。帰って一眠りする」

 「お前なぁ」

 

 すると、ムーアンは名を呼ばれた。

 

 「ムーアン、待たせたな」

 

 リフキアは言う。リフキアの後ろには白衣の医者もついてきていた。やはり、皇子がこの場に来るのだけでも異例の事態なのだろう。

 

 「いえ、それより今から何をなさるのですか」

 「ここを見て回る。ついてくるか?」

 「…はい」

 「では、この後は私のことはサンと呼べ。名に敬称も要らぬ」

 「…は、はぁ」

 

 ムーアンは不思議がりながらリフキアの背をついていく。宿場町の中心部と思われる辺りはまだまだ被害の様子が残っていた。道に倒れこむ者もいるし、まだ病は終息していないらしい。

 

 リフキアは突然駆け出した。ヨルナとアイゼンもそれに合わせて走り出す。リフキアは目の前で倒れた老人を転ぶ寸前で抱き留めた。

 

 「…っと。大丈夫か」

 

 老人はどこか震えているように見える。

 

 「寒いのか」

 

 リフキアは自分の着ていた羽織を老人に着せてやった。

 

 「風邪はよくない。薬はちゃんと飲んでいるのか」

 「…」

 

 老人は首だけ振った。

 

 「すまんがこの患者を診てもらえないか。体調が悪そうだ」

 

 医師長のグロンドはリフキアに言われて老人を診る。

 

 「…腹痛があるか?」

 

 老人は頷いた。

 

 「与えられた薬が合わなかった可能性もあるだろうな」

 

 グロンドは近くを通りかかった医者を呼び止めてその老人を任せた。

 その後もリフキアはたくさんの道行く人達に声をかけてはその身を案じて水を与えたり、体を擦ってやったりした。

 ここにいるのがこの国の皇子と知ったら、きっと皆が驚くだろう。ムーアンはそう思いながら、リフキアの行動を素直に評価していた。

 

 「グロンド、人は足りているか」

 「五分五分です。都の兵も力を貸してはくれているのですが」

 

 リフキアはアイゼンを見る。

 

 「都の兵に協力を頼もう。もう少しくらい力を借りても悪くはないはずだ」

 「そうですね。これでは到底追い付かないでしょう。夕刻、向かわれますか」

 

 リフキアは頷く。

 

 そうして一行は昼を迎えて炊き出しを行っている広場に着いた。すると、リフキア達の前で衝撃の光景が起こったのであった。

 

 「今日の炊き出しはこれで終わりだ!さあ、帰れ!」

 

 そして柵が設けられて人々は追い返されていく。リフキアは驚きの光景にヨルナやアイゼンに聞き返す。

 

 「…あれは何だ?」

 「…」

 「宮殿からは兄上が十分な支度をしてくれたと聞いているが」

 

 その声に怒気が含まれているのをムーアンは感じた。もはやそこにただの平民のリフキアはいなかった。


 「グロンド医師長!答えよ!」

 

 リフキアがグロンドに厳しい視線を向ける。グロンドは頭を下げる他になかった。彼自身、この数日は忙しさに、炊き出しのことまで頭が回らなかったのである。そもそも、この派遣自体が急なことであったので、責任の所在のあり方も完全と呼べるものではなかった。グロンドも配給の担当者から問題無しと受けていたので特になにもしていなかった。

 

 「…っ!申し訳ありません!私も把握できておりませんでした」

 

 リフキアは怒りの視線を炊き出しの兵士達に向けた。リフキアはそのまま歩いていく。

 

 「これは何事だ!」

 

 リフキアは兵士達に言う。兵士達も並んでいた人間達もリフキアに目を向けた。リフキアの服装自体が、平民のなりである。兵士達はむしろ苛立ちを見せた。

 

 「お前達こそ何だ!」

 

 返ってきた言葉にアイゼンの怒りは頂点に昇る。

 

 「ここにおられる御方は恐れ多くもイスファターナ皇国第二皇子殿下であられる。殿下に対して何たる口の聞き方!」

 

 リフキアの怒りはアイゼンに比べれば静かなものだった。静かであるだけに、そこに凄みが加えられている。

 

 「ここの担当者を呼べ。お前達に用はない…いいや待て。残りの配給の数くらいは知っているだろう。答えよ」

 

 兵士が答えたのはおよそ一食分であった。

 

 「グロンド、そなたに報告されていたのは?」

 「一日三食と考えての三日分でございます」

 

 リフキアは溢れる怒りを押さえ込んで兵士達に言った。

 

 「…今すぐに残りの配給の分で食事をこの者達に与えろ!それでも足りぬ分はお前達の分から差し引くのだ!よいな、ここにいる全員に食事を与えることを命じる。守れなければ私の命に逆らったものと見なす。よいか!」

 「…はっ!」

 

 リフキアはヨルナに言った。

 

 「ここの担当者を連れてきてくれ。ここの管轄は都の近衛か?」

 「はい。確かそう聞いておりますが」

 「であれば、都の近衛隊長も連れてくるのだ。そして、私の名で宮殿にこの事を伝えてくれ」

 「承知いたしました」

 

 ヨルナはその場を離れ、近くの兵にそれを伝えに向かった。

 

 「グロンド医師長は配給が行き届くのかを見届けてほしい」

 「はい」

 「アイゼンは私の側にいろ」

 「はっ!」

 

 

 ヨルナは馬を駆けて都の近衛隊長をリフキアのもとに連れてくると、そのまま城へと向かい近衛庁に駆け込んだ。

 

 「ええっ!長官は不在?」

 

 ミュンツェルがいないと近衛の兵士に言われてヨルナは尋ね返す。

 

 「どこにおられるのですか!」

 「皇太子宮殿におられるかと…」

 

 ヨルナはそれを聞くやすぐに馬を駆けて皇太子宮殿に向かった。

 

 「あの、ミュンツェル長官はいらっしゃいますでしょうか!」

 

 ヨルナはたまたま宮殿から出てきたハクに言った。普段はあまり人目を避けるようにしているが、たまたまバルトレインの手伝いで宮殿の倉から穀物を運んでいたのである。

 

 「君は確か皇子殿下の…」

 「ええ、その通りです。近衛庁に行きましたら長官はこちらだと」

 

 ハクは何となく状況を理解して、ヨルナに言った。

 

 「ここは皇太子妃殿下の宮殿だ。皇太子殿下の宮殿は表側だ」

 「なるほど、左様ですか」

 

 ヨルナはハクに礼をして去ろうとする。すると、ヨルナを呼び止める声がした。

 

 「お待ちなさい」

 

 ハクが宮殿から出てきた女性に頭を下げる。ヨルナは彼女が誰であるかを理解してあわてて頭を下げた。

 

 「殿下の宮殿に行くなら中を通った方が早いでしょう。案内しますから、お入りなさい」

 「しかし妃殿下、それはさすがに…」

 

 ハクは言った。するとリヨルはホホッと面白そうにヨルナの手をとる。

 

 「ハク殿、あなたはその馬を表に連れてきてください」

 「…承知しました」

 「ヨルナ武官、急ぐのでしょう。早くお入りなさい」

 

 ヨルナはリヨルの案内で続きの回廊を通って皇太子宮殿に入った。

 

 「そこのあなた、近衛庁長官殿はまだいらっしゃいますか」

 

 兵士は敬礼しながら答える。

 

 「はっ、殿下の執務室にていらっしゃるかと」

 「わかりました。ありがとう」

 

 リヨルはヨルナに微笑んだ。

 

 「よかったですね。まだ、いらっしゃるようです」

 

 リヨルはそのまま執務室へと連れていってくれた。

 

 「さ、ここからはあなたの番ですよ。私はあまり出るべきではないでしょうから、ここでお暇させてもらいますね」

 「皇太子妃殿下、本当にありがとうございました。このご恩は忘れません」

 「国のために尽くすあなた方に感謝をするのは私達皇族です。恩などと背負っていては大切な人を守れませんよ。ほら、急ぎなさい。私のことはいいから」

 

 ヨルナは頭を下げる。そして、執務室の扉をノックした。

 

 「失礼致します。第二皇子殿下護衛補佐官ヨルナ=シュラインでございます。執務中とは存じますが、ミュンツェル長官様に急ぎお伝えすることがございます」

 

 そう伝えると扉が開かれた。扉を開けたのはナフカである。

 

 「入りなさい」

 

 ナフカに促されて執務室に入る。中央には当然シウォンの姿があり、その脇にはキシュ、そして執務席の前にミュンツェルの姿があった。

 

 「お話を中断させてしまいましたこと、お詫び申し上げます」

 「よい。私がいない方がよいならこの場はミュンツェルだけにするが…」

 

 シウォンが言うと、ヨルナは頭を下げて言った。

 

 「いえ、恐らくはいずれお耳に入ることと思われますので」

 「左様か。申してみよ」

 

 顔をあげるとミュンツェルも頷く。

 

 「はい。それではご報告させていただきます。先日、皇太子殿下より医師団と配給の派遣が行われた件に関してでございます」

 「…それに関しては近衛で請け負ったが、何かあったか」

 

 ミュンツェルが尋ねると、ヨルナは顔を少し歪ませていた。

 

 「配給が全く足りておりません。加えて与えられる量も僅かで、三食提供するはずの食事は一日に二度となっており、並んでも食べられない者達が出ております」

 

 それを聞いた一同はその異常さに眉を潜める。

 

 「…確か配給は当初の予定に上乗せして送ったはずだが何故そのような」

 「ミュンツェル、この場で求められているのはそれではあるまい。それは恐らくリフキアがしている。今からすぐに本日分の配給だけでも届けなくてはならない。そうであろう」

 

 シウォンがそう言うと、ミュンツェルは頭を下げた。

 

 「殿下にはお見苦しい形を幾度とお見せしておりますこと、重ねてお詫びいたします。失礼ながら直ちに物資の手筈を行いたく存じますゆえ、下がらせていただいてよろしいでしょうか」

 「…それは構わぬが、ミュンツェル。説明の責任はそなたにあることを忘れるな」

 「承知しております」

 

 ミュンツェルはその場を離れた。ヨルナはシウォンに礼を言う。

 

 「殿下、感謝いたします」

 「私はまだ、何もしていない」

 「いえ。十分でございます。むしろ、殿下の名に傷をつけたことになってしまいました。申し訳ありません」

 

 シウォンの名前によって配給が行われた以上、いくら近衛の不始末といってもシウォンにもその影響はある。

 

 「何を言うか。やるべきことをやらなかった人間が許されることはない。正されるべきものなのだから、そなたが謝ることはない」

 

 すると、ナフカがヨルナの前に水を出した。

 

 「飲んでいかれてはどうですか。急いで馬を駆けて来たのでしょう」

 「いえ、私は」

 「飲んでいくといい、ヨルナ。ナフカの出すものは水でさえうまい。そなたが仕えるのは水を飲む時間を許さない人間ではないだろう」

 

 そう言われてはヨルナも断れなかった。確かに普通の水とは何か違う気がする。完璧人間と噂に聞く執務官の腕前はさすがのものであった。

 

 「ヨルナ、リフキアは無理はしていないか」

 「…正直、お恥ずかしながら殿下がわからなくなることはあるのですが、おそらく殿下なりに模索されている途中なのだと理解しております」

 

 シウォンは小さく微笑んで「そうか」と答える。

 

 「その殿下の原動力は皇太子殿下のようです。殿下は皇太子殿下をとても信頼…あれは崇拝に近いと思います」

 「ククッ、崇拝か。面白いことを言うなぁ」

 

 たまらずナフカやキシュも笑い出した。

 

 「崇拝か」

 「崇拝とは…」

 

 執務室に笑気が満ちるように三人は笑い出す。

 

 「まあ、それだけあいつが本気なのは喜ばしいが、頑張りすぎて潰れないように頼む」

 「はい。それでは失礼致します」

 

 ヨルナは部屋を去ろうとしたところで振り返った。

 

 「あの、一つ妃殿下にお礼を申し上げていただけませんでしょうか」

 「ん?」

 「実は―」

 

 詳細を話すとシウォンは納得した。

 

 「わかった。妃には伝えておく」

 「ありがとうございます。それでは、失礼致します」

 

 ヨルナはそう言って執務室を出た。

 

 「…面白いことを言うだろう、あの武官は」

 

 シウォンがそう言うとナフカは頷いた。

 

 「ここにはいないタイプだな」

 「それにしても、さすがはリヨル様だな」

 

 キシュが感心する。シウォンも頷いた

 

 「さて、礼は早いに越したことはないと言う。ナフカ、今日の仕事はもうないだろ?リヨルに取り次いでくれ」

 「わかった」

 「それから…」

 「私の出番でしょうかね」

 

 どこからともなく声が聞こえる。ハクであった。

 

 

 ヨルナは馬で再び都を駆けた。その速さに道行く者は驚いてヨルナを振り返ったと言うが、あまりの速さに顔を見ることはできなかった。

 その日、ミュンツェル直々に物資が届けられ、夕食分が提供された。同時にその責任者達は役職を解かれ、時期に辺境に送られそうである。

 今すぐでなかったのは、ミュンツェルの意思に反して、あまりのミュンツェルの怒りの気迫に責任者達は気を失ってしまったからである。

 

 「殿下、この度は申し訳ありませんでした」

 

 ミュンツェルはリフキアにも謝罪した。

 

 「謝罪を向けられるのはここにいる人々と兄上であるはずだ。いずれ、説明をしっかりしてもらう」

 「もちろんでございます」

 「それから、都の兵士をしばらく貸してほしい。通常隊務に影響のない人数で構わない」

 「わかりました。明日にでも派遣します」

 「頼む」

 

 リフキアはアイゼンとヨルナに言った。

 

 「ご苦労。日没にはここを出て庁舎に戻ろう。明日のためにもう少しだけ辺りを見たい」

 「わかりました」

 

 それから、三人は再び宿場町の者達に声をかけていった。ムーアンもいつの間にかそれを手伝うようになっていた。すると、一同の目の前で少年が倒れる。

 

 「殿下、私この少年を天幕まで連れていってきます!」

 「頼む」

 

 リフキアに言われて、ヨルナは次にアイゼンと目を交わす。アイゼンはわかったと頷いた。

 ヨルナは天幕に少年を預ける。

 

 「グロンド医師からの話では脱水ではないかと」

 「わかりました。こちらで診るからそこのベットに寝かせてくれますか」

 

 ヨルナは少年を下ろして去ろうとしたのだが、その瞬間、少年に服を掴まれる。

 

 「…行かないで」

 

 少年を見ているとヨルナはなんだか離れがたくなってしまって、しばらく側にいてやることにした。

 ヨルナが天幕を離れたのは日が落ちてしまってからだった。少年が薬で眠ってようやく天幕を出たのだが、リフキアは日没にはここを出ると行っていた。

 天幕を出てどうしようかと辺りをうろついていると、ヨルナは背後から肩を掴まれた。

 

 「…昨日の姉ちゃんじゃねぇか」

 「昨日は連れを酷でぇめに遭わせてくれたなぁ。やられたもんにはお返しをしないといけねぇだろ?ちょっと面を貸してくれよ」

 

 ヨルナは男達に囲まれてしまった。

 

 「…っ、この!」

 

 ヨルナが決めようとした回し蹴りが男に止められる。

 

 「二度も同じ手には乗らねぇよ!」

 「うっ…」

 

 ヨルナは腹に鈍痛が走って気を失った。地面に倒れるや霞んでいく視界に夕陽が眩しく照りつける。

 

 「…殿…下」

 

 ヨルナの口から漏れた言葉は誰にも聞き取られること無く夕陽と共に闇に消えていった。

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