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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
五章 変革の鐘
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甘いひととき

今回は少-し甘いお話です。


 シウォンは寝る前にも関わらず、寝台に腰かけて書類に目を通している。熱心といえば熱心だが、一日中仕事漬けでは少し心配にもなる。

 

 「…お前、寝るときくらい仕事を忘れたらどうだ?」

 

 ナフカは呆れた表情でシウォンの持つ書類を覗きこむ。

 

 「…リフキアが申請してきた水路計画の図案と予算の見積もりだ。着工開始を二年後とすると、およそ十年かけて水路が完成することになる」

 「まあ、そんなところだろうな。それにしても、カディーヌ河の災害対策まで考えるのは想像を越えていたな。そちらの方がおよそ一年かかるとしたら、計算上特に問題はなさそうだ」

 「計算上はだな」

 

 シウォンはため息をつく。

 いずれ、正式にソウェスフィリナへの水路計画は国中に知られるところとなる。その前段階として、カディーヌ河の災害対策を取り組むのは悪くない考えだと言っていい。

 公共事業が今後十年と少し、国をあげて行われるのだから仕事がない者たちにとってもその場所を得ることができるわけで、経済事情も向上すると思われる。問題は、人心に尽きるのだった。

 

 「…キシュはまだ帰ってきていないのか」

 「まだだな。知り合いに会ってくるとも言っていたから」

 「そうか。リフキアにはもう少し、うまくカディーヌに取りかかってもらわないとな…」

 

 すると、扉がノックされてシハルが礼を施す。

 シウォンへの刺客が放たれた時、軽度ではあるが怪我を負い、リヨルから数日暇を出されていた。そして先日ようやく復帰したのである。そこでナフカが、

 

 「復帰おめでとう。やはりシハルがいないとだな」

 

と声を掛けたのだが、返ってきたのは元気な声ではなかった。

 

 「麗しの執務官様にそう言われてもね。私は悔しいのよ。少しであっても妃殿下の側を離れることになってしまって。実力不足。そうとしか思えない」

 「しかしそれは…」

 「もちろん、武官じゃないもの。剣や槍や弓を使える訳じゃない。今回は殿下方がいなかったからよかったけど、もしいらしたら私は妃殿下を守れたか…きっと手も足も出なかったでしょう。自分の愚かさがとても悔しい」

 

 なんとなく、ナフカはシハルを姉のように思っていた。そんなことを言うとまたシハルに怒られそうなので心のうちに秘めておくが、この時はシハルの心の内の熱い部分に触れた気がした。

 シウォンの寝所にやって来たシハルは、シウォンに頭を下げる。

 

 「皇太子妃殿下のご支度整いましてございます」

 「わかった。ナフカ、お前ももう下がっていい」

 「はい。こちらの書類は執務室に保管でよろしいですか」

 「そうしてくれ。キシュにも帰還次第休むようにと伝えてくれ」

 「承知いたしました。それでは、失礼致します」

 「ああ、ご苦労」

 

 ナフカはシウォンに一礼して部屋を出ると、そこにはリヨルの姿があった。

 普通、シウォンの寝所に妃がやって来るときは、人目につかないルートでやって来る。なぜ、こちら側の廊下にリヨルがいるのか、ナフカはシハルをちらりと見る。

 

 「…シハルを怒らないであげて、ナフカ。私が頼んだのです。そのために格好も、選んだつもりです」

 

 確かにリヨルは厚手の上掛けを着ていたが、こんな時間に何だというのだろう。ナフカに用事があるなら、昼間呼びつければよいのである。

 

 「あなたにこれを。是非とも有効活用してほしくて」

 

 リヨルは文らしきものをナフカに渡す。

 

 「中身を拝見してもよろしいですか」

 「構いません」

 

 ナフカがその封を解くと、イスファターナ語とソウェスフィリナ語を併用して国内事情が書かれていた。当然、イスファターナのものではない。

 

 「リヨル様…これは」

 「同盟を結ぶのは簡単ではない、というわけです。この国が二分するようにあちらも同じく一枚じゃない。安心して。兄のどうでもよい手紙と共に同封されていたものです。向こうもわかっていて送ってきているのでしょう」

 「内容は理解しました。しかし、なぜ私に…」

 

 リヨルは小さく笑う。

 

 「昼間は殿下がお忙しそうですし、私が伝えるよりあなたが伝える方がうまく伝わるでしょう。呼びつけなかったのは、大事になるのを避けたかったからです。今のイスファターナにはやることがあるはず。そうでしょう?」

 

 なるほど、よくものが見えている。ナフカはリヨルを見てそう思った。ソウェスフィリナ王がリヨルが男であれば王にした、という噂はあながち嘘ではなさそうである。

 リヨルにもたらされるこの国の情報はそう多くない。それは、リヨル自身にこの国の政務に関わる権利がまだ与えられていないためだ。今のリヨルはイスファターナにおいて同盟国の王女であり、そして公務のみを行う妃といえた。リヨルは夜毎シウォンから聞く話や、宮殿内の雰囲気で何かを察しているのだろう。

 

 「それに、昼間は忙しそうだからと夜にまで仕事の話を持ち込んでは無粋もいいところでしょう」

 

 リヨルは満面の笑みで答える。ナフカは苦笑した。

 

 「ではこちらは厳重に、来るべき時にお伝えする形でよろしいですか」

 「それで結構です。兄の方は本当に大した手紙でもありません。だから心置きなく、時を計ってお伝えしてください」

 「承知いたしました。ありがとうございます、妃殿下」

 

 ナフカはリヨルが部屋に入っていくのを見送る。そして顔をあげると、シハルがナフカを睨んでいた。

 

 「な…なんだ?」

 「さっき、妃殿下を感心するような目をしていたわ」

 「え?」

 

 シハルは訳がわからぬナフカの頬をつねった。

 

 「ほんとに、無礼にも程があるわよ!その綺麗な顔がなければ不敬罪に問われてたかもしれないわね」

 「ひや(いや)ほい(おい)……私は顔だけか」

 「あら、違ったかしら?」

 

 シハルは満面の笑みで答えた。

 本当にそんな顔をしていたのだろうか―以後気を付けよう。ナフカはシハルと別れて自室に戻って休みをとった。

 

 

 ▽▽▽▽▽

 

 

 「先程は外で何の話をしていたんだ?」

 

 寝室でワインを口にしながらシウォンは言う。今日のワインもナフカが用意した上物だ。結婚以降、何度か寝所を共にしてその度にいろんな酒を当たったが、巡りめぐってワインにたどり着いた。

 そんなわけでここ最近、ナフカにもう一つの趣味が加わった。ワインのコルクを集めるという趣味である。シウォンにはさっぱり理解できないが、コルクに歴史を感じるとか、不思議なことを口にするのである。

 飲みきらなかったワインはバルトレインによって料理に使われ、残った瓶とコルクはナフカのもとへ渡るのである。

 

 「…何のことでしょう」

 

 リヨルはシウォンに尋ねられてとぼけたふりをする。

 

 「わざわざナフカにこの時刻に会うのには訳があったと思ってよいのか。ちゃんと話してくれればそれでよいのだが」

 「まあ、嫉妬ですか?少し嬉しい気もしますが、ナフカにはシウォン様へのお土産を渡しただけです」

 「土産?」

 「来るべき時にナフカが渡すはずですから、それまでお楽しみにされておいてください」

 

 リヨルはそう言ってワインをこくこくと飲み干した。

 

 「顔に似合わず酒に強いよな、リヨル」

 「そうですか?向こうは冬が寒いですから、酒の飲む頻度も高くなるのかもしれませんね。別に私自身、酒がなくては生きていけないというものではありませんよ」

 「もし、仮にも酒がなくては生きられぬとしたら後の世の歴史書にシウォンの妃は酒豪であったと書かれるだろうな」

 「さすがにそれは、女として嬉しくありません」

 

 そう言ってワインを再び口にするリヨルである。シウォンはそれを見て笑うと、寝台に転がった。

 

 「…私は兄としては酷い人間かもしれないな」

 「リフキア殿下のことですか」

 

 リヨルも寝台にやって来た。

 

 「あいつはたぶん今、一人でこの国の同盟の根幹に触れている」

 「…」

 「水路計画の前に、一つ公共事業としてリフキアがカディーヌ河の整備をすると帝に提出し、受理された。しかし、カディーヌの新たな分岐点は水路計画に繋がっている。考えはいいんだが、都の作業人たちの気持ちの矢面に立った状態だろう。しかし、私が行ってもなにもしてやれないからな」

 「…なるほど。ですが、リフキア殿下もおそらくは覚悟の上でしょう。成功すれば自信となるでしょうから、見届ければいい。もし失敗したときにシウォン様は味方であると、その態度を見せていればそれでよいのではありませんか」

 

 リヨルの言葉にシウォンは説得された形になった。

 

 「もっとも、私の兄は執拗に私に構いますから邪魔に思うことも多かったです。ほどほどがいいんだと思いますよ。何が起こっても変わらない関係を持つ存在が家族ですから」

 

 シウォンはリヨルをぎゅっと抱き締めた。

 

 (…手離せないのは私の方だな)

 

 最近また、シウォンに側室を持つようにという内容の文が届けられ始めている。異国の血を引く人間が帝となることに抵抗があるのかどうかわからないが、少なくともシウォンは妃はリヨル一人に決めている。

 心のうちを吐露できる人間が増えたこと、そしてそれを理解してくれる人間が家族となってくれたことが、何よりの幸せなのだろうとシウォンは感じている。ここまで離れがたくなると、むしろ危うい陰もちらつくが、その辺りはシウォンとリヨルの互いの責任感と理性によって保たれる。

 歴史上、傾城の美女というやつに溺れて国を滅ぼした例は幾つとあがっている。どんなに有能な王でも欲には抗えなかったのだろうか。

 気持ちはわからなくはないが、そのために多くの人間を困らせることはシウォンにはできない。ただの人間である前に皇族なのだ、というのが自論のシウォンである。

 だから、夜の僅かな間だけでも甘い蜜に浸っていたい―突然だったので、リヨルも驚いて目を見開いた。

 

 「…どうなさいましたか?」

 「いや、何となく…だ」

 

 言葉をつまらせてシウォンは言った。恐らく今、自分の顔は赤面していることだろう。

 

 「左様でございますか」

 

 リヨルは何も言わずにシウォンの背に腕を回した。互いの温もりが心地よい。

 その後、部屋の明かりは消され、皇太子宮殿に静かな夜がやって来た。

 

 

 ――

 

 キシュ「…俺一人。みんな寝てしまったのか」

 翌日のナフカ「悪かった」

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