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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
五章 変革の鐘
53/125

復興計画3

少し思い出話のような…そんな感じの一話です。


 「…ったくよぉ、あの皇子にも困ったもんだな」

 

 作業者の男達は、昼間の日照りを浴びて作業をした疲れを忘れるように酒場で酒を飲む。

 

 「ああ、驚いたぜ。俺らに混じってまさか作業してるとはよ」

 

 どうやら男達はリフキアを酒のつまみにしているらしい。

 

 「…ソウェスフィリナの同盟って本当に本気なんだな」

 

 男が言う。

 酒場は普段彼らが集うためだけの酒場であって、そこに他の人間はいない。いつもはそこで馬鹿騒ぎを楽しんでいるのだが、今日は暑さの疲労だけでなくリフキアという人物のせいで、場は白けてしまっている。

 昼間に『戦争をなくす』という重すぎる言葉をぶつけられて以来、戦争というものを知る彼らには魚の小骨のような引っ掛かったものが残った。

 彼らの中でソウェスフィリナとの同盟とは、あまり重要度を持つものではなかった。というより、実感として浮かんでこないのである。

 名目として同盟は結ばれたが、未だに国境は互いの国民が行き来するのを許していない。それは、一度にすべてを解放してしまうことによって両国のこれまでの治安等が無秩序化してしまうことを危惧した対応であったが、それゆえに国民にとって同盟そのものは身近なものではなかった。

 

 先日、シウォンとリヨルの結婚が執り行われたのはそれに先立つものであったが、生活として近くに同盟を感じない以上、彼らはこれまで通りの生活を続けていた。だからこそ今日、リフキアの発した『戦争』という言葉は、彼らの過去や思考に働きかける結果となったのである。

 六年かけて薄れていた認識を掘り起こされたような感覚になったのかもしれない。ここにいる作業者の誰もが一度は戦場を知っている。リフキアの言葉は甘ったれたものに聞こえたし、そこには何も知らない人間が平和を語るという怒りすらあった。

 そんなわけで、酒が不味い。彼らが飲んでいるのは麦を発酵させて香りを付加しているものだが、その酒のなかでも最下層の酒、安酒である。発酵が不揃いで麦臭さが鼻につんと来る。普段はうまいと飲んでいるはずの酒も、この空気には不味さが増すばかりだった。

 

 「俺らはあの戦争で色んなものを失ったんだ。それを無かったことにするようなそんなこと…」

 「未来に戦争をなくすとか言ってたが、どうせ戦争に駆り出されるのは俺らのような平民だろ。お高いところからものを言ってるみてぇで腹が立つ」

 

 だんだんと酒場に熱が生まれはじめる。

 

 「おお!だいたいあの皇子も皇太子も戦争を知らねぇくせによ!」

 「何が復興だ、同盟だ!なぁ!」

 

 酔いと熱に声をあげる作業人達。まるで時空が狂ったかのように酒場は先程とうって変わって爆裂的な騒ぎになった。

 ある者は机の上に立ち上がって雄叫びのような声をあげ、その下にいる者達はそれに乗じる。

 

 「俺達ゃ、絶てぇ同盟を許さねぇぞ!」

 「おお!」

 

 そこまで彼らが騒ぎ出したところで、熱狂的になる酒場に冷たく低い声が叫ばれる。

 

 「うるせぇぞ!おまえら」

 

 一同は、その声の主の方を見た。

 

 「…ったく、普段からうるせえってのに今日はそれを通り越して喧しいわ」

 

 その声の主とはザクロである。この酒場で飲むときは比較的静かに飲んでいることの多いザクロの声に、一同はしんと静まり返った。

 ムーアンはそのザクロの前でやれやれとため息をついた。

 熱がだんだんと温度を落としていく中、若手が尋ねる。

 

 「…ザクロさんはあの皇子のことどう思ってるんです?」

 「どうってこたぁねよ」

 

 ザクロはつまみの魚を口にした。

 

 「そういやぁザクロさん、昼間あの皇子と話してたでしょう?」

 

 ザクロより若い作業人達があれよこれよとザクロに話しかけた。

 

 「…それがどうした」

 「どうでした?正直、この中じゃぁザクロさんが一番あの皇子に腹立ってるんじゃないんすか」

 

 ザクロは鋭い眼光を向ける。その眼光に皆が固まった。

 

 「…っ!」

 「おめぇら、目先のもんばっかりに目ぇ向けてっと、本当に大切にしなきゃいけねぇもんを見落とすぞ」

 

 ザクロはそう言うと酒を豪快に呷った。

 

 「お、おい。次の酒を持ってこい」

 

 若手連中らは慌てて酒を取りに走る。

 

 「…どうしたんだ、ザクロ」

 

 ムーアンが不思議そうにザクロを見る。

 ムーアンはザクロより一つだけ歳上で、若い頃からの腐れ縁で現在に至る。そんなわけで誰よりもザクロを知っているムーアンには、今のザクロの様子はどこかおかしく見える。

 

 「別に。何てこたぁねえよ」

 

 ザクロは答えた。

 

 「…何てこたぁねえが、あの皇子は本気でイスファターナを見ている。それがあまりにも本気すぎて笑えなくなった。ただそれだけのことよ」

 

 そう言って酒のつまみのナッツを口に放り込む。

 

 「だいたい、物好きにも程があるってんだ。第二皇子であれば、将来この国を直接動かすことはない。大人しく城で贅沢もできる。だが、わざわざこの国に関わろうとして、自分から忙しくしているんだ。兄である皇太子の目や足になることが本望だそうだ。奴の目は本気だった。本気で足になると言ってる奴をどうして笑える」

 

 話の間に若手が持ってきた酒がグラスに注がれる。表面の泡がグラスから溢れないのを確認すると、ザクロは言った。

 

 「皇族や貴族…俺らには縁遠い世界の話だが、俺らが想像するそいつらが全てじゃねぇことを改めて気づかされたのさ。俺はお前らよりも戦場を知ってるからこそ、安直に戦争を語る奴は許せねぇ。だが、今のお前達の方があの皇子よりも適当なことをぬかしてるように聞こえるんだよ」

 

 場は初めよりもより白けきっている。

 ザクロは一気にグラスの酒を飲み干すと立ち上がった。

 

 「帰るのか?」

 

 ムーアンが尋ねる。

 

 「ああ。明日も早いからな」

 

 そう言って酒場を出ようとすると、ザクロは何かを思い至ったようでムーアンに言う。

 

 「ムーアン、俺はあの殿下の水路計画に手を貸すぞ。お前の判断がなくともそのつもりだ」

 「えっ」

 

 ムーアンが尋ね返そうとする前に、ザクロは酒場を出ていった。

 

 

 ▽▽▽▽▽

 

 

 雨風に晒されてボロボロとなった家が立ち並ぶ。都にはそういう場所も少なくない。

 都の東側は主に陽の街と呼ばれる貴族や都の繁華街が並ぶが、カディーヌ河を挟んで西側はこの地に定住してきた者達の町が広がる。

 一つ、南北を繋ぐ大通りがあるだけで、脇にそれればそういう家々が並んでいた。今回の雨で被害にあったのはその大通りと国籍不明者の宿場町。

 ザクロの家は大通りから三つ脇道を越えたところにある。酒場も程近いところだ。

 

 家に帰りついたザクロは背後に視線を感じて振り返る。

 

 「…何の用だ」

 

 ザクロは真っ黒い服に身を包む男を睨む。すると、男が言った。

 

 「そんなに警戒するな、ザクロ」

 

 顔を隠すための深いフードを外した男の顔は、ザクロも見覚えがあるものだった。

 

 「…っ、あんた」

 「久しぶりだな。悪いが家に入れてくれないか」

 

 ザクロはしぶしぶ家に男をあげた。

 ザクロは男をあげたはいいものの、どうするべきか悩んだあげくに水を男に出す。それを見た男はクスクスと笑った。

 

 「さすがだなぁ。俺が酒を飲めないのを覚えていたか」

 「あんたは何をしに来たんだ。皇太子の護衛ってのはそんなに暇なのか?」

 

 やって来た男はキシュ=コンワート。この国の皇太子護衛官兼近衛隊長を勤める人物である。

 

 「暇じゃあないが、抜け出せるくらいには任せておける人間がいるからな」

 「…それで、何の用だ」

 「二日前にうちの主と殿下の元に出向いた。その時にお前の姿を見つけて懐かしくなった」

 

 ザクロは耳を疑う。

 

 「うちの主って、皇太子が来てたのか」

 

 キシュは笑った。

 

 「もちろん、完璧な変装をしてその面影は全く無かったがな」

 「…兄弟揃ってすげぇな。この国の皇子はよ」

 

 ザクロは苦笑いをする。弟が弟であればその兄も似たようなものである。

 

 「まあな、それに仕える俺も苦労が絶えないよ」

 「だろうな」

 

 ザクロとキシュは水の入った杯を交わした。

 

 「あの頃は、お前の弓に助けられたよ」

 

 キシュがあの頃というのは、もちろんかつて将軍として戦っていた若かりし頃の話である。かつてザクロは一般歩兵として戦争があれば召集されていた。その際はキシュの上官であったワーベル将軍の軍に配属され、キシュとも幾度と共に戦った。剣の技もそれなりのものであったが、足を負傷してからは弓で軍を助けてくれた。

 

 「お前は将軍とか部隊長とかいう役職に反抗的な面もあったが、最終的には力になってくれる。権力とか身分とかがはっきりした戦場で、上官の言うままに動く連中がほとんどの中、お前の言葉は彼らの本心を代弁したものだった」

 「…よせ、そんなんじゃねぇ。あんまり滅多なことを言うと痒くてしょうがなくなる」

 

 ザクロは水を飲む。

 

 「あんたは他の奴等と何か違った。戦場での鬱憤を晴らそうとみんなが軍から支給されるいつもより断然うまい酒を呷るのに、あんたはそれをしなかった。確かあんたは酒が弱いからと言っていたが、実は違うだろ。夜は天幕でずっと先のことを見つめている。他の将軍が大功を挙げて賞されるとき、その裏には敵と同じくらい、それ以上の味方が死んでることがある。あんたはそうじゃなかった」

 

 キシュは首を振った。実際はそんなに綺麗なものではないのだと笑う。

 

 「それは違うな、ザクロ。俺は怖かったんだ。酒を飲んで死んでいった者達の何かを忘れてしまいそうになるのが。付け加えれば、俺は毎夜と天幕で明日どれくらいの人間を殺すことになるのかと考えていたんだ。人間を鼓舞して死なせに行く。その計画を立てたものが一番恐ろしいと思わないか?軍師とか言われる人間が喜ぶ理由が、俺にはわからない。その本質は計画的に人を殺す算段を考える大量殺人者だ」

 

 キシュもごくりと水を呷る。

 

 「…それはあまりにも直球すぎやしないか」

 「?」

 「そもそも戦争を起こすことになった時点で歪んでいるんだ。そこに、通常の思考を持ち込む方が計算的にズレが出るだろう」

 

 キシュはザクロの意見も間違っていないと思った。戦争という言葉事態が社会が歪んでいる証拠足りうるもの。そこにまともな思考は無いに等しい。

 それでも、キシュは自分の思いを曲げることはない。現実に生きるのだから、どんなに過去だとしても許されることじゃないと思う。

 

 「…まあ、私の性分だから仕方ないさ」

 

 ザクロはそれを聞き流しながら息をついた。

 

 「それで、本当に何の用だ?」

 「懐かしくなったと言っただろう」

 「ハッ、惚けるな。わざわざ皇太子の護衛を他人に任せてまで、責任感が強いあんたが来るってことは意味があるんだろ?」

 

 キシュは小さく笑う。そして笑みを消した。

 

 「主の命令でね…殿下に関わった人間の素行調査をしていた」

 「…冗談ではないんだろ?」

 「今さら冗談を言えなくしたのはザクロの方だぞ」

 

 ザクロは表情を厳しくする。つまりは酒場で若い連中が何か過激なことを言っていたものなら即座にキシュの率いる兵が捕らえていたというわけだ。

 

 「とは言っても安心してくれ。別に面倒ごとを起こそうって訳じゃない」

 「あいつらのことは見逃してくれると嬉しい。この国に歯向かうとかそんな意思は毛頭ない」

 「もちろん、報告書には『異常無し』と書かせてもらう。備考欄に酒乱の恐れありとだけ書いておこう」

 

 ザクロは苦笑いした。

 一国の皇子がたった二人の護衛だけで来るはずがない。どこかに護衛が紛れていたと考えるのが普通だ。そして恐らくは毎夜、関わった人間の調査が密かに行われていた。そこにキシュがいたとなると、皇太子という人物はなかなかに弟思いな奴なのか―

 

 「殿下をどう見る、ザクロ」

 

 ザクロが思考を巡らせているとキシュが言った。

 

 「それは俺への調査か?」

 「いいや、個人的な質問だ」

 「…どうだかな。殿下は変わりもんだとは思うぞ。だが、本気で国を考えてるってことはわかった」

 「そうか」

 

 ザクロはいい加減水には飽きたと酒の瓶を開ける。すると、キシュの手が向けられた。ザクロはしぶしぶ酒瓶を渡す。

 

 「…どうも」

 

 杯に酒を注がれながら、ザクロは妙な気分になった。

 

 「あんたも一杯くらいどうだ?」

 「…そうだな。一口だけもらおうか」

 

 ザクロはキシュの杯に酒を注ぐ。

 

 「…なあ、同盟は本気なんだろ」

 「そうだな」

 「恐らく酒場のあいつらのような思いを持つ連中は少なくないぞ。そこに向き合っていくのはきっと大変だろう」

 「でもそこを進まなくちゃいけないんだ。それができる人間は早々には現れないから」


 やろうとする人間がいても、それが実行できる環境かどうかは分からない。今、シウォンという同盟をやろうとする人間と、ソウェスフィリナの一部、レイヴィス達と意見が合っているこの状況はいつも続くわけではないのだ。叶えたくても出来ないときがあるから、出来るときにする。時とは、とても曖昧なものである。

 キシュは立ち上がった。

 

 「さて、行くとするよ。久しぶりに話せてよかった」

 

 ザクロはふと、キシュの腰に目をやる。

 

 「…あんた、今でもその剣を使っているんだな」

 「戒めの剣、とでも言っておくべきかな。自分が何のために剣をとるのか、その意味を忘れないために。もちろん、ちゃんとした護衛のときは別の剣を使うけど」

 

 ザクロは家の奥をごそごそと探して短剣を渡した。以前、ザクロが使っていたものだ。

 

 「…ほらよ。この辺りは最近治安が悪い。それに、皇太子の護衛の方が狙われることもあるだろ」

 「そんな安直にこの俺を狙ってくる人間がいたら、むしろ称賛するな」

 「冗談じゃねぇぞ。そんな使い古した剣をもって万一があってみろ。あんたはたくさんの人に必要とされてるんだ。そいつらが泣き入る姿を墓のなかで見たくはないだろ」

 

 ザクロは短剣をキシュに押し付ける。キシュはその好意を受けとることにした。

 

 「…じゃあ、預かっておくことにする」

 「おう」

 キシュは「また来る」と言って、帰っていく。ザクロは背を見せるキシュに何かを感じてその肩に触れた。さすがに驚いたのかキシュはびくりと体を震わせた。

 

 「な、なんだ?」

 「…一つだけ聞かせてくれ」

 

 ザクロの表情にキシュは体をザクロに向ける。

 

 「あんたは今、何のために戦っているんだ?」

 「!」

 

 キシュは、想定外の質問にしばらく何も言葉にできなかった。夜風が二人の間を吹き抜けていく。風が去っていく頃、キシュの口は小さく開いた。

 

 「…過去への清算とは言わない。俺は、殿下や仲間と目指す場所があるからそこへ行く。うまくは言えないが、この剣は大切なものと生きる剣…。あえて言うなら仲間と共に生きるための剣だ。だから、どんな覚悟もこの剣に収めている」

 

 ザクロはそれを聞いて「そうか」とだけ答えた。

 目の前の若い武官が、ただの兵士であった頃から将軍になるまでを同じ軍で見続けてきた。かつては嫌でもその名声は聴こえてきたものだ。

 しかし今ザクロの前にいるのは、若すぎるゆえにとても脆そうに見えたあの頃のキシュ将軍とは別人のとても芯のある青年であった。

 

 「…また、いつでも飲みに来るといい。安酒しか出せねぇが、たまには昔を知る人間と語るのも悪くねぇ」

 「ではまた来させてもらう。ザクロ、感謝するぞ」

 

 ザクロはキシュの後ろ姿を見つめながら小さく笑った。感謝されることは何もしたつもりはないが、何故だかとても気分がいい。

 ザクロはその夜しばらく酒を飲み続けた。

こんばんは、結月詩音です。

本日はここまでといたします。


これまで多くの方に本作を手にとっていただき、ありがとうございます。

イスファターナ戦記、まだまだ続きますのでよろしくお願いします!

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