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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
五章 変革の鐘
52/125

復興計画2


 「よし、これでいこう」

 

 視察三日目。

 ヨルナに持ってきてもらったたくさんの図面をもとに、リフキアはソウェスフィリナとの水路の計画をさらに応用して都の河の運用を変えてしまう計画を立てていた。

 図面を見せられたアイゼンやヨルナはそれを見ても内容がわからないと首をかしげたが、ムーアン達は仰天していた。

 

 「殿下、これは…」

 「調べればカディーヌ河は二十年に一度ほど河が決壊して今回のような被害を出している。そして、その被害を受けるのは決まってあの宿場町だ。この計画なら、カディーヌ河の流れの速さも多少は改善され、被害も少なくなるはずだ」

 

 リフキアの図面にはカディーヌ河が都に流入するその手前で分岐するように水路が伸ばされている。加えて都に流れるカディーヌ河はその川底を掘り下げ、加えて土手の部分を何やら変わった資材を用いて高くするというものだった。

 

 「作業者達には先に伝えておく。これは、まだ国全体に布告されたわけではないからここだけの話。そう理解してほしい。ソウェスフィリナとの同盟の根幹は水にある。ソウェスフィリナまで水を運ぶルートをいずれそなた達には作ってもらうことになる」

 「!」

 

 水をソウェスフィリナに与えるというのはおそらくこの国の高官達が聞いても、素直に受け止めきれないはずの問題だった。

 水はイスファターナの貴重な資源である。その豊かな水が、豊かな作物を作り、イスファターナを潤している。『水は命の源』と、農村では言われるほど、神に等しい存在であった。

 それをつい数年前まで戦ってきたソウェスフィリナに渡す。簡単に納得できるはずがなかった。

 

 「それは…本当なのですか」

 

 ムーアンが尋ねる。

 

 「本当だ。この地点。都にカディーヌが流れる手前で分岐させ、水を水路に流し込むつもりだ。その水はソウェスフィリナだけでなく、今もなお水に苦しむイスファターナの民に運ばれる予定だ」

 

 水が豊富なイスファターナであるが、必ずしも国民のすべてがその水を得られているわけではない。

 

 「正直、すぐに飲み込めた話ではないことは殿下もご理解ください」

 「無論だ。何しろ私自身、戦場というものは話にしか聞いていない。そこで生まれる悲しみや恨みは、同盟ひとつで解決するようなことではないはずだ。この中にも戦争で家族を亡くしている者もいるだろう。この計画をそなたらに話した時点で、私は皇子という立場でそなたらを脅しているのに等しい行動をしている。卑怯と罵られても否定できるものじゃない」

 

 部屋中が静まり返った。

 アイゼンとヨルナはただ、その小さな背中を見守ることしかできなかった。アイゼンとヨルナはそれぞれ一度だけ、戦場に出たことがある。最もそれは、国の命運をかけたものというより、国境のいさかいによる小規模なものだ。しかし、そこで得た感覚はおそらく一生をかけても忘れることができるわけではない。それは知った、というより体に感覚が染み込んでしまっているという例えが正しい。

 目の前に並ぶムーアンを初めとした作業者達はアイゼンとヨルナより一回り、二回り歳上である。戦争というものに対する経験は彼らが勝っている。そしてそこで生まれた感情の重さは、口で語るには到底足りないほど大きいはずだ。

 

 「…なあ、殿下。教えてくれねぇですか」

 

 すると、一人の作業者が言った。

 その男の名はザクロといった。片目を負傷し、どこか足取りも悪い。長時間立っているのは辛いのか、古びた椅子に腰かけていた。見た目的には他の作業者より年長のようで、ムーアンに次ぐ指揮官とも思われた。

 

 「構わない」

 「今回の同盟、俺達ははっきり言って納得していない。同盟を結んで一体何になる?」

 

 アイゼンがリフキアに対してのザクロの物の言い方にに注意をしようとする。しかし、リフキアはそれを止めた。

 

 「同盟の利点は、この先の世界だ」

 「…難しいことを言わんでもっと俺らにわかるように話してくれ」

 「…難しいことじゃない。そのままの意味だ。これから生まれる戦争を知らない世代に、戦争をさせないためだ」

 「…それが、利点ですか」

 「そうだ」

 

 ザクロは鼻で笑った。

 

 「本気で言っているのか。戦争が無くなると」

 「私も兄も、帝も本気だ。でなければソウェスフィリナから王女を兄の妃にすることもない」

 「これまで、何度不可侵の条約が破れて戦争したと思っている!お偉い方は高みの見物かもしれんがな、地べたで必死に戦う俺達はもはや簡単には信じられないぞ」

 

 リフキアはザクロの怒号を浴びても、心は不思議と冷静だった。

 

 「…わかっていると口にするのは簡単だが、それはそたならを侮辱する行為になる。ゆえに、ここからは私の身勝手な気持ちだ」

 

 リフキアは言った。

 

 「確かに『平和』なんて言葉は幻のようなものだろう。どんなに私や兄が平和と唱えても、戦争を知る人間からすれば生ぬるい言葉に聞こえるはずだ。しかし、どんなに不可能なものであってもそこに向かわなければ平和とはならない。人の人生は短い。その短い時間のなかで私はこのイスファターナに『平和』を残したい」

 「ハッ!あんたが平和を仮に残せてもあとに続く人間がまた戦争を起こすかもしれない。人ってのは欲深い。欲しいものが他人の手にあったら奪いたがる生き物だろ」

 

 ザクロは言った。まるで信じていないという目をリフキアにぶつけてくる。それを聞いているムーアン達、作業者もリフキアに疑惑の目を向けていた。

 

 「…平和は永久には続かないだろうな」

 

 リフキアが発した言葉にザクロ初め、作業者、アイゼンとヨルナさえ目を見張る。

 

 「ザクロ、そなたが言った通りだ。先人達だって平和を望みはしたが、戦争は無くなっていない。だが、それでも私は平和を望むんだ」

 「何のために?」

 「私や兄の子孫のために。ひいてはイスファターナの子孫のために」

 「…」

 「ここに来て三日。平和と一口に私達皇族が先走っているような感覚を覚えた。だったら、せめて目に残るものを作る。いかに私や兄が平和を望んだか。それを先の人間に伝えるその象徴を作る。偶然にもソウェスフィリナとその思いが一致した。今しかきっとできないことなんだ。それをこの先の人間が見失えば、すべては無に終わる」

 

 リフキアの目には狂気にも似た何かが宿っていた。

 再び静まり返った部屋。ザクロやムーアン達はリフキアから向けられる視線にからだが震えているのに気がついた。

 目の前にいるのはたった十五歳の少年。皇太子シウォンと違い、表に出てくることのなかった無能な―少年?

 

 リフキアは深く息をついた。

 からだから背負い込んだものが一時的に吐き出され、息を吸うとまた、命を咲かす。

 

 「とにかく、今回のこの復興案。ここに関してはイスファターナの数年後の災害を防ぐためだ。同盟には関与しない。まずはここだけでも開始したいと思う。明後日、カディーヌの下見をするつもりだ。また、集まってほしい」

 

 リフキアの声に、作業者達は半ば適当な反応で答えると部屋を出ていった。皆、放心状態であった。

 リフキア自身もどっと疲れて椅子に腰を下ろした。自分の中の体力が0になったような感じだ。自分でこの国の未来を語るなか、からだの中に何やら熱が生まれていた。その熱がやがてリフキアの口からでる言葉に拍車をかけたのかもしれない。でも、すべては本心だ。

 

 「…殿下」

 

 ヨルナがリフキアに声をかける。

 

 「何かお飲み物をご用意しましょう。何になさいますか」

 「…ミルクティーを頼む」

 「はい」

 

 ヨルナの笑顔はどこかリフキアに同情しているようにも見えた。部屋を出たヨルナをアイゼンは追いかける。

 

 「ヨルナ!」

 「何?」

 「何って…」

 

 アイゼンは込み上げてくる感情をうまく言葉にすることができなかった。すると、ヨルナがアイゼンに向き直る。

 

 「殿下は道を決められた。そこに私たちはついていくだけ。正直、ゾッとした。まるであの姿は皇太子殿下そのものみたいだったもの」

 「…そうだよな、やることは決まってるか」

 「そう。決まってるの」

 

 ヨルナは紅茶を淹れに給湯室に向かう。すると、立ち止まってアイゼンに言った。

 

 「アイゼン、何か飲む?」

 「…えっ?」

 

 アイゼンはヨルナの言葉をゆっくり理解して顔を真っ赤にする。ヨルナは眉を潜める。

 

 「いらないならいい」

 「いやいや、いるって!」

 「…」

 「…俺もミルクティーでお願いします」

 「そう。わかった」

 

 アイゼンは呆然とヨルナの後ろ姿を見つめた。そして、ふと顔を真っ赤にした自分が恥ずかしくて壁に額をぶつける。

 

 「…何をしているんだ、俺は」

 

 

 ▽▽▽▽▽

 

 

 昼過ぎ―

 リフキアは作業服に着替えて、復興作業を手伝った。手伝ったといっても、住居から泥を掻き出したりする作業である。河の近くになればなるほど住居への被害は大きい。一階の半分近くまで水が来た家などは、壁がボロボロになっていたりする。ここまでになれば、もう建て替えの道しかない。

 

 「…全く、何でこんなことに」

 

 家の持ち主の夫人が言った。元々この家はパン屋だったらしい。一階部分を店として、二階を住居としていた。そして、共に暮らしていた夫を豪雨で亡くしたらしい。リフキアが彼女を見つめていると、夫人はあわてて笑顔を見せる。

 

 「すまないねぇ、せっかく手伝いに来てくれた兵士さんに愚痴を聴かせてしまったね」

 「大変なことがあった後です。何でも話してください。口にした方が楽になることだってあるでしょう」

 

 リフキアが言うと、夫人は小さく微笑む。

 

 「主人と細々と始めたパン屋だったんだよ。毎朝早起きして、力仕事で日が暮れるまでパンを焼き続けて…洒落た格好なんてもう何十年としていやしない。それでも、とても幸せだったんだよ。なのにもうあの人は帰らぬ人になってしまった…一体私はどうしたらいいんだい?」

 

 リフキアは夫人を椅子に座らせる。

 

 「…ゆっくり、考えましょう」

 

 すると、家の戸が勢いよく開かれる。

 

 「母さん!」

 

 どうやら、このパン屋の一人息子らしい。夫人は信じられないとばかりに目をぱちくりとさせた。そして、立ち上がるやその息子の襟をつかんで言う。

 

 「あんた!何しに帰ってきたの!いつまでも連絡をしないで…連絡すら…」

 

 夫人は目から涙を溢れさせた。

 

 「母さん!俺、結婚したんだよ」

 「ええっ?」

 

 すると息子のとなりに小柄な娘が一人、立っていた。

 

 「エルナと申します」

 「都が雨で大変だって聞いて慌てて帰ってきたんだ。聞いたよ、親父…」

 

 息子はその先の言葉を言うのをやめた。そして今度は逆に息子の方が夫人に迫る。

 

 「母さん!俺達、都で暮らそうと言っているんだ。彼女の家は小麦を作ってる。また、パンを作らないか」

 「パンを?」

 「そうだよ。俺もエルナもパンに関しちゃ全くの素人だ。教えてくれるのは母さんだけなんだよ」

 「…そんなこと言っても私は」

 

 夫人とリフキアの視線がぶつかった。リフキアは微笑む。

 

 「パン屋が完成したら、食べに行きます」

 「…っ、そんなこと言われちゃあねぇ」

 「兵士さん、うちのパンは都一のパンなんですよ!」

 「ますます楽しみです!きっと、食べに行きますね!」

 

 リフキアはそう言って、息子の方と泥掻きを交代してパン屋を後にした。

 そのあとも、色んな家を回って作業を手伝う。もうすぐ、日が暮れようとしている頃、ごみを運んでいたリフキアは、ザクロにばったり出会う。

 

 「…何してるんだ、あんた」

 「…」

 

 当然の問いにリフキアは苦笑いしかできなかった。

 

 「この国の皇子ってのはこんな下っ派な仕事までするのか?」

 「私がしたくてしていることだ」

 「…変わった皇子だな、つくづく」

 

 ザクロは集めたごみを分けながら言った。

 

 「昼間のことだがな…」

 

 リフキアもゴミを隣で分け始めた。

 

 「おそらくは同盟に対して疑いを持ってる連中は山のようにいるぞ。それに、水路に関しても快く思わねぇ連中はぜってぇいる。農家のやつらは特にそうだろう。こんな不安定なご時世だ。理想ばかり見ていて足をすくわれねぇといいな」

 「そんなことにはならない」

 

 リフキアは即答した。

 

 「そんなことにはならない。理由は言えないが心の底からそう宣言できる」

 「…なぜ、と踏み込んじゃあまずいよな」

 「まあ、知りたいという欲求は誉められたものだが知りすぎたことによって禍が降りかかる例も見られる…」

 「冗談に聞こえねぇのが恐ろしいな」

 

 リフキアは笑った。

 

 「あんたはどうして平民に関わろうとする?皇族ってのは権威やらが大事なんだろう。こんなゴミを漁ってるあんたは皇族の権威やらとは無縁に見える」

 

 ザクロが言うと、リフキアの心は少しばかり過去を思い出した。

 

 「…私のことは知っていたか?」

 「え?」

 「無能な皇子…それが、半年前まで私が呼ばれていた名だ」

 「…」

 「まあ、過去はともかくこの国に向き合い始めたのは最近だ。有能すぎる兄、その側近達を羨むばかりではいけないと気づかされた。自分にできることが何か。この国に生きると覚悟を決めても、兄という壁は越えられそうにない。おそらくは一生をかけても不可能だ。でも、その兄にはできないことを私はできる」

 「それがこれだってか?」

 「…兄はよく視察に出る。資料ではわからないことを目で見て確認するためにだ。でも、今後はよりそれが難しくなるだろう。私は第二皇子だ。兄上より自由が許される。いつかは、兄の目や足になれたら本望だ。たとえ、今の私の行動が権威を失墜させるなどと謗られようとも、それくらいで墜ちてしまう権威などあってないようなものだ」

 

 ザクロは自分より二回りも年の離れた少年の目に、不思議な光を見た。聞いたことがなかった訳じゃない。皇太子の弟は滅多に姿を現さない。それは病弱ゆえとか、数多の噂が流れていたが、少なくとも目の前のその皇子は無能とは正反対の位置にあった。

 なるほど―と、ザクロは心の内で自分自身に言った。

 どうやら俺達はいつの間にか、この国のすべてを皇族や貴族のせいにしてしまっていた部分もあったのかもしれない。もちろん、許せないような悪行をはたらく貴族や役人もいるが、目の前の奴みたいに国のことを本気で考えている人間だっている。一括りに貴族、皇族と縛るのはとても失礼なことだ。

 

 「…なあ、殿下。もし、本当に水路を作ることがあったとしたらだ。俺は先陣をきって協力する」

 

 ザクロは言った。

 

 「…強制はしないぞ」

 「当たり前だ。強制されようもんなら、誰が行くか!…殿下や皇太子殿下が見ているものを知りたくなった。俺は国の先のことを見続けるあんたらの考えを理解した訳じゃねぇ。ただ、悪くねぇと思ったんだよ」

 「…そうか」

 

 運んできたごみを分け終えると、アイゼンがやって来た。

 

 「探しましたよ!勝手に先々向かわれると困ります」

 「すまん、すまん」

 

 リフキアは子どものような笑顔で言った。こっちの方がよっぽど身の丈にあってる、とザクロは思う。そこに重たいものを背負ってるんだ。それを静観しているだけなんてつまらねえし、男じゃねぇ。一つくらい、人生で誇れることがあってもいいだろう。

 

 「殿下、明日も来るのか」

 

 去り際、ザクロはリフキアに言った。

 

 「当たり前だ。それから、ザクロ。私は裏で『サン』という名を使っている。今度からはそう呼んでくれ。じゃあ、また明日な」

 

 リフキアは庁舎に帰っていく。その背をザクロは見つめながら小さく「サン」という名を口にした。

 

 (…つくづく変わった皇子だな)

 

 だが、呼ぶことを許されたことがザクロにはとても嬉しいものだった。

 

 「殿下、サンとは何ですか?」

 

 アイゼンは尋ねる。護衛として気になったというより、単純に興味のほうだろう。

 

 「ん…あぁ、昔な宮殿を忍んで外に出たときに使っていたんだ。私の名のリフキアはイスファターナでは誠という意味だが、古い言葉で誠はサンというらしい」

 「…はあ」

 「教えてくれたのは兄上だ。幼い頃なぜかサンと呼ばれて尋ねたら教えてくれた。それ以後、たまに用いる」

 

 リフキアは何かを思いついたようで、アイゼンを振り返る。

 

 「何か私の名を呼ぶことができない状況になったら、『サン』と呼べ。視察の場でもできるだけ殿下と呼ばないでほしい」

 「わかりました。それから…サン様」

 「サンでよい。様がつく方が変だろう」

 

 アイゼンは迷いながら言う。

 

 「それでは…サン」

 「なんだ?」

 「…おこがましいかもしれませんが、この数日の視察で、大切になさりたいものがわかった気がします」

 

 アイゼンが言うと、リフキアは愉快そうに笑う。

 

 「そうか、それは何より。じゃあ、それについて来てもらわないとな」

 「はい!」

 

 アイゼンがあまりに大きく返事をしたため、周りの作業者達が一斉に視線を向ける。

 

 「で…殿下、そのお姿は」

 

 ムーアンなどは信じられないと言いたげである。

 

 「…アイゼン、あとで説教だな」

 「…っ、申し訳ありません」

 

 

 ―――――その後

 

 アイゼン「…殿下に怒られた」

 ヨルナ「…馬鹿ね。何のために服を変えて忍んでたのよ」

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