手に差す光
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翌日の朝、ナフカの部屋に客人がやって来た。まだ夜も明けきっていない時間帯である。いつものナフカの起きる時刻にも早いこの時間、やって来たのはシュワームだった。
「…シュワーム様」
「入るぞ」
シュワームは部屋に入ってきて椅子に着いた。そしてナフカを見ると言った。
「目が腫れている…泣いたのか?」
「少し昔を思い出して」
ナフカは少し戸惑いながら言った。シュワームに執務官としての振る舞いを咎められてもおかしくないと思ったからである。一流の執務官はいかなる時であっても自分の感情を表には出してはいけない。『泣きたい時には笑え』というのが初めに習ったおしえでもあった。しかし、返ってきたのはそこに何も関心のない返事だった。
「そうか」
ナフカはひとまずシュワームに茶を出して席に着いた。
「…何かご用件が?このような時間に」
「確認したかっただけだ。昼間の件、お前もハクと共に戦ったのだろうと」
「それはその通りですが、なぜ?」
シュワームはこの時はじめて眉をしかめる。
「気づく者は気づく。お前達の手口が違うことに」
「!」
ナフカとハクは敵を倒したが、ハク一人でと言い切るには敵を倒す手口が違うのは誤算なのである。ナフカも、テラスで話をひっそり聞いていたハクもその誤算には気づかなかった。
「まあ、ハクが必死だったと言えばそれで済むような話だがな」
シュワームはため息をついて、それはもういいと言って次の話題に転じた。
「相手は…皇妃様かどうかわかっているのか」
「いえ、そこまでは。しかし、時間の問題でしょう。近衛に捕らわれた者達が黒幕を暴く鍵を握っているはずです」
「何かわかればいいが、彼らも雇われだろう」
「でしょうね。だからまた調査をしなくてはなりません。でも、今日の刺客は殿下と皇太子の位の交渉をしようとしていたらしいですよ。リフキア殿下に譲る、という」
そうなれば相手は自ずと決まってくるようなものだ。その証拠が掴めないのが苦しいものである。
「シュワーム様、イスファターナの二分時代は終わったと皆は言いますが、認識を改めるべきかと思います。今あるのは明らかに皇太子派と反皇太子派です。考えたくはありませんが、もともと皇太子殿下のお立場はそう良くはありません。殿下自身の実力でここまで上がってこられたのです。いい加減、対策を練るべきかもしれませんね」
「…」
ナフカの言うとおりである。
加えてリフキアも最近は見違えるほどに成長している。リフキア本人は考えていなくても、後ろ楯と力をつけつつあるリフキアを帝にと推す派閥が強くなるのも目に見えているものである。
「必要なのは何だとお前は思う?」
「ソウェスフィリナの力…それから国民の力だと思います」
そう答えるとシュワームは笑った。
「どれも大きすぎるな。手に収まるものではない」
「ええ」
シュワームは茶を飲みながら言う。
「皇妃様…シシル様はかつて側妃であられた頃はとても思慮深く温かみのある方だった。自分の子どもを帝にしたい気持ちはあってもシウォン様の命を狙う事があるなど信じられなかった。信じられないという気持ちが目をつぶらせていたのなら、私も老いたな」
シュワームは白髪混じりの髪に触れた。
「ナフカ、執務官に必要なことは今も覚えているか」
「もちろんです。先を見ること、今に甘んじないこと、自分の可能性の限り努力をすることでした」
「その通りだ。ナフカ、私はその様にお前に教えながら、今の状況を作ることを許してしまった。私の落ち度と言えるだろう。すまなかった」
シュワームは頭を下げる。
ナフカはこれに何も言わなかった。求められていないように感じたからだ。おそらくこの結果がどのように物事を発展させるか、シュワームもわかっているのだろう。
元より、シュワームの見立てではシウォンが時期帝となることは確定事項に近しいものだった。実力と人柄と国に生きる覚悟という、帝になるに必要とされるものを兼ね備え、またそこに近づく努力を怠らない。ましてシウォンの実力は幼い頃から抜きん出ていた。足りないのはそれを支える人間である。
母であった前皇妃シヴァを早くに亡くして、自分という存在以外には何も持たなくなったシウォンは、やはり宮殿では弱い。年下の皇子リフキアはその点、後ろ楯はこの国の名門貴族、カトレシア家である。対立する関係に自然となってしまったシウォンに、シュワームはナフカという頭脳を与えた。もしかしたらキシュを側近に加えたときのように執務官も自分で見つけたかもしれないが、シュワームとしてはシウォンが実力を発揮するのに良からぬ虫が邪魔をしないよう周りを固めておきたかったのである。
こう考えてみると、シュワームは昔よりこの対立を予期していたとも言える。言葉をよくすればここまで対立を明確にしてこなかった、悪く言えば見過ごした、ということになる。今となっては後者の罪の方が遥かに大きい。
しかし、ナフカはそれを問題とすることはないと思えた。起こるべくして起こることであったと思うからである。おそらく王皇族というものが世に存在する限り、王位、帝位を巡る争いは絶えることはない。かつて帝国で兄ジュランを亡くした時も、言わばあれは皇帝の保身のためであった。血の繋がる親子でさえそうなりうるのである。
シュワームはリフキアを皇族としての生き方をさせるために手を打った。突然帝がシウォンにリフキアを教育するよう言ったのには、シュワームの影の力があること間違いない。結果としてリフキアは立場は別としてこの国に生きる選択をした。義兄弟の間での感情的対立を起こさなかったというだけ、その努力は認められるべきだと思った。
「ハクはいるか」
ナフカは言った。ハクは自分が呼ばれるとは思っていなかったので多少動揺して部屋に入ってきた。
「ハク、本格的にカトレシア家を調べ挙げてくれ」
「主、それは…」
やるしかないことである。この時からイスファターナの帝位を巡る争いは本格的に始まった。シュワームも黙しながらそれを理解していた。
「わかりました。時間はどれ程いただけますか」
「分かり次第でいい。そう簡単には証拠は出てこないだろうから」
「承知しました。では、これにて」
その時である。キシュがバタバタとナフカの部屋にやって来た。キシュは部屋にいる面々を見て何か言おうとしたことを口のなかに引っ込める。
「…どうしたんだ、ノックもせずに」
ナフカが尋ねると、キシュも冷静になって謝った。
「遅くに突然すまない。だが、今近衛は騒ぎになっている」
「…なぜだ?」
シュワームが厳しい表情をして言った。
「皇太子殿下を狙った刺客がすべて殺されたのです」
「!」
ナフカ、シュワーム、ハクは言葉を失った。足掛かりになるはずの大きな駒であったその存在が一夜にして無くなった。そのことへの衝撃があまりにも大きかったのである。
「口封じのためと捜査隊は考えている。俺も現場に入ったが、おそらく遅効性の猛毒が食事に仕込まれていたんだろう。あまりに酷いものだった」
「…主、いかがいたしますか」
ハクがナフカの判断を求める。ハクとしても手がかりを失ったのだ。調べろと言われて闇雲に探すわけにもいかない。
「…これで手を失ったな、今回は」
ナフカは言った。シュワームも頷く。キシュは一人会話の意味を理解できずにいた。するとシュワームが口を開く。
「だが、一度あることは二度もある。キシュ武官、皇太子殿下の周りをひそかに固めるように努めてくれ」
「はっ、はい…ナフカ、あとで説明してもらうぞ」
「もちろんだ」
ナフカやシュワームの表情に深刻さを感じたキシュは、部屋を出ていった。
キシュが出ていってシュワームは目の前の紅茶を飲み干すと立ち上がった。
「…ナフカ、帝にはお伝えするべきだろう。今回は証拠がない。だからあくまで私の意見として」
「ええ。それからシウォン様にはもちろんお伝えします。リフキア殿下はどういたしますか」
「あの方を信用しないわけではない。だが、時を見計らうべきだろう」
「わかりました」
リフキアにとっては血の繋がる相手の話である。確定でもないのに話をするのはかえって事態を悪化させるかもしれない。
「ハク、悪いがグリュネール邸のヒガタにハサキを頼むとだけ伝えてくれ。それで意味はわかるはずだ」
「わかりました、その一言でよろしいですか」
「…では、なかなか帰れそうにない。すまないとも伝えてくれ。あいにく私の手の者は今出払っている。足に使って悪いな」
「いいえ。構いません」
杞憂にすぎないだろうが、帝やシウォンに近しいグリュネール家を狙ってハサキが危険な目に遭うこともあり得る。シュワームはそれを見越してヒガタに連絡を頼んでいた。
「では、主。また戻ってきます。ご命令はその時に」
「ああ」
ハクと共にシュワームも帰っていった。暗かった空に光が差し始めている。その姿は今のナフカには素直に見ることはできなかった。まるで何かこの先起こることを予兆するように心をかき乱される気がしたのである。
ふとナフカは自分の手を覗いた。ナフカである限り、この手に守るべきものがある。ヒュバルという名にあるのは赤と黒の色の世界。そこに光を差してくれたのが、ナフカが守りたいもの達である。
ナフカは覚悟を決めた。かつてキシュがシウォンの未来を守るために剣を振るったのと同様に、今度はナフカが影で渦巻く帝位争いの陰謀に奮闘して未来を守る。
まもなく夜明けである。ナフカの目にする光はとても眩しかった。




