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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
四章 愛する者
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はじまる戦い


 「誰かいないか!」

 

 ナフカは叫ぶ。しかし、誰も返事がない。ナフカが誰かを探そうと歩こうとしたとき、背後で気配があった。

 

 「!」

 「動くな。動けば命はない」

 

 分かりやすくたくさんの殺意が向けられていた。ナフカはそれに応じる形で尋ねる。

 

 「わかった、動かない。それで、俺をどうするつもりだ。すぐに俺を殺さなかったのは生かす意味があったんだろう?」

 

 ナフカの尋ねるそれは命を狙われているとは思えない口ぶりである。

 

 「皇太子と交渉するのに利用する」

 「交渉?俺の命と引き換えにか?」

 

 ナフカは苦笑した。主従にあるナフカの命を交渉のものにするだけ無駄なことだからである。

 

 「そして交渉次第で…いや、どのみち俺も殿下も殺すというわけか。差し当たり交渉の内容は皇太子をリフキア殿下に譲る、とかそういうものか?」

 「お前に答える義理はない」

 「なるほど、当たっているらしい」

 

 ナフカの首筋に冷たい剣先が光った。触れるか触れないかくらいのその鋭利な姿はどこか昔の暮らしを思い出させる。

 ナフカには命無き武器の冷たさよりも内に秘められた感情の方がよほど冷たく思われた。それは初め違和感となり、ナフカに焦りと雑念となって何度と海の波のように押し寄せた。

 ナフカがこの感情の名に気づくのには時間はかからなかった。

 

 「黙れ。お前と話している時間はない」

 

 刺客の声にナフカは平常を取り戻すことに務めた。ナフカは一息吐ききると、ちらりとロビーの時計を見て口を開く。

 

 「…ちなみに知っていたか?式典は押していてあと一時間半後に殿下達は帰ってくる。今からでは少し行動が早すぎることになるな」

 「…?」

 

 ナフカは刺客の詰めの甘さを嘲り、そして憐れんだ。綿密に練り込まれた計画にしてはやっていることが曖昧なのである。つまりはそもそもが練り込まれた計画ではない上に、毒殺未遂の件から数日しか経っていない今、警備体制はより厳しくなっている。

 万一失敗したとき、この宮殿で騒ぎが起これば身を隠す他にない。城の外に出るための門はおそらく閉ざされ、見つかるのは時間の問題だ。

 ではどうすればよかったかというと、先程の式典で民衆に紛れて狙えばよかったのである。そうしたところで近衛から逃げられたかといえば確率として前者より高いだけである。つまり、この時期、この時間を選んだ時点で刺客達は失敗を演じたことになる。

 

 「組織において大事なのは情報と腕。腕に関しては言いようがないが、情報は組織の能力が試される。まして、当日に計画が崩れることもしばしば。それをうまくやりこなすのが一流の手口。お前達はそこを誤った時点で二流、三流ということになる」

 「…ってめぇ!」

 

 ナフカの首に当てられていた剣が空を切る。剣を振るった人間は、ナフカが驚異的な速さでその剣を避けたことに驚いていた。そしてその動揺は他の者にも伝わる。

 

 「何より、一番の誤算はここに仕える人間の力量を知らないことだ。俺が、ただの執務官に見えたか?」

 

 ナフカはそう言ってハクの名を叫ぶ。すると、音もなくハクがナフカの後ろに着地する。

 

 「遅いですよ、主。待ちくたびれました」

 「…悪い」

 

 ナフカはハクから短剣を受けとる。

 

 「しかし馬鹿ですねぇ。主を交渉の相手にだなんて」

 

 ハクは悪い笑みを浮かべた。相手は明らかに多勢であるが、ナフカとハクには全く問題ではない。

 

 「それに…殿下が主の命のために交渉するとは俺には思えないんですが」

 

 ナフカは苦笑した。その表情にハクは何やら疑問を感じた。

 

 「…あくまで俺達はあの方の従者。邪魔になるなら俺達自ら消えるまで。だが、お前達にやるほど、この命は安くない」

 

 ナフカとハクはそうして向かってくる敵をあっという間に倒していた。

 倒した敵を縛り上げると、ナフカとハクは大きく溜め息をついた。

 

 「まだやらなきゃいけないことはあるし、面倒だな」


 ナフカは惨状となっている宮殿のロビーを見てもう一度溜め息をつく。手加減はしたものの、なにしろ相手は二十人ほどいた。動けなくなる程度の傷を負わせれば辺りに血が飛散するのは間違いない。今からそれを掃除しなくてはならなかった。

 

 「対処したのは俺だとするんですよね?」

 

 ハクが言う。ナフカは頷いた。

 

 「すまないな、ハク。汚れ役をさせて」

 「いえ、それは構いませんよ。俺の実力が上増しされるだけですから。主には敵が誰かを明らかにする仕事があるでしょう」

 「そうだな」

 「さ、早く片付けましょう。あと三十分でお戻りですよ」

 

 

 ▽▽▽▽▽

 

 

 「ナフカ…これは?」

 

 キシュは戻ってくるなりロビーの惨状を尋ねる。シウォンはリヨルの目を覆っていた。

 

 「実はさっき刺客がやって来て、それをこのハクが対処した。人数が多く、この有り様だ。捕らえた者達は近衛に連行させるところだ」

 「ナフカ、怪我人は?」

 

 シウォンが尋ねる。

 

 「この宮殿の近衛兵が怪我を。女官達はシハル以外は出払っていたようで、シハルも頭を打って気絶していただけのようです。医師は問題ないと」

 「そうか」

 

 シウォンはリヨルをヤンに任せると、掃除をしていたハクに言った。

 

 「今回の事、助かった。感謝する」

 「いえ、あちこちを汚してしまい申し訳ありません」

 「そなたにはナフカを通じていつも世話になっている。いつかちゃんと礼をさせてほしい」

 

 ハクはそれを拒んだ。

 

 「名を頂いた分の仕事だとお思いください。監査役として今後はお力添えを」

 

 ハクはそう言って作業に戻る。シウォンはちらりとナフカを見たが、ナフカは首を振った。そしてこそっと耳打ちする。

 

 「大丈夫だ、シウォン。気持ちは伝わっている。それに、あいつを味方に出来たことは大きい」

 

 一見すると少し冷たくも思われたハクの言葉だが、中身は全く異なる。

 レイオールの名を与えられたことをハクは本当に嬉しがっていたことをナフカは知っている。たかが名前、加えて名を与えられる行為事態はこの時代で名誉とされているが、傍目には身分の格差を象徴する行為とも言えるだろう。レイオールの名を与えられたその日、ハクは言った。

 

 「名前を与えられる行為ではなく、与えられるだけの力を認められたと素直に喜ぶのではいけないのでしょうか。たとえ将来、その行動をとやかく言う人がいても、俺の仕事が認められたことは事実だという目に見える証を受け取ったつもりです」

 

 ナフカは「なるほど」とその時答えた。

 ハクの答えはナフカに新しい風を吹かせた。考え方の違い、正しい答えの在りかとは、こうも見地を広げてくれる。実を言うとその世界に浸るためには正しい答えを導きだす必要さえ感じられなくなるのだが、答えに近づこうとすることにも人のロマンがある。

 

 ナフカはシウォンに言った。

 

 「殿下、ひとまず皇太子妃宮殿の方へお移りください。安全の確認はできています」

 「ナフカ、今日は皇太子妃宮殿で過ごす。だからこちらの片付けは急がずともよい」

 「しかし…」

 「急いでよいことはそうないだろう。少しくらい慣例が変わっても仕方ないさ」

 「わかりました。それではその様に」

 

 キシュも頷く。

 

 「じゃあ、ナフカ。ここは任せる。ひとまず俺らは向こうへ」

 「ああ」

 

 

 その夜、シウォンとリヨルは同じ部屋にいた。結びの儀式を終えたその日の夜は共に過ごさなくてはならないという、これもまた儀式である。形式的にはすでに夫婦の二人だが、認識的にはこの一夜を終えてようやく二人は夫婦となる。

 本来は延期となってもおかしくなかったところをシウォンが強行したのは、今後も何かと命を狙われるかもしれない危機を前にして延期をしてしまったら、シウォンとリヨルの立場の不安定さが問題で、あれこれ言われることもあるだろうと考えたからである。

 それに何よりシウォンはリヨルに確かな気持ちを持っていた。それに応えたいと思っているのである。

 

 給女達が食事を運び終えると、部屋はしんと静まり返った。シウォンと対面の席で様子をうかがうリヨルに、シウォンは笑いかける。

 

 「今夜は少々重苦しい警備を敷いている。ゆえに安心しろとは言わないが、今ばかりはこちらに気を向けていてくれないか。どうせ、明日からは向きたくなくても目を反らさずにはいられないのだから」

 

 リヨルは頷いた。

 

 「…シウォン様。いつか落ち着きましたらイスファターナを案内してください。ここに来る前に書物で学んできましたが、シウォン様が愛されている国ですからやはりこの目で見てみたい」

 「もちろんだ。私は何かとつけては視察によく出る。それもお忍びで、だ。とても楽しいものだ。必ず連れていこう」

 

 シウォンはグラスにワインを注ぐ。部屋の光と相まって輝く宝石のように綺麗だった。

 

 「この酒はナフカ達が用意してくれたのだ」

 

 シウォンがワインのラベルを見せる。

 

 「シウォン・ルシューム・イスファターナでございますか。シウォン様ぴったりの名前ですね」

 「そうか?」

 「ええ。月のような静かな美しさ、というのがシウォン様にはあるような気がします」

 「…俺からすればナフカこそ月のように思えるのだがな。あいつの内に秘められるものの神秘性は月の妖しさに似ている」

 

 シウォンはワインを一口、口にして一息つく。

 

 「…うまいな」

 

 シウォンはまじっとグラスの中のワインを見た。

 この人の目が好きだ。リヨルはシウォンを見ながら思う。

 ソウェスフィリナにいる頃、青き瞳に見つめられれば逆らえないと聞かされた。一方的な暴君か、はたまた噂は嘘なのか。答えはどちらでもなかった。

 瞳の青さというより、その瞳に込められた熱量に皆が負ける。赤いワインのグラス越しにも、目の前のこの人はずっと先のことを考えている。一年後、十年後、自分が死んだあとのことまでイスファターナがどうあるべきかを探している。

 だから、自分がするべきことは先を見続けるシウォンが明日を見落とさないように見守ること、支えること。

 

 「…シウォン様」

 

 リヨルが一声かけると、シウォンは我に返った様子だった。

 

 「ああ…すまない。ふと考え事をしていた」

 「いいえ。シウォン様の考え事をしていらっしゃる顔はいつまでも見ていられますから」

 「…そう言われてもな」

 「ええ。ですから今夜くらいは考え事をお止めください。最初におっしゃったのはシウォン様ですよ?」

 

 大切にしたいと思うようになったのがいつからだったのか、今では覚えていない。

 初めて会ったときは王女としての気品と誇りに溢れ、皇妃としての資質は十分だと思っていた。だけど、リヨルの見せる笑顔や寄せてくれる気持ちが次第に忘れられなくなってくる。

 そしてあの毒に見舞われたときにはそれは愛しさという名に変わっていた。縁がないことだと半年前の自分は思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。

 

 「そうだったな。では、このままゆっくり、夜を楽しもうか」

 

 

 ▽▽▽▽▽

 

 

 月が真っ暗な闇夜に輝きをもたらし、周りの星々は月の光に姿を消した。その月の前では身に隠した偽りなど、全て見透かされているような感覚になる。

 ナフカは部屋のテラスでじっとそれを眺めていた。

 

 

 (確か、初めての時も同じような月だったな)

 

 

 ナフカは部屋の本棚から本を抜き出して、その奥に仕掛けていた細工を解く。奥の板が外れて、現れたのは布に巻かれた短剣だった。

 

 「六年か」

 

 人を殺すという感覚を久々に感じた。

 今日は正確には殺してはいないが、ナフカにそれは恐怖や懐かしさではなく、違和感を与えたのだった。そう、その違和感がナフカがこの六年、ナフカが遠ざけていた感情だった。

 当然だった。あの頃は常に死ぬかもしれないと覚悟をしていた。任務に失敗すれば死が訪れる。そんな日々を送っていた人間が、今や時期帝の執務官。今の違和感は名前をつけるなら恐怖心に近い。いつ、自分の過去が知られるのかという恐怖だ。

 

 

 『人生ってのは死ぬときになって何なのかわかるんだ。どんなに生きている人間がその本質を知ろうとしてもそこにはたどり着けない。だから、必死に生きろ』

 

 

 ふと、あの人の言葉がよみがえる。

 

 「俺は何者か…か」

 

 今の俺は何者なのか。俺はここにいて何をするのか、何ができるのか。

 過去を話す日が来たとき、その先俺はどうするつもりだったんだろう。今になってそれを微塵も考えていなかった自分が恐ろしくなった。

 ナフカにとっての飛燕での記憶は消したくても消せない過去、命を懸けられる相手が生きたすべての時間であり、何よりあの日々がなければ今もナフカは帝国で暮らしていた。

 

 すべては繋がり、続いていく。

 時が忘れることを許してくれない。いいや、忘れたくないのだ。ナフカであることもヒュバルであることも自分に変わりがない。だからこそ今になってこんなにも苦しいのだ。

 

 ナフカはテラスに突っ伏して、崩れ落ちた。そして、声を圧し殺して涙を流す。

 

 その姿を遠くから見ていたハクは、そんなナフカをただ見守ることしかできなかった。

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