式典
式典が実際に行われたのは十二日後のことだった。
その日の朝、シウォンはナフカが起こしに来るよりも早く目覚めていた。部屋のテラスから空を見上げると、まだ夜が明けたばかりのようで東側の空が黄金に輝いていた。
ふと、足元を見るとてんとう虫がシウォンの足元をうろついている。イスファターナではてんとう虫は幸せの運び主と言われている。シウォンはそのてんとう虫を手にすくってテラスに置かれている植物の葉に乗せてやった。
「お前は幸せを運んできてくれるのか?だったらずっと私の側にいてほしいものだな。ここにいる者達に良いことが起こるように」
すると、シウォンを呼ぶナフカの声がする。シウォンは部屋に戻ると、ナフカの用意した洗面道具の前に座った。
「こんな日はさすがのお前でも早起きなんだな」
「うるさい。たまたま目覚めただけだ。キシュに言うなよ?またからかわれる」
「はいはい」
ナフカはシウォンの顔を洗顔し終えると、朝食を運ぶように給女に命じた。そしてシウォンに一枚の紙を渡す。
「シウォン、今日の予定だ。午前中に結びの儀式があって、そのまま午後に御披露目の式典だ」
「慌ただしいな」
「仕方ないさ」
結局、今日の日まで毒を盛った犯人はわからず、本来は数日に分けて行う結びの儀式と御披露目の式典を、同じ日に執り行うことになったのである。
朝食はいつもに増して彩り華やかで、シウォンは見ただけで胃がずうんと重くなる。
「…朝からこんなに豪華にする必要があるのか」
「見た目は豪華だがバルトレインがそこはちゃんと考えている」
「ん?」
シウォンは一口、魚を口にする。見た目は煮付けだが、どうやら適度に薄味にしてあるようだ。そしてそれは他のどの料理にも言える。
「ちなみに今日は昼のご飯がないから、今のうちにしっかり食べておくんだな」
「…おい、今は夜明け直後だぞ。半日空腹でいろというのか?どうせ夜の晩餐でも挨拶ばかりでろくなものが食べられないというのに」
「予定がいっぱいなんだ。ちなみにあともう少しでお前の身支度を整える者がやって来る。リヨル様はお前より早く起きて支度しなくてはならないんだ。それに比べればマシだぞ。ほら、さっさと食べろ」
シウォンはムッとしながら粥をすくう。ナフカは何かを思い出して颯爽と部屋を出ていった。そして、キシュと共にすぐに戻ってくると木箱を手にしていた。
「…それは?」
ナフカとキシュは同時に言う。
「シウォン、おめでとう。俺達からのちょっとした気持ちだ」
「な…なんだ、急に」
「シウォンの晴れの日なんだ。真っ先に祝うのはやっぱり俺らじゃないとな」
キシュはそれが叶って満足げに言う。
「開けてみてくれ」
ナフカの声に、シウォンは箱を開ける。すると、そこには赤ワインのボトルが入っていた。
『シウォン・ルシューム・イスファターナ(イスファターナの月、シウォン)』
そう名付けられている。
「これ…」
「世界に一つだけの樽から取ったワインだ。今日の寝酒にはこれを使ってくれ」
キシュが言う。
「こんなものいつから準備していたんだ?すぐに作れるものじゃないだろ」
「…ああ、実はな」
ナフカはキシュと顔を見合わせた。
「俺がここに仕え始めた頃に、一度キシュと大喧嘩したんだよ。仕える者はこうあるべき、という話から次第にお前の尊敬しているところとか、話が逸れはじめて…」
「それはそれで怖いぞ、お前達」
シウォンは笑顔で話す二人を怪しげに見る。キシュはお構いなしに言った。
「とにかく、シウォンが結婚するときに最高のプレゼントをしたいってなって…このワインを渡すことにしたんだ。つまりはことの発端は二年前。知り合いのワインを作ってる奴に、お前が生まれた十八年前に作ったワインを一樽譲ってもらったんだ」
「そんなに昔から用意してくれていたのか。何はともあれ、ありがとう。大切に飲ませてもらうよ」
キシュは時計をちらりと見て慌てる。
「ミュンツェル様に怒られる!じゃあな!」
「慌ただしい奴だな。まったく」
シウォンは朝食を再び口にした。
真っ白な生地にイスファターナの青い紋章を袖にあしらった服を身に付けたシウォンは、皇太子妃宮殿に向かう。すると、同じく真っ白なドレスを身に付けたリヨルが待っていた。その首にはシヴァ妃の首飾りが青く光っていた。
「…イスファターナの色、だな」
シウォンがそっとその魔石に触れる。
「とても綺麗だ」
リヨルは頬を桃色にさせて笑った。
「では、両殿下。宮の殿へ参りましょう」
ナフカに促され、二人は宮殿前に用意された馬車に乗り込む。その馬車を先導するのはキシュである。
この先はナフカの仕事はない。すべて宮の殿の人間が取り計らう。
「良かったね、ナフカ」
同じく宮殿に残るシハルが言った。
「お二人ともとても仲がいいし、いい雰囲気」
「そうだな。よし、じゃあやるか」
宮殿に残ったからといってやることは山ほどある。各々の主の夜のための支度をしなくてはならない。夜の祝賀会では、ナフカもシハルも参加するから、それまでに整えなければならないのだ。
「もちろん、腕によりをかけてね」
それぞれはそれぞれの支度にとりかかった。
▽▽▽▽▽
午前の結びの儀式が終わり、二人は名実ともに夫婦となった。しかしながら二人の胸中は疲労でいっぱいである。
「…疲れたな」
シウォンは椅子に腰かけて言った。今は御披露目の式典が始まるまでの休憩である。部屋には二人以外みんな出払っている。
「やることが多すぎます。一生に一度で十分です」
「…一生に一度でなくては困る」
シウォンがリヨルに顔を近づけてくる。リヨルは言葉の意味を悟って一瞬で顔を真っ赤にした。
「…最近のシウォン様は少し意地悪です」
「そうか?」
そう言う青い目も何やら意地悪だ。
「それを楽しんでおられるようです」
「まあ、楽しんではいるかな」
シウォンはクスクスと笑う。そして笑い終えると、そっとリヨルの手に触れた。
「リヨル、これは私が常々ナフカやキシュ、帝にも言っていたことなのだが、私はいずれ帝となる。皇妃となる者に私は厳しい要求をするだろう。だが、一生皇妃一人をを愛し抜くと誓う」
「…」
青い瞳がまっすぐにリヨルを見ている。リヨルは小さく息をついて、それから言った。
「…それはどこか矛盾しています、シウォン様。シウォン様は一番に国を愛していらっしゃいます。私はなれたとしても二番目でしょう」
「…そうかもしれないな」
シウォンは前髪をかきあげる。
「ならば、二番目の席は一生私のものと思ってもよいですか」
リヨルがそう言うと、シウォンは横目にちらりとリヨルを見て、それからグッとリヨルを引き寄せる。
「一人の人間として、リヨル。そなたは私のものだ」
「…なるほど、そういう解釈もありますね。そしてそれは何やら、とても嬉しいものですね」
すると、部屋のドアがノックされてキシュが入ってきた。
「シウォ…皇太子殿下、そろそろお支度を…!」
突然、キシュの目が光る。
「何てことをしてくれたんだ、シウォン!前髪が崩れているじゃないか!」
「あ…」
「だからあれほど気を付けろと言ったのに!そこでじっとしておけよ!」
キシュは廊下に出る。
嵐が過ぎていったとため息をつくシウォンを見て、リヨルは笑った。
「シウォン様、私が宮殿の者に名を呼んでほしいと言ったのをお許しになったのは、事情はさておきご自分の側近にもそれを許しているからなのですね。ナフカにも名で呼ばせているのでしょう」
隠されていた秘密を知ったみたいでリヨルは少し気持ちが高ぶる。
「…あくまで、あの二人だけだ。一日中、皇太子で接されるとわからなくなるものもある。そう気づいたからこそ、あの二人にはごく普通に話してほしいと言ってある」
「キシュとナフカはシウォン様の両腕に等しい大切な者なのですね」
「あの中の誰か一人でも欠けてしまったら私は四肢をもぎ取られたのも同然だ」
だとしたら私の存在は…。
リヨルはふと、そう考えた。将来イスファターナ帝となるために、ナフカとキシュは欠けてはならないとするならば…。
「では、私はシウォン様のお心をいただきます」
「…私を支えてくれるのか」
「私の前では皇太子でなくとも構いません。そう、シウォン様が思えるような存在に私もなりたい」
「…」
シウォンはふと考えて、小さく笑った。もうこの場に何も妨げる壁は存在しない。国を越えて、立場を越えて進む道は一つになった。
「一人の人間としての俺は、ちと面倒だぞ?」
シウォンは意地悪そうに不敵に笑った。
「…なるほど、一人称まで俺になられるのですか」
リヨルは何やら納得している。
「人は自身の仮面をいくつも持っていると考えるならば、俺にとってのそれは皇太子であり、その皇太子の中でもいくつかの仮面がある。今、見せているのが私の最後の仮面だろう」
「私も同盟の相手であることは忘れることにします。無粋にも程がありますから」
それから、キシュの呼んできた係りの者によってシウォンは身だしなみを整えられ、そしていよいよ御披露目のバルコニーへ移動した。
軽快な楽器の合図と共にバルコニーが開かれ、シウォンとリヨルは踏み出した。
二人を一目見ようと集まった民衆は、拍手喝采で二人を迎えた。やがて、ミュンツェルの一声で民衆は一気に静まった。
「皇太子殿下、並びに妃殿下よりお言葉である!」
民衆はシウォンが一歩前へ踏み出すと、そちらへ視線を集めた。シウォンは何万もの目に見つめられるその圧に動じる様子も見せずに、まずは民衆を見回した。
「…私達のこの晴れの日に、イスファターナ中からここに集まってくれた皆にまずは感謝の言葉を述べたい。大勢の者達に祝ってもらえたこと、私の誇りとなろう」
すると、民衆の一人がシウォンに言った。
「御体はご回復なされたのですか!」
その質問は誰もが知りたがっていたはずで、水紋が広がるようにざわざわと静寂が破られる。民衆達の不穏な空気を感じ取ったのか警備についている近衛達に緊張が走った。ミュンツェルが民衆を再び静まらせようとすると、シウォンはそれを制した。
「先日の件、皆には少なからず心配をかけたことと思う。しかし、私はこの通り回復した。案ずるに及ばない。今後もよりイスファターナのために身の限りを尽くそう」
今度は民衆達の間に温かみのある騒ぎが起こる。
「ご回復、おめでとうございます殿下!」
「おめでとうございます!」
「イスファターナ万歳!」
再び拍手が起こり、シウォンは手を振った。
次はリヨルの番である。シウォンはしばらく手を振ると、リヨルの方を向いた。リヨルはそれに応える。
シウォンが一歩下がったのと同時に、今度はリヨルが前に出た。民衆達は一気にしんと静まり返る。あまりいい空気とも思えない。
太陽の国ソウェスフィリナから来た王女。極めつけ、先日はシウォンに毒を盛ったのではないかと疑いまでかけられている。
リヨルはそんな民衆の心を感じ取った上で、民衆の前に立つと美しい礼を施した。
『レイ・ドローグ・オルソフォリム(大陸の最美の礼)』という礼法が、イスファターナ、ソウェスフィリナ、帝国が位置するこの大陸には存在する。国境を越えて通じる礼法の一つで、国独自のものではないゆえに、それを施されるということは、すなわち施された相手への敬意を表す。
民衆でさえ、その礼法は幼いときより学ぶのである。知らぬ者はいなかった。
「…」
ミュンツェルはちらりとシウォンを見る。皇族が民衆に頭を下げるなどあり得ぬ話。それが目の前で起きているのである。しかし、シウォンはリヨルの背をじっと見ているだけだった。
リヨルは顔をあげる。
視界には何百人もの民衆がリヨルを見ている。すると、次の時、テラスに近い位地にいた子ども達がぱちぱちと手を叩き始めた。
「皇太子妃殿下!お綺麗です!」
子ども達はさらに拍手を送る。
その無邪気な反応につられるように大人達もリヨルに拍手や言葉をを送った。
「私は、本日イスファターナの姓をいただき、今後はイスファターナ皇家の一員としての役目を果たし、皇太子殿下と共に歩いていく覚悟です。私にとってこの国は、同盟国のイスファターナではなく、私の生きる国イスファターナとなるでしょう」
リヨルは今度は軽く礼を施し、手を振った。
リヨルの隣にシウォンが立つと、再び歓喜の声が上がる。
「皇太子殿下!皇太子妃殿下と良い国をお導きください!」
しばらく歓声と拍手は鳴り止まなかった。
この式典の後、都ではリヨルの噂が広まった。毒の事件におけるリヨルの行動、それが本にまでまとめられ出版され、すぐに完売した。
その本のタイトルは『レイ・ドローグ・オルソフォリマーナ(大陸最美の礼を施す妃)』である。
式典を少し遠くから見ていたナフカは、シウォンとリヨルの様子を見て、確信した。これによって国民の動揺は収まる。シウォンの危惧していたこともなくなるだろう。
そう思って、ナフカは皇太子宮殿に戻った。もうしばらくすれば式典は終わり、シウォンが帰ってくる。すでに準備は終わっているが、シハルと一緒に二人を出迎える手はずになっているのである。
そうして、皇太子宮殿に入った時だった。
ナフカはいつもと違う雰囲気に踏み出した足を止めた。そして、一言言う。
「誰かいないか!」
あまりに人気が無さすぎた。いや、人気はあるが普通の侍女、近衛兵士の存在が感じられないのである。
その瞬間、ナフカは背後に強い視線を感じた。
▽▽▽▽▽
式典が終わり、シウォンとリヨルは皇太子宮殿に帰ってきた。
「本当にお疲れさまでした。宮殿に帰ればバルトレインが間食をご用意していますので」
キシュの声にシウォンは頷いた。
「それは助かる。正直言えば空腹の限度を超えすぎてもはや何も感じていないのだが、どうせ祝賀会でも何も食べられない。何かを口にしたいと思っていた」
「とはいえ、あまり時間はございませんので急がなくてはなりませんよ」
そんな話をしていると馬車が止まる。
キシュに誘導されて皇太子宮殿の庭を歩き、ようやくたどり着く。キシュは皇太子宮殿の扉に手をかけて開こうとする。しかし、扉が開かない。
「ん?」
キシュはドアをガタガタと揺らしながら首をかしげる。
「どうしたんだ」
「扉が開きません。内側に…栓がしてあるようです」
「鍵ではないのか」
「ええ。そのようです」
内側に栓など何が理由でそうしているのか見当がつかない。シウォンはキシュにドアを押し破るように言った。
キシュは数人の兵を呼ぶ。しかし、兵達は一向にやってこない。いるのは馬車を降りてからついてきた二人の兵だけである。キシュはシウォンに目配せする。
「…お前達、殿下方をお守りしろ」
キシュは二人の兵にそう言って、扉に手をかける。そして、力業で扉を押し破った。
そこに現れた光景はあまりにも酷なものだった。
こんばんは、結月詩音です。
ここからは前シリーズ編と大きく変わります。
前シリーズからお付き合い下さっている方も、新たに読んで下さっている方も、今後まだまだイスファターナ戦記は続きます。
どうぞお付き合いよろしくお願いいたします。




