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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
四章 愛する者
46/125

新しい場所で

お待たせいたしました。今回は少し長編です。

それでは、お楽しみください。


 二日後、休み休みではあるがシウォンは通常の仕事ができるまで回復した。その回復にナチ医官も喜びと同時にどこか呆れた様子であった。

 

 「あの方は根っからの仕事好きなのだろうな」

 

と、ナフカに吐露するほどである。

 それほどにシウォンの回復は目覚ましいものだったのだが、キシュはそうはいかなかった。良くはなってきているものの、腹痛が治らない。寝ているのも退屈だというのでシウォンの執務室にいるのだが、たまに腹を擦っている。ナチ医官の話では、胃への刺激がキシュの方が強かったのかもしれないとのことだった。小麦に含まれていたオドリソウの量、吐き出せた量によっても、シウォンと症状が違うのは仕方のないことだと言う。

 

 「まあ、たまに痛くなるくらいだから時期に良くなるさ」

 

 そう言いながら椅子に座って、本を読んでいる。この男が本を読む、という行為はそれこそ明日は雨が降る、という表現がぴったりなほどに珍しいことだった。

 読んでいる本はかつてシウォンが勉強して部屋に置いてある本で、政治、経済、軍事、農業、外交、などなど種類様々なものがある。あまり勉強は好きではないキシュだったが、今後に向けて勉強するらしい。その中に一冊、植物の本があった。ナフカがこれは何かと問うと、アイジェスに借りた毒草の図鑑らしい。

 全くこの男は、どこまで自分の仕事を広げようとしているのか。もちろん、知っていて悪いことは何一つないのだが。

 

 

 

 アイジェスはというと今朝、宮殿を出た。一度セシルのもとへ帰るとらしい。アイジェスによると、ナチ医官が医庁に来ないかと言ってくれたらしい。ナチ医官の補佐として勉強を積み、ゆくゆくは医官としての資格を取ればいいと言ってくれたそうなのだ。

 シウォンもナフカも堅物のナチ医官の発言と聞いて一度は疑ったが、アイジェスの知識と病人への態度を見ていればそれもおかしくないと納得した。

 

 そのアイジェスは、都のセシルのもとに帰ってナチ医官の話をした途端、セシルに怒鳴られることとなった。

 他の団員達も普段温厚なセシルが何事かとセシルの部屋にやって来た。セシルはお構いなしにアイジェスに言う。

 

 「何で帰ってきた!あんたは薬師になりたいんじゃなかったのかい?医術を勉強できるってんだ!こんなにうまい話はないだろう!」

 「わかってます。でもまずは姉さんに会いたかった。会って答えを聞きたかったんです」

 

 セシルは首をかしげる。

 

 「私はかつて知る限りの毒で命じられた仕事をこなしてきた。薬で人を殺していた自分が人を救う側に回る。薬師になるのだって迷ったのに医官だなんて…。ましてやそんな人間が国に仕える医官でよいのか」

 

 セシルはアイジェスの頬をぶった。

 

 「自分のことをそんな、だなんて二度と口にするんじゃないよ!」

 「姉さん」

 

 あまりの強さに頬がじんじんと熱を帯びてくる。

 

 「確かにね、私らは組織のなかでこれでもかというくらい命を奪ってきた。でも同時に私らほど命の脆さと大切さを知る者もいない。これはこじつけかもしれないけどね。私はあんたは医者になるべきだと思っていたよ。薬の知識と、器用さと、何より努力家のあんたにピッタリじゃないか」

 

 アイジェスは、はたはたと涙を流していた。

 

 「ずっと罪の意識だけ持ってきました。初めて…だったんです。自分の持てる知識が本当の意味で役に立てたのは。今回のことで薬師だけじゃできないことをやってみたいと思えた」

 「だったらやるしかないじゃないか。そうだろ、アイジェス」

 

 アイジェスは涙を拭ってセシルに頭を下げた。

 

 「お世話になりました!」

 「ほら、さっさと行っておいで」

 

 走って出ていくアイジェスを見ながらセシルは言う。

 

 「組織…か」

 

 幼い頃からずっと組織で生きてきた。それがなくては今の自分達はいない。しかし、今となってはそれを枷に感じることも少なくはない。セシルもたまに思い返すことがある。

 

 「姉さん…」

 

 ギガロが声をかけた。この男もかつての組織の一人である。

 

 「あんたもやりたいことを見つけたら出ていっていいんだよ、ギガロ」

 「俺は姉さんの側に生きるって決めてますから」

 「フッ…嬉しいことを言ってくれるねぇ。私も何だか淋しくなってきた。こういうのを何て言うのかな。ヒュバルならうまく言えるんだろうけど」

 

 セシルは首を振った。

 

 「難しいことを考えるのはやめよう。それよりギガロ。都での公演、本格的に検討しようか」

 「姉さんの客がまた増えますね」

 「当然さ。このセシルの色香にイスファターナを酔わせてやるのが夢なんだから」

 「じゃあ、幹部らに報告を。見積もりは近いうちに出しますから」

 

 ギガロは言った。セシルも満足げに頷く。

 

 一方で、宮殿に到着したアイジェスはナチ医官の元に向かった。

 

 「ナチ医官様!」

 

 ナチ医官は道具の手入れをしていた。

 

 「医術の勉強をさせてください!お願いします!」

 

 アイジェスが頭を下げると、ナチ医官は人がいないことを確認するとまるで自然な空気で言った。

 

 「アイジェス、人を殺したことはあるか」

 「!」

 

 アイジェスは一瞬で身を固めた。ナチ医官はギロッと視線を向ける。

 

 「…あります」

 

 事実であるのだから、ここで隠すことに意味はない。そう思ったアイジェスは告げた。

 

 「何人ほど?」

 「…それは」

 

 口ごもったアイジェスを見たナチ医官は、道具の箱をしまってアイジェスに椅子に座るよう言った。

 

 「薬に対するなれた感じと、患者の死を前にしても動じない雰囲気。普段私でも臆するのに、ましてや相手は皇太子殿下。もしやと、そう思っただけのことだ」

 

 ナチ医官の言い方は水のようにさらりとしたもので、アイジェスが感じているものより遥かに軽い。

 

 「それは、薬師として故意に人を殺めたのか?」

 「…いいえ。知っている薬の知識で…生きる…ために」

 

 果たしてそれでナチ医官に伝わったのかはわからない。

 

 「さてとじゃあ、まずは心得てもらわんとな」

 

 ナチ医官は生命の起源から語り始める。医官としての生命倫理、目指すべきところ。それを聞いている間、アイジェスは何度も何度も過去との自分と重なって涙を流した。

 やがて話終えたナチ医官は、アイジェスの前に大量の本を置いた。

 

 「医官というのはな、常に人と向き合う仕事だ。人を死なせることに慣れるな。上手くやっていくしかない。常に死と向き合う覚悟と、そのための努力を怠らないその覚悟はあるか、アイジェス」

 「…やります。私が失わせてきた命の分、この手で救えるように」

 

 ナチ医官は小さく笑う。

 

 「その本を図書館へ直しにいってくれ。それから、三十分後に回診に行くからその支度を。メモはそこにある。それだけのものを準備していてくれ」

 「はい!」

 

 ナチ医官が部屋から去ったあと、アイジェスはメモに目を向けた。どれも今からでは間に合わなさそうな薬の処方ばかりである。

 これくらいやって見せろと言わんばかりの指令にアイジェスは急いで取りかかった。

 しばらくして医庁ではナチ医官が弟子を取ったという噂が広まった。弟子になりたくてもなれないと有名なナチ医官だったために、アイジェスには連日のように観客がついて回った。

 ナチ医官は無理難題の課題を与えるけど、それはアイジェスの知らなかった知識を補わせてくれるし、理不尽なことではなかった。改めてここで学べることを嬉しく思う。

 アイジェスの見習いとしての日々はまだまだ先の長い話であった。

 

 

 ▽▽▽▽▽

 

 

 「ナフカ、早いうちに宮の殿に式典の計画書の提出を求めてほしい」

 

 シウォンは言った。

 

 「いいのか?帝も早々と仕事に戻っていることを心配されているんだぞ」

 「この体は大丈夫だ。それよりも国民の動揺を収めたい。いくら私が回復したと言っても、式典が遅れれば不安も広がる」

 「それもそうだが…」

 

 すると、キシュが本を閉じてシウォンに言った。

 

 「シウォン、それはせめて俺の回復を待ってからにしてくれ」

 「…」

 「自分勝手なことだとはわかってる。でも、今の俺では力不足だ」

 

 キシュに言われてシウォンは考え込む。

 

 「式典の時も当初の計画より厳重な警備を取らなくちゃならない。毒の件で近衛も慌ただしい。万全を期すためにはせめて十日はみないといけないな」

 

 シウォンは結果、キシュの意見を受け入れた。今回の毒がシウォン個人を狙ったものではないことを考えると強行するのも得策ではないと思ったからである。

 

 シウォンが式典について納得をしたところでナフカはシウォンに尋ねる。

 

 「シウォン、これは本当にいいのか?」

 

 先程、人事部で受け取ってきた箱を見せながらナフカは言う。

 

 「いいと言っていただろう。でも、どうせなら俺から渡したい。彼を呼んでくれないか」

 

 翌日、シウォンの前にハクが呼び出されることになった。

 

 「呼び出してすまないな」

 

 シウォンを前にハクは緊張していた。

 

 「いえ…その、何事でございましょうか」

 

 ハクはナフカをちらちらと見ている。

 

 「ハク、お前にも渡しておきたいものがある」

 

 シウォンが包みをハクに渡した。

 

 『皇太子付き監査役 ハク=レイオール』

 

 開けてみるとそこにあるのは身分証である。

 

 「…これは。それに私の名は」

 

 ハクにはハクという名前しかない。生まれてからこのかたずっとそう生きてきた。

 

 「そなたにはこれまでナフカの影でたくさん力になってもらった。キシュにも名を与え、お前にもとなるとあまり芸はないのだが、ささやかな感謝のつもりだ。それに、お前をその札で縛るつもりもない。ただ、宮殿で動くには何かと身分がある方がいい。その名も別に付属品のようなもの。気に入らなければ使わなくてもいい」

 

 ハクはその身分証を胸のポケットに収める。

 

 「レイオールの名、殿下に賜ったこと光栄の限りです。大切に使わせていただきます」

 

 ハクはレイオールという名を心に止めて部屋を出ていく。

 厨房裏の木陰がハクのお気に入りの休憩場所なのだが、そこで改めて身分証を確認する。名前なんて気にとめたことはなかったが、いざとなると嬉しいものである。

 

 ハクの生まれは帝国の港町で、物心ついたときには酒場で奴隷としてこきつかわれていた。その日何か失敗すれば食べ物にありつけないことはしばしばだったし、奴隷が住まう場所もいいわけではない。

 酒場の経営が傾いた途端に売られて飛燕に買われたハクは、中流の階級の上官セザンに付くことになった。セザンは飛燕の上流階級の白蘭派の人間だったから、自然とハクも白蘭派となって働いていた。セザンは白蘭に媚を売って生き残ることしか考えておらず、ハクの養育に何の力も注がなかった。ハクは自分を守るために暗殺を学んだのである。

 人を殺すということに躊躇いが無かったわけではなかった。一人で暗殺を学べば嫌でもその思考から逃れられなかった。やがてその思考は生きている意味さえハク自身に問うてきた。

 ある月の出る夜、飛燕の館の外の森でハクは自分の暗器を手にしていた。すでに片手には数えられないくらいの人の命を奪っていたこの頃、ハクの精神は病み入っていた。

 死ねばどうなるのだろうか。幼い頃に伝え聞いたように冥界の業火に焼かれる日々を過ごすのだろうか。そんな恐怖よりも自分の身に感覚として残る拭われない冷たさの方がハクには怖かった。

 月にかざした暗器の矛先を胸に向けたその時、ハクは目の前にいた人物の存在にようやく気がついた。

 

 「ここは君のお気に入りの場所か?」

 「…」

 

 その姿をハクは知っていた。白蘭と対立する青蘭の右腕、銀髪の美しい少年ヒュバル。その名を知らぬ者は恐らく誰もいない。

 ヒュバルに尋ねられて慌ててハクは暗器を隠す。死のうとしたことがわかれば組織の掟に逆らった罪で罰され、酷い目に遭う。そんな事を思ってしまう時点で死ぬことに躊躇いがあることはわかりきっている。ハクはなお黙し続けた。

 

 「邪魔をしたな。悪かった」

 

 ヒュバルはそれだけを言ってハクに背を向ける。ハクには信じられないことだった。なぜ、ハクを捕らえて幹部に突き出さないのか。今までに何人もそうして殺されてきた。ここはそういう場所だろう!

 

 「…っどうして!」

 

 ハクが叫ぶと、一瞬でヒュバルはハクの口を塞いで木に体を押し付けた。

 

 「騒ぎ立てるな」

 

 声はとても小さくても恐ろしいほどの圧があった。

 

 「名は何という」

 「…ハク…です」

 

 ヒュバルは少し考えると

 

 「セザンの付きか」


とハクを再び見つめた。

 まさか知られているとは思わなかったのでハクは驚いていた。

 

 「死にたかったか」

 

 ヒュバルに尋ねられてハクは僅かに考えた後に首を振った。

 

 「…いいえ。あなたに見つかったときに組織の掟で罰される恐怖を感じました。死ぬに当たってそんな事を考えているようでは死ぬことなど出来なかったでしょう」

 

 ハクがそう答えると、ヒュバルは呆気にとられていた。

 

 「死ぬに当たってそんな事を考えるなんて、確かに死ぬつもりはなかったのだろう。しかし真面目なんだな、お前は。正直に死のうとしたことを明かさずとも良いのに」 

 「!」

 

 ヒュバルはけらけらと笑った。

 

 「ここは私のお気に入りの場所なんだ。月がよく見える」

 「…月がお好きなんですか」

 

 ヒュバルは急に表情から温かみを消した。

 

 「いいや。私が追いかける存在であり、私が最も嫌う光だ」

 

 意味は分からなかったが、月の光に照らされたヒュバルは美しかった。

 

 「さて、死ぬことができなくなってしまったな、ハク。お詫びに何か一つだけ君が私に聞きたいことを教えてあげるよ」

 

 突然そう言われても困るものなのだが、ハクは考えた末に言った。

 

 「…どうして生きていられるんですか」

 

 その質問にヒュバルは即答した。

 

 「自分が何のために生きてきたのか、それを知るためだ。つまりはね、私が何者なのか知るためなんだ」

 

 運命のように飛燕にやって来て、意味もなく人の命を刈り取る。そんな権利はどこにもないのに、それが許される場所で生きている。そんな自分に何の意味があるのか、それを知りたい。

 ヒュバルはそう説明した。

 

 「…もし、わかったら?」

 「それは私が死ぬときだ」

 

 そう述べるヒュバルは恐ろしくさえあった。生きながらに死ぬときが分かっているだなんて訪れる日が怖くなりそうである。

 

 「これは私の考えであって、君が背負うものとは別だよ」

 

 ハクの表情をみて何かを思ったのかヒュバルは言った。

 

 「私も探してみてもいいですか。生きる意味を」

 「…止める権利を私は持っていないよ。では、新しい仲間にもう一つ助言をしてあげよう。ここで生き残るためには技を上手く盗むんだ。見て、真似してみること。きっと君の役に立つだろう」

 

 ヒュバルはそうして去っていった。

 数年の後に、ハクは相変わらずセザンの元にいたが、セザンの用事以外は自分の技を磨くのに力を尽くした。ヒュバルの助言のおかげで何とか生き残っている。

 そんなある日、セザンの元に少し大きな仕事がやって来た。そしてその仕事をセザンと二人で受けることになった。

 仕事は―失敗した。敵と対面したセザンは敗れて死んだ。それもあまりに不格好な死に方だった。失敗したことに気付いたセザンはハクを囮に自分だけ逃げることを試みた。その時ハクは左目を負傷する。生温かい液体がヒュバルの左側の視界を奪っていく。それでも必死に敵と戦っていたハクだったが、おそらく逃げた先にも敵がいたのだろう。セザンが倒れる姿を片目で確認した。

 ハクは一人、また一人と敵を倒していったがきりがない。

 

 ―仕事を失敗した人間は消される―

 

というのが飛燕で皆が信じている事だった。

 確定していないのは誰もその事実を知らないからなのだが、失敗した日をもって消息が消えることからそう言われている。

 どのみち死ぬかもしれないと、そう思いながらハクは戦った。死ぬかもしれなくても戦い負けて死ねば、今の自分に何が残るのだろうか。

 昔のことをヒュバルが覚えているはずもないが、もし覚えていれば戦い負けた自分のことを何と思われるだろう。この数年の自分とヒュバルの言葉を裏切りたくない。

 

 その時だった。ハクの回りに集まる敵の後方でちょっとした騒ぎが起こると、次の瞬間、一人の男がハクの足元近くまで飛ばされる。

 

 「さーて、ヒュバル。そっちは任せた」

 「はい、兄さん」

 

 騒ぎを起こしたのは青蘭ことジュランとヒュバル。ハクは目の前に現れた二人に驚いていて身動きがとれなかった。すると、ハクにヒュバルが近づいてきてコツンと頭を叩く。

 

 「何をしている。呆けている場合か?時期に都の兵がやって来る。それまでに片付ける。わかったな」

 「は、はい!」

 

 ヒュバルはハクの片目に布をあてがってくれた。お陰で現場に謎の血の証拠を残す被害を大きくせずにすんだ。

 そこからはもうあっという間だった。ジュランとヒュバルは一撃必殺で瞬く間に敵を倒し、その間にハクは飛燕が関わった証拠を残さぬように現場を触っていく。

 

 「よし。帰るぞ」

 

 三人が現場を出た頃、都の兵の一団がやって来た音がした。

 

 飛燕の館へ帰る途中の人気の少ない森のなかで三人は一休みした。ハクには目の前の二人を前に逃げる気もなく、ただ己の定めを待っていた。

 

 (殺されるならここでだろう)

 

 そんな風に思っていると、ヒュバルが言った。

 

 「ハク、久しぶりだね」

 「…え」

 

 ハクはまさか覚えられていたことに嬉しくてはたはたと涙を流した。

 

 「ヒュバル、まさか過去に彼に嫌がらせをしたんじゃないのか?でなければ泣き出すこともないだろう」

 

 ジュランが言う。

  

 「してませんよ!ほら、泣くと傷に良くない」

 

 ヒュバルはどうしたものかと頭を悩ました。

 

 「俺、消されるんですよね。ヒュバル様が覚えてて下さっただけで嬉しいです。この上は一思いに…」

 「お前は何を言っているんだ?」

 

 ジュランは訳がわからんと言いたげにハクを見ていた。

 

 「仕事に失敗したら死をもって償うって…」

 「死にたいか?」

 

 ヒュバルは尋ねた。

 

 「あの時のように死にたいかと聞いているんだ」

 

 ハクは「死にたくない」と答えた。それを聞いたヒュバルは大きく頷く。

 

 「ここでの生き方は見つけたということか」

 「…相変わらず生きる意味を探しているところです。だから、まだ死ねないのだと思います」

 「なるほど」

 

 ジュランはポンとヒュバルの頭に自分の顎を乗っけてもたれ掛かる。

 

 「兄さん、重いですってば」

 「ん?それより、ヒュバル。俺、先に帰っててもいいか?」

 「え、しかし…」

 「お前の好きにしろ。書類に俺がサインすればいいだけのことだ」

 「…ありがとうございます!」

 

 何やらハクには訳のわからぬ会話をしてジュランは去っていった。

 ヒュバルはハクに向き直ると言った。

 

 「確かに、組織で仕事に失敗した人間は消される。だが、君は殺さない」

 「!」

 「そのために飛燕の館に直に帰らなかったんだ」

 

 ヒュバルが月明かりに照らされて白く輝いた。美術品のごとく完成しているその顔は、今、その生を感じないほどとても冷ややかに笑った。

 

 「私を手伝ってくれないか。これは、卑怯な言葉だとわかっている。つまり私は…返事次第で君の命を握っていると言っているようなものなのだから」

 「…」

 

 目の前の死に対してハクは冷静だった。拒めば死ぬことはわかっていながら、ヒュバルの言葉がハクの中で納得のいくものとなっていたのである。

 

 「手伝えというそれは…あなたの側で生きることになるのですか」

 「兄さ…青蘭様にご迷惑をかけるわけにはいかない。名目上は私の監視下にあってもらうつもりだ。それに…お前の存在は組織に残らない」

 「構いません」

 

 ハクは即答した。

 

 「俺はあなたが必要とすることをやります。あなたを裏切らない、信に足る人間になります」

 

 

 素直に嬉しかったのだろう、とハクは振り替える度に思う。

 卑怯だと言いつつも生きる選択をくれたこと。何より仕事で失敗した場所に偶然ヒュバルが来ることがあるだろうか。自分を助けてくれた恩人に一生をかけて恩を返す。それが、生を得た理由なのではないだろうか。

 そうであれたらいい―ハクはいつしかそう思うようになっていた。

 

 「おーい、兄ちゃん!ちょっくら味見してくれないか?」

 

 厨房の窓からバルトレインが顔を出して言った。

 

 「何の味見です?」

 「ジャムだ。マーマレードなんだが、味がしつこすぎやしないか…ってあれ。兄ちゃんあまり見ない顔だな。ここに配属されて間もない新入りか?事件のあと警備の兵が増えたからなぁ」

 

 ハクは少し戸惑ったが今しがた貰った札をバルトレインに見せた。

 

 「監査役のハク=レイオールといいます。仕事上あまり人目につかないようにしていますが、ここはとても心地よい場所なのでつい…」

 「へぇ、そうかい。今は休憩中ってわけか。さ、ちょっくら食べてみてくれ」

 

 ハクは渡された匙に乗ったジャムを一口、口に入れた。口の中で甘酸っぱさとオレンジの香りが広がる。

 

 「これは普通にクラッカーとかパンに付けても旨いんだけど、酒に入れると最高なんだよ」

 「酒ですか」

 「ハク殿は酒はいけるくちかい?」

 

 実をいうとハクは酒にめっぽう強い。幼い頃から酒が身近にあったせいかは知らないが、酔って翌日苦しんだ試しがない。

 

 「ええ、いくらでも」

 「お、そいつはいいや。最近いい酒を手に入れてさ。それでこいつを作ってたんだ。その酒とこれ、抜群なんだ。よかったら今夜俺の部屋に来ないか」

 

 イスファターナに来て六年。ハクの繋がりの輪もヒュバル同様に広くなっていく。

 あの頃夢見ていた光景が目の前にある。そんな気がする。

 

 「では、俺もおすすめの酒のつまみをもって行きますね。それからその…、これからもここでのんびりさせてもらっていいですか」

 

 バルトレインは「もちろんだ」と笑顔で答える。

 

 「そんでもって、たまに俺の料理の試作の味を見てくれ」

 「はい、喜んで」

 

 

 数日後には御披露目の式典が執り行われる。そしてその数日後には同盟の調印を兼ねてシウォンとリヨルの結婚の儀式が行われる。

 毒殺未遂の犯人は未だ見つかっていない。しかし、宮殿の空気はどこか明るく、華やかであった。

多くの方に読んでいただきありがとうございます。

今回は少しハクの過去について触れました。少しずつ色んな人物の過去を紐解けるといいなと思っています。


次話も少しお待ちいただく予定です。気長にお待ち下さい。

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