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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
四章 愛する者
45/125

深青色はその内に灯をともす

改稿(2021.7.3)


 昼間のリヨルの行動は、すぐに宮殿中に知られることになった。これには貴族達もさすがに驚いたようで、一度は引き上げようとまでした。しかし、そうとはならなかった。

 突如と笛の音が聴こえはじめる。それは決してうまいというものではなく、次第に耳の奥が痛くなってくる。

 

 「皆よいのか。このまま引き上げてしまっても」

 

 ルカーシュ=ルーフェルベクト。変わった東方の異国の服に身を包み、頭には羽の生えた帽子を被る彼はそう言った。

 文官を多く輩出してきたルーフェルベクト家の出身で、昨年亡くなったハディス=ルーフェルベクトは、国内の学問の向上に努めた。

 このルカーシュはそのハディスの孫に当たる。ルーフェルベクト家の人間といってもその教えを学べるのは当主に選ばれた者のみ。ルカーシュはハディスに選ばれ、そのハディスが教えてきた者のなかで一番の秀才だと言われている。しかし、その奇抜な個性に近寄りがたい雰囲気があるのも事実だった。

 

 「皆は忘れているのではないか。これでは一向に我らの話は帝には届かぬだろう」

 「何だと?」

 

 貴族達はミュラーンを睨む。

 

 「王女殿下がイスファターナで生きる覚悟をなされたのと、今回の事件。いったい何の関係がある。ここで引き下がるというのは傍目には意気地無しと見えても仕方ないこと」

 

 ちなみに彼は二十三歳。滅多に人目に出てこないため、若手の貴族達は何者かと首をかしげる。一方で長く宮殿に仕えてきた貴族達は若い彼の言い様に内心腹を立てていたが、『変わり者』というだけに何も言えずにいる。

 

 「ルーフェルベクト。では、そなたはどうしろと?」

 

 貴族の一人が言う。ルカーシュは嘲るようにクスクスと笑った。

 

 「イスファターナにおられると覚悟なされたのなら近衛の審議を拒むことはないと、王女殿下になぜそう言えぬ」

 「!」

 

 貴族達は固まった。ルカーシュに言われるまで気づかなかったのである。

 

 「そなたら、自分の領地や取引をしている商人達がこの同盟によって大きく影響を受けることを危惧しているのだろう。守りたいのなら本気でやらなくては届くものも届かぬぞ」

 

 ルカーシュはそう言って、珍妙な笛を吹きながら去っていった。

 

 「…これでよかったのですか」

 

 ルカーシュは建物の陰に入ると歩き様に言った。

 

 「ええ。それでよい」

 

 そう言った妖艶な唇が小さく笑う。

 イスファターナにまた一嵐がやってこようとしていた。

 

 

 ▽▽▽▽▽

 

 

 「そう。私に近衛の審議を受けろと…」

 

 ルシアからの報告を受けて、リヨルは頷いた。

 

 元々、昼間のあの行動に出てからそうなる可能性もわかっていた。むしろそれを待っていたという方が正しい。

 

 「…ルシア。私、近衛へ行ってきます」

 「リヨル様!」

 

 ルシアと、ちょうど部屋に入ってきたナフカが言った。

 

 「シハル達がどんな目にあっているかと思うと、本当はすぐにでも近衛に向かいたかった。別に私は近衛を恐れている訳じゃない。私が怪しまれているのなら、それを晴らす。彼らが私の何を怪しんでいるのか直接聞いてくる」

 「…」

 

 リヨルの決意は固かった。

 

 「リヨル様はそれを屈辱とは思われないのですか。おそれ多くも御身はソウェスフィリナの第一王女であられるのです」

 

 ルシアが尋ねる。

 リヨルはルシアにとって姉妹のような間柄だった。リヨルの乳母がルシアの母親で、ずっと一緒に育ってきた。乳母であった母親が亡くなったのが十歳の時。本来は宮殿を追われても仕方なかったはずなのにリヨルの母、つまりソウェスフィリナ王妃が、ずっとリヨルの側にいさせてくれた。何がなんでもリヨルを守る。母である乳母が亡くなったあと、後任の侍女は王太后の息のかかった者だった。表向きには静かに、しかしいざとなれば体を張ってリヨルを守る。ソウェスフィリナでもイスファターナでもルシアの覚悟は変わらない。

 

 「…屈辱とは思わない。あなたの言うとおり私はソウェスフィリナ王女。そしてイスファターナの皇太子妃になる者。私に仕える者達を助けずに自分の保身を考える恥の方が私は勝る」

 

 リヨルは笑った。

 

 「ルシア、あなたも堂々としていなさい。このままでは、私は誰からの信頼も得られないまま妃となることになる。それは、お飾りでしかない。自分で信頼を得るしかないのよ」

 「しかし…」


 ナフカはもはや反論の余地はないと思った。それに、間違ったことはリヨルは言っていない。今のまま、審議を受けずにいれば国民に動揺は広がる。延期されたお披露目の時も、国民はリヨルを受け入れないだろう。

 半ば諦めた顔でリヨルを見る。すると、リヨルはそれに気づいたようで美しく笑った。

 

 「ナフカ、殿下を頼みます」

 「…どうか、お気を付けて」

 

 リヨルはルシアにシウォンからもらった首飾りを持ってくるように言った。指にはもちろん、指輪をつけている。

 

 リヨルはシウォンの手を握ると何かを願い、やがて凛とした表情で部屋を出ていった。

 

 しばらくして、ギュンターがリヨルを迎えに来た。

 

 「ナフカがあなたを呼んだの?」

 「はい。しかし、私はそうしたくてここに参りました」

 

 リヨルはギュンターを好意的に見ると、歩き出した。

 

 「…そう。では、参りましょう」

 

 

 

 夕刻、ナフカはじっとシウォンの横にいた。リヨルが昼に出ていってからずっと側にいる。

 シウォンの整った顔は、今はどこか力なく見える。思えば仕えはじめてから互いがいなくなるということを考えたことがない。失うということを考えるとその先残るものはきっと何もない。

 二度と失わないと心に決めた。させてなるものか。

 

 「…いい加減に目を覚ませ。寝坊のしすぎだぞ、シウォン。俺はお前にまだ何も話していないんだ」

 

 ぎゅっとシウォンの手を握る。

 その時だった。

 

 「…」

 

 僅かだがナフカの手が握り返された。

 

 「…シウォン!」

 

 ナフカは叫ぶ。すると、うっすらと目が開く。

 

 「…ナフカ」

 

 そう、小さく開いた口から声が聴こえ、うっすらと目が開く。

 

 「シウォン!待ってろ、すぐに医官を呼んでくる」

 

 ナフカはナチ医官とアイジェスを呼んだ。

 ナチ医官はシウォンの容態を見て、信じられないと目を見張った。

 

 「…ナフカ、これは助かるぞ。脈が前より強く打っている」

 「薬を用意させてきます。本当によかったです」

 

 アイジェスもほっと一息ついた。

 

 「…ナフカ、リヨルは?」

 

 シウォンからすれば当然の質問かもしれないが、その場の人間は固まった。

 

 「…リヨル様は」

 

 ナフカは正直に事の次第を話した。すると、シウォンは体を起こして寝台から降りようとする。

 

 「殿下!」

 

 ナチ医官があわてて支えた。

 

 「殿下、ご無理はいけません。目覚められただけでも奇跡に近いこと」

 「…許せ、ナチ。だが私はリヨルを守る」

 

 シウォンの青い瞳は目覚めたばかりでも力強く光っていた。ナチ医官はシウォンの凄みに説得の余地がないと悟る。シウォンはそのままナフカを見る。

 

 「ナフカ、キシュは?」

 「薬で眠らせてある。あいつは意識はあっても腹痛が酷かった」

 「…そうか。ナフカ、服と剣を持ってこい。近衛に行く」

 「…わかりました」

 

 ナフカは服を持ってきてシウォンを着替えさせた。ナチ医官とアイジェスは月が出ればすぐにでも薬が作れるように準備を整えにかかった。

 

 「…すまなかった、シウォン。リヨル様を止められなかった。あの方はすでに皇太子妃だった」

 「フッ…皇太子妃には逆らえないな。お前にも心配をかけた」

 

 その時だった。

 

 「ナフカ様!失礼してもよろしいですか!」

 

 ナフカはその声に驚く。

 

 「構わぬ、入れ」

 

 シウォンがそれに答えた。

 ドアが開いてそこにはハクの姿があった。

 

 「…皇太子殿下、ナフカ様、礼を逸したことをお許しください」

 

 ハクは深々と礼をした。その服や髪は雨に濡れている。床に滴がポタポタと落ちる。

 

 「何かあったのだろう。話せ」

 「それでは…。毒が混ぜられていた小麦ですが、宮殿に仕入れをしている業者を調べましたところ…殺されていました」

 

 それを聞いてナフカはハクに尋ねる。

 

 「…状態は?」

 「殺されていたのは小麦の仕入れ、販売を生業とする都の店の夫婦。一見は自殺のように思われるかもしれませんが、あれは他殺でした。それとその店の子どもが買い出しに出ていたようで、気絶していたのを知り合いに預けて参りました」

 「そうか」

 「ご報告申し上げようとしましたら、殿下が目覚められ近衛へ向かうという会話が聴こえまして、このような身ながら殿下の御前に現れさせていただきました。申し訳ありません」

 

 ハクがそう言うと、シウォンはクスクスと笑った。

 

 「では、お前がナフカの陰というわけか。やたらと俺にもたらされる情報が早いと思っていたが、お前の仕事が俺を救ってきたのだな」

 「…そんな、滅相もございません」

 「名を教えよ。今後もここに出入りするなら身元は保証できる方が俺もお前も良いだろう。何も俺の元に縛るつもりではない」

 

 ハクはちらりとナフカを見た。

 

 「…ハクと申します」

 「ハクか。今後会えるかは分からないが、あとでナフカに証明書を作らせる。今後は自由にここを出入りしろ」

 「…感謝いたします、殿下」

 

 ナフカはため息をついた。

 

 「ハク、別にお前が申し訳なくする必要はない。今の情報はリヨル様を守ることができる。いい仕事をしてくれた」

 「…はい、ありがとうございます」

 

 シウォンは外套を着込むとナフカに言った。

 

 「行くぞ、ナフカ」

 「はっ」

 

 ナフカに支えられながらシウォンは宮殿前に用意された馬車に乗り込んだ。

 

 

 ▽▽▽▽▽

 

 

 「…王女殿下、審議に応じていただき有難うございます。私、今回の審議の議長を行います、近衛庁第三指令長官ライドと申します」

 

 近衛庁の一室、通称審議の間と呼ばれる部屋に七人の近衛庁長官とリヨルの姿があった。

 近衛庁にはミュンツェルの下に七人の長官がいる。それは近衛庁司令長官であるミュンツェルにすべての権力が向かないようにするためであった。近衛庁は宮殿の警備と皇族の警護を務める場所。重大な判断が一人に寄らないように七人の長官が置かれているのだ。

 なるほど、とリヨルは七人の顔を見て思った。ギュンターともう一人の長官は陰った顔を。その他五人の長官は満足げな顔をしている。一目で近衛庁司令長官であるミュンツェルに賛同の派かそうでないかを見ることができた。つまり、この場に味方はギュンターともう一人の長官、後で名はヤンと知ったがその二人しかいないともわかった。

 

 この部屋に連れてこられる前にシハルやバルトレインと会った。彼らは事情聴取されただけで害を受けてはいなかった。それがわかれば十分だった。

 やるべきことはこの同盟を守ること。すなわちそれはシウォンの願いを守ることである。自分さえ折れなければ同盟は崩れない。

 母であるソウェスフィリナ王妃に手紙を送ったのだって、リヨルが疑われるとわかって同盟の打ちきりをする可能性のある父国王と兄を止めるためである。

 

 「それでは早速審議に入ってよろしいですかな」

 「ええ、構わない」

 

 リヨルは言った。

 

 「今回、皇太子殿下はリドケッシュをお食べになって倒れられた。そのリドケッシュとは王女殿下、あなた様が料理長バルトレインに作らせたというのは間違いないですね?」

 「間違いありません。ソウェスフィリナ料理のなかで私が好きだったものを作ってもらったのです」

 「そのバルトレインに毒物を盛るように命じたりなどはなさっていませんか」

 「していません。リドケッシュは私もいただく予定でした。毒を盛るよう命じていたら私も毒に倒れていたでしょう」

 

 ライドはなるほどと何やらメモに書き加える。

 ここまでのことくらい、すでに知っているだろうに。リヨルはそう思わざるを得なかった。

 

 「ちなみに今回の毒、イスファターナにはない毒だと医庁から聞きました。ソウェスフィリナから持ち込まれたり、発注なさったなどのことはございませんか」

 「しておりません。こちらに来てから香もイスファターナのものを使っております。何なら私の部屋をお探しになりますか」

 

 ライドはいやいやと首を振った。

 

 「王女殿下のお部屋を兵が詮索するなど無作法の極み。それに、毒物を持っていらしたとすればとうに燃やしてしまっているでしょう」

 「…どういう意味です」

 「ライド長官!」

 

 ギュンターが手を挙げる。

 

 「何でしょう、副長官」

 「今の発言はあまりにも無礼。王女殿下は審議を受けられているだけで罪人ではない。審議者が不快に思うような言葉は慎まれたい。言葉を選んで発言することを求める」

 

 するとライドは言った。

 

 「私は一例を論じたまで。それがご不快ととられたならばお詫びを申し上げます」

 

 その言葉はあまりにも宙に浮わついていて、ギュンターもリヨルも不快にならざるを得なかった。そして、ライド含め五人の長官は何も知らぬ顔をしている。

 普通なら不敬にとられてもおかしくないのだ。

 

 「王女殿下、ちなみにもうひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」

 「…何でしょう」

 「王女殿下のお心は昼間の一件で存じ上げております。大切なものを…ましてや髪をお捨てになるはさぞお心が傷つかれたことと思います。ところでですが、イスファターナに入国する際、侍女の大半を置いてこられたとか。何ゆえでございましょう」

 

 リヨルは首をかしげた。

 

 「それは…話さなくてはならないことですか」

 「是非に。実は侍女を置いてこられたのは何か他意があるのではと申す者がおるのです。連れてきたルシアという侍女をこちらで動きやすくするための行動ではと」

 「…つまり、私の侍女ルシアが今回の事件で毒を入手し盛ったと仰りたいのですか。私のことはともかく、侍女達を侮辱するのはいかに私でも我慢ができません」

 

 リヨルは告げた。

 

 「教えて差し上げましょうか、ライド。ソウェスフィリナ王国もこの国同様に決して一枚岩じゃない。私が侍女の大半を置いてきたのは、この同盟を快く思っていない者達をイスファターナに入れては後々面倒があるかもしれないと思ったまでのこと。あなた方はどこまで考えを進ませているかはわかりませんが、それに関しては今回のことに一切の関係はありません」

 

 その時だった。ライドはカン!と木槌を打った。一人の長官が手をあげて発言を求める。

 

 「王女殿下のそれはイスファターナを侮辱なさったと取られかねませんがお言葉を否定なさることはございませんか」

 

 歳を取ったおそらくこの中でも一番近衛庁に長く勤めている長官だろう。彼の言葉にリヨルは尋ねた。

 

 「どういう意味です?」

 「この国は先帝の時に反皇国派が倒れて一つとなりました。ソウェスフィリナの状態は存じませんが、少なくともイスファターナに分裂した勢力は存在しません。王女殿下のそれは、何かを予期して申されたのですか」

 

 リヨルは言葉を一瞬失った。あきれた、という言葉が正しいのか分からないが、問題とされるところはそこではない。リヨルの発言を無視した主張とも取れた。

 この時リヨルとギュンター、ヤンは理解していた。ここにいる五人の長官はリヨルを無傷で返す気はない、と。

 

 「そこまでだ!」

 

 その時、審議の間の扉が開いた。

 

 

 ▽▽▽▽▽

 

 

 「殿下!」

 

 ミュンツェルは近衛庁の玄関に現れたシウォンに驚いた。シウォンは馬車から降りる。本当は立つのでもやっとなのだが、ナフカの支えも拒んだ。

 

 「ミュンツェル、リヨルはどこだ!」

 「審議の間です」

 

 シウォンは顔つきを変えた。急ぎ足で審議の間に向かいながらミュンツェルは言った。

 

 「今回のこと、止められずに申し訳ありませんでした。私の落ち度です」

 「…そこにも非があるが、近衛の制度がこのような裏目に出るとはな。お前だけの責任ではない。各長官の任命はお前に任されているわけではないのだから」

 

 やがて審議の間に着く。シウォンの息は上がっていた。ナフカがシウォンの額の汗を拭う。

 

 「殿下、お辛いのではありませんか」

 

 ナフカが言う。

 

 「よいから早く開けろ!リヨルを…取り戻す!」

 

 シウォンのからだは熱かった。支えているナフカはそれを思わずにはいられない。脂汗を額にかいて、今にも倒れそうである。しかし、シウォンの言葉や思いにはその熱に勝る熱さがあった。誰もが圧倒されるほどの熱をシウォンは全面に纏っているようである。

 ミュンツェルはそうして扉に手をかけた。

 扉が開けられると、シウォンは言った。

 

 「そこまでだ!」

 

 シウォンは審議の間に入ってリヨルの隣に立った。

 

 「…シウォン様」

 

 リヨルはシウォンの姿に涙を流す。目覚めた嬉しさに堪えられなかったのである。

 

 「心配をかけたな。だが、もう大丈夫だ」

 

 シウォンは長官達をじろりと見回した。

 

 「私が目覚めたのが誤算だったような顔をしているが、もっと喜んでくれてよいのだぞ?これでイスファターナも安泰ではないか」

 

 シウォンは愉快そうにクスクスと笑う。

 

 「この審議は中止する。よいな?ライド」

 「しかし…」

 「王女に罪はない。それは少し調べれば出てくることだ。何より私が生きているのだから私が今後は調査する。ミュンツェル、宮殿に出入りしていた小麦の仕入れ業者が殺された。今、都の兵が犯人を探しているが、近衛庁に改めて捜査を一任する」

 「はっ!」

 

 シウォンは息を着くと長官達に言った。向けられたものは皇太子というよりひとりの人間の怒りである。

 

 「私の妻をよくもいたぶってくれたな」

 

 シウォンは中央のライドを睨む。

 

 「毒が入っていたのは小麦だ。小麦に似た毒を仕込まれていた。そしてその小麦を仕入れた業者が殺された。言いたいことはわかるな?」

 「はい」

 「噂や状況だけで疑うのが近衛のやり方か。私のなかでの近衛の信頼は地に落ちたと思え。ついでに私は人の名と顔を覚えるのは得意な方だ。お前達七人くらいは造作もない。意味無くそなたらを罷免しては皇太子の名に傷がつくが、無能なものを罷免することはいくらでもできる。これは脅しではない。そなたらは二度と近衛であることを誇りとするな。近衛官である覚悟だけを持て。それ以外をもはや求めることはない。二度はない。今後は監視下に置かれることも覚悟しておけ」

 

 シウォンはその青き瞳でその場の長官達を圧した。この瞳で見つめられれば言葉を失う。そう噂されるシウォンの瞳はいつにも増して深い青色をしていた。

 

 部屋を出ると、シウォンは膝から崩れ落ちた。

 

 「シウォン様!」

 

 リヨルとナフカが慌てて支える。

 

 「…大丈夫だ」

 「大丈夫ではありません!ミュンツェル殿、医庁へ行き、ナチ医官にすぐにでも宮殿へ来るよう申しつけなさい!」

 「は…はっ!」

 

 ミュンツェルは走って去っていく。

 

 「…ハハッ、ナフカの言っていたことがわかった」

 「お分かりいただけましたか」

 

 ナフカも笑う。

 

 「な、何ですか…その笑いは!今はその様なときでは」

 「ハハッ、私の妻は何と強いことかとな」

 「ええっ?」

 「冗談だ…さて、いよいよ体もしんどい。帰るぞ」

 

 宮殿へ着くと、シウォンはナチ医官の診察を受けて、熱が出ていたので解熱剤を飲んだ。

 その時だった。

 

 「月が…」

 

 アイジェスが言う。

 

 「ナチ医官様、月が出ています!」

 「何?」

 

 アイジェスはテラスに出て、用意していた試験管を月にかざす。薬草の抽出液は緑色からみるみる色を変色させ、やがて深青色となった。

 

 「完成です!」

 

 ナチ医官は薬の香りを嗅ぎながらそれをグラスに注いだ。

 

 「殿下…どうぞ」

 「何とも珍妙な色の薬だな」

 「シウォン様の瞳の色です。とてもきれいですね」

 

 リヨルは笑った。

 シウォンは「そうか」と言いながらごくごくと飲み干す。

 

 飲み終えたシウォンは力尽きたように寝台に横になった。

 

 「あー眠たくなってきた」

 「速効性の薬ですからね」

 

 アイジェスが言う。

 ナフカがナチ医官とアイジェスに目配せした。三人ともそっと部屋を出ていく。

 リヨルはシウォンの手を握った。

 

 「…シウォン様」

 「なんだ?」

 「助けに来てくださってありがとうございました」

 

 シウォンは首を振る。

 

 「そんなに役に立ってない。髪を切らせてしまった」

 

 さらりとシウォンはリヨルの髪に触れる。

 

 「髪はまた伸びます。目覚めてくださったことが何より嬉しいのです」

 

 シウォンはリヨルの胸に輝く首飾りに目をやった。

 

 「それは…」

 「少しでもシヴァ様がシウォン様を守ってくださるかと思って付けていました」

 「そうか、ありがとう」

 

 リヨルは笑った。

 

 「さ、少しお眠りください。お疲れでしょう」

 「そうだな…少し、疲れた」

 

 リヨルはシウォンが横になるのを手伝うと微笑んだ。

 

 「シウォン様が眠られるまでここにおりますよ」

 「…そうか。眠りながらずっと、手を握りながら声をかけていてくれたのはそなただったのか。その声がなかったら目覚めていなかったかもしれない。その声を追いかけているうちに目が覚めたんだ」

 「では、お役に立てたのですね」

 

 シウォンは頷く。そして、握った手に軽くキスをした。

 

 「…シ、シウォン様」

 

 リヨルは顔を真っ赤にする。

 シウォンはリヨルに手を伸ばす。促されるままにリヨルはシウォンに抱きしめられた。

 

 「…温かい。ありがとう、リヨル」

 

 そっと頬にキスされてリヨルは恥ずかしさに悶えた。しかし、そこには恥ずかしさというもの以上の喜びと幸せな時が訪れていた。

 

 

 ▽▽▽▽▽

 

 

 ナフカは部屋から月を眺めていた。昼間の雨からは想像がつかないほどきれいに澄んだ空が広がっている。

 

 「主、失礼しますよ」

 

 ハクがテラスからやって来た。その後ろにはアイジェスがいる。

 

 「お前達は普通にやって来ることができないのか?」

 「主特製スープをいただきに来ました」

 「同じく」

 

 満面の笑みの二人に、ナフカはやれやれと棚から皿を三つ取り出した。

 

 スープを飲みながら三人は月を見る。

 

 「綺麗だな」

 「主には月がお似合いです」

 

 ふとハクが言う。

 

 「俺が?」

 「月のような静かさと美しさを両方持っているではありませんか」

 「なんか、わかるかもしれないな」

 

 アイジェスも賛同する。

 

 「俺はそんな大した人間じゃないよ。月はあの人にこそ相応しかった。俺はそれを追いかけることをやめられないんだ。六年が経った今でもね」

 

 忘れられないあの人の後ろには常に月があった。ただ、あの人の命日には月がなかった。月が見捨てたのだと、ヒュバルであったあの頃は思われてならなかった。だからナフカにとって月は、夜は嫌いなのだ。

 

 皿に残ったら最後の一口を飲み干して、ナフカは心のなかで月に言った。

 

 「…シウォンを助けてくれてありがとう」

連日多くの方にお読みいただき、ありがとうございます。




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