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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
四章 愛する者
44/125

愛するもののために


 翌日になっても、シウォンは意識が戻らなかった。キシュも、意識が戻っただけで腹痛を訴えて食事をとることができないらしい。

 この日一日は、アイジェスが知る限りの薬草を煎じて飲ませるが、シウォンやキシュが良くなる兆候は見られない。むしろ、だんだんと疲労で衰弱していくようである。

 

 「意識の無い殿下の方が重篤なのは間違いないが、キシュの腹痛はおそらく殿下と同じ程度のもの。痛みで気絶することもできないと考えると、眠らせるしかないな」

 

 ナチ医官はキシュを診ていた医官に指示を出した。キシュとて決してよい状態ではないのである。

 

 お披露目の式典は予告通り中止となり、また、毒で倒れたという噂を聞きつけた貴族や役人らが帝に事情を聞こうと集まった。

 

 「シュワーム、あのうるさい連中をどこかにやってくれ。頭が痛くてかなわない」

 「…兵に強制的に退去させるのですか」

 「…」

 

 尋ねておきながら黙した帝にシュワームも同情していた。自分の子どもが危険な状態であるにも関わらず、今回の同盟の件をどうにかしようと各方面に指示を出さなくてはならない。

 (本当はずっと皇太子殿下の側にいたい気持ちのはずだ。亡きシヴァ様の最期を看取れなかったことを思えば。)

 シュワームがそう思っていると、ドアがノックされた。

 

 シュワームが戸を開けると、近衛庁司令長官ことミュンツェルがいた。その表情は実に険しい。

 

 「構わない、入れ」

 

 帝がそう言うので、シュワームはミュンツェルを中に入れた。

 

 「…何事だ」

 

 帝は書面に目を通しながら言う。

 

 「都で国学生達が決起し、城門前で王女殿下の審議を申し出ております」

 

 ミュンツェルがそう言った瞬間、帝の持っていたペン先が折れた。

 国学生というのは、皇立学校を卒業し、なおも国のための研究を続ける者達のことで、過去には帝の政策に抗議をしたりするなど過激派となることもあった。なぜ今動き出したのか、帝は信じられないと言わんばかりにミュンツェルを見つめた。

 

 「なぜ、彼らが皇太子殿下の事を知っていたのか。情報元をただ今調べております。しかし、このまま国学生を放っておいては、民達が動揺するでしょう」

 「望む方法ではないが、国学生を押さえなくてはならないか」

 「…致し方ないかと」

 

 帝はシュワームから新しいペンを受けとるとミュンツェルに国学生を捕らえる命を出した。処罰するわけではないが、一定期間、身柄を拘束するのである。

 ミュンツェルが部屋を出ていくと、帝はシュワームに言った。

 

 「王女はどうしている?」

 「…ナフカの話では一晩中殿下のお側におられたとか」

 「そうか…守ってやらないとな。シュワーム、頭痛薬をもらってきてくれ」

 

 帝はそう言ってまた、書面に目を落とした。

 

 

 

 書面、ではないが大量の本に目を通す人物が同じ宮殿内にいた。

 

 「殿下、少しは休んでください」

 

 先日、晴れて第二皇子リフキア付きの側近となったヨルナが言った。相方のアイゼンは外の警備隊長と話をしている。

 皇太子であるシウォンが毒を盛られたと報せが入ってから、近衛はずっと緊張状態にある。アイゼンもヨルナも皇族警備についてからまだ数えるほどの日数しか経たないうちにこの騒ぎ。通達を受けてからは二人ともどこか忙しなかった。

 そんな中、落ち着いていたのがリフキアである。

 

 「アイゼン、ヨルナ。ここに配属の兵も全員集めろ」

 

 リフキアはそう言って、三交代制で宿舎で休んでいた者も含めて呼び集めた。

 アイゼンの話では、近衛庁は各隊に皇族の警護を強化するよう厳命したという。だが、ここに来て間もない兵も東宮殿にはいるわけで、緊張のあまりちゃんと眠れていない兵さえいるらしい。そんな状態で警護に入ったのでは意味もない。

 

 「来てもらったのは他でもない。今回の皇太子殿下の件で、ここに配属されて間もないそなたらが何や緊張しているのはよく分かる。中には宿舎でもちゃんと眠れていない者もいるらしいな。そもそも宮殿の警護を初めて勤める者もいるだろう。近衛庁から、私を守るよう厳命を受けているだろうが、これだけ覚えておいてほしい」

 

 リフキアは勢揃いする三百五十人の近衛兵に言った。

 

 「いつも通り、基本通りの警備を心がけよ。私は近衛のやり方に何ら唱えるつもりはないが、今のそなたらが私を守れているとは到底思えないのだ。ゆえに、私はそなたらに与えられた時間だけ私を守ることを命じる。一日中、気を張るのではなく、休むときには大いに休むのだ」

 

 リフキアは苦笑した。

 

 「私はつい先日まで、己が役目を果たせない情けない皇子だった。とやかく人の事を言えた身分では無いのだが、私はこの国に生きると決めた。そなたらはそれを見届けてほしい。よって、ここにいる兵の全員にもう一つ覚えてほしいことがある」

 

 兵達がざわつく。アイゼンが咳払いをして静寂を促す。

 

 「私はここにいる兵の皆から信頼を受けられるよう、今後精進する。私の名はリフキア=イスファターナ。皆には私の名を呼んでほしい。私もここにいる兵の名を覚えるつもりだ。この国を守るというその一つが私達の共通点だ。これくらいのことで緊張していては話にならぬ。共に頑張ろうではないか」

 

 兵達ははじめは唖然としていた。

 というのも、皇族が自分の名をただの警備を勤める兵に告げるなどまずあり得ないことだからだ。基本、リフキアのことは殿下と呼び、シウォンのことは皇太子殿下と呼ぶ。それで兵達の中では区別がつくのだ。

 名前は畏れ多いものであり、それを教えられることは名誉と考えられていた。

 

 「我々一同、今後御名の元にこの身の限りお仕え申し上げます!」

 

 一人の部隊長がそう叫ぶと、一同がリフキアに敬礼を向けた。これにはリフキア自身が一番驚いていた。

 それが昨日のこと。

 今日は雨が降っているため、警備はより大変そうであったが、皆、よく勤めてくれていた。

 だから、リフキアは自分も負けていられないと言うのである。

 

 「…もう少ししたらな。今はまだだ」

 

 東宮殿に移ってからというもの、リフキアはソウェスフィリナとの水道橋の建設にかかる日にち、予算、人数等の計算をシウォンに託されていた。また、シウォンが倒れたと聞いてからはシウォンが残していた仕事の書類の確認などを引き受け、最終的に帝に確認をとる段階まで運ぶ役割を担っていた。

 シウォンの仕事に手を出すのは緊張した。シウォンがいつも感じているであろう国への責任を身をもって知ったからである。仕事には時間もかかった。的確な判断力というそれが、どれ程に難しいものなのかを知ってシウォンという兄の存在を改めて尊敬すると同時に誇りに思った。

 すぐには追い付けない。でも、目の前には目標となってくれる存在がいる。今までその環境を手放していたが、なんと勿体ないことだったんだろうか。

 

 「そう言われてからすでに三日も徹夜なさっておいでではありませんか」

 

 ヨルナは言う。

 

 「それに、皇太子殿下の元へは本当に向かわれなくてよろしいのですか」

 「…よい。必ず兄上は目を覚まされる。私はやるべき事を成す」

 

 リフキアは再び水道橋の図面を見始めた。

 ヨルナは心配はしていたが、何となくこの一人の皇子の努力を微笑ましく思っていた。自分のこれまでに似ているからだろうか。男衆団にも負けない武術を磨きあげるために努力してきた日々。対して次期帝と期待が高い兄を持ち、かつ自分の過去と立ち向かうリフキア。

 努力をする人は好きだ。この人は、自分と闘っているのだろう。才能に限界があることを知りながらも自分にできることは必ずあると、そう思っているだろう。

 

 「わかりました。では、何かご所望のお飲み物でもご用意します」

 「…紅茶」

 「わかりました。しばしお待ちを」

 

 ヨルナはにこりと笑った。リフキアはそれを見て思わずドキッとした。

 

 「…あのように笑うのか」

 

 そう呟いた瞬間、扉がノックされ、再びリフキアは驚いた。

 

 「なんだ?」

 

 すると、アイゼンがあわてて言った。

 

 「皇妃様がいらっしゃいます」

 「母上が?」

 

 すると、薄紫のドレスに身を包んだ妖艶な美しさの皇妃シシルが部屋に入ってきた。

 

 「これは母上。わざわざのお越し、何かございましたか」

 「いいえ、あなたの住まいを見ておきたいと思ったまでです。それと、あなたにお話が」

 「話ですか」

 

 リフキアはシシルの分まで紅茶を頼むと、執務席の前のソファに腰かけた。

 

 「お話とは何でしょう、母上」

 「単刀直入に申せば、あなたの縁談です」

 「縁談ですか、母上」

 

 リフキアは目を丸くした。

 

 「いや…それは母上、今は兄上と王女殿下の婚儀が間近にあるのです。私がそのような話を今お受けするわけにはいきませんでしょう」

 「その婚儀も今となってはどうなるかわからぬでしょう。王女殿下は恐ろしいことに皇太子殿下を亡き者にしようと謀られたというではありませんか」

 「母上!それは違います。噂に惑わされないでください」

 

 リフキアは思わず大きな声をあげていた。

 

 「…そなたは王女に肩入れでもしているのですか」

 

 シシルはリフキアが叫んだことに目を丸くする。対してリフキアはシシルがリヨルに対して肩入れと口にしたことに驚いていた。ともかくリフキアはこの時、何かを答えなくてはと言葉を紡ぐ。

 

 「いえ、ただ私はあの方をお迎えした際、ご挨拶申し上げました。王族としての誇り高い凛としたお方です。それに、兄上も信頼されているようでした。そのようなお方が毒を盛るとは到底信じられないのです」

 

 皇妃はため息をついて出された紅茶を口にする。

 

 「とはいえ、これはあなたにとっても悪くない話です。相手はダナフォート家の娘です」

 「ダナフォート家ですか」

 

 ダナフォート家はカトレシア家と匹敵する名門貴族であった。

 

 「そうです。当主のオルモンド殿には話をしてありますから、考えておきなさい」

 

 皇妃が去って、机に置かれたダナフォート家の娘の資料をちらりと見る。

 

 (なぜ、今この様なものを…)

 

 妃を持つにはあと一、二年は歳がほしいところだ。そんなことよりも、なぜこのタイミングでこの話が進んでいるのか。それをリフキアが知るのはもう少しあとのことだった。

 

 

 ▽▽▽▽▽

 

 

 一方、皇太子宮殿で薬剤の調合を進めるアイジェスは、厨房に来ていた。

 毒の入っていたと思われるリドケッシュ。厨房はナフカの指示で事件発生時のままにしてあるということだったので、まだ毒物が残っているのではないかと考えたのである。

 冷蔵庫の中身を見て、リドケッシュの餡に使われた材料を確認するが、どれも異常がない。すると、アイジェスは冷蔵庫の横に置かれていた粉に目をやった。おそらくは小麦粉で、リドケッシュの皮に使われていたはずである。アイジェスはそれを一すくいして仰天した。所々に黒い斑点があるのである。慌ててアイジェスはナフカと料理長のバルトレインを呼んだ。

 

 「毒の正体がこんなに簡単に見つかるとは思いませんでした」

 

 アイジェスはそう言って小麦粉の入った大袋を見せる。一番驚いていたのはバルトレインだった。

 

 「なんだ、この黒い粉は!これを作った日にはこんなものはなかったぞ!それに、毒が入っていたと告げられたときも、俺は全部の食材を調べたんだ!それがこんな…」

 

 訳がわからぬとバルトレインが悩ませていると、ナフカはアイジェスに尋ねた。

 

 「正体がわかったのか」

 「たぶん…。オドリソウです」

 「オドリソウだって!」

 

 悩ませていたバルトレインが仰天する。ナフカがアイジェスに説明しろと視線を送る。

 

 「…寒い地域で生息する麦に似た植物です。生で食べたりする分には一向に構わないのですが、このオドリソウにはやってはいけない禁忌の調理方法があるんです。そうですよね、バルトレインさん」

 

 バルトレインは頷いた。

 

 「火にかけること。焼く、蒸す、揚げたり、一番危険なのは乾燥させたらいけない。生ではうまい植物だが猛毒に身を変える。ソウェスフィリナ国境で料理を習ったとき、うっかりこれをやってしまった村人が亡くなった。オドリソウはフスキソウという山菜とも似ているから…」

 「オドリソウは挽けばその粒は小麦粉ほど細かくなります。気づかなかったのも無理がないこと。しかし、イスファターナの温かさに小麦より早く痛んでしまったのでしょう。これが、もう少し暑くなればイスファターナでも、小麦の保管は冷蔵庫だったかもしれません」

 「そろそろ入れ頃だとは思っていたが」

 「今回はそうしなくて正解だったわけです。そうであればオドリソウの正体にはたどりつけなかったかもしれません。それほどに似かよっているので」

 

 ナフカはアイジェスに言った。

 

 「…それで、治せるのか」

 「ナフカ様。今夜は月が現れるでしょうか」

 

 月と言われてナフカは首をかしげる。

 

 「いや、この雨だ。明日は晴れると聞いているが、今夜いっぱいは雨が降る」

 「オドリソウの解毒薬はナフカ様が用意された薬で作れます。しかし、その薬効を高めるために月光が必要なんです」

 「月光が?」

 

 アイジェスはさらに続けた。

 

 「月光によって薬の効果が何倍にも上がる植物があるのです。皇太子殿下の体力もいよいよ限界が近づいています。今夜、明日が峠でしょう。ゆえに、何としても月の光がなくてはなりません」

 

 ナフカは厨房を飛び出して外に出た。厚い雲が空を覆い、雨が叩きつけるように降っている。とても今すぐには止みそうにない。

 ナフカは柱に怒りを打ち付けた。

 

 「聞いたぞ、ナフカ」

 

 ナフカの後ろにはナチ医官がいた。どうやら、厨房での会話を聞かれていたらしい。その後ろにはアイジェスとバルトレインがいた。

 

 「私は今から帝にこの事をお伝えしてくる。おそらくは宮の殿が動くだろう」

 

 おそらく宮の殿は月が姿を現すための祈祷を始めるだろう。しかし、そんなものが宛になるとはナフカは思っていない。歯軋りをするナフカの肩にナチ医官は手を置いた。

 

 「ナフカ、お前も私も実力や身に付けたものを信じる性分だから、この状況がもはやどうにもならないとはわかっているだろう。神に祈ったところで雨が止むなどとは私も思えん。だが、信じないことには奇跡も起きないのだ。殿下のお力と奇跡を願おうではないか」

 「…はい、そうですね。私としたことが何に絶望していたのか」

 

 ナチ医官はホホッと笑った。

 

 「刺激を殿下に与えて差し上げるのだ、ナフカ。意識が戻ればまだ見込みもある。何も月だけに殿下のお命を任せることもないのだ」

 「刺激とは…」

 「五感、はわかるか?」

 

 ナフカは頷いた。

 

 「視覚や味覚は難しいが、触覚、聴覚、嗅覚は与えられるだろう。まあ、やれるだけ刺激を与えるのだ。意識が戻られることもある」

 

 ナフカはすぐにシウォンの部屋に向かった。リヨルが何事かと目を見張る。

 

 「リヨル様、シウォン様に刺激を与えましょう」

 「刺激?」

 「ええ。触覚、聴覚、嗅覚など、殿下の負担にならない程度に与えると、意識を戻されることもあるとか」

 

 ナフカがそう言うと、リヨルはシウォンの手をとって揉み始めた。

 

 「ナフカ、昼食はここで食べます。あなたもここで取るのです」

 「嗅覚、ですか」

 「…まさか、殿下に異臭を嗅がせるわけにはいきませんからね」

 

 リヨルが笑ったその時だった。

 

 「リヨル様!!」

 

 叫び声が聴こえる。

 リヨルとナフカは慌てて外に出ると、シハルやバルトレイン達、皇太子妃宮殿に仕える者達が近衛の手に捕らわれていた。

 

 「これは何の真似ですか」

 

 リヨルは兵に言った。

 

 「今回のことについて皇太子妃宮殿に仕えている者達に事情を聞くだけです」

 「私もこの者達も皆、何も知らないのですよ」

 「それは、我々が判断をすること。では、失礼致します」

 

 近衛兵達はシハル達を連れ去っていった。

 

 「…ナフカ」

 

 リヨルは、悔しそうな表情を全面にしていた。

 

 「今はお気を確かに。シハル達は必ず無事です。ただの調査に近衛も無体なことはしません。原因の毒物は見つかりました。すぐにその所在を探ります」

 

 リヨルはナフカの手をぎゅっと握りしめた。そこに込められた力は、とても強かった。

 

 ナフカはルシアにリヨルを任せて、自室に戻った。すると、急に雨の音が大きく聞こえ始めた。振り替えると閉めていたはずのテラスのドアが開く。

 

 「主、今戻りました」

 

 雨に濡れて垂れた髪をかきあげて、ハクが言った。

 

 「何やら大変そうですね。俺の出番じゃないですか?」

 

 眼帯が濡れてしまったとため息をつくハクにナフカは抱きついた。

 

 「本当に、お前は最高だよ」

 「主、お召し物が濡れますよ。それに…そんなに素直に誉められると、なんか怖いです」

 「いいところに帰ってきてくれた。事情は知っているんだろ?オドリソウを誰が小麦に混ぜたのか調べてほしい」

 

 ハクは苦笑する。

 

 「帰って来て早々にすごい任務を任せますねえ、主」

 「何日でできる?」

 

 問答無用のナフカにハクは仕方無しとみて答える。

 

 「一日あればやって見せますよ?運良く都には姉さんもいますしね」

 「会ったのか」

 「…捕まりました」

 

 何か壮絶な体験をしたかのようにハクは言う。ハクはセシルに気に入られていたから何となくの想像がつく。心の中でお疲れ、と唱えるとナフカは言った。

 

 「頼んだぞ、ハク」

 

 ナフカはハクにタオルを渡す。

 

 「お任せください。任務を終えたら主特製スープを待ってます」

 「わかった。久々に作るよ。今回の報告はその時に聞く」

 「では!」

 

 ハクはすぐに飛び去っていった。

 

 それから、リヨルはシウォンに必死に刺激を与え続けた。手をさすり続ける、その胸の中にはシウォンへの思いが半分、自分の代わりとなって捕らえられたシハル達の事を考えていた。

 

 「…本当は今すぐにでもシハル達を助けにいきたい。私が無実であることを私が証明したい。私のために誰かが傷つくようではいけないのです。ですが…それは殿下の道を阻むことになりかねません。私はあなたを応援したい。私はイスファターナの人間として一生を生きます」

 

 すると、ルシアが部屋にやって来た。リヨルはルシアに帝の宮殿に行かせていたのである。

 

 「ルシア、帝の宮殿に押し寄せていた貴族達は何と?」

 「…それは」

 「よいから、申しなさい」

 

 ルシアは躊躇いながら言った。

 

 「恐れながら…。リヨル様はソウェスフィリナ、つまり太陽の国の人間であり、月の加護を受けるこの国には認められない。ゆえに、シウォン殿下は目覚められない…と」

 「私がいるせいで…と、そう申しているのですか」

 「…はい」

 

 何と愚かなことだろうかと、リヨルは思った。

 そう訴えた貴族達は国の違い、思想の違いが、人の命を左右できると本当に思っているのだろうか。いいや、思ってはいないはずだ。この同盟を破棄すること、そこに利があると考える者達はきっと手段を選ぶつもりは全く無いのだろう。

 毒で倒れるのはシウォンでもリヨルでもよかった。同盟賛成派の人間が一人でも倒れればこの同盟は崩れる。そう思った瞬間、リヨルは沸々と怒りがこみ上げてきた。

 

 その時、リヨルの頭にある方策がよぎった。

 リヨルはシウォンにもらった指輪を眺めて立ち上がると、ルシアを呼んだ。

 

 

 ▽▽▽▽▽

 

 

 「ナ、ナフカ様」

 

 近衛兵がナフカのもとに血相を変えてやってくる。

 

 「何事だ」

 「そ、それが王女殿下が中庭で…」

 

 ナフカは話を聞くとその兵を押し退けて中庭へと向かった。

 そこには雨の中、イスファターナの伝統的な正装である青く銀の刺繍が入ったドレスを身に付けるリヨルの姿があった。そして、ソウェスフィリナから持ってきた道具を全て火にかけている。

 

 「リヨル様!」

 

 ナフカが火の中に道具を投下するルシアの手を掴む。

 

 「ナフカ、離れて見ていなさい。この雨です。火事にはなりません」

 

 その圧には誰も抵抗できなかった。ナフカや近衛兵達は呆然とその姿を見ていることしかできなかった。

 

 「王女殿下!」

 

 そこにリフキアもやって来る。

 

 「煙が上がっていると来てみればこれは…。ナフカ!」

 

 リフキアは説明しろとナフカに返事を求める。

 

 「皇子殿下。ナフカに非はありません。そこでご覧になっていてください」

 「何を…」

 

 リフキアはリヨルが手にした壺を横取る。

 

 「お離しください、殿下」

 「離しません。これはあなたの国から持ってこられた大切なものでしょう」

 

 しかし、リヨルはリフキアから強引に壺を奪うと、それを火に投じた。そして、リフキアから離れたリヨルは最後に残ったソウェスフィリナで母に託された懐剣を手にした。

 

 『女は覚悟を決めたらその道を進むのみ』

 

 ふと、剣身を見つめるとリヨルの頭に母の教えが甦る。微かに笑ったリヨルはその手を首もとに近づける。

 

 「リヨル様!」

 

 近くにいたルシアもその行動に驚いて慌ててリヨルに手を伸ばす。

 

 「ルシア、止めろ!」

 

 ナフカとリフキアが叫ぶ。しかし、ルシアは間に合わなかった。

 

 

 ―――ザシュッ

 

 

 地面にハラハラと金色の髪が散っていった。その場の時が止まり、リフキア、ルシア、ナフカの耳に唯一雨の音だけが聴こえてくる。

 髪を切ることはイスファターナでは改心の表現として用いられていた。しかし、それは決して良い意味には捉えられていなかった。ましてや女性のその行動は『髪は女の命』とイスファターナの女性が髪を伸ばす風習からかけ離れてもいた。しかし、この場でリヨルはそれをやった。

 リヨルは最後となった懐剣まで火に投じると言った。

 

 「私はイスファターナで生きるためにここに来ました。私の神はこれより月の神。私はシウォン様の妻であり、イスファターナ皇国は私の国なのです。これは…私の覚悟です」

 

 リフキアもナフカも、そこに集まっていた者達も、リヨルの言葉に気づかされたのであった。目の前にいるのはソウェスフィリナの王女ではない。すでに、イスファターナ皇太子妃なのだと。

 後にリヨルのこの行動は、彼女がルシアに届けさせた文の内容と共にイスファターナ全土に知られることになる。そしてリヨル自身その言葉通り、イスファターナの人間としてその一生を生きていくのであった。

 すべては愛するものを守るために。

 

 

 ▽▽▽▽▽リヨルの手紙▽▽▽▽▽

 

 ソウェスフィリナ王妃 ウィリン=ドルテノーラ=ソウェスフィリナ様へ

 

 ソウェスフィリナを旅立ちまして数日。時おり思い出される故郷の景色が懐かしく感じられます。両陛下並びに王太后様、レイヴィス兄上はお元気でございますでしょうか。

 こちらでの日々はとても楽しく、シウォン殿下にも良くしていただいています。私はイスファターナに来てよかったと思っています。同盟国の皇子というだけでなく、人として私はシウォン殿下をお慕い申し上げています。

 この度手紙を差し上げたのは、私の覚悟をお知らせするためです。

 私はイスファターナの人間として生きて参ります。もう、ソウェスフィリナの土をソウェスフィリナの人間として踏むことはございません。太陽の神シュテプと両陛下のもとにこれまで生かせて下さったことに感謝を申し上げます。これよりはイスファターナにて月の神ルサクのもと生きていきます。

 この覚悟をお知らせしたかったのです。

 女の道は一度決めたら揺るがしてはならぬとの教えを、私は果たします。

 これまで育ててくださったこと、そして素敵なお方にお会いさせてくださったことを感謝申し上げます。

 

 イスファターナ皇国皇太子妃宮殿 リヨル=ソウェスフィリナ

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