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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
四章 愛する者
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思い


 ナフカの心の中の焦りを映し出したかのように、部屋に差し込む日没の太陽の光は、赤々と空を染め上げていた。窓を開けると、すぐそこには真っ暗な闇が近づいていて、まるで海の波のようにゆっくりと赤い空を漆黒に塗り替えていく。ナフカを焦りをそのゆっくりとした波が拐い、、過去の記憶の渦に引き込まれ、渦の流れに逆らおうとするとそれを許さぬようにまた、焦りが波によって伝えられた。

 ナフカは自室の窓を閉めると深く息をついた。顔には汗が滲んでいる。

 ヒガタにセシル達を探しに行ってもらっている間、ナフカは都中を駆け回ってあらゆる薬草を手に入れた。宮殿の薬草園じゃ手に入らない異国の薬草を山のように持って帰ってくると、ハサキはビックリしていた。

 事情を知ったハサキは薬草を種類ごとに袋分けして、ナフカに冷たいレモン水をくれた。

 

 「…大丈夫。あなたがこんなに頑張ったのですもの。きっと目的の薬が出来るわ」

 

 ハサキはそう言ってくれたが、ナフカの中での焦りは消えてはいなかった。一刻も早くアイジェスに会いたい。

 

 それからどれくらい経ったのか、ハサキがナフカを呼んだ。

 部屋から出てくると、セシルとアイジェス、息を切らしたヒガタの姿があった。

 

 「ナフカ様、お呼びとあり参上いたしました」

 

 セシルとアイジェスは頭を下げた。

 アイジェスはナフカより二つ歳上になる。飛燕の頃は薬を要する案件で青蘭であったジュランにも一目置かれていた人物だ。

 

 「今は姉さんのところで医師紛いのことをしながら、薬師の資格を取ろうと勉強中なんです」

 「では、あの頃より薬草には詳しいか?」

 「まあ、勉強はしましたが」

 

 ナフカはアイジェスの肩をぎゅっと掴んだ。

 

 「すぐに宮殿に来てほしい。わけは…話す」

 

 ナフカの真剣な表情に圧されながらもアイジェスは頷いた。

 

 「…わかりました。すぐに向かいましょう」

 

 ナフカは二人をつれて皇太子宮殿に向かった。皇太子宮殿はあわただしく医官達が行き来している。中に入ると、ナフカを真っ先に見つけたのはシハルだった。

 

 「ナフカ!」

 「シハル!今戻った。状況は?」

 「まだ、殿下は意識が戻らない。キシュがさっき意識が戻って…腹痛に苦しんでる。それから、シュワーム様がさっきいらっしゃって、あなたを探してたわ」

 「わかった」

 

 ナフカはアイジェスに言った。

 

 「アイジェス、ここに来るまでに言った通りだ。俺のお仕えする方が毒で苦しまれている。どうもこの国の毒じゃないらしいんだ。お前の力を貸してほしい」

 「この国の医官がわからない毒ですか。とはいえ、見ず知らずの私が入っても大丈夫ですか」

 「そこは…俺が何とかする」

 

 ナフカはシウォンのいる部屋に入っていく。

 

 「医官殿!」

 

 ナフカが言うと、髭をたくわえた男が振り返った。

 

 「ナチ医官殿、少しでよいのでこの者に殿下を診せることを許していただきたい」

 

 ナチ医官はじろりとアイジェスを見る。

 

 「…この者は?」

 「私と一緒に帝国で暮らしていた者で、薬草に明るい。異国の毒かもしれないのなら、診せてみる価値はあると思います」

 

 ナチはアイジェスを再びじろりと見て言った。

 

 「初発症状は嘔吐と腹痛、時間が経過して嘔吐は収まったが発熱と腹痛で苦しまれ、今は意識を失われている」

 「…そこにあるのはロドフ草と、カドリシスですね。腹痛に苦しまれていることから毒を絞るべきでしょうか。医官様、この薬草を」

 

 アイジェスは薬草を渡した。

 

 「…これは?」

 「おそらくはイスファターナの薬剤庫には無い薬草ではないかと思われます。ルドリアナという高地で生息する花ですが、その花には毒があり、腹痛を起こして、回復してもしばらくは食事の度に腹痛に苦しみます。しかし、その根には解毒の作用があります」

 

 アイジェスはさらに続ける。

 

 「これは薬効が少量でも強く、しかし発熱時には半減します。煎じあがるまでの間、このお方には解熱の薬をお出しになられる方がよいかと」

 

 ナチはそれを聞いてからもしばらく考え込んでいた。医官でない人間を起用してもし、皇太子を死なせたら、命を差し出しても償えるものではなかった。

 

 「ナチ医官、私が彼を起用する命を出す。それでよい」

 

 その声に誰もが驚いた。セシルやアイジェスは回りの空気に圧されて頭を下げる。そこにいたのは他の誰でもない、この国の唯一無二の存在である帝だった。

 

 「…はっ。承知いたしました」

 

 ナチ医官は答える。

 

 「名を教えてくれないか、片眼の若者よ」

 「…はい、アイジェスと申します」

 「アイジェスか、覚えたぞ。そこにいるは亡き皇妃の残していった一人息子。そなたの最善を信じている」

 

 帝はそう言って去っていった。

 その場に残ったのはシュワームである。シュワームはナフカを呼んだ。あとのことをナチとアイジェスに託して、ナフカはシュワームの元へ向かった。

 

 シュワームは宮殿の裏にやって来た。宮殿を出てからシュワームは一言も声を発していない。

 

 「…シュワーム様」

 

 ナフカがそう言った時だった。ナフカの腹に鈍痛が沸き起こった。シュワームの右手が埋まっている。

 

 「…っ」

 

 ナフカは少しよろけて、しかしすぐに体勢を整えた。

 

 「避けなかったか。お前なら避けられらはずだが」

 

 シュワームは鋭い眼光をナフカに浴びせる。

 

 「…その拳を受けるだけの過ちを私は犯しました」

 「わかってはいるのだな」 

 「はい」

 「よいか、我々がお仕えするのはこの国の未来を作るお方だ。それを阻もうとする魔の手は、芽吹いた瞬間に摘み取る。目星はあるのか?」

 

 ナフカは頷いた。

 

 「では、なぜ動かない。お前の決断が今回の事を招いたのだぞ」

 「相手が大きすぎました。探りを入れるのにも慎重にならざるを得なかったのです。それが、言い訳になるとは思っておりませんが」

 

 ナフカがそう言うと、シュワームは眉を潜めた。そして何かを感じ取ったのか、にわかに信じられないという表情を残している。

 

 「…大きすぎる相手とは、殿下より上位のお方か」

 

 皇太子であるシウォンより上位の人間は帝以外にたった一人。この国の皇妃である。

 

 「おそらくは。これを…」

 

 ナフカは自らの袖をたくしし上げ、まだ赤さを残す矢傷を見せた。

 

 「タンベルクで王女殿下をお迎えした際に、放たれた矢によって負傷しました。偶然にもあのセシルが弓者を捕らえ、吐かせたところ、関係が発覚しました。しかしその時、皇太子殿下は皇妃の位とリフキア殿下の事を思われて、黙認されたのです」

 「今回のことと繋がりは見えたのか?」

 「…証拠はまだですが、都の薬剤が異常な高値で売られていました。商人達を裏で操れるほどの力を持つ者は、今のこの国には片手で余るほどの貴族しかおりません」

 

 シュワームは言った。

 

 「殿下は毒を服されたとき、事を荒立てぬようされたとシハルから聞いたが、なぜすぐに近衛がやって来た?」

 「まさに、外部の人間が意図していたとしか考えられません」

 「…わかった。ナフカ、必ず両殿下をお救いしろ。おそらくは、もうすぐ花の殿から式典の延期を告げられるだろう」

 「はい。必ずや」

 

 式典の延期は、本来は避けたいところだった。国民への初のお披露目の式典を延期するとなれば、事実無根な噂を広げられることもあり得る上に、何より印象が悪い。だが、未だにシウォンが目覚めぬとなれば、受け入れざるを得なかった。

 ナフカはシュワームと別れると自分の頬を打った。自分への戒めのために。

 

 すると、背後に何やら気配を感じてナフカは振り返った。

 

 「お見事、ナフカ様」

 「…セシルか」

 

 セシルの表情からして、これまでの一部始終を見ていたのだろう。

 

 「このままどうするおつもりですか」

 「…どうもできない」

 「明日行われるはずの式典、延期になることはわかりきっていますが、それだけでは済みますまい」

 「…というと?」

 

 セシルはナフカに説いた。まるで戦争の戦術家のように。

 

 「国民の心はこれから大きく変化するかもしれない生活に、期待と同じくらいの不安を持っていることでしょう。明日のお披露目の式典は、国民が期待できるかを知る、いわば機会だったわけです。しかし、それが延期されれば何かあったのかと思考を巡らせます。そして、そこに魔の手が降りかけられれば国民の矛先は、一気に王女殿下へ向けられる。その魔の手はすでに伸ばされているやもしれませんね。あなた様が薬を買った商人が操り人形だったとすればですが」

 「…一刻も早く目覚めていただかなくてはな」

 

 ナフカは言った。

 

 「ナフカ様、実は私達は都での講演を検討してやって来ました。ゆえに、私は一度戻らなくてはなりません。まだ、数日は都におります。仲間達にできるだけの都の情報を探らせておきましょう。何かあればすぐにお知らせします。アイジェスはここに留め置きますから」

 「わかった。すまなかったな、無理を言った」

 「いいえ…それよりも」

 

 セシルはナフカの手を取った。シウォンと同じ青い瞳がまっすぐにナフカを見つめている。

 

 「皇太子殿下はあのお方とは違う。必ず目を覚まされる。もう一人の武官の方もだ。だから、自分にできる最大の事を尽くす。わかったね?」

 

 ナフカは笑った。

 

 「やはり、セシルは姉でいてくれる方が私は嬉しい」

 「…そんなにお気に召したならそうしてあげようか」

 「えっ…」

 

 セシルは照れくさそうに鼻の下をさする。

 

 「いやぁ…ね、久しぶりに再会してあんたはあんたの生活とそれに付属する立場がある。もう、姉としての私は必要ないと思ったんだよ。大切に思える存在がいて、生きる場所も持っている。これ以上、姉として手を出すのはかえって迷惑だとね」

 「…私はそんなにできた人間じゃない」

 

 セシルは首を振る。

 

 「血に濡れたことのある人間は、一生その影を背負う。わかる奴にはその判断ができる。組織という生活から足を洗った後、それを糧に生きられなかった奴もいる。下っ派の奴より幹部になればなるほどそうだった。私はそいつらを引き取って一座を立てたんだ。あんたが宮殿に仕えていることは知っていたが、苦しんでいるなら私が引き取ろうかとも思っていた。その心配はなかったけどね」

 

 セシルは昔から組織の派閥を越えて慕われていた。組織を離れて生活に馴染めなかった人間がセシルを頼ってきたのを、セシルも見過ごせなかったのだろう。

 

 「あんたが、姉として接する方がいいならそうするよ?いつでも頼っていいんだからね、ナフカ」

 「ああ…ありがとう」

 

 セシルはしばらくして都に戻っていった。

 宮殿に戻るとリヨルがナフカを見つけて、やって来た。 

 

 「ナフカ殿…、あの薬師ですか。探していたというのは」

 「はい。薬草に詳しく、昔はよく助けられました。彼にわかる草ならよいのですが」

 「…ナフカ殿。私を今夜こちらに置かせてもらえませんか。できれば、シウォン様のお側に」

 

 リヨルの表情からそのシウォンへの思いが見えた。

 

 「わかりました。大切な方のお側をよろしくお願いします」

 

 ナフカがそう言うと、リヨルは顔を真っ赤にして顔を伏せる。

 

 「…し、失礼ですよ。ナフカ殿ともあろう方が」

 「はい、失礼を申しました。それから私のことはナフカで結構です。それでは、失礼を」

 

 ナフカはリヨルの前から去った。

 

 結局、アイジェスが用いた薬草ではシウォンは状態の改善が見られなかった。複数の薬を一度に投与するのは危険なため、アイジェスは翌日に手を回すしかないと、ナチ医官と話し合った。

 苦しそうに眉に力をこめるシウォンにリヨルは一晩中付き添った。

 

 「そちらの世界には何もありません。早く…戻ってきてください」

 

 しかしリヨルの思いに反して、世の中の風当たりは一層強く激しいものとなるのであった。

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