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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
四章 愛する者
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リフキアの進む道


 東の宮殿に移る当日、リフキアは皇妃宮殿にあるこれまで住んでいた部屋で、ナフカにもらった清掃着を着て掃除をしていた。残されたものは家具と寝台だけで、必要なものはすでに昨日のうちに東の宮殿に移されていた。

 

 「爺殿、手伝いに来てくれてありがとう」

 

 別に手伝いに来たわけではない。爺は仕事の一環でここに来たのだが、来てみればすでにリフキアが掃除をはじめていたのである。

 

 「変わったお方ですな、あなた様も」

 

 苦笑しながら爺は言った。

 

 「そうだろうか。そなたに掃除を習ってからはしていない方が落ち着かないのだ。これまで自分が世話になった部屋だ。綺麗にしてから出るのは礼儀だと学んだ。それに、気持ちがよいではないか」

 

 リフキアはそう言って布巾を濡らして絞る。一連の作業はもはや初めの頃のあどけなさはない。

 しかし、リフキアの返事は爺としては少し躊躇うものでもあった。どうしようと皇子であることは変わらない。リフキア自身の威厳が、本来下位の人間がする掃除などで傷つきはしないか、と思ったのである。

 だが、てきぱきと掃除をこなしていく様を見て、次第にそれが無用の考えであるようにも思えてきた。

 この皇子のなかには、おそらく明確な身分の線引きは無いのだろう。知らないのではなく、その身分がある意味も理解した上で、それを越えて人と関わろうとする。だからこそ、かつて側近を失ったときの悲しみは大きかったのだろう。その心を閉ざしてしまうほどに。

 

 「殿下、立場というものはいついかなる時も留め置かれてください。私が申すのも失礼かと思いますが、そのお立場でできることは掃除の中で気づけることよりも大きいことには間違いありません。物事の方向を多方面から見ていかなくてはならないかと」

 

 爺は言うべきか迷った末に言うことにした。皇子として先の展望を望むリフキアだからこそ、その道を狭めさせてはいけないと思うのである。

 リフキアはそれを素直に受け止めた。

 

 「わかっているつもりだよ。掃除も一つの気付きであるとわかっている。同時に皇子たるものの視線は広くあらねばならないということも。そなたからは新しいものの見方を学ばせてもらったな」

 

 リフキアは作業の手を止めて言う。

 

 「爺、そなたなら知っているだろう。私がこれまでどのように生活し、どのように生きてきたのか。兄上の背中を追う…いや、眺めるだけだった。私はこの数年を一生後悔すると思う。兄上を見ていて思う。兄上は広くそして、深いのだ」

 

 リフキアは羨ましげに表情を緩ませた。

 

 「その視線は常に遠く、そして目の前のことについては深いところまで考えておられる。そなたの仕事を悪く言うように聞こえたら謝る。だが、兄上は私が掃除をしなければ気付けなかったことに気付けるのだ。一言にこれを才能の差と言うのは、何だか悔しいと思わないか?」


 確かにシウォンには超越した何かが見えているように思われる節がある。もしかすればシウォンは、そう思われるのを不本意と取るかもしれない。シウォンの国への思いは強く、そこへの努力を怠ることはない。天賦の才とそれをまとめられては、そこにかける年月をあまりに軽く述べるような気がする。

 だから、爺はリフキアの言葉が嬉しく思われた。『悔しい』というその一言が、宮殿で知られる噂でのリフキアとは全く違う人物であることを彷彿とさせたように思えたのである。

 

 「そのお気持ちは忘れてはなりませんな。年長の身で言わせていただきますと、悔しいことを知る人間は強いのでございます」

 「そうか」

 

 爺は咳払いをひとつする。

 

 「あまり誉めると若い者は自惚うぬぼれると言いますからな。これくらいにしておきましょう。ですが、わしは今、何だかあなたの言葉がじんわりと心に染みておるのです」

 

 リフキアは少し照れつつも、爺の言葉に背を押されたように感じていた。

 

 「昼過ぎにはここに私の新しい側近達がやって来る。だけど、やはりどこか不安だな」

 

 リフキアはそう言いながら本棚を拭き始める。爺は机を拭きながら話を聞いていた。

 

 「わしはここで働きはじめてもう五十年を迎えます。先々帝の頃からここで働き、多くの人がこの国に携わる姿を目にしてきました。その姿は実に多様。どれが正しいのかは、未来の物書きがとやかく申すことです。生まれもった才を国のために生かし、英雄と賞された男も、その英雄の陰で憎まれ役となり、最期は孤独に死んでいった男もわしは知っています。誰を取り上げても、みんな必死に生きている。あなた様はあなた様にしかできない努力をなさればよいのです」

 「私にしかできないこともあるのだろうか」

 「ありますよ、必ず」

 

 爺はそう言って咳をする。痰が絡む咳で、このところ爺は時折咳に苦しんでいる。

 

 「大丈夫か?」

 

 あまりに苦しそうな咳だったので、リフキアは駆け寄った。

 

 「なぁに、からだが老いただけです。季節の変わり目ですからな。それにわしはまだ死ぬわけにはいかんのです。ある御方と約束をしましたから」

 「からだは大事にしてくれ。そなたは私にとって師匠も同然。短い期間ではあったが、多くを学んだ。そなたがいなくては寂しいからな」

 

 爺はふと、何かを思って自分の背を擦るリフキアに対し、臣下の礼を取った。

 

 「急に何を…。膝などをつかなくともよいのだ、爺」

 「これまで名乗らぬ無礼をお許しください。わしの名はゲンと申します。とある御方との約束により、皇族の方に名乗ったのはこれが初めてですな」

 

 リフキアは驚いて尋ねる。

 

 「兄上も…知らぬのか?」

 「知りません。唯一教えようとした方は、若くしてお亡くなりになった。ですから殿下も、迷われたら早ることなく命を大切になさい。生きていてこそ人には価値がある。死んで成せることなど一つもないのですからな」

 

 リフキアは重くうなずく。爺が名を名乗ったことに含まれるであろう、自分への信頼と期待を裏切らないと覚悟した。

 

 「では、私も改めて名乗ることにしよう。第二皇子リフキア=イスファターナだ。これからもたまには私に掃除をさせてくれ、ゲン」

 「その服を着とる限りはあなた様は清掃員です。掃除をして嫌がる人間はおりません。何かに迷われたら根底に戻ることを忘れずに、いつでもお好きなときにおやりなさい」

 

 爺ことゲンは、清掃を終えると部屋を出ていった。

 

 「また、報告することができたな」

 

 ゲンはそう呟いて、皇妃宮殿をあとにした。

 

 



 

 

 「失礼します、リフキア殿下」

 

 空っぽのリフキアの部屋に、二人の人物がやって来た。リフキアは振り向く前に何かをゴクリと飲み込んだ。

 

 「ああ、よく来てくれた」

 

 リフキアが部屋に入ることを許すと、ふたりはリフキアの前にまでやって来る。

 一人は黒髪短髪の優しげでおおらかな男。もう一人は凛とした雰囲気の金髪の女である。

 

 「お初にお目にかかります。アイゼン=ヴェルバイナでございます。リフキア殿下に御拝顔叶うこと光栄に存じます」

 「お初にお目にかかります。ヨルナ=シュラインです」

 

 アイゼンとヨルナは騎士の礼を施す。二人とも近衛隊に配属されている騎士だった。

 

 「リフキア=イスファターナだ。そなたらに会えたこと、私も嬉しく思う」

 

 アイゼンは言った。

 

 「恐れながら、殿下に発言をお許しいただけますでしょうか」

 「構わない」

 「では…。なぜ、我々を側近にお選びになったのですか。本来、皇族の皆様は騎士一人、執務官一人を側に置かれています。我々は二人とも所属は近衛庁です」

 

 リフキアはもっともな発言だと言った。

 シウォンも帝である父も、武官と執務官を側に置いている。アイゼンが疑問に思うのも当然のことだった。

 

 「そなたらの力を貸してほしいと思ったのだ。理由は他には持ち合わせていない。そなたらが噂で知る、かつての第二皇子とは、もはや違う人間だと思ってくれてよい」

 

 リフキアは唯一机に置かれていた書類を手に取る。そこには、アイゼンとヨルナの近衛でのあれこれが詳しく書かれていた。

 

 

 ―アイゼン=ヴェルバイナ―

 階級:二等隊士

 配属:レイズローク砦 第二部隊第三隊長

 勤務態度:1/5 勤務姿勢:1/5

 武術成績:5/5 軍略成績:4/5

 近衛庁武術大会第三席

 指揮能力:5/5

 学歴:皇立学校卒

 過去の罰の有無 一回(減俸、謹慎)

 

 ―ヨルナ=シュライン―

 階級:二等隊士

 配属:モルトリーク砦 第四部隊第五隊長

 勤務態度:3/5 勤務姿勢:2/5

 武術成績:4/5 軍略成績:5/5

 指揮能力:2/5

 学歴:皇立学校次席卒

 執務官任用試験受験者

 過去の罰の有無 二回(減俸)

 

 

 リフキアは書面を見ながら言う。

 

 「ここに書かれていることからして、そなたらは近衛では問題が色々とあるようだが…」

 

 アイゼンとヨルナは口ごもった。

 

 「二人とも武術や軍略の成績は良いみたいだな。皇立学校も主席に次席とはさぞ優秀だったのだろう。そんな二人の勤務態度がなぜこれほど極端に下がる?特にアイゼン、1がつくなど、よほどのことがなくてはこうはなるまい。ここにはこの部屋に近衛の人間はいない。弁明してはくれないか」

 

 アイゼンはゆっくりと口を開いた。

 

 「…恐れながら、それは私が上官に異議を申し立てたためでございます」

 「何を申したのだ?」

 「部下の濡れ衣を晴らそうとしたのです。しかし、私は部下を守ることができませんでした。証拠も見つけましたが、結果として部下は処罰されました」

 

 リフキアは眉をひそめる。

 

 「それは、揉み消されたということか」

 「…無念を晴らしてやろうと何度と頼み込んだ末に私は謹慎処分となり、その間に部下は病にて亡くなりました」

 「なんだと?」

 「それは三年前の話です。今となっては誰も話を取り合ってくれません」

 

 リフキアはちらりとヨルナの方を見た。

 

 「ヨルナはなぜだ?話してくれ」

 「…しかし」

 

 ヨルナは苦い顔をする。

 

 「話したからといって、私はそなたらを自分の手に置くと決めている。どうしても話したくないなら仕方がないが、話してくれないか?」

 

 ヨルナはぎゅっと拳を固くしていた。

 

 「私は近衛庁では数の少ない女です」

 「そうだな」

 「私は自分で申すのもなんですが、男の人にも負けない武術と軍略を持っています。しかし私の隊の兵達は私の下で働くことを嫌がり、ついには従わなくなりました。私は何度か隊の編成を変えられましたが、その度に…。私の落ち度として減俸処分となりました」

 

 リフキアはアイゼンとヨルナの話を聞くと、部屋の扉を開けた。

 

 「聞いていたな、ミュンツェル」

 

 そこには近衛庁司令長官ミュンツェル=ハシュフォードの姿があった。アイゼンとヨルナはあわてて頭を下げる。

 ミュンツェルはリフキアの前に膝をついた。

 

 「リフキア殿下、このこと一度持ち帰り調査に入ることをお許し願えますか」

 「許可するまでもない。国を守る近衛庁が罪の隠蔽や差別を行っていたというこれが事実であれば、これまで皆が寄せていた信頼は失墜するぞ」

 

 ミュンツェルは頭を下げる。

 

 「お恥ずかしい限りでございます。必ずや事実を調べあげ、ご報告をいたします」

 「万一にもそのようなことがあったとして、そなたが行う責任はなんだ?」

 「関わった者を厳罰に処します。それから、アイゼン二等隊士、ヨルナ二等隊士に精一杯の謝罪を」

 

 リフキアはあからさまに不服な様子でミュンツェルに言う。

 

 「私に二度と近衛庁を疑わせてくれるな、ミュンツェル。よいな」

 「はっ」

 

 そこにいたのは紛れもなく皇子である。ミュンツェルはリフキアの姿にシウォンを重ねてみていた。

 

 「それから、アイゼンとヨルナは私の側近に付けると決めた。早々な手続きをしてくれ」

 「かしこまりました。明日にでも所属の変更と身分証の変更を実行できるよう努めます」

 

 ミュンツェルが部屋を出て行くと、アイゼンとヨルナはリフキアを見つめていた。リフキアは二人を立たせる。

 

 「騙したようになってしまってすまなかった。だが、私は、私の側近達がいわれもない罪を背負い続けるのを見てはいられなかった。アイゼン、ヨルナ。これまでそなたらの力で成し得なかったことを、私のもとでやってみないか。私も、そなたらもまだ互いに不足する部分を持っている。そなたらはこの国に仕えたいと思って近衛に入ったのであろう。私もこの国を支える一人になる。ゆえに、力を貸してくれ」

 

 すると、ヨルナが言った。

 

 「本当に私共でよろしいのですか」

 「そなたらだからよいのだ」

 

 アイゼンとヨルナは見合って、そして腰の剣を床に納め、アイゼンが言った。

 

 「では、この剣に誓って我々はこの国の支えとなられるリフキア殿下へ忠誠を捧げます」

 

 リフキアはそうしてこの日、二人の臣下を得た。変わりたいとシュワームに告げてから実に一ヶ月。短くはあるが、きっとリフキアにとってその中身は濃いものとなっただろう。

 




 

 ミュンツェルが皇妃宮殿を出たところで、咳払いが聞こえた。その方向に首を向けるとキシュの姿がある。

 

 「何をしている?勤務中だろう」

 「皇太子殿下のご命令でして。ついでにミュンツェル様にお会いしたところです」

 

 ミュンツェルはため息をつく。

 

 「その様子では、さっきの俺と殿下の会話を聞いていたのか」

 「ええ、まあ」

 「しっかり叱責を受けてしまった。気づけなかった俺の責任だが」

 

 キシュはミュンツェルの口に甘い菓子を入れる。

 

 「お前…っ、俺が嫌いだと知って…」

 

 甘いものが大の苦手なミュンツェルは顔をしわくちゃにして言う。

 

 「根の詰めすぎはダメですよ、ミュンツェル様。ギュンター様みたく、適度に気を抜かないと」

 

 キシュは笑う。

 

 「…リフキア殿下はもう大丈夫ですね。皇太子殿下にご報告もありますし、これで失礼します。今度、近衛が暇になったら酒でも飲みに行きましょう」

 「フッ…馬鹿、これから近衛は忙しいんだ。第一、お前は飲めんだろうが」

 「ええ。ですから帰りは安心してください?連れて帰ってあげます」

 「いらん世話だ」

 

 二人は正反対の方向に歩いていった。今も昔もこの二人の関係は、どこか友人のようで、はたまた兄弟のようなそんな深い何かを感じさせるのであった。

 

 皇太子シウォンと王女リヨルの結婚の儀式まで七日をきった。初の試みとなる両国の皇子王女の結婚を前に、宮殿は次第にあわただしく、そして賑やかになっていく。

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