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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
四章 愛する者
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父と子は


 昼前、帝の執務室の戸がノックされる。シュワームによって促されて入ってきたのは第二皇子、リフキアだった。

 

 「帝、おはようございます。お呼びとのことですが」

 「かしこまらなくていい。今はただの親子だ」

 

 リフキアは小さく笑う。すると、帝である父が自分をまじっと見つめている。

 

 「あの…何か」

 

 帝は首を振る。ただ、何か満足げである。

 

 「…まあ、座れ。シュワームに昼を用意させる」

 

 シュワームは一礼をして部屋を出ていった。

 帝は執務を取る机からリフキアの対面に座りなおして話し始めた。

 

 「で、シウォンの所では何を学んだ?」

 

 帝がこの数日の成果を確認したがっていることを理解すると、リフキアは言った。

 

 「…初めの一週間はナフカの仕事を手伝うというか、交代する形でした」

 

 そう言うと、帝は興味津々にその目を向けている。

 

 「何がわかった?」

 「兄上の嗜好と、ナフカが何を大事にしているのかです。ナフカは完璧すぎて私はあとを追いかけるだけで精一杯でしたが」

 「それで?」

 「…少し羨ましく思いました。兄上は一体どのようにあんな優秀な側近を持てたのかと。いえ、そうじゃありません。兄上を始め、ナフカやキシュの関係に憧れたのだと思います」

 

 帝は笑った。

 

 「あれに憧れるか、お前は」

 「はい。憧れます」

 

 帝は頷くと、それから何をしたのかと尋ねてきた。

 

 「…二週間目は皇太子宮殿の掃除をしました。爺と呼ばれる者に清掃を習いました。そこでは宮殿にやって来た者の考えを見聞きできました」

 

 帝は掃除と言ってから考えを巡らせているようなそぶりを見せていた。

 

 「…掃除か」

 「はい。私はこれまであまり外に出ていませんでしたから気づかれることがなくて、思いの外簡単に取り組めました。掃除の中で爺には心得を学びました。下に付く者がどのような気持ちで仕えているのか、少しわかった気がします。それに、掃除は楽しかったです。特に雑巾を絞るのはとても爽快なものでした」

 

 帝は大きな目でまじっとリフキアを見る。

 

 「お前はどうしたい?」

 

 帝は言った。

 その目は少し悪戯のように、シウォンもたまに見せる目だ。この二人はよく似ている。似ているからこれまで避けていた。

 だが、今のリフキアは自分の答えを持っていたからすぐに答えることができた。

 

 「私は、兄上の力になりたいです。遠くに兄上を見て憧れてきましたが、それはもう止めます。憧れているうちはあの存在には近づけないと思うのです。すぐには無理かもしれません。でも、必ずこの国の力になる人間になります」

 

 帝は立ち上がって机の引き出しから何やら封を取り出した。

 

 「…お前が進む道は相当に辛いぞ。これまでのように自分の意思を持たず、皇妃の言いなりになるようでは皇族である資格はない。本当にこちらの道へ来る覚悟があるならこの封を受けとれ」

 

 リフキアは迷いなくそれを手に取った。覚悟はもとから決めている。今さら悩むことではなかった。

 帝はリフキアの意思を確認したようで、満足げに言った。

 

 「中身を見てみろ」

 

 封の中にはいろいろな人間の情報が入っている。

 

 「シウォンが選んだ皇立学校の生徒と近衛の武官だ。誰を選ぶのもお前次第。そこにいない奴でも構わないぞ」

 

 リフキアは一通り目を通して首を振った。

 

 「父上、この者達と会わせていただけますか」

 

 選んだ二枚の書類を見た帝は、リフキアの選択を微笑ましげに見ていた。

 

 「選んだ理由は?」

 「私に足りない者を持っているかどうか、それからこの国に対する思いでしょうか」

 「…お前も同じことを言うなぁ、あいつと」

 

 帝はつまらなそうに言った。

 

 「えっ?」

 「シウォンと同じことを言っている。あんな化け物は一人で十分だ。しかもお前はそれになりたいと言う。頑張ることは大いに結構。だが、たまには私の安息の地にでもお前はなってくれ」

 

 帝はやれやれと言わんばかりの表情だ。シウォンのことを化け物という父の気持ちは多少わからなくはないが―

 

 「さて、わかりませんよ?私はしばらくは兄上を目指していますから」

 

 父を相手に軽口を言えるようになったのは大きな成長のひとつかもしれない。帝はそう思うと息をついて席に座る。すると、シュワームが昼食を運んできた。

 

 「今くらいは私の話し相手になってくれ、リフキア。それくらいはいいだろう」

 「はい、もちろんです」

 

 

 ▽▽▽▽▽

 

 「あいつはお前を目指すそうだが?」

 

 帝はシウォンの執務室にやって来てナフカの淹れた紅茶を飲む。

 

 「何をしにいらっしゃったのかと思えば…。仕事は終わっておられるのですか?」

 

 シウォンはコーヒーを口にする。その目線は父にはなく書類に向いている。

 

 「リフキアに掃除をさせたのはお前の考えか?」

 「いいえ、その紅茶を淹れた人間ですよ」

 

 帝の視線を受けて、ナフカは頭を下げる。

 

 「訳を聞こうか」

 

 ナフカはシウォンと帝に出そうとしていたケーキを切る手を止めて言った。

 

 「…その頃はシウォン殿下の進められている計画のお客様がいらっしゃる時期でしたので、リフキア殿下には何か気づくことがあれば、と思いまして失礼ながら清掃をお願いしました。結果としてリフキア殿下は私やシウォン殿下の想像以上の成果を挙げられました」

 

 シウォンは帝に一部の書類を渡した。

 

 「私が今回の同盟を受けてソウェスフィリナに提示するつもりでいた計画書です。私が先日視察に出た際に、偶然にもソウェスフィリナの第一王子に出会いました。そこで、王子に計画の要である部分がソウェスフィリナで賄えうるか算段を出してもらっています。王女殿下にその話の答えを王子が託すと仰ったので」

 

 計画とはイスファターナから水路をソウェスフィリナに引くというものである。その書類を帝は見ながら言う。

 

 「結果はどうなった?」

 「賄えると。こちらがそれを踏まえてより詳細な資料を作り終えたら、ソウェスフィリナに正式に提示するつもりです」

 「本当か。それにしてもよくこんな計画を…」

 「その計画、本来なら実現しなかったものでした」

 

 シウォンがそう言うと帝は書類から目を離す。

 

 「水路にレンガを用いると言ったのはリフキアです、父上」

 「何?」

 

 帝もさすがに驚いたようで、表情を一転させた。

 

 「私は近年のイスファターナの建築文化的に木や金属とを考えていましたが、それでは欠点がありました。人力も金銭的にもあまりにも大きくなってしまう。それで悩んでいたのですが、リフキアが石で作ってはどうかと言ったのです。さらにはレンガを用いてはどうかと」

 

 帝は驚きを隠せないようでいた。シウォンもリフキアに言われたときにはそんな気持ちであった。

 

 「建築に興味があるらしいですよ。石を用いるのはイスファターナ以前に建てられたカドバーンの離宮を見て知ったようで、まぁ今回はそれに救われたということです」 

 「…そうか」

 

 帝は残りの紅茶を飲み干すと立ち上がった。

 

 「シウォン」

 「…何でしょう」

 

 帝は何かを言いかけてそれをやめた。

 

 「…仲良くやれよ?あまり一人にしてやるな」

 

 そう述べた帝の真意はとても深いところにあった。皇妃の子であり、皇子であるリフキアが動けばそれだけシウォンの立場は狭く苦しくなっていく。だが、それを口にしてしまえば現実的にシウォンの抱えるこの問題に、さらに傷を作りそうで口にすることを止めたのである。

 利害以外に相手と関わる方法はたくさんある。兄弟の中ではその利害とは関係なくあってほしい。そう思う帝であった。

 

 そうして帝は不自然な言葉を残して部屋を去っていった。

 

 「…なんだ?」

 

 シウォンは首をかしげながらナフカを見る。

 

 「さあ…こればかりは」

 

 普段はシウォンに仕事を押し付けてくる面倒な相手だが、扉の先に去っていった父である帝の不思議な行動が、シウォンは頭の中からしばらく消えなかった。

 

 

 「おかえりなさいませ」

 「ああ、ただいま」

 

 帝は執務室に戻ってくると、深々とため息をついた。シュワームは何かあったのかと様子をうかがう。

 

 「…シュワーム」

 「はい」

 「リフキアを…東の宮殿に移す。準備をしておいてくれ」

 「かしこまりました」

 

 シュワームは命を受けて部屋を出ていこうとする。

 

 「…何も言わないのか」

 

 シュワームは握った扉のノブを離して帝の方へ振り返る。

 

 「帝のご判断は、そうするべきだと思われたからなのではございませんか?」

 「そうではあるが…何か手放すようで、もの寂しいものだな」

 「二人のお子が自立されるのです。親としての役目はもうほとんど残っていません。特にリフキア殿下はかつての事件以降、帝も気をかけておられたでしょう。この成長は喜ばれることですが、やはり寂しく思うものですよ」

 

 シュワームは懐かしそうに言う。

 

 「…そうか。お前もナフカが離れたときにはそう感じたのか」

 「私は短かったですけどね。ナフカを養子にとって、いろんなことを学ばせて、あいつの道は自分で開かせるつもりでしたが、結果として私と同じ仕事をしている。数年しか親元にはいませんでしたが、もうそれはナフカの決めたこと。あとは少しでもこの先の人生があいつのなかで喜ばれるものであるといいと思うばかりですよ」

 「そうか…そうだな」

 

 帝は前髪をかきあげる。何かを始めるときのいつもの帝の癖、だった。

 

 「シュワーム、上奏の件だが…」

 

 話を聞いたシュワームは微笑ましく帝を見た。

 

 「なんだ?シュワーム」

 「いいえ、少し懐かしく感じただけですよ」

 「何がだ?」

 

 かつて皇立学校にいた頃。その頃は帝のことをアドロフと名前で呼びあっていた。

 第二皇子だったアドロフは、誰からも慕われる優しい人物だった。平民だったシュワームにいろいろなことを教えてくれたのがアドロフだったのである。

 学校を卒業して数年後、第一皇子が亡くなって帝になった時からアドロフは変わった。時に悲しいほど残酷な決断を迫られることもあった。しばらくは側に仕える身の上ながら、それを苦しく感じることもあった。

 

 「人は何かを着こんで生きていくんだ」

 

 そう、当時の執務官長のクバーテルに言われて、彼の優しさは消えたのではなくて、皇太子としての役目を着込んでいるのだと理解した。

 

 そして、帝が今シュワームに言ったことを聞いて、つい昔を思い出したのである。

 

 「…おい、なんなんだ?」

 「いいえ。これは秘密です。では、伝えて参りますね」

 

 シュワームは部屋を出て行く。その心はとても満ち足りた気分であった。

 数日後、シウォンの元に届いた上奏は普段の半分になっていた。シウォンはどういうことかとナフカに尋ねたが、ナフカもそれは知らないことである。

 

 「…仲良くやれよ、か」

 

 シウォンはそう理解して、その日の昼はリヨルの元を訪れることにしたのである。

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