隣を歩く者として
「殿下、出発を前に、お耳にいれたいことがございます」
翌朝、紅茶を飲みながら出発を待つシウォンにナフカは言った。
「昨夜、セシルが王女殿下に弓を放った者を偶然にも捕らえたと連絡が」
「何?」
「どうやらその者は、カトレシア家との関わりがありそうなのだとか。今はセシルのところにいる腕利きの者が見張っているそうです。預かってもよかったのですが、やはり簡単に扱うには手に余る家ですので」
ナフカがそう言うと、シウォンは納得して答える。カトレシア家は皇妃の実家。シウォンといえど下手に扱うわけにはいかない。
「…わかった。その者を密かに預かってこい。お前が心配しているのはリフキアだろう。皇妃側が何を考えているのかわからないうちは、公に明かすこともできないし、今のあいつにそれを伝えるのは厳しいだろう」
「…王女殿下にはよろしいのですか」
そう言われてシウォンは黙した。
「襲われたのは殿下ではなく王女殿下です。犯人を捕らえる責任が、殿下にはおありではございませんか」
「だが、皇妃の実家を簡単に裁くことはできない。騒ぎがより大きくなり、王女の身が危うくなる」
すると扉が開いて、王女リヨルがそこに立っていた。シウォンもナフカも身を固くする。今の会話は聞かれてはいけないことだった―。
「突然の訪問をお許しください、殿下」
そして綺麗に一礼を行う。毅然としたリヨルの態度は、シウォンやナフカの心に罪悪感を残した。
「いいや、構いません。どうかされましたか」
「昨日のことをお話に参ったところです。殿下、昨日のことは伏せていただけませんか。一晩考えまして、そう至ったのです」
「…と言いますと?」
シウォンは今、自分がしている表情がわからなかった。その曖昧さが目の前のリヨルに今回の事件の隠蔽を強いていることに情けなくなる。
「今、我々に必要なことを考えたとき、昨日の邪魔者に気を取られることは双方にとって不利益になると思います。私を庇って怪我をされたナフカ殿には申し訳ありませんが、ここはこの件を伏せて、我々の友好に力を尽くして参りたいのです」
リヨルのそれはまるで一臣下の意見を述べるのに似ていた。シウォンは立ち上がってリヨルの前に立つ。そして「すまない」と言って、頭を下げる。
「お止めください、殿下。殿下が私に頭を下げるなどあってはなりません」
「いいや、私の落ち度だ」
シウォンは隠すことなく伝えることにした。
「…調べによれば、あなたを狙ったのは皇妃の実家とのこと。しかし、皇妃の実家は私でも簡単に手は出せない。私の力不足だ。しかしそのままには決してしない。終止符は打つ。必ずだ」
しかし、リヨルは首を振った。
「…せっかくのお言葉ではございますが、私は絶対、に類する言葉を信じてはおりません。言葉に縛られた瞬間、人間はとても小さくなってしまいますから。私とあなた様はこの同盟の鍵。己の責務をまずは果たさせてください。そのために、私は今回のことを伏せてほしいと申し上げました。ナフカ殿、私を庇っていただきながら申し訳ないことです」
目の前にいるリヨルとは近いようで遠い。一瞬で、互いの関係に線引きされた様だった。
「では、殿下。双方にとってこの件は伏せた方が利になるようです。その様に取り計らう方向で構いませんね」
「…ああ」
シウォンはそう答える他に言葉が見つからなかった。すでに遠く離れてしまった二人の間を埋める言葉は今、その場にはなかったのである。
リヨルが部屋を去ると、シウォンの肩にはどっと疲労と不安がのし掛かった。
「ナフカ」
「今回は私にもまだわかりかねます。王女殿下のあれはまるで…」
まるで何かを諦めているような言い方だった。確かに会ったばかりで相手を信用するも何も無いかもしれないが、あれでは歩み寄ることもできない。同盟の鍵とはここまで冷えきったものでなくてはならないのだろうか。
結局その後、イスファルまでの馬車の中でも沈黙が続いていた。当の王女リヨルはナフカ達には臣下としての関係を守っている。違和感を隠せないのはシウォンとの間にのみであった。
もちろんタンベルクからイスファルまでの間の宿場の庁舎などでは、皇太子の妃という対面を忘れずにいてくれるのだが、割りきられているのを感じずにはいられなかった。
さすがにこればかりは、ナフカもキシュもどうすることも出来ず、二人の関係はイスファルに着くまで、変わることはなかったのである。
▽▽▽▽▽
「イスファターナ皇国アドロフ三世帝、ならびに皇妃シシル様、皇族の皆様に、ご挨拶を申し上げます」
二日後、イスファルの宮殿では対面の儀が執り行われていた。
リヨルを囲む周りの目は、歓迎する者もいれば好奇心、嫌悪、侮蔑、あらゆるものに満ちていたが、そんな中で全くの動揺を見せない姿はさすがのものだと言えた。
リヨルにとって心に引っ掛かっていたのは、この国の王の呼び方である。
イスファターナのソウェスフィリナにおける王は帝である。そして、その帝という地位は敬称にも成りうる。ソウェスフィリナであれば王に対して陛下と呼ぶところを、この国では帝と呼べばそれで良い。挨拶を述べながらそう違和感を感じていた。
リヨルから挨拶を受けたイスファターナ帝アドロフ三世は、その堂々とした姿に感心してその挨拶を受け入れた。
「よくぞ来てくれた。慣れぬ土地での生活は苦労もあるだろう。だが、私はソウェスフィリナ同様、イスファターナがあなたの国だと思ってくれると嬉しい。良い姫をもらったな、シウォン」
隣に控えていたシウォンは答える。
「はい、誠にありがたく存じます。リヨル殿と良い営みを築けたらと思います。皆様の御指南、御指摘をよろしくお願いいたします」
対面の儀はそうして終わり、リヨルはナフカによって皇太子宮殿と続いてる皇太子妃の宮殿に案内された。
この一ヶ月で、数十年と使われていなかったこの宮殿はシウォンの命により隅々まで手を入れて、見違えるほどの美しさであった。
リヨルは入り口に立ち止まって、これから住むことになる宮殿をぐるりと見回した。
「さあ、どうぞお入りを」
ナフカは促す。
一歩進めば、そこには世話をする者やらが一同に介している。リヨルは彼らを眺めてナフカを見る。何か言いたげな雰囲気だ。
「ここにおるのは今後、王女殿下のお世話を担当する者達です。皇太子殿下があなた様に相応しい者をと選ばれた者達です。あとの説明はこのシハルが行います」
シハルと呼ばれた女官は、一歩前に出て頭を下げる。
「お初にお目にかかります。私、シハル=アモールと申します。今後はここにおります者達が、王女殿下のお力となっていくことになります。王女殿下にお仕えできること、光栄に存じます。一同を代表して、どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
リヨルは挨拶をするや、ナフカを含めた臣下達に言った。
「さっそく頼みがあるのですが、私のことを王女と呼ぶのではなく、名で呼んではもらえませんか?」
「名前でですか?」
シハルがナフカをちらりと見る。イスファターナでは基本、皇族のことは敬称で呼ぶ。例外としては、これまで公務に出てこなかった第二王子のリフキアをシウォンと区別するときに名で呼ぶくらいだが、基本はあくまで殿下、と呼ぶ。それは慣例としてそうなっていた。つまり、まだシウォンとの結婚式を挙げていないリヨルは、王女殿下と呼ばれるべきなのだが、シハルはナフカに答えを求めるのも頷ける。
「何かそうしたい理由がございますか?」
ナフカは問う。
「いや、私はいずれ皇太子妃となりますが、それまでは王女と呼ばれるのでしょう。私は心を決めてここに来ています。ゆえに、ソウェスフィリナでの地位で呼ばれるのは何か…違う気がするのです」
そこまで言って、リヨルは首を振った。
「いいや、これは私の勝手な考え方ですね。そなた達にはそなた達の守るべきものがあるでしょう。気にしないで忘れてほしい」
すると、ナフカの背後から声が聞こえた。
「よいではないか。名前で呼ぶことくらい」
ほかでもないシウォンである。リヨルは慌てて礼をとった。ナフカは後ろのキシュに顔でどうして来たのかと訴えた。キシュが口を動かして返してきたのはこうだった。
『動かぬより動く、だ』
シウォンは何かに迷ったら実際に動くことを試みる。ナフカとキシュの間でその行動をそのように表現していた。そう聞けばナフカも諦めざるを得ない。
冷たく線引かれた関係に何を持って解決するつもりでいるのか。ナフカはシウォンを見ていたが、その顔は答えを見いだしているようには見えなかった。
「しかし、殿下。皆が困ることを押し通すわけには…」
リヨルは言う。
「もちろん、公には無理なこともある。だが、ここの中にいる時くらいあなたの希望を述べても何も困ることはない」
シウォンは普段ナフカやキシュにだけ見せる気を抜いた話し方をしていた。
「それに、私のことも名で呼んではもらえないか。いずれ我々は夫婦となるのだから」
「…」
「ちなみにだが、私は身近に置くナフカとキシュに、公の場以外では名で呼ぶよう頼んでいる。ゆえに、あなたにもそれをお願いしたい」
リヨルは言葉に迷っていた。
「…殿下のご希望でしたら、そのようにいたします」
リヨルが何とか答えると、シウォンは大きく頷いた。
「では私も名で呼ばせてもらうぞ、リヨル殿」
「リヨルで…構いません。殿下…シウォン様は私より一つ歳上でございます」
「私のこともシウォンと呼んでくれて構わないのだがな」
シウォンはからかうように言う。
「それは…さすがに心臓がもちません」
赤面した顔でリヨルは答えた。キシュがシウォンの後方からナフカに何やら促す。
「…シウォン様、何かご用があって来られたのではございませんか?」
ナフカはシウォンに言った。
「そうなのだが、まずはリヨルに部屋を案内してからだ」
シウォンはリヨルの手をとって主室に向かった。その際、シウォンはリヨルと二人にしてほしいと言った。
そして、部屋に入ったシウォンは言う。
「ここが、あなたの生活する部屋だ。気に入ってもらえただろうか」
家具から装飾まで、それはソウェスフィリナの文化を取り入れたものだった。リヨルは驚きを隠せない。
「…シウォン様。これはいったい」
「ソウェラスイスファラートデフェルトリアイムシア。(ソウェスフィリナとイスファターナの友好を目的としてこの同盟は成っている。)
カルケット、クベラウスモーアイプシドレンティスユンカーダ。(であれば、我々は互いの文化を知ることが必要だと思う。)
ユアルシーベルメアルート、イスファラートデイプシドフィルモーソ。(あなたが私の部屋に来たときは、イスファターナの文化を感じられるようにしている。)
エルム、フィトルフィトーネオルコージァン?(まずは、お互いを知るところから始めても、良いのではないか?)」
シウォンは言った。
「…なぜ、ソウェスフィリナの言葉を?」
「あなたの宮殿にいるときは、私はソウェスフィリナ語を話す。この宮殿にいる者は、ソウェスフィリナ語を介する者だ。不自由することはない」
「私は…」
「この同盟と結婚は、これまでの歴史にないものだ。私もあなたも対等な関係であることを念頭に置いてもらいたい。そしてそれが、ひいては国民に浸透することを私は願っている。国が違う、言葉が違う、身分が違う、性別が違う。それを理由に優劣をつける時代はもう終わりにする。その初めての存在が私とリヨル、あなただ」
シウォンはキシュが渡した箱を手にする。
「だが、それ以上に私とあなたは夫婦となる。お互いの役目はもちろんあるし、あなたはそれを覚悟してここに来たはずだ。私はその先にあなたとの幸せな生活を作りたい」
「…」
「リヨル、私のもてる限りあなたを幸せにする。私の妃ではなく、妻となってほしい」
そう言われて、リヨルは心の中にずっと沸き上がっていた思いがすうっと引いていくように感じた。リヨルは己に課せられた、同盟の証である役目、万一の時に人質となる覚悟をずっと心の中で反復していた。
誰もが認める完璧な妃を演じ続けることが、求められていることなのだと理解し、それ以上の何物も望まなかった。でも、シウォンはリヨルに妻になってほしいと、そう言ったのである。
憧れていたが諦めてしまっていたものを、シウォンは望んでいるのである。望まれている以上に、自分を大切にしてくれると気づけたことが嬉しかった。今この瞬間、リヨルはとても幸せだった。
「…はい、シウォン様。よろしくお願いします」
シウォンは小箱を開けて、中身の首飾りを取り出す。そしてそれをリヨルの首にかけた。
「これは前皇妃であった私の生母、シヴァ=ルイス=イスファターナが私の正妃にと望んだものだ。持つものの心によってこの真ん中の石は色を変えるそうだ」
「…これは魔石では」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。真実は私にもわからない」
シウォンはリヨルの手をとった。そして、細く白い指に作らせたリングを通す。
「これは私からの気持ちだ」
リヨルは指輪を眺めてから言った。
「…シウォン様」
「なんだ?」
「いえ、その…お気持ちに感謝します。私はいずれこの国の皇太子妃となり、皇妃となります。そうなれば、私の国はこのイスファターナです。シウォン様の描く国を、妃として、妻として隣で見させてくださいませ」
シウォンはリヨルを力強く抱きしめた。
▽▽▽▽▽
「…シウォン、うまくやっているかな」
キシュが廊下で呟く。
「ってことはさっきの箱の中身はあれか?」
ナフカが尋ねるとキシュが頷く。
「…おそれ多くも皇太子殿下の名を呼び捨てにするなんて、よく平然としてられるわね」
シハルは信じられないという顔で言う。シハルは元々皇太子宮殿の女官長をしていたので、ナフカやキシュとはいわば同僚である。おまけに歳もそれなりに近いので、軽く口を聞けるくらいの相手である。
そんなシハルは今後は皇太子宮殿と皇太子妃宮殿の女官を統括する役目につく。大出世だった。
「約束だからな。敬愛する主には違いないんだが」
キシュが言うとシハルは嫌悪するというような顔でキシュを見ていた。
「重い…重すぎるわ…。ナフカも何か言いなさいよ!」
「言えと言われても…俺から見てシウォンは同士だから」
「同士?」
シハルは首をかしげる。
「俺の願いはシウォンの願いに等しい。俺の道とシウォンの道は同じなんだ」
その発言をたんたんと述べるナフカにシハルもキシュも苦笑いする。
「…それもそれですっきりしないわね」
「俺の方がましだな」
「それはない」
シハルはバッサリそう言い切って、ルシアに声をかけた。
「ルシアさん、歳いくつ?」
「十九歳です」
ルシアは比較的明るい性格で、先程からナフカ達のやり取りを面白そうに見ていた。
「十九歳!やっぱり若いわ!いいわね、若さ!」
「その言い方、老けて聞こえるぞ…(二十三歳)」
キシュが言うと、シハルはキシュの腹に肘を打ち込む。
「…ったぁ!(声にしてないのになんで!?)」
痛さに苦しむキシュを放り出して、シハルはルシアの手をとる。
「これからは何でも聞いてね。女には女の悩みがあったりするものだから」
「はい、シハル…先輩!」
きっとルシアなりに考えた末の呼び方だったのだろう。それは見事にシハルの胸を射止めた。
「もーなんてかわいいのよ、ルシアちゃん!どんどん頼ってね!」
「はい!」
ぎゅっと抱きしめられたルシアはけらけらと笑っている。ノリも良ければシハルのお気に入りになることだろう。
どうやらうまくいきそうだな、とナフカは思った。
結婚の式まであと僅か。
この幸せな時間を忘れずにいたい。ナフカは目の前の笑い合う光景を刻むように見つめていた。




