ソウェスフィリナの王女
―一週間後
この日、タンベルクにある国門の上では、いつにも増してイスファターナ皇国の国旗が大きく風になびいていた。ソウェスフィリナ王国の王女がやって来る。長く争ってきた両国の歴史が変わる今日からの行く末を、三百年の歴史を背負ったこの旗はどのように見ているのだろう。
シウォンは白地に金の刺繍を施した皇太子の正装を纏い、国旗を見上げていた。その近くではナフカとキシュも正装を身に付けて、タンベルクに昨日到着した、近衛庁司令副長官のギュンター=タンベルクと最終確認をしている。
名前の通り、このタンベルクの町はギュンターの実家であるタンベルク家が任されている。ソウェスフィリナ王国との国境を三百年の間守ってきた武人の家系だ。ギュンター本人は正嫡では無いが、古くからタンベルク家が背負ってきた国境防衛の役目はもちろん心得ている。彼がタンベルクから都イスファルまでの王女護衛を任されたのは、この僅かな縁によるものだ。
「それでは、イスファルまでの道のりについてですが、まず王女殿下が皇太子殿下の馬車に移られ、そこには私と王女殿下の侍女一名が相席します。リフキア殿下はもう一台の馬車をお使いいただくことになります」
ナフカの説明にシウォンもリフキアも頷いた。
「ソウェスフィリナ王国の近衛隊は国門で別れることになっております。イスファルへまでの道中、王女殿下には侍女一名以外、気心しれた存在はおりません。どうか殿下、お心配りをお願いいたします」
「わかった」
「到着はまもなくです。しばらくしたらギュンター殿とキシュが説明に参りますので、お待ち下さい」
いよいよソウェスフィリナ王女がイスファターナ皇国にやって来る。シウォンはさすがに緊張していた。
一生、側にいることになる人との対面だ。ルージュのように一度会っているのならまだしも、初対面の相手なのだ。
しかし、そのシウォンよりも先に王女と対面するのはナフカであった。正午に国門に到着の予定となっているので、そこで初めの挨拶を交わさなくてはならない。
「殿下にとってよい方だといいな、ナフカ」
ギュンターが言った。
ギュンターは国門からイスファルまでの経路の警備の責任者である。キシュを通じてギュンターとは交流があったので、彼の存在は少し心強い。
「はい。殿下の進まれる道の支えとなってくださるお方だと、我々も嬉しいのですが」
ギュンターはナフカを見て言う。
「…同盟は続くと思うか」
おそらくミュンツェルやキシュを心配する彼なりの気遣いが見えた。ナフカは答える。
「そればかりは何とも…。時の流れにもよるでしょうが、少なくとも殿下は終わらせるつもりはありません。私もキシュも」
「わかっている……。これを転機に時代がよい方へ傾くといいのだがな」
そんな話をしていると、前方に赤い国旗が見えてきた。
「お出でなさったか」
「はい」
白を基調とした馬車がやって来る。何重もの警護に固められて、その馬車は到着した。
ナフカとギュンターはその馬車の扉の前で深々と頭を下げる。
「王女殿下、お出でくださいませ」
ソウェスフィリナの警備隊長の声で扉が開く。カツコツと靴の音がして、地面を見つめるナフカとギュンターの視界に王女の靴とドレスが入る。
「面をあげなさい」
その声は王女の品格を疑わせない凛としたもので、ナフカとギュンターはその一声で悟る。
(これはこれは…)
挨拶のために顔をあげると、堂々とした姫の姿がそこにあった。
(さすがはソウェスフィリナ王の愛娘…か)
金色の髪、緑色の瞳の王女は二人をじっと見つめていた。
「皇太子殿下付き執務官、ナフカ=グリュネール。そして近衛庁司令副長官ギュンター=タンベルク。ソウェスフィリナ王国王女殿下にご挨拶申し上げます」
ナフカがそう告げると王女は小さく頷く。
「ソウェスフィリナ王国第一王女、リヨル=ソウェスフィリナです。出迎えに感謝いたします。後ろに控えているのは私の侍女、ルシア=フォレードです」
誰の目にも好印象に映った王女リヨルは、道中付き従ってきたソウェスフィリナの者達に最後の挨拶を告げる。
「皆、これまで大義でした。今後は我が父王陛下、そして兄をよろしくお願いしますね。ソウェスフィリナの皆の健やかなることをイスファターナ皇国から願っております」
王女リヨルはくるりと振り返ってナフカに言う。
「…では、ナフカ殿、ギュンター殿。参りましょう」
ナフカはそう言われてイスファターナの馬車の扉を開ける。エスコートして王女を中に乗せる。ついでに王女の侍女もエスコートしたのだが、その侍女はあまりに若すぎるのであった。このような場合、王女に随行するのは生まれながら世話をしてきた乳母や侍女だったりするものではないだろうか。ナフカは頭に疑問を浮かべた。
ちらりと後ろを見れば、王女に長く仕えてきたであろう者達が涙を流してその別れを惜しんでいる。当の王女にはその様子は感じられないが、王女なりの考えがあって若い侍女を連れてきたのだろうか。
「ナフカ殿。時間が惜しいですわ。早くお乗りなさい」
王女はまるでナフカの心を読んでいるかのようである。
(…考えるなということか)
「失礼いたしました」
ナフカは片隅に思考を残しながら馬車に乗り込んだ。
馬車の前方で笛の音が鳴る。近衛の安全確認が終わったようだ。すると、コンコンと馬車の窓にギュンターがノックする。
「王女殿下、出発いたします。よろしいでしょうか」
ギュンターの合図を受けてナフカは尋ねる。
「ええ、よろしくお願いします」
ナフカはギュンターに頷いてそれを報せる。再び笛の音が鳴り、やがてギュンターの声で馬車は進み始めた。まずはタンベルク庁舎にいるシウォンとの合流である。
タンベルクといっても国門と町は少し距離がある。およそ一時間の道のりをナフカは王女とその侍女と過ごさなくてはならなかった。
「ナフカ殿」
話しかけてきたのは王女リヨルの方だった。
「はい」
「皇太子殿下はどのようなお方?」
純粋にナフカ自身からみたシウォンを知りたいのだろう。
「国を大事に思われているお方です。そのための努力は惜しまれません。そして何よりお優しいお方です。私や後程合流するもう一人の側近は、殿下に魅せられております」
「そう。私の兄は皇太子殿下は私の事を大切にしてくださるだろうと。お会いするのが楽しみです」
「そう言っていただけると、私共も嬉しい限りです」
リヨルはすでに国母の風格を備えていた。シウォンがはじめに望んでいたのはこの国の事を一番に考えてくれる女性。皇妃となれる風格はあっても、異国の王女にそれを求めるのはいささか酷な話だろうか。
そんなことを考えているうちに、タンベルクの町が見えてきた。
リヨルは窓の外をじっと見つめている。
「ここが…イスファターナ皇国」
そんな声が聞こえてきた気がした。可愛らしいな、などと思っていると侍女と目があったのでナフカは微笑ましげに軽く礼をする。
「王女様、まもなく町に入ります。あまり窓の外を眺められてばかりでは…恥ずかしゅうございませんか。お気持ちはわかるのですが」
侍女が言った。若いわりに、しっかりしているようである。指摘されたリヨルは、少し顔を赤くしてまっすぐと向き直る。
「我々としては歓迎いたします。皇太子殿下は視察がお好きなお方です。イスファルまでの道中、この国を少しでもご紹介できるといいのですが」
「それは楽しみですわ」
まもなく町に入った。道の脇には見物客が押し寄せ、イスファターナとソウェスフィリナの国旗を手にしている。
町に入ると警備の兵達は警戒を強める。この同盟の反対派が何を仕掛けてくるかわからないからである。
「ナフカ殿、ひとつあなたの疑問に答えてあげましょうか」
リヨルは言った。
「先程と私がルシアを選んで連れてきたことを不思議に思っていたでしょう。あなたはなぜだと思いますか」
「それは…」
ナフカはまさか尋ねられるとは思っていなかったために言葉がすぐには出てこない。
「答えは、あそこにいた者達はみんな王太后様から送られてきた者だからです。執務官であるなら知っていると思いますが、ソウェスフィリナも一枚ではありません。王太后様はこの同盟に反対されている派閥のお方。その僕となっているあの侍女達をイスファターナに連れてはいけないと思ったのです」
「それは王女殿下。まるで…」
(まるでこの国の人間になる宣言をされている様だ)
ナフカがそう思った時だった。
「王女殿下!」
ナフカはそう叫んでリヨルと侍女に覆い被さる。刹那のうちに馬車のガラスが割れて、風を切るような音がする。
「…っ」
はたはたと馬車の床に赤い血が滴る。リヨルが顔を起こすとガラスの割れた反対側の扉に矢が刺さっている。
「王女殿下…ご無事でございますか」
「ナフカ、あなた…!」
ナフカが心配するよりも、リヨルはナフカが血を流していることに動揺しているらしい。。
「私は大事ない。あなたのその傷は…」
「私は大したことありません。これくらいはかすり傷です」
すると馬に乗ったギュンターが駆け寄る。
「王女殿下!ご無事ですか!」
「私は無事です。しかし、ナフカ殿が負傷を」
ナフカは首を振る。
「かすり傷です。気になさらないでください。それよりもこの場をすぐにでも離れたほうがいい」
ナフカは言葉に加えて目でも訴えた。ギュンターは頷くとリヨルに頭を下げる。
「我々の不覚、申し訳ありません。馬車の足を速めて急ぎ庁舎へ向かいます」
「ええ、わかりました」
まもなくして馬車の足は速くなる。
ナフカは胸に入っていたハンカチを腕に巻いて止血をする。
「ナフカ、代わりなさい」
リヨルがナフカの隣に座る。
「王女殿下にこのようなことをさせるわけには…」
「命令して黙らせてもよいのですよ。私を守ってくれたのです。これくらいのことはお受けなさい」
「…申し訳ありません」
リヨルは慣れた手つきで傷口にハンカチを巻いた。
「傷は化膿していない。毒の危険は無さそうです。それにしてもあなたは美しすぎますね…傷がついてはもったいない」
「…姫を守った勲章ですよ。男にはそれくらいのものがあってもよいでしょう」
リヨルは笑う。
「フッ…口がうまいこと。しかししかし、着き次第すぐに医師の手当てを受けなさい、いいですね?それとも命じた方がお好みですか」
「いえ。お心遣いにあやかり、手当てを受けることに致します」
まもなくして馬車の足が止まった。
「庁舎に到着したようですね。しばし、お待ち下さい」
ナフカはそう言って馬車を降りる。そこにはシウォンとキシュ、リフキアの姿があった。
「何かあったか」
シウォンはナフカの腕を見てから、厳しい目でナフカに言う。
「町に入ったところで矢を。王女殿下と侍女の方にはお怪我はありません」
シウォンの視線はナフカの腕にいく。
「…よく守ってくれた。お前は対面の儀には出ずに医師の治療を受けよ」
「…殿下の晴れの時を見逃したくはなかったのですが」
「そんなもん、イスファルに着けばいくらでも見れる。だから治療を受けろ。ほら、早く行け」
「承知いたしました」
ナフカは庁舎に入る。後方で、馬車の扉が開く音がした。微かだがシウォンとリヨルの会話が聞こえる。
(…ああ、よかった)
何となくだが、シウォンと王女はうまくいきそうな気がする。まだ、少ししか話してはいないが、そんな予感がしてならなかった。




