訪問者
「何?宿がない?」
戻ってきたナフカは息を切らしながらキシュに言った。
夜が明けてからも霧はなかなか晴れなかったので、一同がウィジュグラードからタンベルクに戻るとすでに夕方近くになっていたのだ。
「あちこち駆け回ったんだが、どこもいっぱいだった。来週ソウェスフィリナの王女一行がこの町を通ることと、銀華団とかいう旅の一座が来ていて、その見物客が押し寄せているらしい」
シウォンは真面目に考えながら言う。
「…忍んできている以上、役所の世話にはなりたくない。最悪野宿か」
その答えにリフキアは唖然としていた。昨夜の洞穴での一夜にさえ初めは抵抗があった。それをもう一度と言われると、正直耐えられそうにない。
キシュは呆れてため息をつく。
「あのなぁ…。一国の皇族は普通野宿なんてしないん…」
するとシウォン達の真向かいで男が叫んでいた。
「何?宿が取れないだと!」
「ちょっと!声が大きいですよ。来週の王女様の行列を見に来た人と、銀華団とかいう旅の一座の見物客が押し寄せているらしいんです」
「お前は俺に野宿でもさせる気か?」
「そんなこと言ってもですねぇ。空いてないものは空いてないんですよ。だいたい、あなたが急にイスファターナに来たがるからこんなことに……」
男達もこちらの存在に気付いた。タンベルクの町の中で明らかに両者は異質な空気を纏っていた。
シウォンとその男達とパチリと目が合う。そして本来なら間違いなくあり得ない状況なのだが、その中にかつての知り合い同士がいたのである。
「…シウォン、下がっていろ」
キシュが声を低くして言った。すると、対面する男の一人も仲間を守るように前に出た。両者は互いに見合っていた。隙の無い、いつでも剣を引き抜ける状態である。
「……お久しぶりですね、キシュ将軍」
先に向こうから話しかけてくる。
「なぜユンハンス将軍がここに?ここは、いつからソウェスフィリナになったのでしょうか」
「ずいぶんと手厳しい。今度、同盟を結ぶとは思えない言い方ですね」
「イスファターナに、いらっしゃった理由をお聞きしましょうか」
その時、キシュの頭を後ろからパチンとシウォンが叩いた。
「…っ、シウォン」
「馬鹿者、お前は何をしているんだ」
シウォンはキシュが止めるのも聞かずに前に出る。
「…まぁ、今の会話で何となく察した。せっかくいらっしゃっているんだ。とりあえず野宿というわけにもいかないだろうし、部屋を何とか探さないとな。ナフカ」
すると、見計らったかのようにナフカに抱きつく女の姿があった。その勢いにナフカはよろめく。
「……わぷっ」
「お兄さん、うちのお店に寄っていかない?なんだかここだけ辛気くさい顔をしてるねぇ」
「すまないが今はそんな余裕はな…」
ナフカはその女の顔を見て言葉を失った。女はにんまりと笑う。
「宿の部屋が取れないんだって?半分はうちの客のせいだろうし、私らが借りてる部屋を開けてあげよう。なぁに、金をとろうなんて思わないよ。明日、私らの芝居を見てくれたらそれで良しさ」
「…銀華団の人間か?」
シウォンが尋ねる。女は頷く。
「私は、銀華団団長のセシル。怪しいだろうけどたぶん私らの泊まってる宿が一番安全だよ。私らはひとつの宿を貸しきってる。みんな素性の知れた奴しかいないからねぇ」
シウォンはわかったと頷いた。
「あなた方もそこでよろしいか?役所がよろしいならそちらを案内するが」
「……いいや、こちらも面倒事は困る。そちらの宿に世話になることにしよう」
そうして、シウォンと何やら怪しげなソウェスフィリナの一行は、セシルという女団長の貸しきる宿に世話になることになった。
用意された部屋はシウォン達のいる隣の部屋と続く扉がある仕様になっていた。セシルが護衛しやすいように配慮してくれたらしい。
「ナフカ、さっきのセシルとかいう女はお前の知り合いか?」
ナフカとキシュに用意された部屋で荷物を降ろしていると、キシュが尋ねてきた。武人としてのキシュは誤魔化せそうにない。
「お前があの女が近づくのに気づかないはずがない。ということは、あの女が悟らせないようにしていたんだろ。でも当のお前は今、警戒していない」
「さすがだよ。昔の知り合いだ。俺が帝国にいた頃の」
「信用できるのか」
「その辺りは大丈夫だ。昔から、俺の味方でいてくれる相手だ」
キシュは小さく頷いた。すると、シウォン達のいる部屋の扉がノックされる。ナフカ達はシウォン達の部屋へと移り、客を招く。
「少しよろしいでしょうか?」
客人はセシルだった。
「宿屋のコックが食事を出してくれるらしいです。何も食べていないんでしょう?私達にもてなさせてくださいませんか。その際、ソウェスフィリナのご一行もお呼びしても?」
「むしろ何から何まで助かる」
シウォンは答えた。
「ではソウェスフィリナの皆さんも呼んで参ります。一階の食堂に、個室を用意しましたのでしばらくしたら降りて来て下さい」
部屋を去ろうとしたセシルは思い出したように言う。
「ここではこのセシルの知り合いってことになっています。ですから、不自然の無いようにこれから皆の前では敬語も敬称もいたしません。ご容赦ください」
「わかった。本当に助かる」
セシルは小さく笑う。
「それでは、また」
しばらくして、シウォン達が食堂に向かうと、すでに用意された部屋にユンハンス達一行がいた。
「お待たせして申し訳ない」
シウォンは着座する。
「いや。こちらこそ前触れもなくイスファターナへやって来てしまったのですから」
金髪の男が笑って答える。
「それでは、私から。イスファターナ皇国皇太子、シウォン=イスファターナです。どうぞよろしく。これは側近のキシュとナフカ。そして…」
シウォンはリフキアをちらりと見る。
「第二王子のリフキア=イスファターナです。どうぞ、よろしくお願いいたします」
リフキアは緊張を隠すことで精一杯だった。事前にシウォンに第二王子の務めを果たせと言われていたが、いきなりの外交の場である。表面的にも笑顔を崩さないことを保つのがやっとだ。
そんなリフキアの背をポンとナフカが触れる。
これまでナフカに幾度と指導を受けたが、だからかもしれない。リフキアは少しだけ平静を取り戻した。
すると、金髪の男が口を開く。
「ソウェスフィリナ王国第一王子、レイヴィス=ソウェスフィリナだ。同じく側近のユンハンスとケイト」
歳としてはレイヴィスの方が上だ。いずれは国を担う者同士であっても、シウォンはレイヴィスをたてる必要がある。
そんな金髪の王子はシウォンをじろりと見つめていた。
「何かございましたか?」
「失礼。この同盟は妹とあなたとの結婚で成り立つもの。兄としてはあなたに妹を預けてよいものか心配だったのです」
「…無理もないことですね。しかしながら王女殿下は抜きん出た才の持ち主とか。私としてはそのような方に来ていただけることを嬉しく思っております」
「否定的では無いようだな。我が国は今回の同盟を否定的に見るものが多い」
シウォンは目の前の水をこくりと飲んだ。
「…仕方がないでしょうね。何せ六年前まで互いに争ってきたのです。いくら今後を唱えても、過去の遺恨が消えるわけでもない」
「私は心配なのです。あなたは同盟に否定的ではないようだが、イスファターナの宮殿内にも今回の事をあまりよく思っていない者もいるはず。妹が嫁いで嫌な思いをしないか、気が気でたまらない」
「それでイスファターナにいらっしゃったと」
「えぇ。できることならイスファルまで出向いてもよかったのですが、さすがにそれは失礼だろうと、せめてこの町を見ることにしていたのだ」
シウォンはレイヴィスの行動力を称賛していた。王女は男なら王になったと噂されているが、この王子もなかなかに侮れないと確信した。元々侮るつもりはないが、実際に見てよりそう思ったのである。
「ところで、貴殿は何故ここに?王女を迎え入れるにしても到着は早すぎるでしょう。」
レイヴィスはシウォンに尋ねた。シウォンは少し考えたが、結果として事実を話すことにした。
「王女殿下をお迎えする準備は私の手で、と早めに来たのです。加えて、この同盟を永久的なものにするための『もの』を作る計画を練っています。そのための一手を打ち出せるかの調査をしに来ました」
レイヴィスはシウォンの顔を伺った。
「同盟を永久的なものにすると仰ったが、それは王女と交渉するつもりでいたことのはず。私が聞いても構わぬことか」
「貴殿はソウェスフィリナの王になられる方でしょう。伝える分には構いませんよ」
シウォンはそうして水路の計画の話をした。
「…」
その話を聞いたソウェスフィリナ側は皆が唖然としていた。
「…本当にその計画を?」
「貴国が一番困っているのは水だと推察したのですが、お節介と思われるのでしたら…」
「いや、すまない。私は貴殿を少し見くびっていた。まさか…本気でソウェスフィリナの事を考えておられたとは……」
シウォンは怪訝な顔をする。
「失礼を承知で言わせてもらう。貴殿らは本当にこの同盟を成す気でいるのか。私は、王女をもらい受ける話を聞いたときより、それが無駄とならぬことを考えてきた。しかし、貴殿らが我々を信用もせず疑いの目を未だに持っているのなら、同盟が崩れるはそちらの問題となろう。違うか、レイヴィス王子」
シウォンは淡々とした口調で話していたが、至極真っ当なことを話していた。レイヴィスは顔を真っ赤にしてため息をつく。
「…貴殿らを信用していないわけではないのだ。だが、妹の事を思うとこの同盟のおける貴国との関係を慎重に思わざるを得なかった。貴殿のその計画も、ソウェスフィリナとしては感謝する以外にない。だが…」
レイヴィスは口ごもった。
「イスファターナが水という貴重な財を与えてくれるのだ。ソウェスフィリナはそれに対するものを交換せねばならない。そのための助力を私は惜しまない」
「こちらとしては貴国の王女殿下をもらい受けるのですから、それに見合う代価として提供したまで。ところでレイヴィス王子。貴国はレンガの生産は盛んですよね?」
レイヴィスは「ああ」と答えた。
「貴国のレンガで水路を作りたい。リフキア、説明できるな」
突然シウォンに指名されて、リフキアは兄の顔を見た。その表情からして試されているというより、信じられているとリフキアは感じた。
「…では、説明させていただきます」
レイヴィスは頷いた。
「イスファターナには石で作られた橋が存在します。しかし、石では切り出しに時間がかかりすぎる上、運ぶための運送費も必要です。その石橋を作る要領で、貴国の煉瓦を用いた水路を作れないかと考えています。レンガであれば貴国の風景にも馴染み深いのではないでしょうか」
「…それでレンガを」
「これは貴国の支援あってこそできるもの。皇太子殿下含め私は、貴国にレンガの製造と運搬をお願いしたいのです」
リフキアはちらりとシウォンを見た。その表情はうっすらとだが笑っている。
「…本当に、貴殿らには驚かされてばかりだな」
レイヴィスは自分を反省していた。
「ケイト、ユンハンス。明日にでも帰国する」
「また急ですね」
ケイトはやれやれと言いつつも、その表情はどこか嬉しそうだった。
「シウォン殿下にリフキア殿下。一週間後に王女がやって来る時、できるだけよい返事ができるように計らおう」
「期待しています。次にお会いするときには、真の貴殿にお会いできると信じております」
「…なかなかに容赦願いたいものだな、まったく」
レイヴィスも側近のケイトとユンハンスもシウォンの洞察力に完敗だった。その事をリフキアはあとで知らされた。
「すべて、こちらを試していたんだよ。俺が妹を差し出すのに足る相手かという以上に、同盟を結ぶ相手に足るかどうか」
「…では」
「まあ、うまくいったんじゃないか?お前も、ちゃんと言うべき事は言えていた」
兄弟の様子をナフカとキシュが微笑ましく見ていると、部屋の扉がノックされてナフカが出る。そこにはレイヴィスの側近、ユンハンスの姿があった。
「夜分に失礼を。キシュ将軍…いえ、今は武官殿でしたね。任務中とは思いますがお時間をいただいても構いませんか」
「……殿下、少し離れても?」
キシュは言った。
「ああ」
「じゃあナフカ、頼む」
キシュはそう言ってユンハンスと宿を出ていった。
近くの川の岸辺に座って、二人は不思議な気分で川の流れを見つめていた。
「…呼び出しておいて何も言わないのか」
「すみません。少し不思議な気分に浸ってました。因果は巡るといいますが、私とあなたの縁はもう終わったものだと思っていましたから。覚えていますか?私はあなたのファンでした。それは今でも変わらない。いいえ、あの戦いの後から思いは一層強くなりました。殺し合いをしたというのに」
「……覚えている。あの時のことはすべて」
「……それは、なんとも嬉しいものですね」
ユンハンスは小さく笑う。
「私はあの戦争のあと、まあそれなりの責任を負わされまして、辺境の地に飛ばされました」
ユンハンスがあまりにも軽く言うので、キシュは逆に不審がった。
「…あんたはあの時ただの将軍だったはずだ」
「それですよ。ただの将軍だったはずの人間が、右軍の作戦指揮を担うことはまずあり得ない。そう咎められました。私としてはただの将軍として、他の将軍と同じく作戦案を出しただけなのですが、右軍の大将がそれを高く買ってくれたばかりに、他の将軍から妬みを買っていたわけです」
「それは…気の毒だったな」
「ええ、本当に迷惑な話です。まあ、幸いにもレイヴィス様が一ヵ月もしないうちに私をお呼びくださいました。あの方は人を見る目があるような、そんな気がします」
ユンハンスは笑いながら言う。
「あなたはどうして殿下にお仕えを?」
キシュは少しためらいながら答えた。
「俺が戦場で戦う理由は殿下だった。あの人の道を守るために、俺は剣を使う。それは今でも変わっていない」
「シウォン殿下でしたか。噂に聞く通り有能なお方ですね。先程は失礼な真似をしました」
「…ソウェスフィリナは本当に大丈夫なのか」
「一枚岩ではないことは確かです。同盟に反対する者がいることも事実ですし。ですが、先程の水の件は本当にソウェスフィリナの助けになる。これを聞けば少しは考えを見直す者も出てくるでしょう」
キシュは立ち上がった。
「王子に伝えておいてくれ。王女殿下を守る責任者はあの『雷帝』だと。うちの殿下はこの同盟を成功させるつもりでいると」
「雷帝の加護があるとは、頼もしい限りです。お伝えします」
「……ユンハンス殿、俺達はあの戦いを知る人間だ。六年前の事を互いに忘れることはできないだろうが、あの凄惨な過去を繰り返さないのが今の俺達の役目だろう。俺はイスファターナからそれを成してみせる」
「そうですね。では、私はソウェスフィリナから。この同盟のあと、必要以上の血が流れないよう努めましょうか。キシュ殿、今日あなたに会えて本当によかった」
キシュは何だか恥ずかしくなって顔を背ける。
「キシュでいい。あんたの方が年上だろう」
「…それもそうですね。では私の事もユンハンスで構いませんよ」
二人は宿に戻っていった。その背を月の光が照らしている。
夜中、部屋の窓がコンコンと音をたてた。
ナフカはキシュと交代で起きていたので、窓をゆっくりと開けた。
「少し話しませんか」
テラスに出るとセシルが屋根の上にいた。ナフカは屋根の上に登る。
「お久しぶりです、ヒュバル様」
セシルは深々と頭を下げた。ナフカは首を振った。
「やめてくれ。それに今はナフカで名を通しているんだ」
「いいえ、あなた様は虚空の頂点に立たれる方。私があなた様への態度を変えることはできません。あなた様こそ、私への敬語はお止めください」
頑ななセシルにとうとうナフカは折れた。
「…せめて名前はナフカで呼んでくれ。この下にいる仲間には過去を伝えていないんだ」
「わかりました。それにしてもお久しぶりです」
ナフカは久々の再会を喜んだ。
「劇団をやっているそうだな」
「ええ。私以外にも数名、虚空がおりますけどお気付きでしたか?話しかけないように伝えていましたが」
「すまない、気遣わせたな。もちろん気づいていたと伝えてくれ。元気そうでよかった」
「ナフカ様はお元気でしたか。ハクから様子は聞いていましたが、六年も会えないと皆、心配していたのですよ」
「とある方の側近をしている。なかなか休暇も取れなくて、私もハクを通してみんなの事を聞いていた。私は元気だったよ」
ナフカはそれからこの数年であったことを話した。そして過去の話に花が咲く。
「昔と変わったことと言えば、私は夜が嫌いになった」
「…」
「ああ、違う。こうして起きて誰かと話していれば全然問題はないんだが、夜空を一人で見つめてしまうと、とても心が苦しくなる。特に月の光は過去の楽しかった時間を思い出させる」
「確かに、あの方は月や星をよく眺めておいででしたからね」
ナフカは小さく笑った。
「そう言えばこの前、久々にツェラテンを作った。都にツェラテンを売るカフェができて、それを所望されたので、買いにいくこともできなかったから作ることになった。昔はよく作っていたんだが、まさか今になって作ることになるとは思わなかった」
「ナフカ様のは絶品でしたからね。あの方もよくそうおっしゃってました。それこそ、ナフカ様があの方に仕え始めた頃は自慢までされていましたよ」
「えっ?」
「俺はいい弟を持ったって、よく言っておられました」
ナフカは心がじんわり温かくなるのを感じた。
「ああ…ダメだな。恋しくなる」
ナフカは目元を押さえた。
「ダメなんてことはありませんよ。どれも今のナフカ様を作った大切なものなんですから。普段、公に昔話を出来るわけでもないんですから、今くらい、昔の姉貴分を頼ってくださいよ」
セシルはナフカをぎゅっと抱きしめた。その抱擁は先日までの悲しみを溶かしていくように温かかった。セシルの肩にはたはたと涙がこぼれる。
八つも年の違うこの幼い肩に、普段は何倍も気を張り詰めて生活をしているのだと思うと、力になりきれてない自分を叱りつけたくなる。
かつて恋すらしていたかの人は言っていた。
『あいつは俺にはもったいなさ過ぎる。俺はあいつのもてる才を見つけることはできても引き伸ばしてやる力がない。下手をすれば一国の宰相にだってなれる力があるのに。俺のこの力では役不足なんだ』
過去を隠していると言っていた。国に仕える人間が元暗殺者ではいけないこともだろうが、それ以上に帝国とのかつての関わりが何か問題を起こしたときに、傷つけないためなのだろう。
でも一番の理由は、自分の大きな傷になっているあの事件を知られたくないということなのか。
「…セシル、苦しい」
気づくとセシルはナフカを力の限りに抱きしめていた。
「も、申し訳ありません…」
「いや、本当にセシルは私の姉のような存在だったから。慰めてもらえて嬉しいよ」
ナフカの笑顔にセシルは胸を射ぬかれる。
「…だから、これはセシルを縛ることになるかもしれない」
ふと、ナフカの表情に陰が差した。
「ハクに今、帝国に行ってもらっている。すぐではないと思うけど、帝国と対立する日はやって来ると思う。帝国に関する情報が入ったら報せてほしい」
「そういえばソウェスフィリナと同盟を結ぶのでしたね。わかりました。私もできる限りに報告をいたします」
「ありがとう…今日は本当に助かった」
ナフカは少し目元を腫らして部屋に戻っていった。
ふと、ずっと背を照らしていた今日の月は満月だった。セシルは月に向かって手を合わせる。
「ヒュバルを…守ってやってください。今でもあなた様の存在はあの子のなかでとても大きいのですから」
セシルは過去に思いを馳せて、自分の手を眺めた。
「決して…あの頃をよかったと言うわけではないけれど」
それでも懐かしんでしまうほど、恋しく感じてしまうほどに、満ち足りた時だった。
月を見れば悲しくなるとナフカが言った意味を納得した。
確かにこれは―耐え難く悲しいものだ。
セシルは静かにこぼれる涙を拭いながら月が山に消えていくまで見つめていた。




