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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
三章 キシュの過去
33/125

懺悔


 イスファルに着いてからもキシュの意識は戻る気配を見せなかった。そして、混濁した意識のなかで、キシュは何かと戦っているようである。額からはベットリとした汗を流し、眉にはぎゅっと力が込められ、時に唇を噛んで血を流す。

 グレンはそんな友の姿を見つめながら、友の背負った重責に心を痛めていた。

 

 ウィジュグラードの最終日、あの日は多くの命を失った。半数以上の死傷者を出し、歴史を遡っても類を見ないほどの犠牲者であった。国はそれを公に公開こそしているが、そちらに目を向けさせないように、キシュを英雄のように讃えた。

 重症で意識のなかったキシュは、イスファルまでの帰途の、民が向けたあの歓声を知らない。グレンは友を讃えたその歓声を素直に喜べなかった。そしてそれは軍学校を共に卒業した、キシュ隊の兵士達もそうだった。

 イスファルに着くと、兵としての階級や報奨をこれまでの非にならないほど渡されたが、彼らはそれをすぐに軍に返上した。そして彼らはいつも通りの給料だけ手にとって、その日は酒飲みをしたという。

 

 じっと友の顔を眺めていると、部屋の戸が叩かれた。

 

 「やあ、グレン」

 

 今回の戦いで多くの功績があるのはこの人の働きといってもいい。右軍将軍、ラファエル=ラズベガー。キシュの立てた計画であったとはいえ、実際にそれを運用してみせたのは彼である。ところが彼も今回のことでの昇進や報奨を辞退したらしい。

 

 「どうだ?」

 「…未だ目が覚めません。傷からの出血が多かったことと、熱が長引きましたので…」

 

 ラファエルはうなされているキシュを見つめながら言った。

 

 「…そうか。お前も左目を負傷したそうだな。キシュについていてやりたいのは分かるが無理はするな」

 

 グレンは首を振る。

 

 「私はよいのです。あの時左軍は、キシュがいなければ突破されていた。キシュに国防の全てを託したような形でした。本当に…私は何もしてやれなかったんです」

 

 そう口にして、グレンはより己の無力さを体に刻み込んだような、そんな気持ちとなった。 その拳は硬く結ばれ、涙が溢れてくる。慌ててグレンは涙を拭った。上位の将軍の前でこんな醜態を晒してしまったと恥じる。

 すると、ラファエルはぎゅっとグレンを肩を掴んだ。

 

 「悲観をするな、グレン。お前の負傷は、キシュを守った。お前がいなくてはこいつは死んでいた。なにもしてないことはない。それを言うなら私の方こそ、何の力にもなれなかったのだからな」

 

 すると、部屋の戸がノックされて二人の武官の姿がそこにあった。

 

 「ミュンツェル様!ギュンター様!」

 

 グレンは慌てて立ち上がる。ラファエルは苦笑いした。

 

 「君ら二人がここに来るなんてね。来る時を間違えたかな」

 「お前ら軍人と違って俺らは忙しいんだ」

 

 互いに軽く嫌みを言い合う。

 ミュンツェル達とラファエルはほぼ同い年。そしてあまり仲は良くない。だが、こうして言い合いをしてこそいるが、戦場では互いを信頼しあっている。

 

 ミュンツェルはキシュの眠る寝台の前に立ち尽くして、じっと眺めた。

 かつて、キシュが自分に訴えた。人を殺した感触が消えない―と。それを聞いたとき、キシュが自分の写し鏡のように思えた。同時に、救わなければとも思った。

 精神的に軍人を続けることが難しくなって、ミュンツェルはギュンターの進めもあって近衛庁に入った。近衛庁に入ったものの、キシュのことを常に気にかけていたミュンツェルは、何度とギュンターに様子を見に行かせた。

 キシュの率いる隊の話をギュンターから伝え聞いたとき、思わず笑ってしまった。キシュの隊の兵が言ったらしい。

 

 「守るために、戦う。それぞれが大切なものを持ち、それを守るための家族がキシュ隊」

 

 キシュらしいと思った。

 軍に在籍すれば大抵が染まっていく。最も人の命に近しい軍人は、心を持たない獣へと変貌していく。『慣れ』と呼ばれるそれほどこの世で恐ろしいものはないだろう。

 話を聞いて、かつて過去の自分にキシュを見たことがあったが間違いだと確信した。その瞬間、キシュの姿に自分が傑物と出会ったような高揚感を覚えたし、その出会いを喜んだ。しかし今、目の前にあるのはその傑物の裏側の姿。偉大すぎる光の陰には大きな闇が待っている。

 キシュの英雄伝と一緒に重症を負っていると報せを聞いたとき、ミュンツェルは己の無力さに腹を立てた。誰かが気づけたはずだった。度重なる武勲による異例の昇進と、それに伴う重責。戦場に立って四年の青年にそれを負わせた責を、どれだけの人間が気づいているのか。そして、真の英雄と呼ばれることになったかもしれない一人の傑物の運命を救えなかったはどれだけの未来への損失だったのだろうか。

 

 

 「聞いたよ、グレン。左軍のワーベル将軍の瀕死の事態に、キシュが左軍を率いたって」

 

 ギュンターが言う。

 

 「はい」

 「他にも実践経験の多い将軍はいたんだろ?どうしてキシュに?」

 「副官として以上に、キシュに対してのワーベル将軍の直々の命令でした。それに、他の将軍方も認めておいででした」

 

 ギュンターは深く息をつく。

 

 「実力を認めたんだね、将軍は」

 「キシュが全軍の指揮をしていたと言っても過言じゃない。俺の伯父モルテリオも、中央軍のテガン将軍も総大将でさえも最終日、キシュの作戦に乗ったんだ」

 

 ラファエルが言う。

 ミュンツェルはキシュの手を取った。

 

 「キシュ、お前は何と戦っている。お前が戦う理由は何だった。夢の中にその理由があるか?お前の将軍としての責務は、そんなに簡単に折れてしまうものだったのか」

 

 ギュンターにはそれがミュンツェル自身に問うているように聴こえた。そしてそれを述べると、ミュンツェルはギュンターに言った。

 

 「帰るぞ、ギュンター」

 「えっ?」

 「言うことは言った。それに、近衛はそう暇じゃない」

 「…ったく、自分勝手なんだから。じゃあ、グレン。目が覚めたらまた連絡して」

 

 二人はそうして、部屋を去った。

 

 「俺も帰るよ。グレン、無理せずに、頼んだ」

 

 ラファエルも去っていく。グレンはその後もずっと友の手をぎゅっと握っていた。

 

 





 キシュが目覚めたのはそれから一週間後だった。

 だが、その体は全く食を受け付けない。それだけでなく、なにもしていなくても突然涙が溢れてくる。キシュは明らかな体の異変に、精神を病んでいた。

 

 「キシュ…何か口にしろ。死んでしまうぞ」

 

 グレンは言った。だが、キシュは差し出されたスプーンに乗る粥を恐れるように体を震わせる。結局、医師が針での精神を休める治療を施す他に、対策はなかった。

 

 「どうだ?キシュは食事を食べられたのか」

 

 このところ昼休みになればミュンツェルが一人でやって来る。そしていつも、旬の果実を届けてくれるのだ。

 

 「いいえ。食事に対して怯えているのです。そして近づければはねつける状態で…」

 「もう目覚めてから何日が経った?食べぬのであればからだがもたないだろう」

 「……」

 「…すまん。お前を責めている訳じゃないんだ」

 「わかっております」

 

 グレンは全面にキシュへの心配を見せているミュンツェルに言った。

 

 「ミュンツェル様、あいつは戻ってきます」

 「…当たり前だ」

 「いえ…そうじゃなくて。あいつ、敵の将と戦う前に言ったんです。俺には未来の月の加護があるからって」

 「…未来の月?」

 「急にどうしてそんなことをキシュが言ったのかわかりませんが、あいつはそのためには何がなんでも生きると、そう言ったんだと思うんです」

 

 すると、キシュの部屋の戸がカチャリと開いて、涼やかな面立ちの少年が入ってきた。

 

 「三年ぶりか、キシュ」

 

 少年が口を開いた。ミュンツェルは慌てて少年に頭を下げる。わかっていないグレンには耳打ちで少年の身分を告げた。グレンは真っ青になって深々と頭を下げた。

 

 しばらく少年とキシュの見つめ合いが続いていた。その静寂を破ったのは他でもない、キシュだった。

 

 「…皇太子殿下」

 

 そう呟いたキシュの目からは涙が溢れていた。皇太子ことシウォンはキシュを静かに抱きしめた。

 

 「キシュ…国を守ってくれたのだな。恩に着るぞ」

 「…っ」

 

 キシュはなおも涙が止まらなかった。シウォンはキシュの背に回した腕を解くと、キシュの目をまじと見て言う。

 

 「ウィジュグラードでは大義だったな。この国の皇太子として礼を言う」

 「…」


 キシュは心の奥がキシッと痛むような感じを覚えた。

 

 「辛いか?」

 

 シウォンに言われて、キシュは返事ができかなかった。

 

 「ウィジュグラードの熾烈さは、これまでに類のなかったものと聞いた。お前がいなければイスファターナは負けていたと、総大将のケッヘリンガーが言っていた。答えよ、キシュ。何が辛いのかを」

 

 キシュは手先が冷たくなり、震えるのを必死で止めていた。

 

 「…私は、多くの人間を焚き付けました。愛するもの、大切なものを守るためには戦わなくてはならないと。そうして…イスファターナ兵の半数が命を落としました。敵軍の兵も合わせれば何万という命が、私の指揮と命令によって失われました。どんな大罪よりも恐ろしい、人としての罪を犯した…たとえ、この国の人間や殿下の未来をを守るためであっても!許されることじゃないのです」

 

 そう叫ぶキシュを、ミュンツェルもグレンもただ見守ることしか出来なかった。むしろ、この時、取り乱したキシュの姿を初めて見たのかもしれない。

 

 「キシュ…覚えているか?」

 

 キシュの冷たい手先に、温かな手が添えられた。

 

 「帝や私が守らなくてはならないのはこの国ではなく国民だと、私はかつてお前によって気づかされた。この三年、そのための努力を私はしてきたつもりだ。同じくお前は三年で軍を率いる将となってくれた。私の側で力となってほしいと言った、あの日のことを忘れないでいてくれていると、お前の武功を聞くたびに感じていた」

 「…っぅ」

 「国民を守るのは私の責務。しかし、今回の戦いで、私も帝もそれができなかった。お前一人の肩に、何百万のイスファターナの命を預けた。すまなかったと一言では到底謝りきれない。お前の罪ではない。我々皇族の罪だ」

 

 キシュは首を振る。

 

 「そんな…殿下や帝の罪だなんて仰らないで下さい」

 「いいや、キシュ。我々の罪だ。お前はこの国の、私の恩人だ。多くの命が奪われたことを否定はしない。お前がそれに苦しむのも否定しないし止めもしない。だがイスファターナはこれからだぞ、キシュ」

 「これから…」

 

 シウォンは真摯にキシュの目を見ていた。その目に、キシュは圧倒される。

 

 「キシュ…数年の後、ソウェスフィリナか帝国か、どちらかと同盟が結ばれる」

 「!」

 

 見開いたキシュの目からは、深い青色のシウォンの瞳が、包み込むような温かさでキシュを見ているのがわかった。

 

 「…不可能と思うか?互いの国の文化があまりに違いすぎるからな。当然だ。これまで国境をそれぞれが閉ざし、文化が交じるのを嫌ったのだから。だからどちらかと同盟が結ばれれば国境の門は開かれる」

 

 キシュはシウォンに再びぎゅっと抱き締められた。

 

 「お前の起こしたことが罪と言うなら、私が半分を背負ってやる。消えないのであれば二度と起こさなければいい。そんな世界を私は作る。だから今こそ私の力となれ、キシュ!」

 

 キシュの涙はいつの間にか止まっていた。

 

 「私の側近となれ、キシュ。三年前の約束を、今果たしてはくれないか」

 

 止まっていた涙は再び、流れはじめた。そしてこの瞬間、キシュの閉ざされた闇の世界にひとつの手が差しのべられたのである。

 

 「はい。お受けいたします、殿下」

 

 シウォンはにこりと笑った。

 

 「ミュンツェル、準備はお前が頼まれてくれるな?キシュを即私の側近にしてくれ」

 「…仰せのままに。持てる力を使い、必ずやお心に沿いましょう」

 

 ミュンツェルは部屋を飛び出した。

 その心はすべてのことに対する感謝だった。キシュは皇太子シウォンでなくては救えなかった。キシュを救える人物がいたのだということに、世界の神々と運命への感謝を告げた。

 

 キシュを休ませ、シウォンは部屋を出ていく。グレンはそれを追った。

 

 「殿下!…お引き留めして申し訳ありません。しかし、どうしてもお礼を申し上げたくて」

 「礼?」

 

 グレンは言う。

 

 「キシュは…ずっとずっと戦場で仲間の分まで守りたいものを背負ってきていたのだと思っていました。でも、キシュにはあなた様という守るべき方がいたのだと確信しました。キシュをこれまで生かしてくださってありがとうございました」

 「…その私は、キシュに死線を味あわせたのだぞ。感謝されるべきことは何もない」

 「いえ、キシュにとってはあなた様が戦う全てだったのです。そして今、キシュに光を見せてくださった。友として感謝を申し上げます」

 

 シウォンはグレンに尋ねる。

 

 「そなたの名は?」

 「グレンです」

 「グレン、キシュは父上から姓を与えられている。その姓をそなたも名乗ることを許す」

 

 与えられた姓はコンワート。古代大陸語で獅子という意味を持つ。

 

 「いや…しかし私は」

 「よい。お前はキシュと共にこれまで戦場に生きてきた兄弟のように深い仲であろう。名乗る資格は十分だ。それに、私はキシュを近衛に引き込む。お前から取り上げたも同然だ。もらえるものはもらっておけ。士族となれば出来ることも増えるだろう。その力の分だけ、これからもキシュを支えてやってくれ」

 

 およそ十三歳の皇太子は、巧みな人心掌握をやって見せた。グレンはこれを引き受けることにしたのである。

 

 

 




 

 「正直、今でもソウェスフィリナと名を耳にすれば心が痛む。でも、殿下に俺は救われた」

 

 キシュは深く息をついた。隣のナフカはうなずく。

 

 「珍しくキシュの話を聞いた。俺も殿下の背負う半分のもう半分を背負おう」

 「俺の背負う分が無くなるじゃないか」

 「さっきみたいに悩んでいる時間もあるんだ。普段は俺や殿下に背負わせてくれ。それにたぶん、ソウェスフィリナとの未来はすぐそこだぞ、キシュ」

 

 ソウェスフィリナの王女が来るのも間もなくのこと。キシュも頷く。

 

 夜明けはもうすぐのところまで来ていた。

 イスファターナに新しい風が入ろうとしている。その風はイスファターナにとって吉となるかは、まだ誰にもわかっていない。

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