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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
三章 キシュの過去
32/125

その名は『雷帝』


 「敵総大将ロスキアス、キシュ将軍が討ち取ったぞ!」

 

 グレンがキシュを支えながら叫ぶ。キシュは最後の一撃で、ロスキアスを絶命させた引き換えに左肩から胴に至るまで斬られていた。

 

 「大丈夫か、キシュ」

 「ああ。それより…俺が負傷していることは広めるな。無理とは思うが」

 「わかっている。よくやったよ」

 

 キシュは疲れた体を起こして戦況を見つめた。自分がいるところにはグレンが拠点を作ってくれていたが、その回りは将軍を倒されて奮起した兵士達とイスファターナ兵との乱戦になっている。

 

 「グレン、隊を二分して片方をお前に任す。ユンハンスが出てくるまではここに残る将を倒さなくては」

 「数を削るんだな」

 

 その言葉にキシュは苦い顔をする。

 

 「…抜かせないためには必要なことだ」

 「お前だけには背負わせないさ」


 それから二人は切り込むように敵の隊に入り、連携を乱していった。

 特にその力を発揮したのはキシュである。その奮戦ぶりには敵だけでなく味方も圧されていた。そしてイスファターナ兵達はそれによりさらに奮起した。

 ソウェスフィリナの兵達は目の前に起こる血煙と恐怖の地獄のような光景に、怯まずにはいられなかった。そして誰か一人の兵がこう呟いた。

 

 「…雷帝」

 

 風と例えられる自軍の将軍、レイティスに勝る速さと鋭さ、何よりもその風格を捉えてキシュのことをそう呼んだ。そしてそれは次第に広まっていく。

 キシュは敵右軍の将軍を二人討ち取り、その後方に隊を置く将軍、ポワンにむかって襲いかかった。

 

 「残虐な悪魔めが!敵をそれだけ倒してもまだ足りぬか!」

 

 ポワンはキシュと剣を交えながら叫んだ。

 

 「…ならば、そちらが撤退なさるがよろしい!我々は国を守るために戦っている!侵略者に屈するわけにはいけないのだ!」

 

 怒りに震えながらキシュは強い一撃をぶつける。その時だった。

 

 風を切るような音がキシュの耳横をかすめていった。そしてキシュの後ろを守っていた兵を倒す。同時にうっすらとキシュの耳から赤い血が流れる。

 

 「…ええぃ、ポワン!邪魔をするな!」

 

 ソウェスフィリナ軍後方で白弓を引きながら叫ぶのはレイティスだった。そして次から次へとキシュにむかって矢を放つ。昨日、ワーベルを狙ったときよりも戦況が乱れているためになかなか照準が定まらない。

 レイティスはキシュに矢が当たらないと見るや今度はキシュの馬を狙って放った。そしてそれは確かに命中した。

 馬が悲鳴をあげて倒れる。キシュは地面に叩きつけられるように落馬した。

 

 「…っ将軍!」

 

 兵達があわててポワンとの間に入ろうとする。しかし、もはやそれは間に合わないと見えた。ポワンの長槍がキシュに向けられた。

 

 「これで、最期だ!」

 「っ!」

 

 キシュは何とか痛む体を捻らせて避けた。

 そしてキシュの護衛の兵達がポワンに斬り込む。だが、ポワンの槍を前に皆が倒れていった。

 

 「これで本当に最期だな」

 

 ぎらりと目を光らせてポワンは長槍を構える。瞬間、キシュの前に黒馬がやって来て、その長槍を柄から切り落とした。

 

 「キシュ!!」

 

 グレンであった。その背後に陰が差す。ポワンが腰の剣を引き抜いて振りかざす。強い殺気に気づいたグレンは振り返った。

 

 「こんの…!」

 「!」

 

 赤い鮮血が宙に舞った。よろける黒馬の主に悲鳴が上がる。

 

 「グレン!」

 

 キシュは叫んだ。

 

 「っ…うぉぉぉお!」

 

 グレンは持っていた剣を負傷しながらポワンに斬りつける。体勢の整っていなかったポワンはそれを防ぐことはできなかった。

 ポワンは馬上から落ちていく。

 

 「グレン!」

 

 キシュは何とか体を起こして兵が用意してきた馬に飛び乗り駆け寄った。

 

 グレンは左目を負傷して流血を手で抑えていた。

 

 「…っ、大丈夫。お前が無事で何よりだ」

 「何を言っている!早く手当てを」

 「キシュ!」

 

 グレンは残された片目でキシュを捉え、叫ぶ。

 

 「俺に構うな!もう敵はそこだぞ!」

 

 グレンが言うように、もう目の前にはユンハンス率いる軍がやって来ていた。グレンが体勢を整えるように伝える。キシュはじっと、ユンハンスの姿を馬上で追っていた。

 

 「キシュ将軍。君らのお陰で、我が右軍の状況はすこぶる悪い」

 

 ユンハンスは言った。キシュはユンハンスに向き直ると厳しい表情で尋ねる。

 

 「うちの将軍を裏切り者に仕立てあげたのは貴殿の仕業か」

 「…なるほど。今朝方連絡が入らなかったのはもしやと思っていましたが、やはり見破られたのですか。しかし、そんな事はもはや小言に過ぎないでしょう?」

 「…彼が楽に死ぬか、苦痛のうちに死ぬかの差がある。私にとっては小言ではない」

 

 ユンハンスは小さく笑う。

 

 「見上げた志だ。誰よりも人をその手に屠ったからこそ今の地位にある。そんな人間の口からそのような言葉が聞けるとは、感動ものです」

 

 キシュはすらりと剣を抜いた。

 

 「…そもそもは貴殿らソウェスフィリナが侵攻してこなければよかったのだ。侵攻などという馬鹿な真似をしてくれるお陰で、得たものはなんだ!両国の亀裂は深まるだけだろう!貴士族の貴殿らにはわからないかもしれないが、国民はお前達が思うほど国の頂点にいる皇族や貴士族に大した興味を持ってはいない。無論、尊敬も崇拝もしているが、はっきり言えば誰が帝でもそれは同じ。平民にとっては明日を生き延びること、それが日常だ」

 

 両軍の兵は静まり返っていた。明らかにキシュの声には怒気が混じっていた。その気に敵兵達は圧され、キシュ軍の兵はキシュの気持ちに応えるように目の前のユンハンスに明らかな怒りと嫌悪の念を向けていた。

 

 「この先には俺達と同じ平民が暮らしている。他人の命を奪う剣を取ったからには全力で大切なものを守るために生きることがせめてもの役目。俺達の軍はそれを知っている!お前達の軽い剣と同じにしてもらったら困る!」

 

 急に空から太陽が消え、真っ黒な雲が戦場をおおった。そして激しい雨が両軍を襲う。

 キシュの言葉に奮起したイスファターナ軍の兵の目には静かな闘志が宿っていた。明らかに疲弊しているのはイスファターナ軍。しかし指揮の高さにおいて軍配はイスファターナに上がるだろう。

 

 「……キシュ将軍!」

 

 ユンハンスは、雨の中でも戦場の奥にまで通る声で言った。

 

 「この戦いに、落ちどころをつけようか」

 

 その声は怒りで熱くなっているキシュさえも冷静さに引き込むような力を持っていた。

 

 「確かにこちらの右軍大将は討たれたんだし、本来ならそこで終わりだ。だが、昨日の君らと同じようにここの戦場は私が引き継ぐ。我々の目的はあくまで都イスファルだ。本陣の総大将はいまだ健在。私か総大将が倒れぬ限り、この戦いは終わらぬことは、わかっているだろう?」

 

 ユンハンスが剣を抜いた。

 

 「ユン様」

 

 レイティスが不安げに声をかける。

 

 「レイティス、邪魔はしないよう頼みますよ?」

 「…しかし」

 「相手は手傷を負っている。一方で私は無傷だからね」

 

 遊びにいくような雰囲気でユンハンスはレイティスに言った。

 

 「キシュ…」

 

 グレンはキシュを横から心配そうに見ていた。すでに手当てした傷口から血が滲んでいる。顔色も良くない。

 

 「受けるよ。お前はその目の手当てをして、万一に何かあれば俺の代わりを頼む」

 「…お前に万一なんてあるのかよ?」

 

 少し怒気を含んでグレンが尋ねる。

 

 「無いさ。俺には行くところがある。未来の月の加護があるからな」

 

 キシュは馬首を進めた。両軍の兵が、互いの将を見守った。

 

 「怪我をしているからといって遠慮はしませんよ?」

 「遊びじゃないんだ」

 「…そうでしたね」

 

 一つの雷鳴と共にキシュが動き出した。その一撃をユンハンスの剣にぶつける。

 

 「…っ!(重い)」

 

 ユンハンスはそれを受けて、今度は自ら攻めに出た。

 

 「ユン様が攻めに…?」

 

 レイティスは手綱を握るその手をぎゅっと固く結んだ。普段は守りに徹して受けに回り、相手の筋を見極めてから攻勢に出るユンハンスのいきなりの攻めに、レイティスは汗をかく。

 

 その後も二人の剣は激しくぶつかり合った。

 キシュは胸の傷が裂けるような痛みを感じつつあった。甲冑に血が滲んでいる。

 

 「その怪我、軽くはないのでしょう。庇いながら戦っているみたいですが、今のままではあと三擊であなたは私の剣の餌食となりますよ?」

 「…あと三擊?それまでにお前を叩けばいいだけだ!」

 

 またもキシュの攻勢で、強い一撃をユンハンスは受ける。受け続ける度に、だんだんと重さが増している気がする。

 ユンハンスはキシュの勢いに、馬ごと後ろに押し返された。その時ユンハンスの頬にキシュの剣がかすめる。うっすらと赤い線が白い頬に描かれた。

 

 「…化けはじめるか、キシュ」

 

 ユンハンスは頬の血を拭って、自ら攻勢に出た。あまりの速さに、キシュは何とか剣を受けるが体勢を崩した。

 

 「速い!」

 

 ソウェスフィリナ兵は言った。

 

 「将軍が剣を奮うところなんて…まさかこんなに実力のある方とは」

 「当たり前よ。ユン様は幼い頃からそれは厳しい修業を積まれていた。私はそのユン様に剣を習った。速さは私の倍、私は一度として勝ったことがない」

 

 レイティスはそう言いつつ、ユンハンスのいつになく真剣な表情に不安を感じてもいた。いつも飄々とこなしてしまうユンハンスが、キシュ相手に苦戦を強いているように見える。レイティスにはそれが恐ろしかった。

 

 「レイティス」

 

 呼ばれたレイティスはびくりと体を震わせた。

 

 「そう心配しなくても大丈夫です。私はここで死ぬわけにはいきませんから」

 

 そう言ってキシュにこれまでで一番強い一撃を与え、そして次の攻撃をすぐに与える。

 

 「本気になってくれた、そう考えていいようだな」

 

 キシュは腕の筋が熱をもって痛むのを感じた。ピリピリと痺れてすらいる。もってあと数撃が限度だろう。それ以上となると今後剣が握れなくなる。それはユンハンスも同様に感じていた。今日だけで考えればキシュと戦っているだけなのである。それにもかかわらず、腕に痺れを感じている。

 

 「さあ、決着と行こうか」

 

 ユンハンスが剣を構え直すのとほぼ同時に、両軍の兵が沸いた。ユンハンスは兵達が指差す後方を向く。ソウェスフィリナ本陣が敷かれているはずの場所から火の手が上がっている。

 

 「きゅ、急報!」

 

 ソウェスフィリナの伝令が飛ぶ。ユンハンスはキシュを一瞥して、それから剣を下ろして伝令を受けた。

 

 「本陣、総大将レオグラーム様が討たれましてございます!」

 

 両軍が静まり返った。

 

 「……本陣を守る将軍は?」

 「恐れながら皆様、捕らわれた次第…。敵右軍の将が本陣陥落を報せるため、本陣の天幕に火をつけているようです」

 「現状は?」

 「はっ…敵右軍の別動隊の攻撃に遭い、本陣は急襲を受け、混戦の中、敵中央軍の突破隊の出現により壊滅です。ここに来る途中に見たところによりますと、左軍は未だ敵右軍の猛攻に遭っており、中央軍も混戦のため指揮系統に乱れがあるようです」

 

 ユンハンスは深く息をついて、それからゆっくりとキシュを見た。

 

 「聞いていたと思いますが、本陣が落ちました。この上はせっかくの決着も持ち越しになりそうですね」

 「…」

 

 ユンハンスは振り返ってレイティスに言う。

 

 「この場の収集をしなくては。全軍に退却の命を頼みます」

 「…はい、ユン様」

 

 レイティスが後方に下がると、ユンハンスはキシュに馬を寄せた。

 

 「さて、少し話をしませんか。キシュ将軍」

 「…話?たった今まで切り合っていたんだが」


 キシュの言葉を無視してユンハンスは言う。


 「まずは右軍の将として、申し上げる。まずはこの場にいる兵に今後一切の戦闘を禁止していただきたい」

 「…それはこちらから言うべきことと思うが」

 

 キシュはグレンの持つ旗を指した。ユンハンスに伝わったかどうかは定かではないが、この旗には戦闘終了を報せる意味がある。

 

 「ありがとうございます。それから、右軍の本陣を落とした将軍に、その手腕を称えると共に感謝を伝えていただきたい」

 「…了解した」

 

 ユンハンスは朗らかに笑うと今度は個人としてキシュに言った。

 

 「それからですね、私は今でこそ貴士族で、レンテンベルクの姓を与えられていますが、元は平民です。ですから、あなた方には親しみを感じていました。あなたのことはずっと情報を得させてもらいましたし、いわばファン、ですね。あなたのことを否定するようなことを申しましたが、こちらも本心です」

 「な…」

 「ですから、決着を決められなかったのは本当に残念ですし、これはあなた方に有益な情報ですが、ソウェスフィリナは少なくとも今後五年は大きな戦争を仕掛けることはできません。私も今回の責を負うことになるでしょうし、もう二度とお会いできないでしょう」

 

 ユンハンスは深々と一礼した。

 

 「貴官の勇戦に敬意を称して、どうかこの後お健やかであられることを。それでは、失礼を」

 

 ユンハンスはそうして、右軍と共に退却の帰途についた。

 

 

 「勝ったのか…俺達が」

 

 グレンが言う。

 

 「勝った。間違いなく。ラファエル様に礼を言わなくては…そろそろ俺も限界…」

 

 キシュは崩れ落ちるように馬上でガクリと体勢を崩した。慌てて近くの兵が支える。

 

 「救護兵!傷口が裂けておられます!」

 

 キシュはユンハンスとの戦いの中、途切れそうな意識を何とか保っていた。ここに来て限界が来たらしい。

 そうしてキシュは傷の状態も悪く高熱を出し、今度は死線をさ迷うことになった。

 左軍の収集は怪我をしているグレンに代わってナキアがしてくれたが、その報告によると、左軍は最終日の戦いで実に半数以上の死者、生活に支障を来す重傷者を出していた。

 

 ウィジュグラードの戦いは、その後キシュという一人の将軍を世に報せることになった。『雷帝キシュ』と呼び声は、ここに始まる。

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