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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
三章 キシュの過去
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ウィジュグラードの戦いⅣ

 「キシュ、交代の時間だ。眠っていたのか」

 

 キシュが顔を上げるとナフカが水を用意して立っていた。確認した腕時計が深夜の二時を示していた。

 

 「…もうそんな時間か。すまん、任務中に」

 

 タンベルクへ戻ろうとした矢先、シウォン達はウィジュグラードの樹海でちょっとした遭難に遭っていた。というのも、ウィジュグラードからの帰りに突然雨が降り、辺り一体が霧に包まれてしまった。このまま進んでいけば道に迷うことは疑い無い事実であったから、近くの洞穴で一晩を過ごすことになったのである。

 

 キシュはナフカと交代で警護のために起きていたはずなのに、いつの間にか寝落ちしていたらしい。普段のキシュにはあり得ないことだった。

 

 「それはいい。何かあれば俺も気付く。それよりも夢見が悪かったか?ずいぶんと汗をかいているようだが」

 「…ああ。昔のことをちょっと…まだ戦場にいた頃の夢を見ていた」

 

 キシュはナフカから水を受け取って、ごくごくと飲み干した。

 

 「…恐ろしい話だ。俺はあのとき人を焚き付けた。何万の人間がそれで死んでいった」

 

 キシュは前髪をかきあげてため息をついた。

 

 「キシュがいなければ俺も殿下もこうして出会えていないよ」

 

 ナフカは言う。

 

 「そう、一言で片付けられるなら悩みはしないさ」

 「わかっている。だが許されることじゃない……。どうも眠れそうにないな、今夜は」

 

 キシュはナフカに起きているから休んでいろ、と伝えた。

 

 「もう目が覚めてたよ。キシュ、お前さえよければ聞かせてくれないか。お前がどんな思いでその場にいたのかを」

 「…」

 

 思い返せば、ナフカにはキシュがシウォンに仕え始めた経緯を簡単にしか伝えていなかった。

 

 「……そうだな、だが決して世に出回るような武勇伝なんかじゃないぞ?」

 

 ナフカは頷く。それからキシュはウィジュグラードにおける決死の戦いについて語り始めたのだった。

 

 

 




 

 日が昇り、大地が日に照らされる。本陣が置かれた崖上では、総大将ケッヘリンガーが戦況を見ながら怒り狂っていた。

 

 「どういうことだ!前日に提出された戦法とまるで違うではないか!よもや三軍同時にこの様な始末とは…」

 

 顔中に皺を寄せて、ケッヘリンガーは側近の将軍、ヨーク=ユンカーベルに問いただす。

 

 「早く各軍からこの現状を説明せよと伝者を送れ!」

 

 ヨーク=ユンカーベルが答える。

 

 「それでは私が左軍に向かい、直に聞いて参りましょう」

 「おお、そうか。そうしてくれ」

 

 しかしそれは猛烈な速さで駆けてきた人物によって阻まれた。

 

 「お待ちください、ケッヘリンガー将軍」

 

 そこに現れたのはモルテリオ=ラズベガー将軍であった。数十名の精鋭を引き連れてやって来た彼のそのただならぬ様子に、ケッヘリンガーは圧された。

 ケッヘリンガーの方が歳上でモルテリオとは歳の差こそあるものの、イスファターナ軍内では共に大将軍の称号をを受けている。しかしながら派閥でのしあがるケッヘリンガーと派閥を嫌うモルテリオは、正反対の性格で嫌い合っていた。しかし互いの能力は認めるところもあり、今回の戦いに関してはモルテリオが総大将たるケッヘリンガーをたてる形で、身を引いていたのだった。

 

 「な…何事だろうか、モルテリオ将軍」

 

 しかしモルテリオはケッヘリンガーを無視してヨークに掴みかかった。精鋭達もそれと同時にヨークの兵を捕らえる。

 

 「な、何をなさいますか!無礼でありましょう!」

 

 ヨークは叫ぶ。

 

 「裏切り者に無礼などと言う資格はないわ!」

 

 その言葉を聞いた途端、ヨークは一瞬身を強張らせたかと思うと、暴れて胸から何やら取り出そうとした。それに気づいたモルテリオは、素早くヨークを地面にねじ伏せ上に乗り掛かって体制を固めると、胸から出てきた包みを投げ捨てた。

 

 「わしがここに来たとき、一思いに斬らなかっただけ感謝されるべきところを、裏切り者は最期まで姑息であったな!」

 

 モルテリオはヨークが舌を咬まないように、口に布をぎゅっと押し込んだ。

 

 「…ど、どういうことだ。ヨークが裏切り者だと?」

 「左様。この者はウィジュグラードにおけるイスファターナの機密事項をソウェスフィリナに流しております。昨日の左軍の被害は、こちらが霧を使うことを予測していなければなりませんでした。それだけでなく機密事項を知られた今、左軍を弱体化させることが可能となればそれを難なく突破し、イスファルへ続く街道を通ることも容易くなります。それができたのは、軍会議に必ず出席する副官以上の上位将軍であり、かつ機密事項を簡単に触れることができた人物」

 

 そこまで言うとケッヘリンガーは怒りに震えながらヨークを見下ろした。

 

 「私とお前を含め、八名の上位将軍のうち、昨夜瀕死を負ったワーベルと貴族でも軍家でもないキシュは外れよう。そして中央軍のテガン=クバートとその副官はこの戦いの反対派だった。そしてモルテリオ将軍のイスファターナへの忠誠心は私が誰よりも知っている」

 

 モルテリオは頷いた。

 

 「…よもや、私の軍から裏切り者が出ようとは。ならば、今日の真の作戦を私に伝えなかったのはそのためか」

 「欺いた形になりましたが、幾分昨夜は左軍があの様子でしたので、我々も打てる手段を取るしかございませんでした。中央軍のテガンには既に連絡をしてあります」

 「……そうか。いや、感謝する。本来なら私もこの場でこやつを切り捨てたいところであるが、それは帝にお任せするとしよう。この者を牢に繋ぎ、片時とも目を離すな!」

 

 ケッヘリンガーは兵に命じてヨークを連れていかせた。

 

 「モルテリオ将軍、教えてくれ。今日の作戦はどうなっている」

 「…将軍。今日でウィジュグラードは終わります。右軍は敵本陣を、中央軍はこの本陣の足掛かりとなる回路を、左軍は突破されぬよう死戦となっておりましょう」

 「なんと…それではもし左軍が抜かれれば…」

 「イスファターナは終わりです。念のため、街道の先の町には警告を出し、避難させています。すべては左軍にかかっていると言えましょう」

 

 ケッヘリンガーは左軍の戦況を見つめる。

 

 「持ちこたえられるか、左軍は」

 「キシュ将軍に託す他ありません」

 

 ケッヘリンガーは力強く拳を固めて言った。

 

 「…モルテリオ将軍。貴殿も右軍に戻らねばならぬだろう。私は後方の崖を守る兵を極力減らし、左軍へ送る。私の精鋭二千騎を残して本陣の兵も左軍へ送ろう」

 「…よろしいのですか」

 「本陣などこの際あって無いようなもの。戦において本陣とは総大将のいるところを指す。つまり、私が死ななければよいのだ。今は最小限の兵を置いて左軍を救わねばならぬ。ひそれは帝をお救いすることになる。ゆえに、一刻も早くそなたら右軍は敵本陣を落としてくれ。できるか、モルテリオ将軍。無論、貴殿に不可能を当てはめることはこの上ない侮辱となるであろうが」

 

 モルテリオは膝をついて礼を尽くす。

 

 「総大将の命令とあればやってのけましょうぞ。わしの人生に不可能はありませんからな」

 「……やはり私は貴殿のその自信ありげな様が嫌いだ」

 「わしもその貴族のような気取った口調が好かんですな」

 

 にかりと白い歯を光らせ、モルテリオは馬に飛び乗るや駆けていった。

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