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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
三章 キシュの過去
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ウィジュグラードの戦いⅢ

 天幕に戻った頃にはとうに昼を過ぎていた。あちこちに仕組まれた罠や伏兵をかいくぐったから仕方がなかったのだが、天幕に戻ると騒ぎになっていた。

 

 「キシュ!」

 

 左軍の残留軍を頼んでいた将軍、ナキアが帰りを待ちわびた様子で走ってやってきた。

 

 「ネベロ将軍、いかがしましたか」

 「その…将軍が…」

 「えっ?」

 「ワーベル将軍が負傷されたのだ!」

 「負傷とは…将軍のご容態は!」

 

 ナキアは首を振った。キシュは背筋が凍りつくような感覚を覚えた。

 

 「芳しくない。…将軍が呼んでおられる」

 

 キシュは降りていた馬にもう一度乗って将軍の天幕へと急いだ。

 天幕の前にはワーベルと一緒に行軍していたネベロとジョアンが立っていた。二人とも治療を受けた後のようで、いたるところに包帯を巻いている。その白さが目に痛かった。

 

 「キシュ、戻ったか」

 

 ネベロがキシュに気づいた。

 

 「将軍方、これは…」

 

 ネベロが状況を説明してくれた。

 

 「こちらはお前たちよりも楽な行軍のはずだったんだが、どうやら敵は裏の裏までかいてくれたようだ。弓兵を掃討しようと山に入ろうとしたら、精鋭部隊が張られていた。数はおよそ五百。その存在に混乱しているところに矢の雨が降ってきた。将軍は後方に位置していたが、何者かの矢が馬に刺さり、落馬なさった。医師の話では肺を傷つけて命も危ういらしい」

 「そんな…後方にいたにも関わらず特定の馬を狙ったと?」

 「ソウェスフィリナに矢の名射手がいる。実際俺たちの馬も狙われた」

 

 何万と兵のいる戦場で特定の馬に矢を射ることができるとなれば、その存在は大きな驚異だ。

 

 「将軍に会いに来たんだろ。早く中に入れ」

 

 キシュは天幕の中に入った。そこには医師の治療を受け、寝台に横たわるワーベルの姿があった。

 

 「将軍、キシュが戻りました」

 「……」

 

 うっすらとワーベル将軍の目が開いた。

 

 「キシュか…お前は無事だったようだな」

 

 かすれた声でワーベルは言った。呼吸さえ苦しそうなその声には力がない。

 

 「将軍、すみませんでした。私の作戦が読まれていたそうですね。私の責任です」

 

 キシュは深々と頭を下げた。

 

 「…何を。お前は私の無茶な申し立てを可能な限りに実現しようとしてくれたであろう。お前は若いゆえに気を遣うことも多かったはずだ。私の無茶の範囲での最善が敵にとっての好機だっただけのこと。お前の責任ではなく、私の責任だ」

 「ですが」

 「…わしはもう長くない。医師の治療でなんとか生き長らえているが、体を起こすこともままならぬ。よってキシュ、お前に左軍三万を託す。これは命令だ」

 

 ワーベルに握られたキシュの手には彼の持てる力の限りに力が込められていた。

 

 「…すまなかったな、キシュ」

 

 そしてそう告げるとワーベルは力尽きて昏睡状態に入った。


 キシュは自分の天幕に帰ってくるなり、本軍にいるケッヘリンガー総大将からの伝者から命令を受けた。

 中身はもちろん、明日の左軍全権を委ねるというものだった。かくしてキシュはイスファターナ史上最年少で、軍の全責任を担う大将の役目を負うことになったのである。

 

 キシュは左軍の将軍達に細かな軍編成を伝えたあと、しばらく一人で天幕に籠っていた。

 今日の左軍の被害は、全軍三万のうち半分が負傷するというかなり悪い状況だった。中央軍はこの三日、あまり大きな戦闘がなく無傷に近いとはいえ、人数を左軍に回しすぎてはいけない。なぜなら中央軍は背後の本陣がある崖への道を守っているため、絶えず兵を残しておかなくてはならないからだ。


 (偶然にしてはでき過ぎている)


 キシュはそう思わざるを得なかった。ワーベルを狙った矢は間違いなく彼を狙ったものだったという。そしてその補佐に回っていたネベロとジョアンも、致命傷ではないが負傷を余儀なくされた。加えて、キシュの前に現れた敵将軍ユンハンス=レンテンベルク。

 この三つのことから考えて、キシュは前線に立つよう引き出されたのだ。恐らく明日出てくると言ったユンハンスによって。

 上に立つ者が負傷していては、軍の士気に関わる。残された将軍の中で副官という立場からもキシュが指揮を取ることは間違いない。ネベロとジョアンは将軍の歴から念の為負傷させられたのだ。

 

 ここまで思考を巡らせて、キシュはある考えにたどりついて立ち上がった。

 

 「誰か!誰かいるか!」

 

 キシュは天幕にやって来た兵士に告げる。

 

 「一番速い馬を用意して、グレンを呼んでくれ」

 「かしこまりました」

 

 キシュは震えが止まらなかった。もしこれが本当だとしたら本当に明日が決着かもしれない。そのための打開策はきっとひとつしかない。

 

 「…キシュ?」

 

 天幕にやって来たグレンはキシュの表情に言葉を失った。これまでに見たこのないキシュがそこにいた。『鬼』が憑依したような険しい面立ちで、キシュは振り返る。

 

 「グレン、お前に聞いてほしいことがある」

 

 そう言った友の姿はあまりにグレンから遠いものだった。何か一線、二人の間に存在する。グレンはそう思わずにはいられなかった。

 






 「…キシュ将軍はその様なことを言っていたのか」

 

 右軍を率いるモルテリオ=ラズベガー将軍の天幕に、天幕の主とその甥にあたるラファエル、そしてグレンの姿があった。

 モルテリオ、ラファエル共に寝間着で軍席に座っている。それも仕方がないことだった。すでに夜も更けきっている。グレンは中央軍に向かい、それから右軍にやって来たため、かなり遅い時間に右軍に到着したのである。

 

 「グレン将軍、キシュ将軍は明日でウィジュグラードにおける戦いに幕が降りると言っておるのだな」

 

 若いキシュやグレンにまで将軍と呼ぶモルテリオは、卓上の地図と睨みながら唸った。

 

 「左様です、モルテリオ将軍。加えてこの文も預かっております」

 

 グレンはラファエルに文を渡した。文を開いたラファエルは目を丸くした。

 

 「…将軍、これは」

 

 ラファエルから文を受けとったモルテリオも同じ反応を示す。

 

 「我が軍に『敵本陣を攻めよ』とは、これまたどういうことか説明してもらおうか」

 「はい。キシュ将軍は次のようにお考えです」

 

 グレンはキシュから受けた説明をその通りに伝えた。

 ソウェスフィリナによって左軍は狙われていたと仮定する。そして当初の狙い通り、左軍は半分の兵を失った。その兵は現在、ほとんど無傷の中央軍から補充される。しかし本陣の入り口を守る中央軍は、大幅に兵を補充に回すことはできない。結果として敵右軍は左軍を倍の兵力で壊滅させることが可能となる。そして左軍の先には本陣の裏側の入り口への道が存在するが、実質、左軍を抜かれれば都イスファルへの街道まですぐである。

 

 「…ちょっと待て。まるで敵がウィジュグラードを知り尽くしているような話しぶりだな」

 

 ラファエルが言う。

 

 「私はソウェスフィリナがウィジュグラードを選んだからには多少地理を調べた可能性を否定はしない。キシュにも伝えた。だが、この本陣の裏の森は、知り尽くした人間でなければ通ることはできない。ウィジュグラードの地理はイスファターナ軍の極秘情報だ。簡単には…」

 

 ラファエルは伯父のモルテリオを見て言葉を止めた。モルテリオの眉間が皺寄っている。

 

 「イスファターナに裏切り者がいると言うのだな」

 

 モルテリオは言った。

 

 「その可能性を考えるべきとキシュ将軍は言っておられました。実際、敵将ユンハンスが森の中にいた我々の軍に接触したのも、左軍総大将を狙ったのも、地理を知らずにはできないことです」

 「…今日の左軍の作戦は霧を利用するものだったが、これは初日にすべての大将軍が集まったときに持ち出されたものだ。本軍にいた兵ならひそかに聞き、流すことも可能かもしれん」

 「それは国を売る大罪に他なりません、伯父上!」

 「…その通りだ。帝に背こうとする者がわしの出る戦場におるとは…おのれ生かしてはおかぬ!」

 

 モルテリオはグレンに言う。

 

 「中央軍のテガンは何か言っていたか」

 「…面白い、と」

 

 それを聞いて苛立ちを込めたため息をつく。

 

 「あいつの顔色を伺ったわしが悪かった。しかし、テガンがやる気になったのなら中央は大丈夫だろう」

 「伯父上、いかがなさいますか」

 「ラファエル、さっさと寝ている将軍達を起こしてくるのだ。キシュ将軍が軍律をギリギリ破りかけてまでわしに伝えてきた話だ。本来この手の相談は総大将に通すべきだが、誰が裏切り者かわからぬ今、本軍に情報を流すのは得策ではなかろう。若者が覚悟を決めたのだ。年寄りは歳の分だけ支えてやるのが仕事ってものよ!」

 「承知しました!直ちに集めて参ります」

 

 ラファエルとグレンは一緒に天幕を出た。

 

 「ラファエル様、キシュがご苦労を押し付けて申し訳ないと言っておりました」

 「何を言う。友の頼みであればいつだって歓迎するさ。むしろ頼ってくれて嬉しい。あいつを支えてやってくれ、グレン。本当はあいつが左軍を任されたと聞いてすぐに駆けつけたかったんだ。心根のやさしいあいつには明日は厳しいはずだ。俺たちよりも左軍のお前達の方がはるかに厳しい状況で戦うんだからな」

 

 明日、左軍は総力戦に近い戦いをいられることになると予想された。そして相手はユンハンス=レンテンベルクである。若き将達のぶつかり合いが起こる。きっと被害は今日の比ではないはずだ。

 

 「では、これにて。どうかご武運を」

 「お前もな、グレン」







 ―翌朝。

 昨日と違い、カラリとした風が戦場を吹いていた。

 左軍は昨夜のうちに中央軍から七千の兵が補充された。とはいえ、その半分は昨日怪我を負っている。

 キシュは左軍の最も最前に立って時を待っていた。そこに左軍の将軍八名が集まってくる。

 

 「キシュ…いや、将軍。今日は存分におやりください」

 

 ジョアンが言った。

 普段はネベロと違い、あまりキシュと会話しないジョアンだったが、このときは真っ先に言葉をかけた。キシュは少し驚いてしまった。

 

 「ジョアン将軍」

 「……遠慮はいらん。お前がここの大将だ。左軍の闘いぶりがこの戦争の勝敗を決める。私も覚悟を決めるゆえ、お前は俺達をうまく使え」

 

 ジョアンは腰の剣を抜いた。ネベロはそれを見て腰の剣を抜いて言った。

 

 「あのミュンツェルやギュンター同様に、常に兵達と前線に出て同じように戦っていたお前だ。とっさの状況判断もいい。どうせ後ろに控えていろと言っても、前線に出るつもりなんだろう。だったら、これまでのような俺達に遠慮はいらない」

 

 それに続くように他の六人の将軍達も剣を抜き、そして互いの剣を重ねあった。キシュは自身の剣を抜いて重ねた。

 

 「……ありがとう。間違いなくこの左軍がウィジュグラードでの勝利の鍵となります。おそらく死力を尽くさなくてはならないでしょう。皆さんならやれると信じています」

 

 信じています-

 その言葉はなんの変哲もないものだが、この時ほど力強い言葉はこれ以外になかった。若者の信頼に将軍達は皆、奮い立たされた。

 

 キシュは振り返って兵達の方を向いた。

 

 「ワーベル将軍に代わって左軍を率いることになったキシュだ。今日はこの場の誰もが戦況を不安に思っていることだろう。だが、ここを防がなくてはイスファターナは存続の危機を迎える。何より、ウィジュグラードの先の町に住む国民達に被害を与えることになる!軍の役目とは国を守ること、それはイスファターナに住む国民を守ることだ。ここにいる兵にしかそれは成すことはできない。どうか力を貸してほしい」

 

 キシュは馬上とはいえ深々と長い礼をとった。それに習って、将軍八名も礼をとった。

 長い―長い静寂を経て、やがてどっと沸き上がるような歓声が起こった。あまりの歓声に馬達が驚き、キシュや後ろに控える将軍達はあわてて馬を落ち着かせた。

 歓声はしばらく止むことがなかった。

 

 

 「……盛り上がっているな、むこうは」

 

 イスファターナ左軍から直線上に位置するソウェスフィリナ右軍の前方に、ユンハンス=レンテンベルクの姿があった。今日は右軍の将軍の一人として先駆けをすることになっている。

 

 「まあ、こちらも負けはしないけれど」

 

 ユンハンスは腰の剣を抜き、天に掲げた。その天にはソウェスフィリナの信仰する太陽が輝く。

 どっとソウェスフィリナ右軍内が沸いた。

 

 左軍にも聴こえてきた敵の歓声をキシュは静かに睨んでいた。

 

 「キシュ、むこうもだな」

 

 グレンが声をかける。

 

 「ああ、始まる」

 

 ウィジュグラードの戦い、最終日。それはまもなく始まろうとしていた。

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