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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
三章 キシュの過去
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初めての剣


 「…二年以内にソウェスフィリナと同盟を結ぶ。それがこの計画の鍵だろう」

 

 ラティーユでシウォンがララに言った言葉。

 その言葉はいつかシウォンが口にするはずで、それが叶わなくてはイスファターナはより厳しい未来を辿ることになるのは理解していた。そして、シウォンがそう宣言したとき、その選択に従うことも覚悟していた。


 俺は戸惑いを隠せなかった。ルージュと一緒に驚いていた自分がいた。予告されていればよかったのか?いいや、そういう問題じゃない。覚悟していると言いながら、どこかでその覚悟から逃げる自分がいたんだ。シウォンと共に歩くと決めているのに…!


 まだ、あの光景も臭いも、地面に響く声も覚えている。忘れたくてもいつまでも消化しきれず、からだの中に残っている。まるで、死者の呪いのように―。

 

 

 

 

 

 キシュは現在二十五歳。

 皇太子シウォンに一緒に仕える執務官、ナフカとも五つも年の差がある。シウォンに仕え初めてもうすぐ七年目を迎えようとする。それ以前、キシュは軍部にいた。



 

 軍に入隊したのは十三歳の時。

 その年の春に家族を病で失った。両親と妹の四人家族。キシュの住んでいた村の付近で発生した伝染病で、あっという間に村の半分以上の人間が亡くなった。

 一人となったキシュは、同郷の生き残った男子達と一緒に軍学校の入学テストを受けた。いわゆる軍の主力部隊を養成する場所で、金を貰いながら訓練を受ける。

 生きる術の無いキシュ達は軍学校に入るか、どこかの店の下働きとなるかしかなかった。当然、子どもなんて無駄に費用のかかる人間を雇ってくれる所なんてほとんどないから、孤児となった多くが軍学校へ進む。

 キシュは元々人並みの体力もあったし、運動もできる方だったので、学校に合格してからも訓練の厳しさに苦しむことはさほどなかった。上官に理不尽極まりない命令を受けたり、無駄に規律が厳しいことに精神的な辛さはあったが、仲間のお陰で耐えることができた。


 そうして二年後、十五歳で初めての戦場に立った。目の前に広がる大地の遠く先に、敵軍の赤い旗が見えた。

 

 「いよいよなんだな、キシュ」

 

 キシュと同郷の友人、グレンが言った。グレンもまた、伝染病で家族を失っていた。

 開けた大地の乾いた空気は、初めて戦場に立つ者達には非情だった。頬がヒリヒリと痛む。戦場で怪我をしないことはまずない。この痛みは後に知るであろう痛みをしているようにさえ感じられる。

 

 「そうだな」

 

 この時のキシュを含め、軍学校出身の兵士の心には緊張と妙な好奇心があった。一般から集められた兵士団の中には祭りのように騒ぐ者もいる。

 軍学校出身のキシュやグレンは、異常事態に判断できるよう訓練されてきた。それでも、一般兵団の者達より落ち着いているとはいえ、得体のしれない何かに駆り立てられる気持ちはあった。

 

 整列し、合図を待つ。

 隊を指揮する将軍が他の軍と見合わせながら前方を馬で駆ける音のみが聴こえていた。さっきの祭り騒ぎとは一転して静寂が敷かれたその場所は凍りついたかのように緊張した空気が流れている。

 

 「おい」

 

 すると、将軍の副官らしい人物がキシュ達、軍学校出の兵士に言った。その人物はミュンツェル=ハシュフォードであった。

 この戦争から十年後、近衛庁司令長官となる彼との初めての対面がこの戦争だった。

 

 「お前達はこれが初めての戦争だろう。初めのうちに言っておくが、訓練のような遊びじゃない。隣にいるやつが死ぬことだって現実としてあり得る」

 

 その言葉は兵を怖がらせるのには十分だっただろう。

 

 「だが、軍学校を出て互いの弱味も強味も知るお前達だ。初日は必死に食らいつかなくてはならんだろうが、異常な状況でも判断ができる力を学んできたはずだ。思考し続けろ。ここは、考えをやめたやつから死んでいく世界だ」


 そこまで言うと、ミュンツェルは口元に笑みを浮かべる。


「…実を言えば、俺もお前達と同じ軍学校の出身だ。共に戦えることを心強く思う」

 

 脅しのようでもあるこの激励は、その日一日の兵士達の活力になった。

 

 「よーし、お前ら!生き残れば今夜は酒を振る舞ってやる!飲み損ねるなよ!」

 

 ミュンツェルの後ろからやって来た別の副官、ギュンター=タンベルクがさらに士気を高める。なにせ、軍学校の中では酒を飲むことができなかった。しかも監視の目がクモの巣のように張り巡らされていて、隠れて飲むことすらできなかったのである。

 

 


 戦争は始まった。

 先程までこの場を仕切っていた静寂が、うねりのような歓声に吹き飛ばされ、たちまち大きな土煙が立ち上がる。

 そして、さらに大きな歓声が右で、左で、そしてとうとうキシュ達の進む前方であがる。

 

 「どうやら、前がぶつかったようだな」

 

 グレンが言う。

 

 「ああ、俺達ももうすぐだ」

 

 すると、急に土の臭いに何かがまじって感じられるようになった。

 

 「うおっ!」

 

 グレンが何かにつまずいて転ぶ。足元には先程の前線のぶつかりで命を落とした敵軍の兵士の姿があった。

 

 「…くっ」

 

 立ち上がったグレンの背後に影が射す。土煙から現れたそれは―

 

 「グレン!」

 

 キシュは夢中だった。

 喉元を一突き。

 それが、キシュの初めての『人を殺した感覚』だった。

 

 「っ…悪い」

 「気をつけろ!」

 

 その一瞬で何かを越えた気がした。越えてはならないものだったはずのそれを踏み越えてしまった。

 そんな感覚だ。血の気も引いていく。

 

 それからあとの記憶を、キシュは覚えていない。

 


 ――――――――――――

 

 

 「名を、聞かせてもらおうか」

 

 その日の夜、酒宴の席から離れた所に座っていたキシュに声をかけてきたのは、副官のミュンツェル=ハシュフォードだった。キシュが慌てて敬礼すると、ミュンツェルも応じた。

 

 「キシュといいます」

 「どうしてこんなところに?」

 「…気持ち悪くて」

 

 キシュの言葉の意味をミュンツェルは素直に理解した。

 

 「食べ物を体が受けつけないか」

 

 キシュは「はい」と頷いた。

 実際、キシュは一時間くらい前までグエン達と宴の席にいた。そこで供された食事を食べていたのだが、しばらくすると猛烈な吐き気が起こって宴から離れたところまでやって来たのである。

 

 「そう心配するな、キシュ。酒も久しぶりだったんだろう?胃がビックリしただけだよ」

 「………えないんです」

 「ん?」

 「初めて…人を殺したときの感触が消えない…」

 

 キシュは震えていた。

 ミュンツェルは自分の外套がいとうをキシュにかけてやった。

 

 「俺の初陣の話をしてやろう。俺は今朝言ったように軍学校の出身だ。"ハシュフォード家のいらない子"だったからな。皇立学校に行かせてもらえなかった」

 

 ミュンツェルはキシュの隣に座ると、過去を話し始めた。

 

 「自慢じゃないが、俺は記憶力がいいんだ。それこそ、一度見聞きしたことは絶対に覚えてる。お陰で学業の成績の方が武術より圧倒的によかったんだが、ハシュフォード家は軍人の家だから、俺が高官になるのを許してくれなかった。軍人になって戦場に出たとき…今のお前と同じだよ。食べたものも酒も、からだが受けつけなかった。おまけに、殺した相手の最期の苦悶の顔まで覚えている。地獄だよ」


 ミュンツェルは酒を煽る。


 「どうやって…忘れられるんですか」

 「無理だな。忘れることなんてできない。酒に溺れるか、薬に溺れるか、あるいは死ぬか。人でなくなる以外に方法なんてない。お前が今苦しんでいるということは、お前がまっとうな人であるという証拠だろう」

 

 キシュはぶるりと身を震えさせた。

 

 「俺もこの地位さえなければ未だに吐いてたかもな。俺にとってこの地位は家族を見返すために得なければならないものだった。その責任とついでに一つの感情を殺しているようなものだ」

 「…」

 「キシュ、ここでの自分を正当化するための理由を見つけてみろ。偽りの自分を作り上げる他に俺は術を知らない」

 

 自分がどんどん黒く歪んでいく気がした。でも、生きるためにはやるしかない。

 他の選択肢はなかった。

 

 

 

 

 

 三日目。この日は戦況が大きく変化した。

 キシュ達のいた軍は前線が壊滅的被害を被っていた。

 

 「おい、なんか前の方まずくないか?」

 「どうしたらいいんだよ、部隊長!」

 

 キシュ達、軍学校の出身の部隊を率いていた部隊長は急な展開に自身を喪失していた。


 「部隊長、何か現状の報告はないのですか」

 

 グレンが尋ねる。

 

 「連絡が途絶えたのだ…この上は独立して戦う他にない」

 

 この日、キシュ達は後方に回されていたため、前線における情報は絶えず報告を受けていた。しかし、その報告が先程から来ていない。

 

 「キシュ…」

 

 グレンが側にやって来た。キシュは言う。

 

 「情報が届いていないということは、報告する役割の人がそれをできない状況にある可能性が高い。この場合、用心しなければならないことは…」

 「報告内容の情報混乱と退路の確認」

 

 グレンを始め、軍学校出身の兵達は戦術の授業での教えを振り返っていた。キシュは小さく頷いて言った。

 

 「まずは安全な退路を探そう。俺は、部隊長と残って報告を待つ。四方を探して一時的にも身を隠せそうなところを見つけよう。退路を見つけたらすぐに戻るんだ。でなくては敵に場所を悟られる。みんな、気をつけて」

 

 それから結局報告は来なかった。

 

 「キシュ、右手に森がある。確認したが、伏兵はいなそうだ」

 「じゃあ、数人ずつここから離れよう。森に入ったら警戒をしっかりしないとな」

 「ああ」

 

 それから軍学校出身の兵士、およそ百人は森の中で戦況を見ていた。

 さきほどまていた場所も敵軍が押し寄せている。

 

 「部隊長、こういった場合どうなるんでしょう」


 喪失していた部隊長は、ようやく落ち着きを取り戻したらしい。


 「ひとまず後ろの軍に戻る。本来は撤退の命令がない限りはあの場を動いてはならないがしかし、悪いようにはならないよ。あの場合は仕方なかった」

 

 そうして三日目はあっという間に勝敗を決して、終わってしまった。

 

 

 

 「そうか、そんなことがあったか」

 

 この日の宴の時、キシュはミュンツェルに言った。

 

 「キシュ、この戦争は終わるぞ」

 

 しばらく考えながらミュンツェルは口にした。

 

 「そしてお前はたぶん、次に呼ばれる戦争では部隊長になる」

 「…はっ?」

 「お前達の軍の部隊長はこの戦争をもって除籍される」

 「なぜ、部隊長が除籍なのですか?」

 「軍律を犯したからだ。あの場合、上官の命令無しに持ち場を動くことは許されなかった」

 「ですが、そうでもしなければみんな死んでいました」

 「それを許すと、将軍に従わない隊が現れかねない。軍律の必要性は大いにあると思うが、時に非情でもあるのが軍律だ。今のを聞く限りではお前達が主導したということなんだろうが、部隊長は自分の判断だと言っていて、すでにそれに基づく判断が出されたばかりだ。俺も目を瞑ることにしよう」

 

 キシュが黙していると、ミュンツェルが立ち上がった。

 

 「やさしすぎては軍の人間は務まらないぞ、キシュ。軍律も上官も道理が通じない相手ばかりだ」

 

 翌日には部隊長の姿はなかった。

 ミュンツェルの話では、部隊長には二つの選択があるらしい。軍の一兵士としてやり直すか、近衛庁に移るかだそうだ。

 軍から近衛庁に移るとなれば、初めは風当たりが強いと聞く。『戦場から逃げた』と世間は見るらしい。

 だが、それよりもっと辛いのは一兵士として生きることのようで、まず昇進は叶わないし、常に前線に送られる。 おそらくは近衛庁に移ることになるだろうとのことだった。

 

 「そうだったのか…」

 

 グレンにだけはこの話をした。


 「俺達は部隊長に生かしてもらったんだ。たぶん、あの時すぐに部隊長が動けなかったのは最悪を考えていたんじゃないだろうか」

 

 目の前に迫る死を受け入れる覚悟をすることを部隊長は考えていたのかもしれない。

 

 「確かにこの生活が続けば、いつか軍に染まってしまう人間がほとんどなんだろう」

 「なあ、グレン」

 

 キシュは言った。

 

 「正式に辞令を受けて部隊長になったとしてだ…。俺が人でなくなりそうになったら俺を殴ってくれ。お前が俺を止めてくれ」

 「…わかった。だが、これはお前もだぞ?俺がそうなればお前が俺を止めるんだ」

 

 キシュは遠いイスファターナの都、イスファルの方向を見つめた。初めての戦場にしては生き残れただけで十分だ。

 きっと、いつまでも心の中に刻まれた『人を殺した感触』は心に葛藤の嵐を呼ぶだろう。


 

 キシュ、十五歳。

 初めての戦場で得たものはあまりに大きい。

 そして生涯それを背負い続けなくてはならないのだと、どこかに感じてもいる。


 息苦しい熱砂の地獄のようなものに足を絡み取られたような、キシュの軍人としての人生はここから始まった。

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