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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
三章 キシュの過去
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ウィジュグラードの戦いⅠ


 「ソウェスフィリナがウィジュグラードに?」


 都イスファルの武闘場でキシュがグレンと剣を交えていると、下級兵士が伝達にやってきた。


 初めての戦場から四年経って、十九歳。

 キシュは異例の昇進によって副官人事を受けていた。動かそうと思えば三千人の兵を指揮することもできる身分だ。そんな異例の早すぎる人事には二つの理由があった。


 一つはミュンツェル、ギュンターの二人が軍を辞めたこと、である。


 これは二年前に遡る。キシュはその時、千人の隊を率いる将軍に任命されたが、それと同じくして二人は軍を去った。理由はミュンツェルの実家、ハシュフォード家にあるらしい。


 "ハシュフォード家のいらない子"と、邪魔物のように扱われていたミュンツェルだったが、兄弟のなかで一番の出世を果たしていた。それがいけなかったらしい。ハシュフォード家はミュンツェルに近衛隊に移るように言った。


 それを聞いたとき、キシュはミュンツェルの元へと向かったが、会うことは叶わなかった。代わりにギュンターが答えてくれた。



 「あいつなりに、決断したことなんだよ」

 「ですが…」

 「元々、ミュンツェルの心は軍人になかった。それでも家命に従って軍人になって、二十歳のうちに大将軍人事の内定まで貰ったんだ。その努力は認めてやらないと」

 

 そう言うギュンターもどこか悲しげである。

 

 「そしてね、キシュ。軍っていうのは組織であって、若いミュンツェルの手には負えないことがたくさんあった。嫉妬や恨み言ならいくらでも許容できるし、俺も対処する。だが、自分の心に嘘をつくのはもう無理だったんだ」


 ギュンターは言う。


 「あいつ、初めての戦場ですごく傷ついたんだ。人を殺すってのは相手の命を奪うことだ。本来なら誰も受け入れられるはずがない。知ってるか?あいつ、一度見たものは二度と忘れないって天才なんだよ。その才能は役立つときもあるが、戦場じゃ裏目に出る。最近、激務も続いたせいか幻覚を見るらしい。殺した相手が目の前に現れたり、他人が殺した相手と重なったり。それで、一度戦場から身を引こうと決めたんだ」

 「幻覚を…」

 「ま、近衛隊は滅多に人を殺さない。捕らえるのと警護が役目だからな。で、俺はあいつについていくって決めてるから、結果二人が軍を辞めることになるわけさ」


 ギュンターはタンベルク家という、ハシュフォードと同じくらい有名な軍人の家の人間であるが、次男であるという点で、ある程度の自由を許されていた。思えばずっとミュンツェルの下で働いているし、ミュンツェルへの強い思いがあるのだろう。


 そのような訳で副官が二人、軍からいなくなり、新しい副官は選ばれたのだが、半年前の戦争で負傷し、急遽キシュが副官人事を受けたのである。


 そしてもうひとつの理由は、キシュの視野の広さだった。キシュは百人の軍の部隊長になってから、戦場で人を殺して吐くということはなくなった。吐きたくなることはあるのだが、吐けなくなったというのが正しい答えだろう。『立場が人を変える』とかつてミュンツェルが言ったことは間違いではなかったらしい。そして、持ち前の武術と実践での判断能力の高さを買われて副官になったのだ。


 キシュの戦場における存在意義は「大切なものを守ること」だった。もちろん、自分の部隊の仲間もであるが、もっと守りたいものがキシュにはある。


 五百人の隊を指揮して武功を挙げたキシュは、その年の武術大会で優勝し、一躍有名人となった。そしてしばらくして将軍人事を受けるのだが、その任命式の朝、キシュは今後のことも思いながら宮殿の一角で座り込んでいた。

 将軍になれば動かす人数は増える。それどころか、これまでは上司である将軍の命に従っていたが、これからは自分が指揮をとらなくてはならない。戦術も、兵の運用も、何もかも。何千人の命を預かることになると思うと、胸が苦しくなるのだ。


 「どうしたんだ?」


 声をかけてきたのはまだあどけない少年だった。十歳を迎える皇太子シウォン=イスファターナ。いずれこの国を治める帝となる人物である。


 「こ、皇太子殿下!」


 キシュは慌てて礼を施した。


 「いい、堅苦しくするな。僕も息抜きでここに来ているんだ」


 その態度は、幼いながらすでに皇太子としての気風をまとっているようであった。


 「…は、はぁ」

 「それで?武術大会の優勝者が、何をため息つきながら悩んでいるんだ?もっと勇猛果敢で熱い男かと思っていたんだけど」

 「…恐れながら、この度将軍人事を受けたのですが責任も大きくなりますし…その、正直に申しますと不安なのです」

 「それは確かにそうだな」


 シウォンはキシュの隣に座って考え始めた。


 「僕も師匠に宿題と言われたものを悩んでいるんだ。『この国において一番尊いもの。帝の存在意義はどこにあるのか』ってことなんだが、お前はわかるか」


 十歳の子どもにそんなことを考えさせるのかとキシュは驚いた。


 「キシュ、僕はお前の悩みを考えるから、お前は僕の宿題を考えてくれ」

 「わ…私が殿下の宿題をですか」

 「そうだ。師匠のことだから、答えはどうせ一つじゃない。だったら、いろんな人間の視点で話を聞くのが一番の解決策だ」


 シウォンはにこりと少年のような笑みを浮かべて言う。


 「ちなみに、僕は答えが出た」

 「えっ?」

 「キシュ。お前の悩みを誰かに口にしたか?」

 「…いえ、まだですが」

 「話してみたらどうだ。共に戦ってきた仲間なら、その悩みを無下にはしない。そして、新しいお前の軍はどんな軍にしたいのか、何を目指すのか。それを皆に伝えるんだ。お前が心の底から思うことを告げられれば、兵士達もそれに応えてくれる。そして戦場では誰よりも果敢に働くのだ。人は輝くものを忘れない。お前の姿は部下の目に強く残り、必ずついてきてくれる。お前にとっても間違いを犯せば正してくれるような信頼できる部下を作ることになる。上に立つものとは時にその姿で魅せ、言葉で魅せ、最後は誠実であることで人を導くんだと歴史書の英雄が語っていた」


 『人は輝くものを忘れない』とはまさにこの時のキシュに当てはまる。キシュは、一瞬でシウォンに魅せられていた。

 今まで、国のためだと教えられて戦ってきた。その国をいずれ背負う人物は、まだ十歳の少年にも関わらず、こんなにも心を動かす存在だった。キシュの心に知らなかったものを知った時の感動に近いものが起こったのは間違いなかった。


 「次はお前の番だ」


 シウォンに求められ、キシュは慌てて必死に考えた。


 「私のような人間が、帝や国を語るのは畏れ多いのですが…。この国で一番尊いものは「人」かと。殿下にお答えをいただいてそう思いました」

 「人?」

 「軍人は戦場て多くの敵を前にして、その敵を絶命させなければなりません。私は嫌でたまりませんが、それが私の仕事です。私は戦場で殺した相手と、自分の仲間を少しでも弔えるように、酒を大地に蒔くようにしています。いかなる相手であっても、最期には国を思って戦った敬意を称されるべきだと思うのです。ですからその…うまくは言えませんが、人ではないかと」

 「人か。それはお前の経験ゆえに語れることだな。聞かせてくれてありがとう。その上で、帝の存在意義は何だと思う」


 キシュはちらりと辺りを見て誰もいないことを確認した。


 「私は元々商家の家の人間です。村で作った作物を売りに行く仕事をしておりました。私達が安全に、豊かな暮らしをしていられる根底には、宮殿でイスファターナに生きる人々を支える帝や大臣の方々の働きあってのものです。だからこそ、どんな飢饉があっても私たちを見捨てず、政策を講じて下さる帝をはじめとする高貴な方々を尊敬します。感謝してもしきれません」


 シウォンはしばらくそれを聞いて、やがて立ち上がった。


 「ありがとう、キシュ。答えが出た。帝の存在意義は民だ。民がいる限り、帝はその全てをもって政策を講じる。そして戦争も、その帝の政策次第だ」


 空のように晴れ晴れとした笑顔には、少し少年のような無邪気さが滲んでいた。


 「キシュ、僕はいつか帝になる。その時、お前は私の力になってくれ」

 「わ…私でよろしいのですか」

 「お前がよい。お前は僕を見下ろすことも見上げることもしない」


 この言葉の意味を正確に理解できていたかはわからない。

 しかき、キシュはこの日を境に、戦場で戦う意味を自分の中に見出だしていた。イスファターナは決して侵略戦争を起こしはしない。防衛のための戦争だ。いつか、シウォンが帝となるまで、シウォンのいるイスファルに敵兵を近づけない。『この国を守ること』と何度と言われ続けてきたその言葉にようやく価値を見つけたのだった。


 そしてそれからしばらくして、キシュは将軍人事を引き受けた。そして何度かの戦場で、功を挙げて、将軍としての資質も認められるようになった。加えて、武術もさらに鍛練を重ねて、毎年の武術大会で優勝し続けている。

 





 さて、ソウェスフィリナの侵攻が始まるとの報告を受けたその日の午後、緊急の作戦会議が行われ、キシュはグレンと別れた。

 夜も遅く、軍の食堂でもはや夕食かも怪しいが、ため息をつきながら食べるキシュを見つける。


 「どうも、やりきれないという様子だな」

 「お前か…当然だろう。『ウィジュグラードは神のおられる聖地。今度も必ず神力が…』などという口上は聞き飽きた。神が守ってくれるなら俺達は必要ない。そうとわかればいつだって辞めてやるのに」


 シウォンとの出会いから戦う理由は見つけたが、決して戦いたいわけではない。根本的に人に剣を向けること自体間違っていると思っている。不平を口にするキシュの背後に、にこやかに笑うギュンターの姿があった。


 「やあ、キシュ。そんなに堂々と不平を溢すものではないよ。誰が聞いているかわかったものじゃない。グレンも久しぶり。同席してもいいかい?」

 「…えっと、逆にここでよろしかったのですか?」


 グレンは言う。


 「久々にここの味が食べたくてね」


 ギュンターとは一年ぶりくらいの再会である。軍と近衛は仲があまり良くないし、棟も離れているので仕方のないことでもあった。


 「この時間、近衛の食堂は混んでるんだ。三交代制で今が交代時間だからね」

 「今日は夜勤を?」

 「いいや、昼の勤務だったよ。やっと仕事が終わったのさ」

 「お疲れ様です」


 グレンはギュンターに酒を注いだ。


 「ありがとう。それで、聞いたよ。ソウェスフィリナが動いたって」

 「ええ」


 キシュが答えた。


 「しかも、場所はウィジュグラードだってね」

 「イスファターナの歴史上、負けたことのない土地です。ですが、軍の編成が甘いようにしか思えません。情報も乏しい」

 「…そうか。キシュ、お前の上官は確か」

 「ワーベル=フェテリオ将軍の揮下です」


 ギュンターは名前を聞いて表情に嫌悪感を深く表した。


 「一つ空いたとはいえ、俺達の後任だもんな。そうか…苦労するな」

 「全くです」

 「お前がそこまでずけずけと言うのも面白いが、冗談じゃすまないぞ。お前にこれを渡しておくように、ミュンツェルから預かってきた」


 渡されたのはウィジュグラードの地理と地形が細かく記された地図と笛だった。


 「この地図はハシュフォード家の秘蔵のもののコピーだ。失くすんじゃないぞ?」 

 「秘蔵のものをミュンツェル様が?」

 「あいつは結局、近衛でも出世頭だからな。人は置かれるべき場所に置かれる。所詮、人の思惑なんて意志のある行動の前には無力なんだよ。ハシュフォード家も認めざるを得なかったのさ。ついていくこっちも大変だよ」


 ギュンターはそう言いつつも楽しそうに笑った。


 「それからこれは俺の家お抱えの陰人を呼ぶ笛だ。それを使って、ソウェスフィリナの情報を戦場でできるだけ多く手に入れろ。半年前に戦ったばかりですぐに侵攻とは、怪しすぎる。敵の手管をできるだけ想定して、対策を練るんだ。お偉方は言うだけ言って、戦うのはお前たちだ。いざとなれば退路を確保することも厭うな」

 「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」

 「…お前も大きくなったな。だが、無理はするな。限界が来たらいつでも近衛に呼んでやるぞ?」


 キシュは笑った。


 「まだ、やることがありますから。それまでは軍にいることにしますよ」

 「たぶん、今度の戦いは今まで以上の規模だ。帝もそれなりの兵力を集めるつもりでいるらしい。生きて帰ってこいよ、キシュ、グレン」


 その夜、キシュとグレンは部屋で話をしていた。


 「進軍は八日後か」

 「ああ」

 「キシュ、ここまで生き延びてきたけどだいぶ元の人間は減ったな」

 「…ああ」

 「これまでのどの戦争も、幾度と危機があったけど、今回の戦争は始まるまえから変な緊張を感じる。嵐の前の静けさというか…」

 「グレン」


 キシュは友の顔をまじっと見た。


 「今回の戦争は長引かせたらだめだ…と思う。防衛のために半年前に国民が駆り立てられたばかりなのに、今度はその倍の人数の募兵が行われて心理的にイスファターナはソウェスフィリナに負けているかもしれない。だから、長引かせたらいけない…」


 グレンはキシュをペシッと叩いた。


 「そこは言いきっておけ、キシュ。お前の読みは間違ってないよ。俺も同じ考えだ。敵の補給を断つなりしてでも、早く終わらせる必要がある」

 「お前は俺のあとを追って、今や千人の隊を任せられる。本当に心強いよ」

 「そう言ってもらえると光栄だ。俺の他にも、お前を追って努力してる奴らもたくさんいる。軍学校の出身で、今や副官となった。その事実と、姿勢がみんなを引っ張ってる。お前が作ってきた軍は間違ってなかった」


 キシュは俯いた。そして小さく呟いた。


 「ああ…。みんなを死なせたくないな」

 「…そうだな」


 決戦八日前の夜。

 キシュは珍しく酒を口にした。もちろん、一杯に留まるのだが、今だけは叶わぬ夢に浸りたい気分であった。そしてすぐに眠ってしまった友を寝台に寝かせたグレンはポツリと言った。


 「いつかお前も…」


 その先を言いかけて、グレンは口を閉ざした。言いかけたことが言霊として叶ってしまうかもしれない。戦場に明るい夢なんて持ち合わせてはいない。しかし、そうなり得る未来を思うと寂しく思ってしまう自分が、確かにそこには存在したのである。

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