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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
二章 執務官ナフカ=グリュネール
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皇太子宮殿での生活日記


 一日目―

 

 「おはようございます、リフキア殿下」

 

 今日から私は兄上の宮殿で生活をする。いつもより早く朝食を終えて兄上のおられる皇太子宮殿に向かうと、シウォン兄上の側近、ナフカが私を出迎えた。

 実はこのときの私は、すでに少し疲れていた。

 今日に至るまで母上の反対や怒りはすさまじいものだった。今日も母上の宮殿から出てくる際に何度と引き留められたが、父上(帝)が来て母上をたしなめられてようやく外に出られた。

 

 「おはよう、ナフカ。しばらく世話になる」

 

 目の前の完璧人間は、うやうやしく頭を下げる。その礼にも全くの隙がない。本当に兄上はどうやってこんな人材を見つけてきたんだろう。

 兄上に仕えるナフカも武官のキシュも本当に優秀だし、遠目に見てもその信頼関係の強さはわかる。昔はそんな形に憧れた。私もそうありたいと願った。


 (願ったのに…)


 だけど、心から慕った側近を差し向けられた刺客によって失った。以来、私は側近と呼べる部下を置いていない。皇族としての責務からも逃れてきた。それが甘えであると自覚している。父上もそんな私を見かねて今回、私を兄上のもとに送ったのだろう。

 

 「兄上、失礼いたします」

 

 兄上の執務室に挨拶に向かうと、兄上は朝食を片隅に置いて 書類に目を通している。

 

 「シウォン、もの食べるときは書類から離れろと言っただろう」

 

 ナフカは部屋に入るとてきぱきと机の書類を片付ける。そしてすっかり冷えきってしまった朝食を温めなおすよう給仕に指示する。

 

 「別に、冷えたままでも構わんのだが」

 「体を冷やしていいことは何もない。体は大事にしろ」

 「わかったよ」

 

 その異様なやり取りを私は扉の前で見ていた。

 

 「よく来たな、リフキア」

 

 兄上の声に、私は我に返る。

 

 「…は、はい。兄上、発言をお許しくださいますか」

 「構わんが」

 

 ぎこちなく私と兄上は会話を交わした。

 

 「今のは…その、どういうことでしょうか。ナフカがその…敬称もなく兄上の名を呼んで…」

 「そうするように命じているのだ。もちろん、公の場では避ける」

 「…そ、そうなのですね」

 

 たぶん、私の挙動を兄上も見かねたのだろう。兄上はあからさまなため息をつくと、私にソファーに掛けるように言った。

 

 「リフキア、お前はここで何をしたい?」

 「えっ?」

 

 まさか何をしたいかなどと問われるとは思っていなかったので、慌てて思考を巡らせる。

 

 「…兄上のまずは仕事を知りたいです」

 

 (幼稚だな…)


 と、兄上の口から返ってくるだろうと予想する。しかし、兄上は俺の答えにしばらく考えるとナフカに言った。

 

 「ナフカ、俺の仕事とはなんだ?」

 「俺に聞くのか?俺が思うにシウォンの仕事は平民のそれとは違うだろ。皇族としての定め、的なところがあるからな」

 「そうだよな。そう思うと俺の仕事は何なのか、俺もわからん」

 

 シウォンはそれからあれこれナフカと話して、私に一つの役割を与えた。だが、それはあまりに驚くべきことだった。

 

 「…私がナフカと仕事を入れ替わるのですか」

 「まぁ、それが結果、俺を一番知る方法だろうからな」

 

 そしてなぜかナフカもそれを了承している。

 

 「まずは一週間、私の補佐をしていただきましょうか。一週間後には殿下にすべてをお頼みします」

 「しかし私は、そなたのように決して上手くはできない。兄上のご迷惑にはなりませぬか」

 

 兄上は鼻で笑った。

 

 「()()()迷惑だ。これ以上の迷惑はないから安心しろ」

 

 私は背筋が冷たくなっていくのを感じた。

 

 「もともと休暇だったのを父上に無理矢理帰されて、お前の面倒を見ろと言うのだからな、まったく。はっきり言えば、俺はお前が怖くない。政治に絡めればお前だって皇太子になれるわけだが、その気があるなしの前に、現段階で俺に勝るものをお前が持っているとは思えん」

 「…はい」

 「一つでいい。お前の武器を身に付けろ。ここは宮殿だぞ。いずれソウェスフィリナとの国交が開けば、力ある者でなくては生きてはいけない。お前は第二皇子だ。皇族はこの国の顔であることを忘れるな」

 

 兄上の言葉は厳しかった。だけどそれは本当のことで、本当は周りの人間が私をどんな風に思っているのかも知っている。

 無能な皇子、力なき皇子、その他にもたくさん影で言われている。それを私の目の前で言ってくる者はいない。それは私が皇子だから。いい加減、それじゃいけないってわかってるんだ。

 兄上の言葉はたぶん、私が誰かに言って欲しかった言葉だった。

 

 「…わかりました。この一ヶ月、どうか御指南よろしくお願いします。ナフカも、思うことは告げてほしい。遠慮はいらない」

 「承知いたしました」

 

 (私は変わってみせる。変わるしかないのだ。皇子である限り)

 

 私は部屋から持ってきた真新しいノートに毎日、日記をつけた。それから、小さめのメモを常に持ち歩くことにした。

 一ヶ月という限られた時間。何かを身に付けるには短いかもしれないけど、これは武術や学問の話じゃなくて、私の覚悟の問題だ。

 絶対にやりとげる。

 

 

 二日目―

 

 朝、まだ夜も明けきらないうちにナフカに叩き起こされた。そこまでは言い過ぎだが、そうでなくとも穏やかな目覚めではなかったことは間違いない。

 朝、ナフカは兄上の起床後の紅茶を淹れる。今日ナフカが淹れていたのはダージリン。宮殿のちょっとした給湯スペースには茶葉の棚が置かれていて、何種類もの茶葉が用意されていた。

 

 「すごい数だな」

 「ええ。いつの間にか集まってしまったものです」

 「何か意味があってそうしているのか?」

 

 私が尋ねるとナフカは笑って答えた。

 

 「さて、どうでしょうかね」

 

 ナフカははぐらかして教えてくれない。

 私はその日の夕方、皇宮の図書館で茶の淹れ方の本を選び、紅茶についてその知識を得た。今まで淹れられて飲むだけの紅茶の奥深さに私は感動した。そう日記に書いてみるとなんだか、恥ずかしい気がしてきた。

 明日も頑張りたい。

 

 

 

 三日目―

 

 朝の早起きを頑張った。

 ナフカが起こしに来る前に、給湯スペースに向かう。そこでナフカがコーヒーをうまそうに飲んでいた。すると、ナフカは私の分まで淹れてくれて、そこに牛乳も足してくれた。なんだか誉められているようで嬉しい。

 私は逐一ナフカの動きを見続けた。そしてメモを取る。その動きに意味があるのかまだわからなかったが、もうしばらく見続けようと思う。

 

 兄上の見終わった資料にさらっと目を向けると、一ヶ月後にやって来るというソウェスフィリナの情勢など、国内外の報告書が寄せられている。

 長年の争ってきたソウェスフィリナとの同盟が、近々結ばれるであろうことは知っていたけれど、こうして各地の情報を目にすると、一気にそれが現実味を増してくる。互いに今は探り合いの時期なのだろう。

 

 『協調と共愛の鍵は互いを知ることなのである―ケディラ=エスカトール』

 

 故人もそれを認めているから間違いない。私にできるかもしれないこと…ここにもひとつあったようだ。

 

 向上心ばかりを書き綴っているけれど、実際には自分の無能さと考えの足りなさに自己嫌悪に陥りそうだ。


 本当に、私は何者なのだろう。

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