国のためであればこそ
夜も明けきらぬ時間。早馬がやって来た。騎手の背にはイスファターナの国旗が身につけられている。宿の前に現れた騎手は、慌てて部屋にやって来る。
その様子に一同は何事かと寝台を恋しく思いつつ目を覚ます。
「ナフカ殿、こちらを。帝よりの至急のものです」
騎手から包を受け取り、ナフカはうなずいた。確かに、渡された包みの封には急ぎの印である紫の月の紋が捺されている。帝からのものと見て間違いない。
「殿下、こちらを」
キシュに起こされてまだ多少眠たそうなシウォンだが、ナフカから包みを渡されるとすぐにそれを開いて読んだ。
「…これは」
シウォンは読むなり眉を潜めた。キシュは受け取って中身を読む。部屋は一瞬で静まり返った。
「…おい、この事か。ナフカ」
「正直、ここまでとは思わなかったが、あり得た話ではある」
「それじゃあルージュ殿との話は」
「まずもって、無くなるとみるべきだろう。こういう言い方は何だが、国益を重視するならな」
キシュはシウォンがどれだけ妃選びを重視していたのかを知っていた。いずれ、国の母となる人物なのだから厳しい目で精査するのは間違ったことじゃない。だけどそこに、安らぎや家族の愛を作れるような気を許せるあいてだったらいいと思っていた。
キシュもシウォンも家族を失くしている。どちらかといえば家族の愛に疎い二人だが、キシュ自身のことはともかく、せめてシウォンには温かい家庭を持ってほしかったのである。
カトレシア家の娘、ルージュとの結婚はいい方向に向かっていると感じていた。しかし結果はほとんど破談となってしまった。それがキシュには残念でならない。
帝からの包みのなかには一言、こう書かれていた。
『ソウェスフィリナ第一王女が同盟の結び手としてやってくる』
他国の王子ではなく王女がやって来る。これがいみするところは王族同士の婚約、結婚の動きがあるということであった。ましてや相手はソウェスフィリナの第一王女。相手は間違いなくシウォンである。
「…ナフカ。情報は?集めていたんだろ?」
シウォンは眠さも消えて冷静に事態について思考を巡らせていた。
「はい。調べたところでは、ソウェスフィリナ王が大切にしている愛娘で、王子であったならば間違いなく次の王となっていたと噂されています」
「つまりは頭もきれる。そして愛娘ときたか」
「側に置くには少々扱いづらいかもしれませんね」
キシュがその話に眉を潜める。どうやら納得できていないようで、ナフカに尋ねる。
「しかし、急になぜこんなことに?」
「ソウェスフィリナは六年前のシュワーム様同様に、帝国に同盟を持ちかけた。それが失敗したそうだ」
「ソウェスフィリナはなぜ同盟を結びたがる?」
「現王は六年前の戦争でソウェスフィリナの国境線の確定を目的としていたと、シュワーム様は言っていた。イスファルへの侵攻は、当時のイスファターナが帝国と同盟を結ぼうとしていたからだと。そして国境線の確定が叶った今、国土の安定を計ろうとしている。イスファターナにあってソウェスフィリナに無いものは水だ。噂によればそれも枯渇の期限が近いらしい」
シウォンは立ち上がって、水をごくごくと体に入れた。
「急ぎラティーユを出る。イスファルに戻るぞ!」
「ルージュ殿はどうします」
ナフカが言う。すると、バタバタと駆ける音がして、ルージュが部屋へやって来た。
「馬をご用意しました。急がれるのでしょう?」
「ルージュ殿…お聞きに?」
「私のところにも家から連絡があったのです。殿下、私のことはどうかお構い無く」
シウォンはそれを聞いて立ち上がる。
「ルージュ殿、この度のこと本当に申し訳なく思っている」
「お気になさらないでくださいね、殿下。私は本当に楽しかったのです。これからは殿下にお力添えする一人の友人として、この国に尽くしましょう。それが私の夢でございます。さあ、早くイスファルへ。急がれませ」
「…あぁ。ありがとう、ルージュ」
ルージュは敬称無しに名前を呼ばれたことに驚いた。そんなルージュの横をシウォンが通って部屋を出る。伝わる風からは甘い香りがした。この旅の間何度も感じたあの香りだ。
ルージュはその背を見つめながらポツリと言った。
「短い時間でも私のことを見てくださった。私はそれがとてつもなく嬉しく思ったのです」
そして、丁寧かつ美しい礼を施した。
だが、その礼はどこか悲しげでもあった。側にいた者の中には、涙を流していたと言う者もいる。しかし、顔をあげたルージュの顔に涙はなく、拭った様子もなかったので見間違えだと思われた。
イスファルに着いたのはその日の昼間であった。
「父上!」
シウォンは荒々しく王宮殿の扉を開けた。
「なんだ、シウォン。急いで帰ってこなくてもよかっただろうに。それにそんなに血相を変えなくても」
執務室の席に着いてコーヒーを啜る王は、せっかくの休憩を邪魔されたと顔をしかめた。
「私は幾度と妃は私が決めると申してきたはず。何故このようなことになりましたか」
おまけに、一番頭がいたくなる重要事項をシウォンに詰め寄られたので台無しである。
「私にもどうにもできなかったのだ。ソウェスフィリナの要請を無下にはできない状況だとはわかっているだろう?」
「しかし…」
「ルージュ嬢とうまくいっていたと噂になっていたが、しかしあちらを立てなくてはならん。女っ気のなかったお前には、ルージュ嬢は初恋の相手にでもなったかもしれんが、まぁ知り合って日も浅い。早く忘れることだ」
「父上!」
「帝命だ、シウォン。早く忘れろ」
「苦虫を噛み潰す」と巷で言われるような不愉快な顔をシウォンは帝である父に向ける。煮えきらない怒りがそこにはあった。
帝は途端、シウォンを見てクスクスと笑った。どうやらシウォンの反発を悪く受け止めてはいないようである。
「…何がおかしいのです」
シウォンはより明らかに怪訝な顔をする。
「いいや?お前、だんだんとシヴァに似てきたな」
「なぜ母上を今持ち出すのです?」
「そうして詰め寄ってくるところとかそっくりだ。それになぁ、シウォン」
帝はビシッと指を指して言う。
「俺とシヴァも政略結婚だ。だが、シヴァもよくやってくれたろう?お前という立派な息子を育ててくれた。今回の婚約、間違いなく両国に波乱が起きることは間違いない。お前が目指すのはその先にあるものだろう?この俺がその波乱を収め、面倒を引き受けて、土台は整えてやると言っているんだ。ありがたく受け取っておけ」
「…つまり私の意思は関係ないと」
「それからなぁ…シウォン」
帝はコーヒーを啜る。
「ラドファタス(イスファターナの水道橋を置く商業都市)をリフキアに任せたい…が、あいつは例の事件以来めっきり外に出らん。という訳で、シウォン。お前の補佐に回す手筈になってるから、よろしくやってくれ」
「はっ?」
あまりにも突然のことでシウォンは素で声をあげた。
「ソウェスフィリナの王女が来るまで一ヶ月。その間、リフキアは皇妃から離してお前の宮殿に住まわせる」
「父上、私は仮にも休暇中で戻って参ったのです。なぜリフキアを私が見る必要があるのですか。いえ、リフキアを嫌っているわけではありませんが、私でなくてはなりませぬか?」
「お前の弟だ、シウォン。それにいい加減、皇妃から離れてもらわねばお前も苦労するだろう?」
シウォンは仮にも帝の前で大きくため息をついた。
「…これも試練だと?」
「その方が伝わりが速いのならそうでも構わん」
「父上、リフキアにお伝えくださいますか。私は使える人間を必要とするのであって、邪魔なら切り捨てる、と」
シウォンはその整った顔を最大限に歪めて言った。
「怖いなぁ、シウォン」
「必ず!お伝えくださいね」
部屋を出ると、そこにはシュワームが待っていた。
「久しぶりだな、シュワーム。夫人もナフカも元気だ」
「それはそれは、ありがとう存じます」
シュワームは深々と頭を下げた。
「ところでだが…。リフキアの件は、そなたが進言したのか?」
「左様でございます。リフキア殿下は何かに迷っておいでのようなので」
「…正直のところ、迷惑している」
「申し訳ありません。しかし、殿下にしかこなせぬと思いましたので」
シウォンは苦々しく笑った。
正直なところ、リフキアのことをシウォンは嫌ってはいない。だが持てる力を使えるのに使わない、自分に不利な人間をシウォンは構っている暇などはっきり言えば持ちたくなかった。
「私だけか」
「ええ。帝に兄弟は多数おられましたが、殿下方はたったお二人。もし、殿下が帝を目指されるのであれば、お味方に兄弟を持っているのは多分な効力をもつでしょうな」
「…」
「無論、絶対とは申しません。キシュやナフカを頼りにされているのも存じております。しかし時にはそういうこともある、と年寄りながら進言した次第です」
シウォンは完敗したと、諦めをつけた。シュワームに言葉で勝てるはずがないのだ。この人物に吸収された情報は、知力と経験に基づいている。今回のことは経験の方だろう。
「わかった。努力はしてみる」
「よい結果を、お待ちしております」
シウォンは王宮殿をあとにした。そして深く、深くため息をついて、自身の宮殿に帰ったのである。




