ラティーユ領
穏やかな日差しの差すなか、シウォンの管轄であるイスファターナ南部、ラティーユへ向かう一行であったが、その馬車の中には客人が乗っていた。
「あの、私がついていく意味があるのでしょうか」
カトレシア家令嬢、ルージュである。
「ようやく取れた休暇は、好きにしたいものだろう?友人であるあなたを誘おうと招待した」
「休暇までご自分の領地に帰られるとは、熱心なのですね」
「そうかな」
ルージュは少しため息混じりに言った。
「見たところ馬車は皇家のものではありませんからお忍びなのでしょうけど、私はそのカモフラージュといったところですか?」
「そうかもしれないね、場合によっては。あなたには柔軟な対応を求めているよ」
シウォンはにこりと笑う。それを見て、ルージュは少し作り笑顔を崩しながら言った。
「先日の顔合わせの後から、我が家にやたらと夜会の招待状が届きます」
次期帝の妃候補となればお近づきになりたい人間も多いのだろう。カトレシア家と同じくらい地位の高い貴族からの招待もあると、それを断るのも難しく、ここ数日は困っていたのだ。
「へぇ…」
シウォンは少し面白そうに言った。
「他人事のようですね。ですが、迷惑しているんです」
「今回のことも迷惑だと?」
「そちらがお誘いくださったら、私はそれを退けるわけにはいきませんから。今後はいっそ、我が家とは疎遠になってくださると嬉しいのですが」
「それは血縁上不可能だし、何よりカトレシア家の人達はそうは思っていないだろう?」
シウォンの言ってることは間違いのないことであって、ルージュはやれやれと諦めの顔を示した。
「それより、本当の理由をお聞かせくださいませんか。なぜ、私をラティーユに?」
「…行けばわかる。わざわざ連れてきて残念な思いはさせないつもりだ」
ラティーユはもともと宿場町だったが、やがて芸術の町として発展した。色々な文化が混ざり合うこの場所ならではの音楽や美術、芸事は、イスファターナで高く評価されている。
ラティーユに到着すると、そこには赤を色調とした店が並び、店頭に提灯を下げている。すでに時刻は夕方である。宿場町の目覚めの時間だ。
「ルージュ殿、ここでは私のことはウォルと呼んでくれ」
「本名は避けたいということですね」
シウォンは頷いた。
「では、私のこともルージュで構いませんわ。お付きの皆さんも、名前で呼んでください」
「我々もよろしいのですか」
キシュが少し戸惑いながら言う。
「ええ。私もそうします、キシュさん」
「わ…わかりました」
キシュがあからさまに照れるので、シウォンはジロッとキシュを見た。そして何やら言い合う二人をよそに、ナフカはルージュに言った。
「ルージュさん、ここからは私やキシュから離れないでください。夜の宿場町はならず者もいますから」
「ええ。よろしくお願いします」
四人は酒場街を歩いた。シウォンは一つの酒場を見つけてそこへ入っていく。
「へい、いらっしゃい!お客さん、四名様?」
陽気な店主の声が店に響く。
「ああ、ライズ酒二杯と果実酒をひとつ。それから何か酒のつまみになるものを」
シウォンがさっさと注文する。
「はいよ。飲み物、あとひとつはどうする?」
「すまないが水でいい」
「すまねぇなんてことはないさ。水だね」
席に着くと、すぐに酒が運ばれてきた。
「ルージュ、飲むか?」
シウォンがグラスを傾けながら言った。
「よいのですか。なんというか…お恥ずかしいというか」
「構わないさ、キシュはお預けだがな」
「では…すみません。いただきます」
ルージュはキシュに謝って果実酒を飲んだ。
「すまんな、キシュ。お前は酒に弱すぎるからな」
ナフカもライズ酒を飲みながら言った。
「わかりきってるから言わんでくれ。それに、仕事中に酒は飲まんよ」
キシュはごくごくと水を飲み干す。
「相変わらず賑やかなところだな、ここは。昔、一度行商で来たことがあるんだが、ここの酒の旨さには惚れてしまったよ」
シウォンが店主と話し始めた。
「へぇ、そうかい。ライズ酒はラティーユが誇る名酒だからな。そう言ってもらえると俺達も嬉しいね。この国の人じゃないようだな。どこから来たんだい?」
シウォンの瞳は帝国の人間に多い青色の瞳。それゆえに店主は訪ねたのだろう。
「生まれはイスファターナだが、母親が帝国北方の流れの人でね。俺自身も諸国をあちこちしているから、どこの国の人間とも言えないんだ」
「へえ、そうかい」
店主はそれ以上のことを聞きはしなかった。たくさんの人間が行き来するこのラティーユでは、相手の素性を根掘り葉掘り聞いてはならない。それが、暗黙のルールなのだった。
酒をニ杯ほど飲み終えると、シウォンは席を立ち上がった。
「店主!いい酒だった。また来る」
「あいよ!」
また、ラティーユの酒場街を歩き始めて、今度はその一つ奥の通りに入っていった。ルージュは足を踏み入れてしばらくすると、急に不安を覚えた。
先程とは変わって、一歩先も見えない真っ暗な道になった。都の貴族街は整備されていて、夜は街灯が道を照らしている。
シウォンとナフカに挟まれて守られてはいるけど、いつならず者達と遭遇してもおかしくない。 ルージュはだんだん足がすくんで歩みが遅くなった。
「大丈夫か?」
シウォンが尋ねた。ルージュより前を歩くシウォンであったが、何かを感じたらしい。立ち止まるとルージュの顔をまじっと見た。
「…」
なんだか恥ずかしくなってきて、からだの体温が上がっていく。ルージュがぎゅっと目を瞑ると、しばらくしてルージュの手に別の手が添えられた。
ゆっくりと目を開けると、シウォンが自分の手を握っている。
「…で、殿下」
シウォンはにこりと笑って、そっと自らの口に指を当てた。
「しっ」
「あっ…申し訳ありません」
向けられる笑顔に答えることができなくて、ルージュは目線を合わせないようにうつむいた。それでもシウォンは自分の手を強く握っていて、離してくれない。
「冷たいな…」
そう一言、シウォンが言った。
「す、すいません。私、冷え性なので…」
「もう少し、奥に入る。そこにあなたに見せたいものがある」
シウォンはそう言ってまた歩き始めた。でも、手は離してくれない。
異性に、それもこの国の皇太子に手を引かれるなんてとても恥ずかしいのに、触れる手から伝わる温かさがルージュの心を溶かしていくようだった。
かつて、聞いたことがあった。
『皇太子の周りには皇太子の有能さに惹かれたものが集まる。反対に無能な者は容赦なく切り捨てられる。さながらそれは鬼のようである―と』
貴族社会ではすでに周知の噂となっていることだった。ルージュは、貴族令嬢達がそんな話をしながら妃候補に立候補することが不思議でたまらなかったが、『鬼』と聞けば多少は身構える。
シウォンに初めて会った数日前、鬼と呼ばれた噂の姿の片鱗はどこにも感じられない、穏やかな優しい皇太子がそこにいた。
ルージュは少し自分自身を反省した。
初対面の人間に明らかに『鬼』のような一面をみせるようでは、皇太子は務まらないだろう。人心を掴むことなどできないはずだ。そうだとすれば、むしろ『鬼』というのはあの笑顔の方にありそうな気がする。
そしてたぶん、殿下はよく人を見ている御方だ。
噂に聞く無能と切り捨てられた人には、明らかな非があったに違いない。それは政局を這い上がって生きる人間にとって、地獄のような処遇であったのだろうから殿下を『鬼』と思うのも仕方がないのかもしれないが、一方でそれは、殿下なりの優しさだったかもしれない。
そんなことを考えた数日だった。
まさかすぐに視察に同行しないかという誘いがあるとは思わなかったが、両親と弟妹の強い説得でここへやって来た。
実は初対面で無礼な進言をしたために、会わせる顔がなかったのだ。でも、少しずつ触れるシウォンの本当の姿に、悪い印象はもたない。
「ここだな」
目の前には今にも崩れ落ちそうな建物があった。
「相変わらずだなぁ、この古さは。いつか屋根から崩れるぞ」
シウォンが言う。
すると、建物の扉が勢いよく開いて、中から白髪ので長い髭を蓄えた老人が出てきた。あまりの勢いに建物がギシギシ言っている。
老人はシウォン達の姿を見るとにやりと笑った。
「やはり、お前達か」
「久しぶりだな、ララ」
「先生、お久しぶりです」
シウォンとナフカが挨拶をした。
「おぉ!久しいなぁナフカ!」
「ララ、さすがにそろそろ引っ越しを考えてはどうだ?必要とあればいつでも言ってくれ」
その家はこの瞬間もパラパラと木くずが落ちていく。
「ハッハッハ。意外に住めば都と言うものなんだぞ、ウォル。しかし、最近は雨漏りもしてきたからなぁ。検討だけしてみるか」
「ナフカ」
「はい。先生のためならば最上の家を探しましょう」
「ハハッ、そんな贅沢はもうせんでいいのだ。昔に十分味わったからな。しかしすまんな、この家はちと古くてお前さんらを入れるのは無理だ。少し付き合え」
老人が連れてきたのは大衆酒場だった。酒場といってもさっきの酒場街の華やかさはなく、屋外に設置された机に何人もの客が座って騒いでいる。どうやら庶民向けの酒場らしい。
酒場に着くと老人は店の娘を手招きで呼んだ。
「金はある。一つ個室を用意してくれんか」
「わかりました。ご案内します」
娘に案内された個室というのは、正確には個室ではなくて、雨が避けられるくらいの屋根があり、先程の騒いでいた場所から少し離れているため、ここで行われる会話が聞こえないくらいの利点をもった個室だった。
席に着くと、シウォンが老人を紹介した。
「さて、ルージュ。この人はララ=イェーガル。あなたなら知ってるかもしれないけど、私とナフカが皇立学校にいたときの校長だ」
もちろん、ルージュは知っていた。ララ=イェーガルと言えばこの国の政治学者の第一人者で、たくさんの著書がある。ルージュはもともと政治に興味があったので全て読破していた。
「ルージュ=カトレシアです。お会いできて光栄です。先生の本は全て読みました!一度お会いしたいと思っていたのです!」
ララはなかなか表には出てこない。だから、校長として彼が教壇に立っていたのを目にできたということは、羨ましいほどの幸運に違いないのだった。
ララはにまりとルージュを見た。
「カトレシアか。こう見ると、いささか面白い絵面だな」
ララはそう言ってシウォンに答えを求める。
「家は関係ないだろう」
「その通り、全く無価値だな」
「ララ、ルージュは今、イスファルで子どもの教育に力をいれている。もともとは彼女の母のしていたことらしいが、それを継いでのことだ。加えてルージュはもともと役人になりたかったらしい」
「つまりはわしに手を貸せと言うのか」
「その通りだ」
ララは酒をごくりと豪快に飲んだ。
「ようやくと暇になれたんだがなぁ」
そしてそう呟いた。
「女の身で役人になりたいとは面白い娘だ。そしてまた子どもの教育とは…」
ララはつまみの煮魚を食べながら、ルージュを見る。
「難しいと思ったからわしのところに来たんだろう、ウォル。だが、これは一つじゃ意味がないぞ?」
「わかっている。ようやくの休暇を削ってでもやってやるつもりだ」
ララはちらりとナフカを見る。ナフカは微笑みながら頷いた。
「わかっとるのだろうが、いい加減動き出すぞ」
「もう動いていますよ」
ナフカが答える。
「どちらだ?」
「…北です」
ララはそれを聞いてまた、にんまりと笑った。
ナフカのいう北とは、つまりはソウェスフィリナ王国を指していた。急成長するソウェスフィリナとは六年前の協定が結ばれるまでは戦争が何年にもかけて起こっていた。その分、両国に対するそれぞれの国の国民の恨みはとても多い。
そのソウェスフィリナに動きがあると、ナフカは言うのだ。
「受けてくれるか、ララ。今しかできない。俺が皇太子であるうちでなければ、取りかかれない。ララの力がいる」
シウォンが言った。
「一筋縄ではいかんよ。お前さんはどうするんだ?」
「まず、皇立の学校をここ、ラティーユに作る。ララにはそこの校長になってもらう。そして数年後に各地に分校を作る。そして子どもは六歳以上になったら学校に行くこと、そして親は学校に行かせることを義務にする」
「イスファターナの産業が揺らぐぞ?」
「もちろん、学ぶ内容は各地の商業に根付いたものにする。そこに悪い感情は沸かないはずだ。だが、国が定めた一定のラインまでは全員に習得させる。そのあとなら学べる内容は各地の校長に一任する。ララには各地の校長を統括してほしい」
「…それでも、産業は揺らぐがどうする?」
「…二年以内にソウェスフィリナと同盟を結ぶ。それがこの計画の鍵だろう」
それを聞いたキシュもルージュも目を丸くした。ナフカはシウォンの隣で厳しい表情をしている。
「同盟を結び、産業を補える貿易を行わなくてはならない。そうだろう、ララ」
「人の感情とは簡単なものではない。これまで互いに流してきた血の量を思えば、仮に両国の間に同盟を結べたとしても、受け入れられることはない。それはどうする?」
「だからこそ学ぶ必要がある。各地に作る学校は、将来を掴む機会を得るだけの学校ではなく、人を作る学校だ。そのためには、イスファターナの歴史を洗いざらい学ばせることも、俺はいとわない」
国には必ず機密事項というものがある。国民に知らされる情報は必ずしも正しいとは、これまでのイスファターナ史上言えないのである。シウォンは歴史を受け入れ、考えることに意味があると思っていた。その先に、人の協調という未来があると、そう考えていた。
「歴史か。そうだな」
ララは言った。
歴史は人間の生きてきた軌跡をたどる手段。そして過ちと成功を後世に示す手段でもある。そうして書として残された軌跡はたくさんあるのに、こと戦争から遠ざかると歴史からも目を背けてしまう。そうして誤った政治が行われてきた過去は決して少なくないとララは知っていた。
「…わかった。お前さんに力を貸そう」
「感謝する」
「しかし、わしも去年世を去ったハディスとそう歳も変わらん。今年で七十二だ。どこまでやれるかはわからんぞ?」
「大丈夫。ララは百まで生きる。俺はそう信じてる」
「ホホッ!」
ララは酒を飲み干した。
「ルージュさんと言ったか。その志を決して失くさないように、大事にしなさい。いずれまた会うだろう」
そうしてララとは別れて、ナフカが用意していた宿屋に向かった。
「ルージュさんの部屋は別に用意しています。ひとまずグリュネールの邸から一人、女の使用人を呼んでいますから、彼女に何なりと申しつけてください」
ナフカが言った。
「ありがとうございます。それからその…」
ルージュは言った。
「今日の話、私が先日あのように申しあげて…殿下にご無理を…」
ナフカは首をふった。
「いいえ、元より殿下は考えておいででした。ただ、時期と機会が合わなかったのです。あなたのような方に出会えたのは殿下としてもご自分のお考えの味方ができたようで、とても喜んでおられました。しかしながら、今日見聞きしたことは」
「胸にしまっておいた方が良さそうですね」
「ありがとうございます」
その日の夜、ルージュは眠ることができなかった。
シウォンの皇太子としての姿を目の前に見た。深い青色の瞳は真摯にこの国を語っていた。
(イスファターナ皇国帝…)
なんとなく最近、家の皇家との関係もあって近くに感じていた、この国の帝の本当の姿に触れた気がして、その存在の大きさに心を打たれるものがあった。
今日のことを忘れることはない、とルージュは、今日の出来事を思い出しては心に刻んだのだった。
翌朝、ルージュは部屋の窓がコツコツとノックされる音で目を覚ました。カーテンを開けると、まだ外は夜明け前で真っ暗だった。そしてシウォンがテラスから声をかけてきた。
「起こしてすまない。少し話さないか?」
ルージュは急いで寝巻きの上にコートを被ってテラスに出た。テラスは隣のシウォン達の部屋と続いていたらしい。
「おはよう」
「おはようございます」
「すまない。起こしたりして」
「いえ…」
「これを見せたくて」
シウォンは空を指差した。そこは少し紫がかった夜空に星がとても輝いていた。
「イスファルは夜も明るいからなかなか見えないが、綺麗だ」
「本当ですね。こんなに綺麗な星を見たのは初めてかもしれません」
星に見とれるルージュの横で、シウォンは言った。
「ラティーユに無理に連れてきたが、ララに会わせたかったのだ。ついでに、今後どう動くのかも。カトレシア家という名を背負うあなたには、しばらく秘めておいてもらう必要があるけれど、すぐにそれも無くなる」
ルージュは頭を下げた。
「殿下。連れてきてくださってありがとうございました。この国の一端に触れることができ、我が身の幸福として刻ませてもらいました」
「あなたにはこれから色々と働いてもらわなくてはならない。イスファルにできる学校の校長はララだが、あなたにはそこで学ぶべきことをララと協議の上、報告してほしい」
「しかし、私は…」
役人でないルージュが口を出すことなんてできない。
「できるようにする。その代わり、いい報告を待ってる」
「殿下…」
「イスファターナはたぶん、これからたくさんの不幸を目にすると思う。それは逆らえない事実だ。その最期の最期、救いが学びであるといいと思う。互いに力をつくそう、第一の友として」
「はい」
やがて温かくまぶしい日の光が夜の闇を消していった。その輝きは星々のきらめき以上に、まるでその前途を照らすようでもあった。




