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塵壺の底  作者: みみつきうさぎ
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第拾六話「伴天連追放文①」

 彼は自分の出自を長崎生まれだということしか知らない、しかし、その容貌から伴天連の子、天狗の子と迫害を受けてきたことだけは覚えている。齢八つ、一人の足の不自由な高野聖の伴僧として買われた。経典や仏具はとても重い物ではあったが、少年には『夢戒』という呼び名が与えられ、その僧に従って舞を舞い、寄進を募れば食べることだけには困らなかった。時々、同衾することはあってもそれはたいして苦になることではなく、むしろ一人では無い安心感を得る場でもあった。この聖は薬草にも詳しく、その効用で多くの命を救った。求められれば村の田畑の治水の仕方まで示すこともあった。


 だが、彼はあっけなくこの世を去った。いや命を奪われたという方が適当な表現である。信濃国鳥居峠にさしかかったところ前の宿場から同行していた商人風の男が豹変し、待ち合わせていたのであろう、追いはぎの集団によってあっけなく殺された。夢戒だけは崖を転がり落ちるようにしてその場から逃げた。


 師は出会った頃から夢戒に告げていた。


「すべて運命(さだめ)である、わしに何かあっても逃げよ、逃げられるうちはお前にはまだ生きる意味があるということ、悲しむことはない、この世界が浄土であり、浄土はいつもそこに広がっている」


 時が過ぎる。泥まみれの山道を逃げ惑う少年だった彼も既に青年となっていた。しかし、師を置き去りにした罪悪感は、将来、長きにわたって彼の心を荒ませた。


 慶長十八年一の月※西暦一六一四年師走、幕府より「伴天連追放文」が公布された。いわゆる禁教令である。大阪が天下を治めていた時も伴天連追放令が出されたのだが、それと比較しても民にとって比較できないほどの公儀による大きな弾圧であった。京都では多くの衆目にさらされた火あぶり刑による見せしめ、それまで黙認されていたキリシタン大名も切腹を命じられ、教会もすべて打ち壊されていった。

 この陸奥の地にもそう言った迫害を逃れた多くの流浪の民が追い立てられた獣の一団のように、険しい山々を越え、息を潜めて肩を寄せ合っていた。


 洞鉛寺の僧に迎えられた『夢戒』は非公式ながらも寺を任され、わずかな寄進で人々の心を支える立場となった。彼は子どもたちに山に自然と生える桃やスモモの種を食べた後、寺へ持ってくるように命じ寺裏のわずかだが他よりも日の当たる場所を選んで大切に植えた。十年もすると大人の背丈を超えるほどの若木となり、かわいい花を咲かせ、小さな実を付けた。毎日の生活もままならない民であっても、その些細な季節の移ろいに幸せを感じていた。

 僧正様という呼び名がいつの頃からか『ほうほう様』と変わった。元はといえば子供たちが使っていた間違った呼び名であったが、それが村人たちの間にも自然と広まっていた。


 桃の木がまた一段と高くなったある日のこと、村の様子を一変する凶事がもたらされた。

 近在の行商から戻ってきた若者は、今の隠れキリシタンへの裁きがどれほど惨いかという事実を怖々と語った。

 夢戒の耳にもこの噂はすぐに届いた。

 元々、この廃鉱で荒れた山に逃げて隠れ住んだ者たちは全員が隠れキリシタンやその末裔である。この数年間にも噂をつてに関所を抜け、流れてきた者もいる。


 この狭隘の地にも宗門改が入る沙汰が届いた。

 宗門改は、本来、その地の寺や名主の家で行われたが、洞鉛の地の道は遠く険しい。こちらから青葉藩が指定した場所まで赴かざるを得なかった。

 村人たちの中にはさらに山深い地に逃亡しようと既に荷物をまとめ始めた家族も多くいた。


「恐れるでない、はやまるでない、皆は如来の加護を受けている者たち、むしろ心落ち着かぬ者ほど御公儀の嫌疑の目にとまるであろうぞ」


 夢戒は宗門改帳(しゅうもんあらためちょう)をすぐに抱え、寺の下男を伴としてすぐに青葉藩の決められた場所へと向かった。この寺の檀家であることを証明できれば、キリシタンでないことを公に認めてもらえるからである。

 

 山道の先を進む下男『朱説(しゅぜつ)』は関を抜けてはるばる洞鉛の地まで逃げて来た男だ。身体はたくましく、見目麗しい青年僧侶であったが、自分のほとばしる感情を抑えることが苦手であり、町で見初めた娘を巡り生じた言い合いの末、町衆と刃傷沙汰を起こした過去を抱えていた。

 仏の道を説く僧がこのような色恋を原因とした罪を犯したとあらば、ただで済むわけは無いのが必定である。朱説は僧服をすぐに脱ぎ捨て、元いた寺院を出奔(しゅっぽん)した。

 

 事情を聞いた夢戒は、怒ることもせず下男として青年をやとい自分の身の回りの世話をさせた。夢戒は、その男に昔の逃げた自分を重ねていた。


「夢戒様、まもなく関となります」


 朱説は、関抜けの過去があるので緊張しているように夢戒には見えた。


「案じよ、お前は過去を捨て、あの地で生まれ変わった者、元からそこにいた者よ」


 夢戒の考えていた通り、関はすぐに通ることができた。この街道はとうの昔に途切れていたので、関守たちも洞鉛の地より来た者の素性を疑う余地は無かった。


 指定された場所は藩随一の豪商大谷家が所有する屋敷のうちの一軒である。朱説はその豪勢さに思わず驚きの声を上げた。

 夢戒は何も言わず、門番をしている男の指示に従って足早に裏門をくぐった。

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