第二章 仕掛けの痕跡 第一話
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翌日、ディアナは密談のため約束どおり、セレクト伯爵家の温室を訪れていた。
扉をくぐった途端、やわらかな湿り気を帯びた空気が頬を撫でる。
春を待ちきれない花々が、ガラス越しの陽を浴びて静かに色づいていた。
本来なら心を和ませるはずのその空間が、この日ばかりは妙に緊張を孕んで見えた。
もっとも、人払いがされているとはいえ、完全な密談ではない。
ガラス戸の向こうには、ディアナ付きの侍女ルネと、セレクト家の侍女が控えている。
婚姻前の男女が二人きりで長く語らうなど、社交界にとっては格好の噂の種だ。
その程度の礼節を、二人とも心得ていないわけではなかった。
昨夜、フォースから告げられた言葉が、まだ耳の奥に残っている。
――マジシャンズ・セレクト……見えているものが真実とは限らない……
あまりに突飛で、あまりに馬鹿げている。
けれど、それを笑い飛ばせない程度には、彼女もまた疲れていた。
もし本当に、あのあみだくじに仕掛けがあるのだとしたら。
自分は、どれほど長いあいだ、どれほど見事に騙されていたのだろう。
そんなことを考えながら温室へ足を踏み入れると、フォースはすでに丸卓の前に座っていた。
その声音は静かだった。
感情を押しつけるでもなく、 ただ当然のように、 彼はディアナを迎えた。
その落ち着きが、 かえってこれから示されるものへの確信を感じさせた
「昨日の続きを、お見せしましょう――」
フォースは、温室の丸卓に一枚の紙を置いた。
「――まずは、こちらを……」
それは、ごく普通のあみだくじだった。
上段には、何も書かれていない四本の縦線。
その間を、いくつかの横線が結んでいる。
下段には、『紅茶』『珈琲』『紅茶』『珈琲』と、交互に結果が並んでいた。
「辿ってみてください」
言われるまま、ディアナは左端の線に指を置く。
下へ。
右へ。
また下へ。
たどり着いた先は、『紅茶』だった。
「……普通ね」
呟くと、フォースはわずかに頷いた。
「――ええ。ごく普通のあみだくじです」
そう言って、彼は脇に置いていた一枚の厚紙を持ち上げた。
何の変哲もない、ただの覆いにしか見えない。
「タネは、こちらにあります」
裏返されたそれを見て、ディアナは目を細めた。
そこには、ごく薄い小さな透明の膜がついていた。 そして膜には、よく見なければ分からないほど細い線が一本だけ引かれている。
「……薄い膜…よね?」
「そうです」
フォースはそれを窓辺へかざした。
陽光を受けて、ようやくその線が、淡く浮かび上がる。
「よほど目を凝らしたところで、まず気づきません。だからこそ、仕掛けとしては十分です」
彼は覆いをあみだくじの上に置いた。
中段はすっかり隠れ、見えるのは入口と結果だけになる。
「この状態で、相手に入口を選ばせる」
ディアナは、さきほどと同じ左端を指した。
「そして――」
フォースの手が動く――
覆いを取り払う、その自然な所作の中で、指先が一度だけ、紙の上をかすめた。
――それだけだった。
あまりに小さな動きで、見逃してしまいそうになる。
「……今、何を」
「一本、足しました」
彼は静かに答えた。
「見えない横線を――」
今度こそ、見逃すまいとディアナは息を止めた。
指先は下へ進み、 いつものように横へ折れ―― その先で、ふいに道を変える。
さきほどとは違う出口へ――
たどり着いた先は、『珈琲』だった。
「……変わった」
かすれた声が、自分のものとは思えなかった。
「ええ」
フォースは穏やかに言った。
「ハーバル様は、最初からこの紙の道筋を覚えているのでしょう。
六本の入口のうち、どれを選べばどこへ辿り着くか――それを把握したうえで、あなたに一本を選ばせる。
そして、その先が『見舞いへ行く』なら、何もしない。
ですが、もし『約束を守る』へ届く線を選ばれたなら、その時だけ、覆いを外すふりをして横線を足すのです。
――あなたが“外れ”を引くように」
『選んだのは、あなたです。ですが、決めたのはあなたではない』
――その言葉は、予想以上に深く刺さった。
あみだくじを辿るたび、自分は納得していた。
悔しくても、腹立たしくても、最後には「自分で選んだ」と思い込んでいた。
だがそれすら、与えられた錯覚だったのだ。
「……気持ちが悪いわ」
怒りよりも先に、嫌悪が込み上げた。
あの男は、こんなものを“誠意”の顔で差し出していたのか。
「これはトリックのほんの一例です。まだ他にもあるでしょう」
フォースは覆いを畳みながら言った。
「線を足す。順番を変える。紙をすり替える。
あるいは――何もしない」
「何もしない?」
「ええ。 最初から、望む結果になる入口を選ばせればいい」
ディアナは息を呑んだ。
どこまでが偶然で、どこからが操作だったのか。
もう、それすら分からない。
「……あと、他にも…インクを使うとかも、ありますよ」
「インク?」
「温度で消えるものがあるので、紙を取り払うときにちょっと触れて温めればば……」
「……そんなものまで作られてるの?」
「貴族はろくでなしになるほど暇ですから……そのくせ、悪知恵を働かせることにだけは熱心です」
ディアナは思わず吹き出した。
その笑いは、ここ数か月で初めて、少しだけ本物だった。
明日14時00分に、次話更新いたします。




