第一章当たりの行方 三話
第一章当たりの行方 三話
その日、ディアナは珍しく一人で庭園を歩いていた。
季節は初夏。
薔薇の盛りを迎えた庭は、香りに満ちている。
だが、彼女の足取りは重かった。
今日もまた外れた。
しかも、ハーバルは言ったのだ。
「最近、君があまりにも外れを引くから、今日は当たりを増やしておいたよ」
今日の紙には、五本の縦線が並んでいた。
そのうち二つが『約束を守る』
残る三つが『見舞いへ行く』
なのに結果は同じ。
見舞いへ行く――
どういう理屈だ。
「そんなに棘を立てて歩いていては、薔薇に仲間だと思われますよ」
不意に、声がした。
振り向けば、青年が立っていた。
濃紺の上着。
柔らかな灰色の瞳。
伯爵家嫡男、フォース・セレクト。
社交界では何度か顔を合わせている。
穏やかな人物として知られているが、言葉を交わしたことは、あまりなかった。
それだけに、自分の今の顔を見られていたことが、妙に気まずい。
「……失礼しました」
ディアナが小さく表情を整えると、フォースはわずかに目を細めた。
「いいえ。少し意外だっただけです」
「意外?」
「あなたにも、そういう顔をなさることがあるのだと」
その言い方に、ディアナは思わず眉を寄せる。
「……ずいぶん、人を観察していらっしゃるのね」
「興味が湧いただけです」
「何に?」
「あみだくじで、そこまで真剣な顔ができるものなのだな、と」
ディアナは足を止めた。
「どうしてそれを」
「先ほど、見かけました」
彼は悪びれもなく言った。
「あなたが穴が空きそうなほど紙を睨んでいたので、思わず」
「趣味が悪いわ」
「否定はできませんね――」
あまりにあっさりと認められて、ディアナは拍子抜けした。
皮肉を返されるか、気まずそうに笑われるか――そういう反応を予想していたのに、どちらでもなかった。
その肩透かしに、張りつめていたものが少しだけ緩む。
ふと、言葉がこぼれた。
「……あれは、婚約者との約束事なのです」
言ってから、自分でも意外だった。
こんなことを、ほとんど話したことのない相手に説明している。
「なるほど」
「彼はいつも、病弱な幼馴染に呼び出されるの」
「……そうなのですね」
「そして、どうするかを私に選ばせるのです……あみだくじで――」
フォースはしばらく黙った。
それから、静かに尋ねた。
「本当に、あなたが選んでいますか?」
ディアナは眉をひそめた。
「どういうことです」
「……先ほどの紙を睨んでいたあなたの表情だと、いつも“はずれ”を引いているのではないですか?」
「……ええ、まあ」
「マジシャンは、観客にこう思わせます」
フォースは足元の落ち葉の中から、二枚を拾い上げた。
どちらも同じくらいの大きさだが、一枚は色が濃く、もう一枚は少し色褪せている。
「私が残したいのは、こちらです」
そう言って、色の濃い方を軽く示した。
「これを、あなたに選ばせずに残してみせます」
ディアナは眉をひそめた。
フォースは二枚を左右の手に隠す。
「どちらか一方を」
「……左」
左手が開く。そこには、色褪せた葉。
「では、それをあなたに」
ディアナが受け取る。
残った右手を開くと、そこには色の濃い葉があった。
「偶然です」
「そうですね。もう一度」
彼は落ち葉の中から、同じような二枚を新たに拾い上げる。
再び両手に隠す。
「今度は?」
「……右」
右手が開く。
やはり、色褪せた葉だった。
ディアナはそれを受け取り、 ほとんど同時に左手を見る。
そこにはまた、色の濃い葉が残っている。
「……同じ」
「ええ」
フォースは静かに頷いた。
「奇術師がよく使う手です。
観客に“選ばせた”と思わせながら、結果だけを最初から決めておく」
彼は少しだけ笑った。
「マジシャンズ・チョイス―― そう呼ばれています」
その名前が、妙に重く聞こえた。
「あなたは選んだ。
けれど、結果は変わらなかった」
ディアナの指先が、受け取った葉を強く握る。
「――あみだくじも……」
「可能性はあります」
フォースの声は穏やかだった。
「見えている線が、真実とは限りません」
その言葉が、胸の奥に落ちた。
ずっと拭いきれなかった違和感が、ようやくひとつの形を持つ。
ハーバルは、本当に“運”に任せていたのだろうか。
それとも――
「……一緒に、確かめませんか」
顔を上げると、フォースが静かにこちらを見ていた。
「あなたが疑ったものを。
それが本当に、偶然だったのかどうか」
その言葉は、誘いだった。
断じるのでもなく、導くのでもなく、ただ、隣に立つという意思表示。
ディアナは彼を見た。
初めて、“傍観者”ではなく、 自分と同じ側に立つ人として。
そのことに気づくと、張りつめていた胸の奥が、ほんの少しだけ緩んだ。
「――お願いします」
それは助けを求める言葉ではなかった。
目を逸らさず、自分の目で確かめるための――覚悟だった。
「……協力してくださるの?」
「ええ」
「どうして?」
フォースは、ほんの少しだけ視線を逸らした。
「それは――」
そこで言葉を切り、すぐにいつもの穏やかな表情へ戻る。
「……あなたが、あまりにも悔しそうだったからです」
その答えは、嘘ではないのだろう。
だが、それが全部でもない。
ディアナはそう思った。
けれど今は、それでよかった。
「なら――」
彼女は、右手を差し出した。
「共犯者になってください」
一瞬だけ、フォースの目が細くなる。
それから彼は、 迷いなくその手を取った。
「喜んで」
温室のガラス越しに、午後の光が静かに差し込んでいた。
こうして――
外れ続けた伯爵令嬢の、小さな反撃が始まった。




