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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第6章 魔王

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第95話 鋼鉄の門番

 下り坂は、いつまで経っても終わらなかった。

 両側からせり迫る石壁は湿っていて、肩が擦れるたび、指先がぬめった。イルミナの手のひらに浮かんだ小さな火が、四人ぶんの影を、壁に長く長く引き伸ばしている。背後の崩落の音は、もう聞こえない。レオンの叫びも、エレーヌの呪詛も、土煙の壁の向こうに置き去りにしてきた。


「イルさん、どこまで続くんだ?」

「緊急用の避難路があるのは知っていたけど、入るのは初めてだから分からないの。このまま城の外に出られるはずなんだけど」


 踏み込んだ床が、ごとっ、と音を立てて沈んだ。

 嫌な予感が、背筋を這った。


「足元が……」

 言いかけた、その時だった。

 ギギギ、と。重たい歯車が、ずっと奥で噛み合い何かが動き出す音。

「全員、止ま……」


 遅かった。

 足の下から、ごっそりと支えが消えた。

 床が、抜けたのだ。

 浮遊感。胃の腑が、ふわりと持ち上がる。イルミナの火が、ぐるりと回って闇に吸い込まれた。

 暗い縦穴を、四人まとめて滑り落ちていく。岩肌に背中をこすられ、肘を打ち、それでも落下は止まらない。

 死ぬ、と思った瞬間――


反重力アンチグラビティー


 イルミナの呪文が聞こえた。

 ふわり、と。

 落下の速度が、嘘みたいに緩んだ。

 四人ぶんの重さが消え、俺たちは、ゆっくりと底へ到着した。

 肺の中の空気を、ぜんぶ吐き出して、それからのろのろと吸い直す。岩に打ちつけた背中が、じんじん痛んだ。だが、骨は折れていない。


「全員、無事か」

 ガランの低い声。盾を地につき、それを支えに立ち上がる影。

「俺は平気だ。ノクトは」

「……いてて。生きてる、よ」

 暗がりの中で、ノクトが身を起こす気配。

「イルさんは」

「私はぜんぜん平気」

 短く、そう返ってきた。けれど、声に滲んだ疲労は、隠しきれていなかった。あの落下の中で四人を受け止めたのだ。底のない魔力を持つ魔王でも、ただでは済まない芸当だったろう。


 イルミナが、もう一度、手のひらに火を灯す。

 その小さな光が照らし出したものを見て、俺は、息を呑んだ。


 また、通路だった。

 縦穴の底から、横へ。まっすぐに、闇の奥へと続いている。けれど、ただの通路じゃない。

 壁は削り出した岩じゃなかった。隙間なく組まれた、なめらかな石。床には規則正しい目地。

 誰かが、意図して隠した道だ。


「こんな場所があるなんて、聞いたこないよ」

 イルミナが、呟いた。仮面の下の声が、わずかに揺れている。城の主であるはずの彼女すら知らない通路。

 俺はごくりと喉を鳴らした。

 退路はない。上は塞がっている。だったら、前に進むしかなかった。

 火を頼りに、四人で闇の奥へと歩を進める。

 通路は思いのほか長く続いた。やがて前方の闇が、ふっと開けた。

 大広間だった。


 火が届ききらないほどに、天井が高い。柱もない。がらんとした、巨大な空洞。

 その、ちょうど中央に。

 それは、立っていた。


 最初、石像かと思った。

 違う。鋼だ。鈍く光る鋼鉄の塊。

 見上げるほどに、でかい。三メートルはあるだろうか。白と黒のカラーリング。丸太のような腕と足。頭には、左右に突き出した、角のような意匠と、車のグリルのような口。胸もとには二枚の赤い板。


 俺は、その姿に見覚えがあった。

 二度目の生で、じゃない。前世だ。

 子供の頃、懐かしのアニメ特集で見た。神にも悪にもなるという鋼鉄の巨人。胸から熱線を放ち、腕をロケットのように飛ばした。

 なんで、こんな世界の地の底に。


 近づいた、その瞬間だった。

 ボウッ、と。

 黄色い目に、光が宿る。

 ギギギ、と、錆びついた関節が、軋みを上げて動き出す。


「下がれッ!!」


 ガランが叫ぶより、わずかに早く。

 鋼の巨腕が、唸りを上げて振り下ろされた。

 石畳が、爆ぜた。直撃を受けた床が、蜘蛛の巣みたいにひび割れ、砕け散る。とっさに横へ転がっていなければ、俺は今ごろ、あの腕の下で、ぐしゃりと潰れていた。


「イルさん!」

「まかせて! 魔矢マジックアロー


 彼女の手から、無数の魔力の矢が、巨人へ撃ち込まれた。さっき俺たちを攻撃した、あの魔法だ。

 だが――弾けた。

 鋼の装甲が、魔力の弾を、ぜんぶ跳ね返した。火花だけを散らして、巨人は、傷ひとつ負っていない。


「ガラン、関節だ! 膝を狙えっ!」

「応!」


 獣人が、地を蹴る。盾の陰から踏み込み、腰の剣を、巨人の肘の継ぎ目へ叩き込む。

 甲高い、金属の悲鳴。

 刃が、弾かれた。ガランの剣が――あの怪力の一撃が、巨人の表面に、傷一つ残っていない。


「……硬ぇ」

 ガランが、後ろへ跳び退りながら、絞り出すように言った。

「魔力も、刃も、通らねえ。こんなもの、初めてだ」


 そのとき思った。ガランの盾と同じ素材ででているのではないか。

 それならば、破壊不可能だ。


 巨人が、ゆっくりと、こちらへ向き直る。

 次は俺だ、とでも言うように。

 追い詰められていた。物理が効かない。魔力も効かない。だったら、軍師の俺に、いったい何ができる。

 頭の中で、手札を、必死に切り直す。逃げる? どこへ。来た道は塞がれた。奥の壁には、ただ一枚、重そうな扉が見えるだけ。あれを開ける時間も、術もない。

 ぜんぶ、駄目だ。

 言葉だけが取り柄の口だけ勇者に、鋼の塊を黙らせる言葉なんて。


 その時。

 巨人が、再び腕を振り上げるために、半身を、ぐるりとひねった。

 その背中が、火明かりに、さらされた。

 肩甲骨のあたり。四角く窪んだ、小さなパネル。

 そこに、文字が、刻まれていた。


 二度目の生を始めてから、何度も思い知った。この世界の文字は、前世のそれとは、まるで違う。しかし、女神の加護で最初から読めた。

 だが、その背中の文字だけは。

 加護なしでも読めた。

 一目で。脳が考えるより先に、意味を掴んでいた。


 『ON / OFF』


 前世の俺たちの世界の文字だった。


「イルさん!」

 考えるより先に、叫んでいた。

「あいつの背中! あれが、読めるか!」

 巨人の腕を魔力で受け流しながら、イルミナの視線が、一瞬、その背へ走った。

 仮面の奥で、息を呑む気配。

「……オン、オフ」

 彼女の声が、震えた。

「読める。私にも、読める」


 そうだ。

 読めるのは、この世界に、たった二人。

 前世の記憶を持って、ここへ堕ちてきた、俺とイルだけ。

 なら、答えはひとつだ。あれは、スイッチだ。誰かが、前世の文字を解する誰かだけが、止められるように、わざと、そこへ仕込んだ。


「ノクト!」

 俺は、物陰で身を低くしている影へ、声を投げた。

「背中だ! あいつの背中の、四角いパネル! あそこに、出っ張りがある! それを『下』へ下ろせ!」

「位置は!?」

「肩の下! 俺が引きつける!」


 言うが早いか、俺は飛び出していた。

 軍師が、自分から囮になる。最悪の悪手だ。しかし、ノクトを背中に取りつかせる隙は、これしかなかった。

「こっちだ、鉄屑がっ!」

 声を限りに、喚き散らす。意味なんてどうでもいい。ただ、注意をこちらへ。

 巨人の頭が、ギギギ、と俺を向く。腕が振り上がる。


「ゼンさん!」

 イルミナの結界が、頭上に滑り込む。同時に、ガランの大盾が、横から俺を突き飛ばすように庇った。轟音。三つの力が、ぶつかり合う。

 その、わずかな隙に。

 黒い影が、巨人の脚を駆け上がっていた。

 ノクトだ。身軽な体が、鋼の背に、するすると取りつく。指が、パネルの出っ張りを探り当て、ぐっ、と。

 体重をかけて、下ろした。

 カチャン、と硬く、乾いた音が、広間に響いた。


 巨人の動きが止まる。

 振り上げられた腕が、宙でぴたりと凍りついた。

 目の黄色い灯が、抜けていく。

 ギギギ、と関節が鳴り、ゆっくりと腕が下がった。鋼の巨人は最初に見たときとまったく同じ、ただの石像に戻っていった。


「……止まった」

 ノクトが、背中の上で、ぽつりと言った。


 誰も、しばらく、声を出せなかった。

 張り詰めていたものが、一気にほどけて、膝が笑った。

 その静寂を破ったのは、奥からの、低い音だった。

 ゴゴゴ、大広間の奥から音がした。あの、重そうな一枚の扉。

 それが、ひとりでに、ゆっくりと口を開け始めていた。

 石と石が擦れる、長く眠っていた音。砂埃が、隙間からこぼれ落ちる。


 俺はその光景を見つめながら、ようやく悟った。

 あの巨人は、ただの守護者じゃない。門番だ。

 力で押し通る者は、通さない。魔力でも、刃でも、開かない。

 ただ、前世の文字を読める者だけを、選んで、この奥へ通す。

 転生者以外、受け入れない仕組み。

 誰かが、いつか来るかもしれない、自分と同じ世界から来た誰かのために。そんなものを地の底に遺していた。

 隣でイルミナが、開いていく扉をじっと見つめていた。

 仮面の横顔から、何を考えているかは読めない。

 けれど、その小さな手が、いつの間にか、軽く握りしめられていることに、俺は気づいていた。


「……行くしか、ないな」

 俺は掠れた声で言った。

 ガランが盾を構え直し、ノクトが巨人の背からひらりと飛び降りる。

 四人で、開ききった扉の、その向こうの闇へと足を踏み入れた。

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