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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第6章 魔王

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第94話 魔王(4)

 振り返った先に、レオンがいた。

 血に濡れた聖剣を、だらりと提げて。

 その目を見た瞬間、明るかったはずの俺の声が、喉の途中で凍りついた。


 怒りじゃなかった。憎しみとも、少し違う。

 もっと静かで、もっと深い、底の抜けた穴みたいな目だった。妹みたいな家族を失って、その仇に、たった今、仲間が笑いかけた——その光景を、この男はどう見たんだ。

 ぞわりと、背筋が冷えた。

 間違えた。

 俺はいま、取り返しのつかない読み違いを、した。


「ゼン……」

 レオンの唇が、震えながら動いた。

「お前、敵と通じていたのか」


 違う。そうじゃない。説明すれば……

 いや。説明? 何を、どう。『実は前世のゲームでフレンドでした』とでも?

 妹を失ったばかりの男に、どの言葉が届くっていうんだ。

 口を開いたが、何も出てこなかった。

 言葉だけは達者なはずの俺の喉が、生まれて初めて、空っぽだった。


「お前ごと撃つ」


 迷いの、ない声だった。

 聖剣が白く灯る。


「ブレードスラッシュ!」


 白い光の刃が、石床を裂いて俺へ走った。

 避けられない。そう分かった瞬間、力が抜けてしまった。


 その時だった。

 俺と光のあいだに。

 巨大な影が、割り込んだ。


 轟音。

 鋼と聖光がぶつかり、火花が雨みたいに散る。

 大盾だった。

 岩みたいな背中が、俺を丸ごと覆い隠している。受け止めた衝撃に、その巨躯が後ろへ押し込まれ、それでも倒れなかった。


「……ガラン」


 獣人は、振り向きもしなかった。

 盾を構えたまま、低く、絞り出すように言った。


「二十年前。俺は、妹を守れなかった」


「目の前で魔物に襲われたとき、妹を救えなかった。だからあの日、決めた。次に守ると決めた奴の前では二度とこの盾を下ろさないと」

 ぎり、と鋼が軋む。

「お前を守ると、誓った。お前が間違ってるなら、間違ったまま守る。それだけだ」


 胸の奥が、熱く詰まった。

 礼も謝罪も全部が、喉でつかえて形にならない。


 気づけば、立ち位置がすっかり変わっていた。

 俺の隣に、宙から降りたイルミナ。前には、ガランの大盾。物陰には、いつでも動けるよう身を低くしたノクト。

 向かいに、レオンと、エレーヌ。たった、二人。


 おかしな話だった。

 戦力だけ並べれば、もう勝負はついている。宙を舞い、底のない魔力を操る魔王。二十年、崩れたことのない盾。こちら側が圧倒的に上だ。本気で潰しにかかれば、二人とも長くはもたない。

 だからこそ、俺は戦えなかった。

 ここで勝つというのは、二人を殺すということだ。イリアを失ったばかりのレオンを。罪の重さに押しつぶされ、立っているだけのエレーヌを。

 もう誰も死なせない。さっき俺がそう叫んだばかりじゃないか。

 残された道は、ひとつしかなかった。

 逃げる。

 勝てるからじゃない。殺さずに済ませる手が、もう、それしか残っていなかった。


 その均衡を、最初に壊したのは、エレーヌだった。


 ずっと、レオンの後ろで立ち尽くしていた。

 膝が震えている。杖を握る手も。その視線が、ガランの背中に縫い止められていた。

 ずっと、彼女のそばにあった盾。エレーヌが熱を上げすぎれば前に出て、無茶をすれば真っ先に庇った、あの大きな背中。

 それが今、自分に背を向けて、こともあろうか魔王を、イリアを殺した側を守っている。


「……なんで」

 かすれた声だった。

「なんで、あんたまで……。ガラン、あんたイリアのこと、あんなに可愛がってたじゃない……!」


 ガランは、答えなかった。

 答えられなかったのかもしれない。盾を構えたまま、ただ黙って。

 その沈黙が、エレーヌの中の最後の一本を焼き切った。


 彼女の瞳から、すうっと色が抜けていく。

 怒りでも悲しみでもない。もっと空っぽな底の見えない光。

 俺は、その目を知っていた。国王の命礼に従い、村を二つ焼いた女。怒りの底で、ずっと自分の罪を背負い続けてきた女が、今、自分ごと何もかも終わらせようとしている目だ。


「……もう、いい」


 杖の先に、炎が生まれた。

 火炎弾の比じゃない。杖の先で小さな小さな太陽が育っていく。離れているのに、頬がひりついた。熱が肌を刺す。

 あれは知っている。最大級の炎。こんな場所で撃てば、術者すら呑み込む類いのやつだ。


「エレーヌ、よせっ!!」

 レオンが叫んだ。すぐ隣に立つ、その男ですら、炎の射程の内側だった。

 彼女は聞いていない。レオンすらもう見えていない。

 味方も、敵も、自分も。ぜんぶ、まとめて灰にするつもりだった。


「灰燼に帰せ、エクスプ──」


 考えるより先に、口が動いていた。

 軍師の策なんかじゃない。ただの、とっさの悪あがきだ。


「ノクト! 天井だッ!!」


 応えは、速かった。

 地を蹴ったノクトの手から、爆発石が宙を舞う。狙いは俺たちとレオンたちの、ちょうど真ん中の天井。


 炸裂。


 石が砕け、古い石組みが、ばらばらと、それから一気に──崩れ落ちる。

 降りそそぐ岩と土煙が、広間を、真っ二つに断ち切った。

 行き場を失ったエレーヌの炎が、崩落の風に煽られて揺らぐ。視界を奪われ、渦がほどけ完成しきれなかった呪文は、瓦礫のあいだで、潰れて消えた。


 土煙の壁の、向こう側。

 レオンの叫びが、くもって聞こえた。エレーヌの、泣くような呪詛も。

 生きている。崩落は埋めたんじゃない。隔てただけだ。

 なのに、振り返った俺の足は、その場に縫いつけられていた。

 置いていく。仲間を。たった今まで、命を預け合っていた連中を瓦礫の向こうに。


 その腕を、誰かが、そっと掴んだ。


 女の手だった。

 仮面の女が、イルミナが、俺の腕を引いている。

 まっすぐに俺を見ていた。何も言わない。ただ、こっちだ、と。


 二度の生を跨いで、初めて。

 俺とこの人は、同じ方を向いて、並んで立っていた。

 また喉の奥が詰まりかけて。いや、今は、それどころじゃない。


「……逃げるぞ」

 声が、掠れた。

 俺の後ろにノクトが続き、ガランが最後尾。四人で崩落の脇に魔法で隠されていた、細い避難通路へ飛び込んだ。


 人が一人通れるだけの、急な下り坂だった。

 灯りはない。イルミナの手のひらに浮かんだ、小さな魔法の火だけが、足元を頼りなく照らしている。背後で、崩落の最後の岩が落ちきる音。それから、嘘みたいな静寂。

 走りながら、頭の隅が、まだ冷たく回っていた。

 助けたんじゃない。引き裂いただけだ。レオンとの溝も、エレーヌの罪も、何ひとつ片付いていない。ぜんぶ、瓦礫の向こうへ、先送りにしただけだ。

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