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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第6章 魔王

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第92話 魔王(2)

 長い回廊を抜けた先、玉座の間は墓みたいに静まり返っていた。

 空気が重い。蝋燭の一本も灯っていないのに、最奥だけがぼんやりと明るかった。幾段も積み重なった石段の上、漆黒の椅子に魔王は座っている。ひびひとつない黒い仮面。意外にも女だった。


 俺は乱れた呼吸を押し殺しながら、必死に頭を回していた。

 おかしい。何かが、決定的におかしい。


 魔王が動かない。

 扉を蹴破られ、抜き身の剣を提げた人間が四人も踏み込んできたのに、腰を上げようともしない。殺気を放つわけでもなく、玉座に身を預けたまま、ただ静かにこちらを見下ろしている。まるで、客でも迎えるみたいに。


 ここまでの道のりが、勝手に脳裏を巻き戻していく。

 城門ではヴォルドがバーサーカーになり、立ち塞がった。イリアの犠牲により、俺たちはようやくこの最奥まで辿り着いた。普通なら、いや、普通でなくたって、主の懐に刺客が迫れば身構えるはずだ。剣を抜く。罠を張る。何かしら、手を打つ。なのに、こいつは何もしていない。


 聞いてきた噂を、ひとつずつ思い返す。

 村を焼いた、という話は一度もなかった。先に攻め込んだ、という記録もない。魔物の軍勢が湧くのは決まって、人間の側が王命で討伐隊を差し向けた——その後だった。


 『センシュボウエイの掟』


 魔族の長老に聞いた魔王が掲げた掟。攻められない限り、剣を抜かない、まずは話し合う。誰かがこの城に、そんな馬鹿正直な掟を刻みつけて、こいつはそれを、いまだに頑なに守り続けている。そういうことなんじゃないか。


「……レオン、待ってくれ」

 俺はあえて落ち着いた声を絞り出した。

「こいつは、自分から手を出してこない。攻めてくる相手にも、構えるより先に様子を見てる。なら、まだ間に合う。話せるはずなんだ」


 馬鹿げてる。言いながら、自分がいちばん分かっていた。

 妹みたいな家族を失ったばかりの三人に向かって、その仇と言葉を交わせと言っているのだ。順番がめちゃくちゃだった。神経を疑われて当然だ。

 それでも、言わずにいられなかった。

 ここで争えば、また誰かが消える。イリアの次は、誰だ。レオンか。エレーヌか。ガランか、ノクトか。それとも、俺か。もう一人も、欠けさせたくなかった。


 右目を失ってから、俺のスキルは失った。視界に感情のアイコンは映らず、人の心は簡単には読めない。

 それでも、伝わってくるものがあった。

 仮面の奥。見えるはずもない視線が、俺の言葉のどこかで、ほんの一瞬だけ揺れた、気がした。

 魔王は、聞いていた。立ちもせず遮りもせず、ただ静かに俺の言葉を聞いている。

 いける。届く。


 そう思った、まさにその時だった。


「……ふざけるな」


 低い声でエレーヌ呟く。

 杖を握る指が、強張っている。その先端で、目を灼くほど眩しい炎が、ぐるりと渦を巻いて膨らんでいく。


「話せばわかる、ですって……? あの子が消えたのよ。ついさっきまで隣いた、あの子が。それを話し合い……?」

「エレーヌ、よせッ!」

「あんたに、何が分かるのよッ!!」


火炎弾ファイアーボール

 炎が、放たれた。

「ブレードスラッシュ!」

 ほとんど同時に、レオンが床を蹴っている。聖剣が白い尾を曳いて、石段を一息に駆け上がった。

 紅蓮と、白光。二つの極光が、玉座へ殺到する。


 止める間なんて、どこにもなかった。


 ぱきん、と。

 澄んだ音を立てて、魔王の前に見えない壁がせり上がった。イリアが張ったものと、同じ『結界』だ。エレーヌの炎も、レオンの渾身の一撃も、その透き通った障壁に弾かれ、火花だけを散らして虚しく散る。

 傷ひとつ、つかなかった。


 そして、俺は見てしまった。

 見えないはずの仮面の奥で、その素顔が、深く落胆するのを。


「……そう」


 初めて、魔王が口を開いた。

 澄んだ声だった。予想と全く違う、ずっと若い女の声だった。


「先に手を出したのは、そちら。今、確かに、そう見えたよ」


 その一言で、何もかもが繋がってしまった。

 こいつは、待っていたんだ。

 攻めてこない理由を。話す余地を。先に刃を抜くのが、こちらの側であってくれることを。「先に剣を抜くな」「攻める者にも、まず言葉を」己に課した掟がそう命じている限り、こいつは動けなかった。動かなかったんだ。

 けれど、その掟はもう半分の顔を持っている。

 攻めてきた者には、応じてよい。


 ぎりぎりのところで魔王を踏み留まらせていた何かが、たった今、音もなく砕けた。


「ずっと、探してたんだ」

 暗く沈んだ声だった。


反重力アンチグラビティー

 短い詠唱。漆黒の影が、椅子からゆっくりと離れていく。

 立ち上がったんじゃない。浮いたのだ。爪先が石段を離れ、宙へ。長い衣が、見えない流れに逆らうみたいに、天を指してたなびいた。


 仮面が、エレーヌを向く。

 その声に、初めて感情が滲んだ。三年間、胸の底でくすぶり続けてきた、混じり気のない憎しみが。


「あの夢を灰にした奴を。ずっと、ずっと探してた」


「……っ」


「二千だよ。二千の命が、あんたの落とした太陽に焼かれて、炭になった。村が、二つ。子供も、年寄りも、ぜんぶ」


 エレーヌの顔から、すうっと血の気が引いていく。

 二つの村。彼女が、自分の魔法で焼き払ったあの記憶。怒りの底に沈めて、見ないふりをしてきた罪の名を。今、敵の口から真正面に突きつけられて、その膝が、がくりと折れかけた。


「詫びもしない。償いもしない。それどころか、また私に刃を向ける」

 魔王の手が、すうっと持ち上がる。

「なら、もう話すことなんて、何もないよね」


 その手が、ゆっくりと天を指した。

 次の瞬間、鋭く振り下ろされる。


魔矢マジックアロー!」


 緑の光の矢が、雨みたいに繰り出された。

 手加減なんて、欠片もない。三年ぶんの恨み。ただ純粋な、怒りそのものだった。


「散れェッ!!」

 レオンが咆えた。

 ガランが床を踏みしめ、大盾を頭上へ掲げる。降り注ぐ矢のすべてを、その身ひとつで受け止めた。鋼が悲鳴を上げ、岩みたいな巨躯が、ずるりと後ろへ滑る。

 ノクトが横っ飛びに地を転がり、煌めく一矢を髪一筋の差で避ける。

 俺は——動けなかった。

 力の差が、あまりにも違いすぎた。足が竦んで、根が生えたみたいに動かない。

 軍師。策を編む男。口だけは達者な、勇者。なのに今、編むべき策が、頭の中にひとつも浮かばない。話し合いという、たった一枚しか残っていなかった手札を、もう失ってしまったから。


 完全な、防戦一方だった。

 反撃の糸口なんて、どこにも生まれない。一行は石段の下へじりじりと追い詰められ、降りしきる矢を、ただ身を縮めてやり過ごすことしか、できなかった。


 そして。


 宙に浮いた魔王の視線が、もう一度、まっすぐエレーヌを捉えた。


 崩れた瓦礫に足を取られ、エレーヌは石畳に膝をついていた。立ち上がろうとして、間に合わない。杖を支えにもがくその姿を、闇が静かに見下ろしている。

 魔王が、両手を高く掲げた。

 その手の先で、圧し潰された空気が巨大な槍のかたちに。大気そのものが、びりびりと震えた。

 あれを食らえば、結界も、盾も、意味をなさない。

 考えるより先に確信していた。あれは殺すための一撃だ。三年ぶんの憎悪を残らず乗せた、避けようのない、終わりの一打。


「エレーヌッ!!」


 喉が裂けるほど、叫んでいた。

 届くはずがない。間に合うはずもない。

 空気の槍が、彼女の頭上めがけて振り下ろされる。


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