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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第1章 「口だけ勇者」誕生

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第9話 工房の頑固な美人職人

 パートナー契約を交わし、「新星商会」という名が決まった翌朝。

 軽く朝食を済ませ、俺たちは裏通りへと荷馬車を引いていた。


 リーシャの最初の提案。

 それは『石鹸の仕入れ先への挨拶』だった。手持ちの在庫が底をつきかけているらしく、早めに手を打っておきたいと言う。


「ここよ」


 ルインの大通りから、日が当たらない路地を三回曲がった先。

 彼女が足を止めたのは、どう贔屓目に見ても『廃屋』だった。


 看板は傾き、真っ黒な煤に覆われている。不気味に沈黙を守るその建物は、道行く人間がわざわざ避けて通りそうな異様な圧迫感を放っていた。


「本当に、ここで商売を?」

「してるわよ。ただ、ちょっと。その……店主が、独特なだけで」


 嫌な予感を抱えながら、悲鳴を上げる扉を押し開ける。


 途端、暴力的なまでの香りが顔面を殴りつけてきた。

 鼻を突く強烈な青草の匂いと、限界まで濃く煮詰めたような苦い薬草の香り。

 肺の奥まで侵食してくるその香りは、ここがただの廃屋ではないことをはっきりと告げていた。


 薄暗い店内の壁際に置かれた無骨な棚。

 そこに、ゴツゴツとした石鹸の塊が、包装も値札もなく乱雑に積み上げられている。


「リーシャか。来るなら先に言え」


 奥の暗がりから、氷の破片のような声が飛んできた。

 立ち上がったのは、煤けたエプロンを纏った若い女だった。

 ざっくりと束ねられたアッシュグレーの髪。丸眼鏡。

 そして何より目を引いたのは、そのぞっとするほどの整った顔立ちだった。


 泥と煤にまみれてはいるが、雪のように白い肌に、スッと通った鼻筋。薄暗い工房の中にあって、彼女一人だけが場違いなほど洗練された美しさを放っていた。


 だが、その丸眼鏡の奥で光るエメラルドの瞳には、こちらの心臓を射抜くような冷たい拒絶の色が張り付いている。周囲の空気を凍てつかせるほどの、強い警戒心だ。


「ごめんごめん。ミレナ、こっちが私の新しい相棒のゼンよ。私たちの『新星商会』のコンサルタントも兼ねてるわ」

「聞いてない。行商人にコンサルなんて必要ない」


 ピシャリと撥ね退け、ミレナは俺から視線を切り捨てた。


 俺はその間、改めて店内を見回した。

 ひどいな。その一言に尽きる。

 品物の質は圧倒的なのに、この空間からは『売ろう』という意志が欠片も感じられない。


「錬金術者で腕はいいのよ。ただ、一般客には、月に十個売れればいい方みたい。もったいないと思って、私が定期的に買いに来てるんだけど……」


 リーシャの囁きが、胸の奥をチクリと刺した。

 俺は棚の縁を指でなぞった。

 埃一つない。品物は病的なまでに丁寧に扱われている。


「街の女が喜ぶような、チャラチャラした甘い匂いの石鹸なんて作る気はない。そんなものは大商会に任せておけばいい」


 ミレナは煤けたエプロンで手を拭いながら、棚にある不格好な石鹸を指さした。


「私が作っているのは、迷宮に潜る冒険者向けだ。極限まで高めた殺菌作用と、強力な防臭効果。泥にまみれ、自分の体臭すら命取りになる戦場で使うための『実戦装備』だ。……まあ、誰もその価値なんか分かりはしないがな」


 ドクン、と。

 俺の心臓が大きく跳ねた。


(……いや、待て)


 強力な殺菌作用、防臭。そして『実戦装備』。

 つい先日、市場で大柄な冒険者に売りつけるため、俺がその場で適当にでっち上げたハッタリ。

 あれと、一言一句、完全に同じじゃないか。

 俺はペテンのつもりででまかせを並べただけだったが、この石鹸は、その『でまかせ』の効能を本当に備えていたのだ。


 嘘が、真実だった。


 俺が冷や汗を流していると、隣でリーシャが腕を組み、これ以上ないほどの『ドヤ顔』で胸を張った。


「だから言ったでしょ? 私の目は確かだって。本物しか仕入れないって」

「ああ。君たちの才能には、恐れ入るよ」


 俺はやれやれと首を振り、心底感心したようにため息をついた。

 だからこそ、腹の底から黒い怒りに似た熱が湧き上がってきたのだ。


 喉の奥が、じわりと苦くなった。

 前の世界。誰にも読まれないまま、シュレッダーに消えていった何百枚ものプレゼン資料。

 どれだけ完璧な分析でも、「言葉を届ける努力」を放棄した俺の仕事は、ただのゴミだった。

 自分と同じ失敗を目の当たりにすると、腹の底から込み上げてくるものがどうしても止まらない。


「ミレナさん。この店、毎月赤字なんだろ」

「余計なお世話だ」

「確かにあんたの腕は本物だ。素材の目利きも異常だ。なのに、売れていない」


 ミレナの華奢な背中が、ビクッと強張った。


「品物の良さを伝えるのは、客の仕事じゃない。作り手の仕事だ。それをあんたはやったか? ……やっていない。だから誰にも伝わらない。売れない。それを放棄して『分かる奴にだけ伝わればいい』なんて嘯くのは、職人の誇りでも何でもない」


 ミレナが弾かれたように振り返った。

 丸眼鏡の奥で燃え上がる、刃物のような怒り。普通の人間なら、その気迫に気圧されていただろう。


「ただの甘ったれた『怠慢』だ、と言ったんだ」

「なんだと……!」


 耳鳴りがするほどの静寂が、工房を支配した。

 ミレナのエプロンを握りしめる両手が、ぶるぶると震えている。


 だが、俺の眼はごまかせない。

 スキルが無意識に起動し、ミレナの頭上にアイコンが浮かび上がる。


【怒り】


 その横で、もっと大きく点滅している。


【恐怖】


 ズキリ、と。こめかみの奥を、精神を削り取る細い針が貫いた。

 彼女が全身から放つ怒りのすぐ裏側に、どす黒く塗りつぶされた恐怖が、べったりと張り付いているのが視えていた。


「あんたは怖いんだろう。本気で売り出して、必死に頭を下げて。それでも誰にも評価されなかった時が。だから『伝えない』という逃げ道を用意して、自分を守ってるだけだ。違うか」


 絞り出すような沈黙。

 俺はゆっくりと、石鹸を棚へ戻した。


「ゼン、行きましょ……」


 真っ青な顔のリーシャに促され、俺は踵を返した。


 ギィィ、と錆びた扉の悲鳴を残して、俺たちは外に出る。

 湿った路地の空気。遠くで聞こえる市場の喧騒。

 俺たちは無言で歩き出した。


「本当によかったの?」


 リーシャが不安げに横顔を覗き込んでくる。


「ああ。今の彼女に必要なのは、慰めじゃない。突きつけられる事実だ」


 十歩、二十歩。

 工房の姿が路地の角に消えようとした、その時だった。


 バタンッ!


 背後で、重い木の扉が叩きつけられるような勢いで開く音がした。

 振り返ると、そこには煤けたエプロンのまま、肩で激しく息を乱したミレナが立っていた。

 彼女は丸眼鏡を歪ませ、真っ赤になった目で俺を睨みつけている。


 足は震えている。それでも、彼女は逃げなかった。


「待て」


 ひび割れた声。

 ミレナは俺たちの方へ、よろめくように一歩踏み出した。


「もう一度、もう一度だけ言え。お前は、何が間違っていると言った」


 ひどく警戒した、けれど泣き出しそうな問いだった。

 俺の眼にははっきりと視えていた。

 スキルが弾き出した、ただ一つのアイコン。


【切望】


 ズキン、と。また頭の奥が痛む。

 分厚いプライドの壁の向こうで、小さく震えるその光は、「誰かに認めてほしい」という、彼女が絶対に口にできない切実な叫びだった。


 俺は歩みを止め、真っ直ぐに彼女を見据えた。


「伝える努力を、最初から放棄していることだ。あんたの腕を疑っているわけじゃない」


 ミレナは唇を強く噛み締めた。

 その瞳の中で、プライドと恐怖が激しく火花を散らしている。


 そこに、リーシャがそっと歩み寄った。


「ミレナ。私、あなたの腕が誰にも届かないままで終わるのが、ずっと悔しかったの」


 沈黙の中、俺は静かに切り出す。


「一つ、提案がある。明日、うちの商会があんたの石鹸を全部引き受けて、市場で売ってみせる。在庫は一つ残らず、適正価格以上で売り切る」

「一日で全部だと? 馬鹿を言うな。私が何ヶ月もかけて作り溜めた在庫だぞ」

「だから面白い。安売りなんてしない。あんたの石鹸が、正当に評価される値段で売る。条件は一つ。もし売り切ったなら、今後この工房の品は、全て俺たちに卸してくれ」


 ミレナは丸眼鏡を押し上げ、俺を凝視した。


「失敗したら?」

「その時は、また月に十個しか売れない元の工房に戻るだけだ。あんたに損はない」

「本当に、口が減らない男だな」

「誉め言葉として受け取っておく」


 ミレナは長く、深い息を吐き出した。

 それは、ずっと抱え込んでいた見えない重荷を、手放すような音だった。


「いいだろう。やってみろ」


 くるりと工房へ引き返す直前。

 その流麗な横顔が、ほんの一瞬だけこちらを向いた。


 強張っていた彼女の横顔から、頑なな警戒の棘がすっと抜け落ちていく。代わりに、その瞳の奥に微かな希望の光が宿ったのがわかった。

 そこには、初めて前を向こうとする、必死な人間の顔があった。


 木箱を荷馬車に積み込み、俺たちはその場を後にした。


(あんなところで、埋もれさせていい腕じゃない)


 俺は荷馬車の手綱を強く握りしめた。

 手のひらにじわりと汗が滲む。

 脳内では、明日の市場を盤面ごとひっくり返すための作戦が、猛スピードで組み上がり始めていた。

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