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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第1章 「口だけ勇者」誕生

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第8話 パートナー契約

 ドスン。

 使い込まれた宿屋の丸テーブルに、ずっしりとした重みを持つ革袋が落とされた。

 銀貨と、わずかな金貨がぶつかり合う、鈍くて生々しい音。

 今日一日、ただ『言葉』という武器だけで、この理不尽な世界から奪い取った確かな重さだった。


「信じられない。宿代も、馬の餌代も。全部払って、まだこんなに残るなんて」


 リーシャの指先が、おそるおそる革袋の紐をなぞっている。

 テーブルの上には、酸味の強い安酒の木杯と、今日だけ特別に頼んだ少し分厚い肉料理。


「言っただろ、リーシャ。あんたの品物は本物だ。俺はただ、それを欲しがっている相手に、言葉を届けただけだ」


 温かいスープを喉へ流し込む。

 焼け焦げたように熱かった。


 こめかみの奥がガンガンと鳴り続けている。

 一日中、他人の心を覗き込み、最適解を選び続けた代償だ。


 ふと、視界の端。

 ランプの灯りに照らされたリーシャの頭上に浮かぶ【好意】のアイコン。

 夕焼けみたいなオレンジ色の光の中で、そのアイコンは、昼間の市場で見せていた闘争心とは、まるで違う色を帯びていた。


(……参ったな)


 他人の感情を可視化するこの理不尽なスキルは、時として、知りたくもない真実まで容赦なく眼球に焼き付けてくる。

 ただの恩人や、一時的な相棒に向けるものじゃない。

 その枠を越えようとする、生々しい熱。


「ねえ、ゼン」


 不意に、リーシャが顔を上げた。

 揺れるランプの火が、彼女のまっすぐな橙色の瞳の中でチロチロと燃えている。


「あんた、この後どうするつもり? 行く当ても、目的もないって言ってたわよね」

「ああ。あの森で遭難して死にかけていたところを拾われたのが、俺のゼロ地点だからな」

「なら……」


 リーシャが、グッと身を乗り出してきた。


「これからも、私と一緒にやらない? 二人で、『商会』としてさ」


 彼女の頭上で、アイコンが激しく明滅している。

 テーブルに置かれた指先が、かすかに震えていた。

 ずっと一人で、誰にも頼らずに牙を剥いてきた誇り高き商人が、自ら差し出してくれた言葉。


 胸の奥が、じんわりと温かくなる。

 でも、それと同時に。

 足元の床板が、一気に崩れ落ちるような悪寒が背筋を駆け上がった。


 深く踏み込めば、いつか必ず壊れる。

 脳裏をかすめるのは、顔も本名も知らない、ネットの向こう側の『イル』さん。

 あんなに温かかったのに、いざ現実の痛みに触れようとした瞬間、俺は逃げ出し、すべてを失った。


 向けられた熱が、冷たい目へと変わる瞬間。

 それを見るのが、たまらなく恐ろしい。


「……いいのか? 俺は見ての通り、剣も振れないし魔法も使えない、ただの『口だけ』の男だぞ」


 わざと、自嘲気味に笑ってみせる。


「馬鹿ね」


 リーシャが、ふっと吹き出した。


「その『口だけ』が、在庫の山を消し去ったんじゃない。私は、あんたのあり得ないくらいの『ペテン』を信じるって決めたの」


 計算なんかじゃ出せないくらい、ただひたすらに人間らしい笑顔だった。


 息を、細く吐き出す。

 震えそうになる指先を、テーブルの下で強く握り込んだ。


「……分かった。ただし、契約条件がある」

「条件? また性格の悪いやつ?」


「ああ。俺のペテンに、最後まで騙されてくれ」


 リーシャは一瞬、きょとんとした顔をした。

 だがすぐに納得したように、口元に不敵な笑みを浮かべた。


「望むところよ。あんたのペテン、嫌いじゃないし」


 俺は椅子から立ち上がり、今度は自分から、右手を差し出した。


「よろしく頼む。一攫千金を約束しよう。俺の、優秀なビジネスパートナー」


 差し出された少しマメのある手を、しっかりと握り返す。

 確かな血の通った熱が、掌から伝わってきた。


「ところで……俺たち、名前がないな」

「名前?」

「ああ。二人でラド商会さえひっくり返す、俺たちの商会の名前だ」


 リーシャは少し考え込み、ランプの灯りを見つめて言った。


「今はまだ小さな星だけど、いつかこの世界の中心で輝くような……『新星商会』なんて、どう?」

「新星。……いいな。最高のハッタリだ」


 視界の端。

 彼女の頭上で光る【好意】と、その横で静かに燃えている【野心】のアイコン。


 俺はそれを半分だけ受け取り、もう半分は、見なかったことにしてそっと視界から消し去った。

 一番奥にある領域には、まだ踏み込まない。


 最高の『ハッタリ』を演じ切ること。

 それが、臆病な俺がこの理不尽な世界で、相棒と歩むために選んだ、不器用な距離の測り方だった。

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