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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第6章 魔王

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第87話 魔王の政策

 イルミナの統治は、誰もが予想しなかった形で始まった。

 即位から三日目の朝、玉座の間に集められた幹部たちの前で、新しい主は、妙にぎこちない声でこう切り出したのだ。


「あの、ですね。最初にやりたいことが、二つあって……」


 ヴォルドは床に片膝をついたまま、ゆっくりと顔を上げた。

 広間には魔族軍の主要な幹部、十二名が膝を折って整列している。

 二百年待ち焦がれた予言の魔王が、初めて発する勅令。

 誰もが息を呑み、背筋を伸ばし、その一言一句を聞き漏らすまいと耳を澄ませていた。


「えーと、まず、ナマポを、導入したいんです」

「……はっ?」


 最初に間抜けな声を漏らしたのは、財務を司る宰相、グレンディアスだった。


「な、なまぽ、とは……?」

「あ、ええと、生活保護制度のことで」

「せいかつ、ほご……」

「働きたくても働けない人とか、その日のご飯にも困ってる人に、お城から食べ物とかお金を配る、っていう仕組みです。たぶん」


 たぶん、と魔王が言った。

 玉座の間が、しん、と静まり返った。

 ヴォルドはぴくりとも動かなかったが、内心では密かに肚を括っていた。

 ――この主は、これから先、何を言い出すのか想像もつかぬお方らしい。


「で、もう一つが、センシュボウエイ、です」

「せ、せんしゅ……ぼうえい……?」

「あ、これは、攻撃しちゃダメっていう、軍のルールです。誰かに攻められたら、それは全力で守るんですけど。こっちから先に殴りに行くのは、なし。絶対なし」


 今度こそ、空気がはっきりとざわついた。

 軍務総長のギデオンが、わずかに身を乗り出す。


「……陛下。確認させていただきます。それは、つまり――」

「人間の国にも、獣人の里にも、こっちから手を出すのは禁止。お互い、領地から出ない。これでお願いします」


 ギデオンの肩が、目に見えてこわばった。

 魔族領は、ここ二百年というもの、近隣の人間王国とは膠着状態にあった。

 幾度となく挑発を受け、その度に軍を整え、迎え撃つ準備を整えてきた。

 国境付近で小競り合いが起きるたび、報復の機会をうかがってきたのが現状だ。

 その方針を、いきなりひっくり返すと言う。


「……理由を、お伺いしてもよろしいでしょうか」


 ギデオンの声には、隠しきれない動揺があった。

 幹部たちの視線が一斉に玉座へと集中する。

 イルミナは、玉座の肘掛けを所在なげに撫でながら、視線を斜め下に落とした。


「……たぶんですけど、戦争って、始めるより、止めるほうが、何百倍も難しいから」


 ぽつり、と落とされた言葉だった。

 けれど、その響きには、軽口めいた口調とは裏腹の、ひどく乾いた重さがあった。

 ヴォルドはわずかに目を細めた。

 この娘は、何かを見たことがあるのだ。

 己が口にしている言葉の意味を、おそらくは身を以て知っている。


「……御意」


 ギデオンはそれ以上、何も問わなかった。

 代わりに、額が膝につくほど、深々と頭を垂れた。



     ◇



 ナマポも、センシュボウエイも、最初の半年は、幹部たちの密かな憂慮の的だった。

 飢えた魔族たちが、まさか城が食料を配ってくれるなどとは信じられず、配給所には初日、わずか十数名しか並ばなかった。

 しかし、ひと月もすると噂は領地中を駆け巡り、配給の列は城門の外まで伸びるようになった。

 道端に倒れて死ぬ者の数は、目に見えて減った。


 軍部のほうも、当初は不満が燻っていた。

 強さこそが魔族の誇りだと信じてきた者たちにとって、『攻めるな』という命令は屈辱でもあった。

 だが、半年経ち、一年が過ぎる頃には、変化は誰の目にも明らかになっていた。

 国境の小競り合いは激減した。

 報復を恐れて萎縮していた村々が、また畑を耕し始めた。

 二百年の空位で軋み続けてきた魔族領という巨大な機械が、少しずつ正しい方向へ歯車を回し始めていた。

 幹部たちは、いつしか「陛下」という言葉を発するたび、声に確かな実感を滲ませるようになっていた。


 ある秋の夜のことだった。

 城の中庭に面した小さな酒蔵で、ヴォルドはギデオンと卓を囲んでいた。

 ギデオンは、ヴォルドにとって唯一、肩書きを抜きにして酒を酌み交わせる戦友だった。

 古い木の樽から汲んだ蒸留酒を、無骨な杯で傾けていたところに、ふらりと現れた人影があった。


「……あの、混ぜてもらっても、いいですか」


 二人は危うく杯を取り落とすところだった。

 黒い仮面はまだなく、無防備な素顔の魔王が、酒蔵の入口に立っていた。

 ヴォルドが慌てて立ち上がろうとするのを、イルミナは手のひらで制した。


「いいです、いいです。今夜は、ただのイルで。お願いします」


 そうして三人は、丸太の卓を挟んで車座になった。

 最初の一杯を口にしたイルミナは、ひどく派手にむせた。


「あっ、つよっ……これ、ほんとに飲み物ですか……?」

「おい。陛下に薄めるものを――」

「いいです、いいです、せっかくなんで……」


 ぐいっと飲み干して、彼女は涙目になりながら笑った。

 ギデオンが堪えきれずに肩を揺らし、ヴォルドの厳めしい顔にも、ほんの少し笑い皺が刻まれた。

 杯が二度、三度と重なるうち、卓上の空気はゆるんでいく。

 その緩んだ瞬間を狙ったように、イルミナは杯の縁を指でなぞりながら、ぽつりと尋ねた。


「二人は、昔からの、お友達なんですか」


 ヴォルドとギデオンは、目を見交わした。

 誰かに語るのは、二人とも、本当に久しぶりだった。


「……ガキの頃から、一緒だ」


 最初に口を開いたのは、意外にもギデオンのほうだった。


「グランドール、っていう村があった」

「あった……?」

「ああ。十年前まではな」


 ヴォルドは目を伏せ、杯の中の液体に映る天井の灯りを、じっと見つめた。


「人間と、魔族と、獣人が、同じ井戸の水を汲んでた村だ」


 イルミナは、瞬きをした。

 その言葉を、頭の中で何度か繰り返しているような、ゆっくりとした瞬きだった。


「……同じ井戸を?」

「同じ井戸を、だ」


 ヴォルドが、低い声で続けた。


「人間の婆が獣人の子に飯を食わせ、魔族のガキが人間の畑を手伝う。そういう村が、確かにあった。たった一つだけだったが、確かにあった」

「俺たちは、その村で生まれて、その村で大きくなった」


 ギデオンが手の中の杯を、強く握りしめている。


「ある時、難民だという十数名の獣人が住むようになった。最初は男も女も働き者だと評判が良かった。ある深夜、そいつらは本性を出し、寝ている村人を次々と殺し始めた。あっという間だった。村人ニニ五名が殺された。」


 ヴォルドは、酒を一気に呷った。

 喉が焼けるような感覚を、わざと貪るように。


「大人も子供も赤ん坊も、魔族、獣人、人間区別なくだ。死に損なった奴が大声を上げた。その声に気づいた村人が何人か逃げ出すことができた」


 しばらく、誰も何も言わなかった。

 酒蔵の梁から下がるランプが、ちりちりと小さく音を立てる。

 イルミナは、両手で杯を包み込むようにして、卓の木目をじっと見ていた。

 その表情は、酔いで赤らんだ頬とは裏腹に、ひどく静かだった。


「……それで、二人は、生き延びて」

「ああ。逃げただけだ。何もできずに、ただ逃げただけだ」


 ギデオンが、ぼそりと言った。

 ヴォルドは、何も付け足さなかった。

 付け足すべき言葉が、何ひとつ思い浮かばなかった。

 その夜、それ以上の話は出なかった。

 イルミナは、何かを言いかけては飲み込み、何かを尋ねかけては首を振った。

 ただ、別れ際に、彼女は二人にこう言った。


「……少し、考えさせてください」



     ◇



 三日後の朝、玉座の間に呼び出されたヴォルドとギデオンは、思いもよらぬ命令を受けることになる。


「グランドールを、もう一度、作ってください」


 玉座の上のイルミナの声は、淡々としていた。


「一つじゃなくて、二つ。場所も規模も住む人も。全部、二人に任せます」


 ヴォルドは、言葉を失った。

 ギデオンが隣で、何かを堪えるように唇を引き結ぶのが、視界の端に映った。


「……陛下。それは、いったい、なぜ」

「だって」


 イルミナは、玉座の肘掛けに頬杖をつき、少しだけ、首を傾げた。


「同じ井戸から水を汲んでた村が、たった一つでもあったなら――もう一つ、二つ、増やしても、罰は当たらないと思うんです」


 その日、ヴォルドは生まれて初めて、戦場以外の場所で、本気で泣きそうになった。


 ヴォルドは、その日のうちに主任建設官の任を拝命した。

 領地の地図を広げ、ギデオンと夜を徹して候補地を選び抜く。

 水源に近く、隣国との国境からは離れすぎず、しかし近すぎず。

 二つの村は、互いに馬で半日の距離に建てることに決まった。

 西の丘陵地の村「ワイドランド」、海風が届く東の岬の村「ロングケープ」が選ばれた。


 建設は一年と少しを要した。

 ヴォルドは現場に泊まり込み、石工の指示から測量、人間との折衝までを取り仕切った。

 最初の頃、人間の入植希望者は、城の使者を見るなり震えあがった。

 魔族の領地に住め、しかも安全を保証する、などという話を、誰が真に受けられるだろう。

 それでも、行き場のない難民、戦災孤児、王国を追われた異端者たちが、半信半疑のまま少しずつ集まってきた。

 獣人の一族も、長老の決断で、若い者から順に村へ送り込まれた。

 魔族の入植者は、もちろん志願者があふれた。


 最初の冬を、村は越えた。

 最初の春が来たとき、ワイドランドでは人間の子供と魔族の子供が、同じ畑の畝で、土まみれになって駆け回っていた。

 ロングケープの船着き場では、獣人の漁師が網を引き、その横で人間の女が魚をさばいて笑っていた。

 二つの村の人口は、合わせて二千名を数えるに至った。


 ある日、ヴォルドはひと月ぶりに城へ戻り、進捗の報告書を片手に玉座の間へ上がった。

 窓の外には、初夏の青い空が広がっている。


「ワイドランドの市場、先週から開いております。ロングケープの井戸は、先々週、無事に水脈に当たりました」

「……そう、ですか」

「両村合わせて、二千十二名。先月から、また十一名増えております」


 イルミナは、玉座の上で、ゆっくりと頷いた。

 報告を聞き終えた彼女は、しばらく窓の外を眺めていた。

 雲ひとつない、よく晴れた空だった。


「ヴォルド」

「はっ」

「……あの村が、ずっと、ずっと、平和でありますように」


 子供が両手を合わせて祈るような、ささやかで、頼りない呟きだった。

 ヴォルドは、深く頭を垂れたまま、答えた。


「……御意。この身命に代えても、お守りいたします」


 ヴォルドは、そう答えるのが精一杯だった。


 それから二年余り、ワイドランドとロングケープには、穏やかな時が流れた。

 人間の鍛冶屋の打った鍬で魔族の畑が耕され、獣人の織った布が城下の市場で売られた。

 二つの村の名は、いつしか領地の外にまで、ささやかに知られるようになっていた。


 穏やかすぎる、と言ってもよかった。

 あとから振り返れば、ヴォルドはそう思う。

 あれは、嵐の前の静けさだったのだと。


 けれど、その時のヴォルドには、それを知る術はまだ、なかった。

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