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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第5章 魔王城

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第81話 バーサーカー ヴォルド(1)

 ヴォルドの輪郭がぶれ始めた。

 最初に変わったのは肌の色だった。穏やかな乳白色が内側から沈んでいく。煮詰めた血のような暗灰色。喉の表面に別の何かの呼吸が、皮膚を波打たせて走っていく。


「……三年間、待ち続けた日がやっときました」

 声はもう二重でさえなかった。穏やかな声が剥がれ落ち、下に沈んでいた別の声だけが残った。低くて乾いていて、奇妙に礼儀正しい。それがよけいに悪い。


「申し訳申し上げる気は、ございません」

 ヴォルドが口元だけで笑った。

「この日のために、抑えずに待っておりました。そちらから来てくれるとは……」


 ヴォルドの背骨がごき、と音を立てて伸びた。外套の縫い目が肩、背、脇、と次々に裂けていく。骨格そのものが内側から組み直されていく。


「魔女殿」

 ヴォルドは穏やかな笑みのままエレーヌを見据えた。瞳孔の縦の影が虹彩を完全に飲み込んだ。


「あなたが灰にした三歳の子供分から、お返しいたします。順番に丁寧に、ひと方ずつ。お逃げになっても構いません。必ず追いかけます」


 それがヴォルドとしての最後の言葉だった。

 俺の隣でイリアの足が、根を張ったように動かなくなった。指は祈りの形を組もうとして震えるだけで組めない。


「イリア!」

 俺が呼んでも彼女は答えなかった。視線は俺でもヴォルドでもなく、もっと遠い場所を見ていた。

 俺は瞬時に察した。イリアは以前のバーサーカーと対峙した孤児院、そしてラスの競技場の記憶に捉えられている。


 俺は盤面を読もうとした。読もうとして失敗した。

 理性のある敵なら動機を読める。優先順位を読める。次の一手の選択肢が三本くらいに絞れる。だがヴォルドだったものの選択肢はいま、ひとつしかなかった。「あれを殺す」。「あれ」とはエレーヌだ。「殺す」までの過程に戦術というものが入る余地がなかった。

 俺の戦術知識がまったく刺さらない相手、勇者一行が一度も勝ったことがない相手。


 レオンが聖剣の柄を握り直した。だが白い指の関節が震えていた。いくら斬っても倒せなかったという記憶。二度の敗北の記憶。

 ガランが大盾を構えようとして肩の傷に呻いた。さきほどの戦闘で切られた肩は、もう本来の重さを支えられない。盾は構えたが、ヴォルドだったものの間合いに踏み込む足が半歩足りない。


「同胞よ!」

 ノクトが叫んだ。

「俺は同じ魔族だ。戻れ、ヴォルド! 陛下の御前だぞ」


 ヴォルドだったものの目がノクトを見た。ほんの一拍だけ。

 何も映さなかった。魔族という単語も陛下という単語も、ノクトという存在さえ、虹彩の縦の影は何も拾わなかった。

 ノクトの呼びかけが空気に吸われた。もはや人の心を持たない化け物に変わってしまった。

 ヴォルドだったものがゆっくりとエレーヌを見据えた。

 獣の唸りに似た長い低い息。一切の躊躇のない半歩の踏み込み。


 エレーヌは動けなかった。

 それは罪を告げられた者の動けなさだった。

 膝が崩れているわけではない。意識がないわけでもない。彼女の脳はいま、はっきりと目の前の現実を理解していた。理解した上で、その現実から逃げる権利を自分自身に対して認めていなかった。


 走れ、エレーヌ。

 俺は叫ぼうとして声が出なかった。

 走れ。生きろ。お前の三年は、お前を吊るすために生かされてきたんじゃない。

 俺の足は痛む右脚で地面を蹴ろうとしていた。だが距離が遠かった。


 ヴォルドだったものの指先の爪が伸びていく。爪自体が鋭い剣になっていく。。

 それは剣ではなかったが、剣よりもずっと確実だった。

 刀身の白さに夕陽が映って青く反射した。

 ヴォルドだったバーサーカーの肩が、その刃をゆっくりと持ち上げた。


「エレーヌ!」


 俺の喉からようやく彼女の名前が出た。

 だがそれは警告に間に合う種類の声ではなかった。


 レオンがようやく聖剣を抜いた。

 抜いた瞬間にレオンの体が二歩遅れているのがわかった。剣を抜くまでの逡巡が、その二歩を奪っていた。

 ガランの盾が半歩踏み込んだ。届かなかった。


 俺の手がエレーヌに向かって伸びた。

 伸びて、届かなかった。

 イリアの足はまだ動いていなかった。

 エレーヌは目を閉じなかった。

 バーサーカーの刃が、エレーヌに向かって振り下ろされる。

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