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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第4章 魔族領

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第74話 共生村グランドール

 エルバラを発って半日が過ぎた。

 石畳の街並みはずっと後ろに遠のき、馬の蹄が踏むのは踏み固められた土の道に変わっていた。手に入れた二頭の馬は思ったより辛抱強く、荷車を引いてくれていた。ノクトが手綱を握り、乗っているのは、俺とエレーヌ、イリアの計四人。レオンとガランは歩きだ。

 俺は荷車の上で、左目だけで進む方向を見ていた。次の街、ヴェルゲン。信用取引の清算期日まで六十日。たどり着いて、補給して、また西へ向かう。そこから先は魔王城を目指す道のりだ。

 それが、当面の盤面のはずだった。

 その盤面に最初に針を刺したのはノクトだった。


 昼を少し過ぎた頃、街道脇の古い泉のそばで馬を止めた。

 俺はレオンに肩を借りて御者台から地面に降り、岩に腰を下ろした。冷たい水を布で湿して首の後ろに当てる。右半身の包帯の下が、まだ熱を持っていた。

 ノクトは馬の鼻先を撫でてから、俺の隣の岩にひらりと腰かけた。革袋から古い羊皮紙を一枚取り出す。

「ゼン、エルバラを出る前に見せたかったやつだ」


 古い地図だった。墨の線がずいぶん薄くなっている。西へ伸びる街道の途中、森に半分かぶさるようにひとつの点が打たれていた。脇に小さな文字。


『グランドール』


「これは何だ」

「あった村だ。今はもうない。人間と魔族と獣人が、一緒に住んでいた村だ。三つの種族が、同じ村で井戸を共有していた。十五年前に一夜で滅んだ」


 左目を細めて点を見つめた。

 ノクトは続けた。


「グランドールには共同体の規約があったらしい。エルバラの規約とよく似てるって噂だ」


 俺の指が止まった。

 エルバラの規約は、魔王イルミナが五年前に発布した『センシュボウエイの掟』の流れの中にある。同じ思想で書かれたものだ。

 だがグランドールは十五年前に滅んだ村だという。その規約は魔王イルミナの掟より十年も古い。

 俺の中で組み上がりかけていた仮説——「魔王イルミナが、この世界の外から思想を持ち込んだ転生者だ」——が、その一点でわずかに揺らいだ。十五年前の村に似た規約があったなら、その思想は魔王イルミナが持ち込んだものではない。もっと前から、この世界のどこかに在ったことになる。


「もうひとつ聞いてくれ」


 ノクトは革袋から二枚の紙片を取り出した。一枚は魔族領内のぼろぼろの写し。もう一枚は王都の図書館の蔵書印が押されたものだった。

「グランドールの最期について、記録が二つある。魔族側は『獣人による襲撃』。それだけだ。人間側は『偽装難民の侵入による襲撃』。——以上」


 二枚を見比べた。

 同じ夜の、同じ村のことを、二つの記録は別の言葉で語っている。一方は種族の名で犯人を呼び、もう一方は種族を伏せたまま「偽装した」とだけ書く。短い記録ほど嘘がつきやすい。一行で済ませれば後からどうにでも解釈できる。二行とも、明らかに何かを削っていた。


「嫌な噛み合わなさだ」


 ノクトは頷いた。

 しばらく黙ってから、懐から一冊の手記を取り出した。間に、二つ折りにされた小さな手紙が一枚、挟まっている。


「ノクト、お前に見せておくものがある。フローラ殿下から、王城で預かったものだ」


 フローラ。グランゼル三世の娘。『呪いの姫』として王宮の奥に半ば閉じ込められて育った十六歳の王女。

 国王から追放を言い渡された日、この手記と手紙を、ただ俺の手のひらに押しつけて、そのまま別れた。

 

 手記は、彼女が王都の図書館に通って、書き写してきたものだった。蔵書印の押された資料の中から、気になる頁を一枚ずつ、丁寧に。

 その手記の真ん中あたりを開いてノクトに見せた。

 フローラの細い字で書き写された数行が、そこにあった。


『移送費。人員五十名分。行き先、非公開』

『難民受け入れ工作費、三千金貨』


「これは……?」

「十五年前の、王国軍の極秘経費記録の抜粋だ」


 ノクトの目が細くなった。


「人員五十名。行き先非公開。十五年前——」

「グランドールが滅ぶ少し前だ」

「『難民受け入れ工作』っていう書き方は」

「向こうから来た難民を受け入れる、という話じゃない。こちらが、難民を、誰かに受け入れさせる、ということだ。それをわざわざ『工作費』と呼んで、三千金貨も使っている」


 ノクトの息がふっと詰まった。


「結論はまだ早い。だが、線は繋がりつつある。お前がグランドールを見ておきたいと言った理由が、いま俺にもわかってきた」


 ノクトは薄く笑った。笑ったというより、苦い顔の輪郭がふっと崩れただけかもしれない。


「あの王女様は……あんた以上に底の見えねえ人だな」

「同感だ」


 そこでふと、馬を撫でていたレオンの動きが止まったのに気づいた。彼はこちらに背を向けたまま立っている。声が、届いていた。


「レオン。聞いていたな」


 彼はゆっくり振り返った。


「軍師殿。——寄り道をするつもりか」


 責める声ではなかった。ただ確かめる声だった。


「お前が魔王城で剣を抜く時、向こうから出てくる相手の来歴を知らずに行くのは、目隠しで戦場に出るのと同じだ。十五年前のグランドールは、その来歴を教えてくれる場所のはずだ。——王都で叩き込まれた歴史と、ここで見つけた経費記録のあいだには、もうずれがある。それを自分の目で確かめずに、お前は剣を抜けるのか」


 レオンの喉がごくりと鳴った。聖剣の柄に置いた手を一度握り直し、それからゆっくり頷いた。


「……行こう」


「街道から北へ外れる。森を半日で抜けて、廃墟までもう半日。往復で三日。期日には十分間に合う」


 ノクトが地図を畳みながら言った。

 馬車に戻る前に、エレーヌが後ろから軽く声をかけてきた。


「ゼン、グランドールっていう村、聞いたことがある。魔法学院で一度だけ、講義で。教官はこう言ってた。『魔族と獣人の本性が露わになった夜』だと」


 彼女は自分の言葉に、自分で口をつぐんだ。それから首を横に振る。


「いま思えば、ずいぶん雑な説明だった気がする。確かめたい」


 頷いた。彼女の中でも、何かがたった今、噛み合わなくなった。

 寄り道に反対する者はひとりもいなかった。

 馬車を北の森の方へ向け直した。

 森の道は最初、踏み分けの獣道だったが、しばらく進むと苔の生えた古い石畳に変わった。十五年、人の足が通っていない石畳の上を、馬の蹄がこつ、こつ、と街道とは違う音を立てて刻んでいく。


「ガラン。あの村のことを知っているのか」


 馬車の揺れに合わせて、低く声をかけた。


「名前だけは知っている。エルナ郷の年寄りたちが、酒の席で話してた。種族の別なく暮らした村があったと。子供らが入り混じって遊んでいたと」

 ガランは地図から目を上げずに答えた。

「行ったことはない。俺はその村と何の縁もない」


 森の奥がふいに開けた。

 空が広がり、木々の梢の向こうに夕焼けの色がにじみ出す。そして最初の石壁が見えた。

 崩れていた。屋根は焼け落ちて骨組みだけが黒く残り、壁は半分が崩れ、半分が苔と蔓に覆われていた。十数年分の緑が、すべてを覆っていた。

 村の輪郭は、まだはっきりと残っていた。

 崩れた壁を辿っていくと家の場所がわかる。家と家のあいだに細い小道があり、その小道はすべて中央の広場へ繋がっていた。広場の真ん中に井戸がある。

 馬を停めて、レオンに肩を借りて地面に降りた。家の作りをひとつずつ目で追っていく。

 最初の家は低い土壁で、屋根は丸太を組んだもの。その横の家は石を切り出して積み上げた造りで、入り口に何か文字を刻んだ石が嵌め込まれていた。

 三軒、並んでいた。三つとも、造りがまったく違う。

 獣人の家。人間の家。魔族の家。

 それが隣り合わせに、肩を寄せて建っていた。


「これ、本当に一つの村か?」

 ノクトが低く言った。


「一つの村だ。井戸も畑も共有。種族で居住区を分けていない。そういう村が、ここにあった」

 言葉が、村の輪郭の中にぽとりと落ちた。誰も何も言わなかった。


 ばらばらに廃墟を歩き始めた。声を出すのが、なんとなくはばかられた。

 中央のいちばん大きな建物の前で、ノクトが立ち止まった。屋根がほとんど焼け落ちて、石床だけが残った広い建物。集会所だったのだろう。ノクトは石床の煤を、慎重に手のひらで払い始めた。

 煤の下から、文字が現れてきた。


「『種族の別なく、共に在らんことを。——グランドール共同体規約』」


 その文体には、見覚えがあった。エルバラの規約と。違うのは、これが十五年以上前のものだ、という一点だ。

 魔王イルミナの掟より十年も前から、この思想はここにあった。

 俺の中で、ひとつの予測が揺らいだ。


「ゼン、これ、署名がある」

 ノクトの指が、最下段を指していた。


『発起人 グランゼル三世王、並びに王妃』


 顔を上げる動きが、自分でもわずかに遅れた。

 共生村グランドールを起こしたのは——現王、グランゼル三世。その人だった。


 現王。聖剣の勇者を魔王討伐に送り出した、その王。

 そして、フローラの手記にあった「人員五十名分の移送費」「難民受け入れ工作費」は、その同じ王の国の極秘の支出だった。

 共生村を自ら起こした王。共生村が滅ぶ少し前に、国境線へ五十名規模の人員を送り込んだ王の国。同じ王だ。同じ王の、二つの顔。

 しばらく署名から目を離せなかった。


 離れたところで、エレーヌの息を呑む声がした。

 振り返ると、彼女は村の隅の瓦礫の下から、何かを引きずり出していた。十数年、土の中で湿り続けた小さな革の袋。震える指でそれを開く。

 中から出てきたのは、子供のおもちゃだった。


 毛皮を不器用に縫い合わせた人形。木を彫って色を塗った、人間の王国軍を模した兵士と、ねじれた角がついた少女の人形。

 その三つが、一本の紐で固く結ばれていた。


「子供が、自分で結んだのよ。三つを。一本の紐で」

「昔、私が——」


 彼女は続けようとして、続けられなかった。

 俺は、その先を知っていた。エレーヌが今までいくつかの魔族の村を広域爆破魔法エクスプロージョンで魔族の村を焼き払ってきた。それが正義だと信じて。

 何も言わなかった。言えることがなかった。


 ガランがゆっくりと歩み寄った。何も言わずに、自分の大盾を地面に下ろす。アダマンタイトの盾は、こつん、と低い音を立てた。

 それからその場で片膝をついた。もう片方の膝もついた。両手を太股の上に置き、深く頭を垂れた。


 スキルはもうない。彼の頭の上に、心を映す文字は浮かばない。

 それでもわかった。ガランが今、誰のために頭を垂れているか。

 会ったこともない十五年前の、ここで生きていた三つの種族の住人たちに。獣人として彼らの隣で生きた、名も知らぬ同胞たちに。そして、三種の人形を一本の紐で結べる村で暮らしていたという、その事実そのものに。

 ガランの大きな背中が、長いあいだ夕日の中で動かなかった。


 俺は井戸の縁に、左手で寄りかかった。立っているのが辛かった。左目だけで空を見上げる。夕焼けの色は、もう半分が紫に変わっていた。


 考えなければならないことが多すぎて、頭が追いつかなかった。

 なぜ、王が自ら起こした村を消したのか。なぜ、王の国の記録は、この村のことをろくに語らないのか。なぜ、その王の国は、ちょうど襲撃の前に五十名の人員を行き先非公開で送り込んだのか。

 そして、王自身は——今、王都の玉座で何を考えているのか。


 俺の知っている「グランゼル三世」は、勇者一行を魔王討伐に送り出したただの王だった。だが、ここに刻まれている「グランゼル三世」は、三つの種族の共生を自ら夢見て、自ら起こした、別の王だった。

 同じ名前の、まったく違うふたりの王がいる。

 あるいは——同じひとりの王が、どこかで別人のように変わってしまったのか。

 脳の冷たい部分は、まだ結論を出さなかった。出してはいけないと、自分に言い聞かせた。

 だが、噛み合わないものは確実に増えていた。


 ガランがようやく顔を上げた。地面に置いた大盾を、もう一度抱え上げる。


「ゼン、ここに、まだ何かありそうか」

「ある、と思う。集会所の奥。それから、地下があれば地下も調べたい。十五年前の襲撃の夜に何があったのか。ここに残っているはずだ」


 ガランは頷いた。ノクトはすでに集会所の奥へと歩き出していた。


 もう一度、村の中央の井戸を振り返った。夕日が井戸の底のわずかな水の面に、最後の光を落としていた。

 十五年前、ここに三つの種族の子供が入り混じって集まっていた。井戸の縁に足をかけて覗き込んだ子供もいただろう。三種の人形を一本の紐で結んで、得意げに見せ合った子供もいただろう。

 その子供たちは、もういない。

 彼らを夢見させた王は、まだ玉座にいる。


 調べることが、まだあった。

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