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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第4章 魔族領

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第64話 暴竜討伐(3)

 ヴェルザレードが、咆哮した。


 左目を失った苦痛と、初めて自分の縄張りで血を流した怒りが、その音の中に、混ざっていた。

 咆哮は、岩山の頂を、内側から殴った。

 俺の窪みの底で、地面そのものが上下に揺れる。岩肌の隙間から細かい砂が舞い、配置に就いている四人の足元で、岩塊が小さく踊った。

 レオンが、片膝を着く。

 エレーヌが、岩棚の縁に手を突いて、辛うじて姿勢を保つ。

 イリアが、両手の祈りを胸の前で組み直した。

 ガランだけが、揺れの中で、一度も足を動かさなかった。


 その向こうで、ヴェルザレードが、潰された左目を、前肢で乱暴に擦っていた。


 三百年生きた捕食者でも、初めて失う眼球の激痛は、確実に脳を奪う。

 頭を振り回し、岩塊を蹴散らし、自分の頭部に当たる空気そのものを、敵と錯覚して引っ掻いている。

 その姿が、奇妙に、子供じみて見えた。


 間がある。

 決して長くない。

 その間が、見えた瞬間、俺の脳は、もう次の盤面を、走らせ始めていた。


 俺は、窪みの縁に両手をついて、岩を乗り越えた。

 爛れた岩肌の上に、革のブーツの底が、乾いた音を立てて着地する。

 軍師の足が、初めて、戦場の中心に、踏み出した。


 四人の視線が、ほぼ同時に、俺へ集まる。


「プランBに、移行する」


 短く、それだけを、言った。


 四人の呼吸が、揃って、止まった。


 プランB。

 その一言が、それぞれの脳の中で、それぞれの形に砕けて落ちる。

 プランAが破綻したことの確認。次があることの確認。そして、軍師がすでに次を持っていたことの確認。

 俺自身、それが用意してあったものか、今この瞬間に組んだものか、自分でも判然としなかった。

 判然としないことは、誰にも、明かさない。


「説明は、後だ」


 血の味が、舌の上に広がる。構うな。


「私の声に、従え」


「レオン」

「応!」

「斬撃は、やめろ。直接、継ぎ目を刺せ。一撃で、引け」


 レオンの眉が、跳ねた。

 返事は、待たない。


「ガラン、盾を頭上に。レオンが踏んだ瞬間に、跳ね上げろ」

「……?」

「イリア、加護はレオン一人に。三秒だけ集中させろ」

「は、はい」

「ノクト、目、鼻、耳、口。柔らかい所だけだ。絶やすな」

「了解だ」

「エレーヌ」


 最後に、彼女へ視線を投げる。

 頭上の【困惑】の文字が、淡い灰色で、ぼんやりと滲んでいる。

 俺だけが見える、駒の内側。


「火を、捨てろ」


 彼女が、目を、見開いた。


「……は?」

「次、肩だ。二秒後、撃て」


 俺は、彼女の理解を、待たなかった。


 ヴェルザレードの前肢が、潰された左目から、ようやく離れた。

 奴の頭が、ゆっくりと、こちらへ向き直る。

 間が、閉じる。


「いま、動け!」


 俺の声が、岩山を、裂いた。


 四人の身体が、考えるより、先に動いた。


 レオンが、左へ、跳んだ。

 突撃の軌道ではなかった。ヴェルザレードの前肢の側面へと、斜めに走り込む軌道だった。彼の聖剣が、すれ違いざまに、肩甲骨に相当する部位の鱗を、撫でる。鱗が、わずかに、開いた。

(——見えた!)

 俺の脳内で、その『開き』が、フラッシュのように焼き付けられる。

 彼自身の脳の中でも、おそらく、同じものが、焼き付いた。

 走りながら、レオンの目が、変わった。

 鱗を「斬る」目から、継ぎ目を「刺す」目へ。

 軍師の三つの指示——「斬撃を使うな」「継ぎ目を刺せ」「一撃で引け」——が、その瞬間、たった三歩の走りの中で、繋がった。

(そういう、ことか)

 彼の唇が、声にならない呟きを、形作る。

 軍師は、勇者の戦い方を、根本から、書き換えていた。


 その背後で、ガランが、両腕で大盾を、頭上に、押し上げた。

 盾を頭上に、と言われた瞬間は、わからなかった。

 二十年、自分の身体の前で構えてきた半身を、空に向けて掲げる意味が、わからなかった。

 けれど、レオンが斜めに走り出した瞬間——奴の体当たりではなく、跳躍へ移ろうとしている軌道を見た瞬間——彼の太い指は、もう、答えを掴んでいた。

 踏み台。

 ただの踏み台ではない。

 俺の腕で、誰かを、空へ撃ち上げる、踏み台だ。

 その理解が、彼の両膝を、深く、沈ませた。

 ばね、を、貯める。

 二十年、岩を受け止め続けた両腕に、今度は、岩を撃ち上げる仕事を、与える。


「レオン、こっちだ!」


 ガランの低い声が、初めて、戦場に響いた。

 彼の喉から、戦闘中に「指示」が出るのは、初めてのことだった。

 軍師の指示を、受け取った駒が、別の駒に、自分の判断で、声を投げた瞬間だった。

 レオンの足が、その声に応えて、ガランの頭上の大盾を、踏んだ。

 その瞬間——

 ガランの両膝が、爆ぜるように、伸び切った。

 両腕が、盾ごと、頭上で、突き上げられる。

 丸太のごとく太い腕の、その全部の力が、レオンの体重を、上へ、押し出した。

 レオンの跳躍の頂点が、本人の脚力では絶対に届かない高さに、ぐんと、押し上げられる。

 三段の、ばね。

 一段目、レオン自身の脚力。

 二段目、ガランの剛力による突き上げ。

 そして、三段目——


 その瞬間、イリアの祈りが、走った。


「——白き加護よ、彼の腕に集え!」


 彼女の声が、いつもより、わずかに、強かった。

 全員に均等に配るのを、やめた瞬間。

 誰か一人を、選んだ瞬間。

 彼女の祈りの先で、三秒、という制限が、初めて、意味を持つ。

 その三秒で、彼が斬れるかどうか。

 そこに、彼女の祈りの「重さ」が、全部、乗る。

 白光が、跳んだレオンの全身を、包んだ。


 同時に、エレーヌが、火炎弾を放った。


 火を、捨てろ。

 火を、火として撃つな。

 矛盾した命令が、彼女の頭の中では、まだ、消化しきれていなかった。

 それでも、砲手の手は、動き始めていた。

 爆発の範囲が要らないなら、点に当てる方が、楽だった。

 彼女の照準は、ヴェルザレードの肩に相当する屈曲部の、鱗の継ぎ目に、絞られていた。

 火炎弾が、命中する。

 炎は、前と同じに、鱗に吸われた。

 けれど——

 吸われる前のコンマ数秒、火炎弾の「球体」が、継ぎ目に叩きつけた運動エネルギーが、鱗を、内側から、わずかに、押し開けた。


 継ぎ目が、こじ開く音がした。


 エレーヌの杖を握る指が、震えた。

 いや——

 震えではなかった。

 握り直した、指の動きだった。

 彼女の口が、薄く、開いた。


(——火じゃ、ない)

(私が撃っていたのは、火じゃ、なかった)


 頭上の【困惑】の文字が、滲んで、ほどけて——

【理解】に、書き換わった。


 彼女は、自分の目で、見た。

 火属性は、入らない。けれど、火炎弾という「質量」は、入る。

 軍師が「火を捨てろ」と言った意味を、彼女は、自分の手の中で、たった今、発見した。

 その発見は、軍師に与えられたものではなく、彼女自身の砲手としての腕が、最初に、掴み取ったものだった。

 俺は、それを、視界の隅で、確かに、見届けた。

 見届けて、それで、十分だった。


 跳んだレオンの聖剣が、こじ開いた継ぎ目に、吸い込まれる。


 火花は、散らなかった。


 代わりに——

 血飛沫が、散った。


 黒い、粘り気のある血が、虚空に、弧を描いた。


「届いた——!」


 レオンの叫びが、岩山に、響いた。


 その声には、確信があった。

 弾かれた金属の感触ではなく、確かに肉を切った重みが、彼の腕に、伝わったのだ。

(突撃、するな)

(継ぎ目を、狙え)

(一撃で、引け)

 軍師の三つの指示が、たった今、彼自身の聖剣の手応えとして、繋がった。

 軍師は、勇者から「真っ直ぐ斬る」自由を取り上げた。

 代わりに、勇者に「斬れる場所を探して、確実に刺す」術を、与えた。

 その引き換えの意味が、レオンの腕の中に、たった今、結晶した。


「レオン、引け!」


 俺の声に、レオンが、刃を引きながら、跳んだ軌道のまま、ガランの脇へ落下する。

 ガランは、突き上げた両腕を素早く下ろし、頭上の盾を、レオンの落下の側面へ、すかさず差し出した。盾の縁が、ヴェルザレードの反撃の尾を、レオンの背中側から、横へ逸らす。レオンの体勢が一瞬崩れるが、ガランの厚い背中が、岩壁のように、彼の着地点を塞いでいた。

 もう一度、踏み込める。

 何度でも、踏み込める。


「ノクト、右目!」


 ノクトの二発目の爆発石が、もう、宙を切っていた。

 俺の声は、彼の腕に、追いついていない。

 彼は、俺が指示を出すよりも、半呼吸早く、自分の判断で、ヴェルザレードの残った右目に、照準を合わせていた。

(絶やすな、と言われた)

(言われた、ということは、絶やさない限り、軍師の盤面は、回り続ける)

 彼の腕の中で、その理解が、駆動していた。

 爆発石が、瞼の縁を、内側から焼く。

 暴竜の頭が、苦痛に振り回される。両翼が、再び広げかけては、視覚の混乱に、閉じ込められる。

 飛翔の選択肢を、ノクトの腕が、一発ずつ、削り続けていた。


「エレーヌ、喉、第七鱗!」


 彼女の杖が、振り上がる。

 今度の彼女は、迷わなかった。

 火を、捨てる。質量だけを、撃ち込む。

 杖の先の火炎弾は、最初の一発より、明らかに、軌道が低く、速かった。砲手の身体が、すでに、新しい「使い方」に、最適化され始めている。

 継ぎ目が、こじ開く。


「ガラン、三歩、左!」

「応!」


 ガランが、大盾を頭上に構えたまま、左へ、三歩、踏み出す。

 二百キロを超える巨体が、構えを一切崩さず、横へ滑るように動く。喉の継ぎ目の真下へ、新しい射出点が、設置された。


「レオン、跳べ!」

「イリア、三秒!」


 白光が、レオンを、包む。

 継ぎ目に、聖剣が、入る。

 血飛沫が、散る。

 鱗が、一枚、剥がれて、ガランが頭上に掲げ続ける大盾の上に、軽い音を立てて、落ちた。


 俺の脳内で、盤面の駒が、最初の一手目を、終えた。


 ヴェルザレードが、咆哮した。


 今までの咆哮とは、質が違った。

 怒り、ではなかった。

 いや、怒りは、確かにあった。けれど、その怒りの底に、別の感情が、混じっていた。


 ——脅威の、認知。


 三百年生きた個体が、自分の身体の上に、確かなダメージが「届いた」という事実を、初めて認めた瞬間だった。

 その咆哮を、俺は、はっきりと、聞き分けた。

 効いた、と。

 奴は、認めた、と。


 俺の声が、また一段、鋭くなる。


「攻勢、続行!」


 四人の身体が、また、考えるより、先に動いた。


 ヴェルザレードの動きが、三十秒ごとに、俺の組んだ型に、嵌まっていく。

 レオンが、跳ぶ。ガランが、支える。エレーヌが、継ぎ目を、こじ開ける。イリアが、加護で、底上げする。ノクトが、感覚器を、削り続ける。

 俺の声が、その五つを、一つの生き物として、束ねていく。


 鱗が、二枚、三枚、剥がれて落ちた。

 黒い血の弧が、岩肌に、降りた。

 ヴェルザレードの動きから、わずかに、迷いが、滲み始めた。


 ——機能していた。

 俺の盤面は、ほぼ完璧に、機能していた。


「レオン、右へ! ガラン、その二歩後ろ! エレーヌ、一秒後、首側面、第二継ぎ目!」


 俺は、ヴェルザレードの右肩の動きを、目で追う。

 次の二十秒。

 奴がどう動き、こちらがどう動くか。すでに、頭の中で、組み終わっている。

 組み終わっている、その盤面を、声で、駒に流し込むだけだ。


「レオン、左へ——」


 俺の指揮は、止まらなかった。

 軍師の盤面は、ここから始まる。

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