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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第4章 魔族領

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第63話 暴竜討伐(2)

 鼻につく硫黄の濃度が高まってくる。

 岩山の頂は、まるで巨大な竈の蓋をこじ開けたような場所だった。風は暴力的なまでに熱く、吸い込むたびに肺が焼け焦げるような感覚に襲われる。足元の岩肌は、過去に幾度も焼かれては冷えを繰り返したのだろう、どす黒く爛れて泡立った形のまま固まっていた。

 その、すり鉢状になったねぐらの縁。

 五人の仲間が、俺の引いた陣形通りに散開している。


 レオンは矛先。岩棚の縁ぎりぎりに爪先を置き、両手で聖剣の柄を握り直した。背筋の伸び方は、彼が「勇者」という重すぎる器を背負うときの、いつもの癖だ。

 斜め後ろにはガラン。レオンの被弾線上に分厚い大盾を斜めに構え、丸太のような両足を岩に食い込ませている。無言のまま、ただ自身の重心を地面へ縫い付けることだけに全神経を注いでいるのがわかった。


 エレーヌは十歩離れた岩棚の上。射線が通り、なおかつ落石の死角になるよう俺が指定したポイント。広域爆破魔法エクスプロージョンを封じられた砲手。それでも、杖に添えられた彼女の細い指に震えはない。

 ガランの背後、膝を半分折って構えるのはイリア。両手は祈りの形に固く組まれ、唇の動きからすでに詠唱の前段に入っていることが窺える。その視線は、レオンとガランの間を休むことなく往復していた。


 そして、ノクト。

 彼だけは他の四人からさらに二十歩離れ、岩陰に身を伏せている。腰のポーチがいつもよりわずかに膨らんでいる。中に入っているのは、エレーヌが昨夜一晩かけて魔力を込めた十発の爆発石。ファイアーボールと同等の起爆を衝撃で発動させる、単発の弾。布で個別に巻かれた、彼にとって生まれて初めて扱う種類の武装だ。

 右手の指は、すでに最初の一個を固く握り込んでいる。


 俺は——彼らからさらに三十歩後方、すり鉢状になった窪みの底に陣取っていた。

 五人全員の姿が視界に収まり、なおかつ俺自身は岩陰に守られる位置。全体を俯瞰し、声を、扇形に届かせるための場所。


 頭の中で、盤面を最後にもう一度なぞる。

 駒は五つ。距離、角度、役割。すべて昨夜の窪地で組んだ想定通り。

 あとは、敵が伝聞通りの「仕様」で動いてくれるかどうか。


 足の裏から、ビリビリとした地響きが這い上がってきた。

 最初は微かな震動。だが、数秒のうちに岩そのものが脈打つような、重苦しい拍動へと変わる。

 噴火口の縁の向こう側。赤熱した蒸気の壁の奥で、何かがゆっくりと立ち上がる。


 最初に角が見えた。

 次に頭頂部。首。巨大な胸郭。前肢。

 全長二十メートル。生きた三百年の歳月。

 頭では、事前の数字として処理していたはずだった。だが、それが圧倒的な質量を持った「視覚情報」として眼前に現れた瞬間、俺の中の想定モデルは木端微塵に砕け散った。


 夕陽の赤を吸い込み、黒く濡れたように光る赤鱗。その一枚一枚が、大人の手のひらほどの大きさだった。縦に細く割れた瞳孔の奥に、何百年分もの血と肉の記憶がどろりと沈殿しているのが見える。


 ヴェルザレード。

 暴竜が、六人の侵入者をゆっくりと見下ろした。

 その眼差しが岩山の頂を舐めるように動くたび、膝の裏からスッと力が抜けそうになる。


 ゴクリと、自分の喉が勝手に鳴った。

 脳の冷徹な部分はまだ計算を回そうとしている。けれど、俺の中のより古い、爬虫類的な本能が、目の前の絶対的な生命体との質量差に悲鳴を上げていた。


「位置、保て」


 這いつくばりたくなる衝動を殺し、腹の底から声を絞り出した。自分でも驚くほど平坦な音だった。

 声を受け、四人の背中がわずかに沈み込む。恐怖による逃げ腰じゃない。地面に重心を落とし、耐えるための沈み込みだ。


 深く、一度だけ息を吐く。

 ヴェルザレードの首が、深く沈んだ。


 来る。

 脳内で過去の討伐隊が残したデータがフラッシュバックする。

 ——首が深く沈み、喉元が赤熱する。発射まで一拍。


 暴竜の喉の奥底に、禍々しい赤い光が灯った。

 石榴の内側にくすぶる炭のように、点が線を引き、面へと広がる。鱗の隙間から漏れ出した熱が、湯気となって立ち昇る。


 一拍。


「散開ッ!」


 俺の声が、熱を帯びた岩山の空気を裂いた。

 四人の身体が、考えるより先に弾けた。レオンが左へ跳躍し、ガランが大盾を傾けて熱を逸らす角度を作る。エレーヌが岩棚の裏側へ転がり落ち、イリアがガランの陰へと深く身を潜めた。


 直後、扇形の業火が岩山の頂を舐め上げた。

 俺が伏せている窪みの縁すれすれを、灼熱の風がうねりを上げて通り抜けていく。前髪の先がチリッと音を立てて縮れる嫌な匂い。


 炎が引く。

 四人の配置は崩れていない。

 知らず識らずのうちに噛み締めていた奥歯から、スッと力を抜いた。


 記録は、生きてる。

 二度目の討伐隊が、全滅と引き換えに最後の通信で残した一行のデータ。彼らが命懸けで測った「一拍」が、今、四人の命を繋いだ。顔も知らない先達たちへ、内心で深く頭を下げる。

 そして、すぐに思考を切り替えた。


「攻勢、移行」


 レオンが地を蹴った。

「ブレードスラッシュ!」

 聖剣が描く白銀の斬撃が、暴竜の脇腹に向かって一直線に走る。


 甲高い、金属同士がぶつかるような音が響いた。

 月光の欠片みたいな火花が散る。

 斬撃は、赤鱗の表面をただ滑っただけだった。


「なに——っ!?」

 レオンは言葉を失った。

 鱗の硬度が、事前の想定を二段も三段も上回っている。


 ヴェルザレードが、人の頭より巨大な岩を無造作に蹴り飛ばした。岩塊が一直線にレオンへ迫る。

 レオンは驚異的な反射神経で避けたが、態勢崩した。

 すかさずガランの大盾が横から滑り込み、背中から倒れそうになったレオンを受け止めた。間一髪。

 俺の脳内で、危険を知らせるアラートが一斉に鳴り響いた。


 ほぼ同時に、エレーヌが放った火炎弾ファイアーボール。広域を巻き込まないよう、彼女が今日この日のためだけに極限まで魔力を圧縮した、精密な単発狙撃。

 杖の先から放たれた火の球は、寸分の狂いもなく暴竜の喉元へ直撃した。


 しかし……爆ぜない。


 火炎弾は鱗に触れた瞬間、輪郭を失って溶けた。爆発の代わりに、赤い光が鱗の表面を撫でるようにスゥッと吸い込まれていく。乾ききった砂漠に水を落としたような、気味が悪いほどの静かな吸収。

 暴竜の喉が、わずかに赤みを増したように見えた。


「……火が」

 エレーヌの唇から、絶望が漏れた。

「火が、効かない、むしろ吸われた!?」


 頭の中で、組み立てていた盤面がガラガラと音を立てて崩れ落ちた。


 二つだ。

 前提条件が二つ、同時に崩壊した。


 ひとつ、聖剣の物理攻撃を表面で弾く鱗。三百年という途方もない歳月が蓄積させた、圧倒的な対魔耐性と硬度。

 ふたつ、火属性魔法の無効化。いや、それどころか自らの熱として吸収している。


 どうして過去のデータに無かった?

 答えは考えるまでもなかった。過去三度の討伐隊は、誰一人として、このふたつの絶望を試せる距離まで辿り着けなかったんだ。だから報告に残らなかった。

 俺たちが初めて、その領域に踏み込んだ。

 踏み込んだ瞬間に、立っていたはずの足場が二段まとめて抜け落ちた。


 暴竜が、巨大な両翼を広げた。

 来る。

 あれが空に上がったら、完全に詰む。

 思考の海が真っ白に塗り潰されそうになった、その寸前——。


 一拍だけ早く、視界の端でノクトの腕が振り抜かれるのが見えた。

 俺が叫ぶより、コンマ数秒早かった。


「ノクト!」


 俺の声は、ほとんど事後承認だった。

 拳大の爆発石が、地を這うような低い軌道で風を裂いて飛ぶ。

 風切り音は矢よりも太く、ただの石よりもはるかに速い。エレーヌが込めた魔力が内側で脈打っているのが、薄い赤い軌跡となって網膜に焼き付いた。


 着弾点は、ヴェルザレードの左目。


 石が瞼の上半分に触れた瞬間、構成式が起動した。

 ファイアーボール同等の起爆力が、暴竜の眼球を覆う角膜で炸裂する。


 鈍い、肉が弾けるような音が響いた。

 瞼の縁から、内側を焼く閃光が漏れ出す。

 落雷に撃たれたように、暴竜の頭が大きく仰け反った。左目をかばう前肢が岩棚を乱雑に引っ掻き、巨大な岩塊をいくつか谷底へ蹴り落とす。

 空気を抱え込もうとしていた両翼が、ピタリと止まった。


 飛翔、阻止。


 無意識のうちに止めていた息を、深く、長く吐き出す。

 書き換わったばかりの盤面に、新しい一行が強引にねじ込まれた。


(鱗は火を吸う。だが、眼球などの柔らかい組織は別だ)


 爆発石の用途がはっきりと絞られた。鱗にぶつけても吸われるだけ。意味があるのは、皮膜や粘膜、鱗の継ぎ目といった生身が露出しているピンポイントのみ。

 残りは九発。

 無駄撃ちは一発たりとも許されない。


 岩陰の奥で、ノクトが小さく舌打ちするのが聞こえた。

「鱗で火は弾いたが、目には効いた。」


 誰に向けたわけでもない独白。けれど、その声には死闘の最中とは思えないほど、冷徹な観察者の響きが混じっていた。

 俺は、その言葉を頭の隅にしっかりとピン留めする。


 ——だが、安堵は一秒も続かなかった。


 ヴェルザレードの太い尾が、弾かれたように振るわれた。

 予兆が、ない。

 伝聞では「振るう前に必ず腰を一度捻る」はずだった。三度の討伐隊の記録が、すべて一致していたはずの予備動作。

 それがない。

 左目を潰された激痛が、奴のシステムに強引な学習を強いたのか。それとも、最初から「初手はセオリー通り、以降はフェイントを混ぜる」という悪辣な仕様だったのか。


 判断している暇はなかった。

 尾が、横薙ぎに空を切る。

 ガランが立っている位置へ。

 大盾を構えていた彼の反応は、決して遅くはなかった。けれど、伝聞通りの予兆を無意識に待ってしまった彼の身体は、ほんの半呼吸、動くのが遅れた。


「ガラン!」


 俺の叫び声と、暴竜の尾がガランの大盾を粉砕せんばかりに打ち抜く音は、同時だった。

 いや、打ち抜いたんじゃない。

 大盾ごと、ガランの巨体が十メートル先へ吹き飛ばされた。


 岩に張り付いた苔を棒切れで払い落とすような、あまりにも軽い挙動。

 体重二百キロを超えるはずの身体が。二十年という歳月をかけて磨き上げられた、彼の大盾が。


 ガランは岩肌の隆起に激しく背中を叩きつけられ、そこでぐったりと動きを止めた。

 意識があるのかどうかも、遠すぎて判別できない。

 イリアが鋭く息を呑む音が、俺のいる窪みまで届いた。祈りのために組まれていた彼女の両手が、震えながら半分ほどけかける。


 ダメだ。

 まだ、命綱を解くな。

 持ち場を離れて駆け寄るな。

 俺がそれを口にするより早く——脳内のアラートが、もう一段階上の致命的な警告音を鳴らした。


 ヴェルザレードの喉の奥が、再び赤熱していた。


 二度目のブレス。

 間隔が、事前データより明らかに短い。

 短く見積もっても十は数えられるはずだった。複数の記録がそう証明していたはずだ。

 だが、今俺が数えられたのは、せいぜい三まで。


 そして……今度は、首が深く沈まない。

 赤熱から発射までのあの一拍がない。

 完全に予備動作が削られている。


 奴は、学習している。

 四人の体勢はバラバラだ。

 レオンは蹴られた岩を避けた直後で右に流され、エレーヌは魔法を吸収されて呆然と杖を下ろしかけている。イリアは倒れたガランの方へ半分身を起こし、そのガランはそもそも吹き飛ばされて伏したままだ。

 四つの重心が、四つの方向へてんでばらばらに散っている。

 扇形のブレスは、無防備な彼らをまとめて呑み込む軌道に乗っていた。


 俺の脳の処理速度が限界を超えた。

 次に投げるべき指示が、頭の中で十も二十も同時に湧き上がっては絡み合う。レオンは右へ飛べ、ガランは……動けない、エレーヌは岩棚の裏へ、イリアは……!

 全部を論理的に組み立てて、個別に伝達している時間はない。

 言葉を削れ。

 たった一語で、全員の命を繋ぐ一語を。


 俺は肺の底を引っ掻き回すようにして、空気を吸い込んだ。

 鋭すぎる吸気で、喉の粘膜がビリッと内側から裂ける生々しい感触。


「伏せろォッ!!」


 俺の声が、岩山の熱気を貫いた。

 自分でも、こんな獣じみた音が出るとは思っていなかった。

 それは理路整然とした指示じゃない。もっと原始的で暴力的な、命の警報そのものだった。

 四人の身体が、考えるより先に反応した。


 レオンが聖剣を盾代わりに突き立て、岩肌に身体を投げ出す。

 エレーヌが岩棚の縁から、裏側の死角へと無様に転がり落ちる。

 イリアが起こしかけていた身体をガランの方ではなく、自分の真下の岩陰へ押し付けるように伏せた。

 そしてガランの巨体は、もとから倒れたまま動いていないことで、結果的に最も低い姿勢を保っていた。


 四つの命が、四つの死角へぎりぎりで滑り込む。

 その真上を、扇形のブレスが容赦なく薙ぎ払った。


 轟音。

 空気が音速を超える熱波に変わる。

 俺のいる窪みの縁が瞬間的にドロドロに赤熱し、表面の岩がパチンと弾けて宙を舞った。世界から音が消え、網膜の裏側が純白に塗り潰される。


 永遠にも思える数秒ののち、灼熱の風がようやく引いていく。

 耳鳴り混じりの現実の音を頼りに、ゆっくりと顔を上げた。

 硫黄の匂いに、岩が溶けた焦げ臭さが混じっている。

 岩山の頂の半分が、なくなっていた。四人の前方にあった地形が扇形に削り取られ、丸ごと姿を消している。


 息を詰める。


 ……一、二、三、四。


 溶け残った岩陰から、四つの頭がゆっくりと持ち上がった。

 全員、生きてる。

 喉の奥から、ヒュウ、と情けない音が漏れた。それが自分自身の安堵の吐息だと気づくのに、たっぷり一拍かかった。


 四人の視線が、ほぼ同時に俺へ集まる。

 そこにあるのは恐怖じゃなかった。いや、恐怖は間違いなくある。けれど、彼らはもっと別の強い感情で俺を見ていた。


 ——軍師の声がなければ、自分たちは今頃灰になっていた。


 その確かな実感が、四人の表情から恐怖をわずかに上書きしている。狂信に近いような、熱を帯びた信頼。

 やめろ、そんな目で縋るな。俺はただのゲーマーだぞ。


 俺はすぐに視線をそらし、そっと右手を自分の喉に当てた。

 指の腹に、生温かい液体が触れる。

 手のひらを見ると、べっとりと赤い血がついていた。

 一音で岩山を貫いた代償。喉の粘膜が確実に裂けている。声はまだ出るだろうが、あの出力であと何回叫べるかはわからない。


 遠くで、ガランがゆっくりと身を起こすのが見えた。意識はある。生きている。

 アダマンタイト製の大盾に傷一つないが、持ち主の生身が無事なわけがない。だが彼は痛みを口にすることもなく、傾いた大盾をもう一度、地面に深く突き立てた。


 そのシルエットが、俺の網膜に焼き付く。

 駒は、まだ五つ全部盤面の上にある。

 俺の脳が、勝手に次のフェーズへの計算を再開していた。


 ヴェルザレードの咆哮が、岩山をもう一度激しく震わせる。

 左目を潰された苦痛と怒りで、赤鱗の巨体が小刻みに痙攣していた。奴もまだ、余力を残して立っている。


 視線をノクトの腰へ向ける。

 残りは九発。


 剣は通らない。火は吸われる。予兆のセオリーは崩壊した。

 手元にあるカードは、ノクトの爆発石九発と、俺の擦り切れた喉。そして、生き残った五人の四肢だけ。

 ふざけた無理難題だ。前職で経験したどんな炎上プロジェクトよりタチが悪い。


 口の中に広がる血の味を飲み込み、深く息を吸い込んだ。

 軍師の盤面は、ここから始まる。

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