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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第3章 王都

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第56話 声なき見送り

 翌朝。王城からの呼び出しに応じた俺を待っていたのは、張り詰めたような静寂だった。

 前回の謁見で空気を満たしていた、あの白々しいまでの「慈愛」の偽装。今日はもう、誰もそんな面倒な真似をする気はないらしい。ずらりと並んだ重臣たちは、申し合わせたように床の模様を見つめている。俺と目を合わせようとする人間は、ただの一人もいなかった。


 玉座のすぐ傍ら。そこに立つゼクスを、横目で捉える。

 昨夜の泥臭い戦場で見せた氷のような殺意はない。かといって、馬から降り立った時の、あの精密機械のような隙のなさとも違った。奥歯を強く噛み締めているのか、頬の筋肉が微かに強張っている。

 彼の頭上に浮かぶアイコン――【屈辱】の二文字が、俺の視界で赤黒く点灯していた。

 俺という異分子によって、完璧なはずだった彼の計算式が狂った。その事実が、プライドの塊のような男の腹の底で、今もじりじりと燻り続けているのがわかる。


「軍師ゼンよ」


 静寂を切り裂いて、国王が口を開いた。

 そこに、もう慈愛の演技はない。ただ冷たい、為政者の響きだけがあった。


「其方の働き、見事であった」


 俺は何も言わず、ただ深く頭を下げた。


「だが、王国の秩序を内側から揺るがした罪は、見過ごせぬ。其方を本日付で、王都より追放する。任を解かれた身として、二度と王都の門をくぐることは許されぬ」


 玉座の間に、重たい沈黙が落ちた。

 ……予測は、していた。コンサルの悲しい性というやつで、昨夜のうちに最悪のケースから最善のケースまで、何十通りものシミュレーションを回していた。勝者は疎まれ、盤面から排除される。それが組織というものの不変の論理だ。

 わかっていた。わかっていたはずなのに。

 いざ「追放」という単語を自分に向けて叩きつけられると、肺から空気が押し出されたように一瞬、息が詰まった。下げかけた肩が、空中で硬直しそうになる。

 心臓が嫌な音を立てるのを、一秒だけ息を止めて強引にねじ伏せる。

 背筋を伸ばし、下げかけた頭の動作を、最後まで淀みなく完遂した。


「謹んで、お受けいたします」


 かすれそうになる声を、腹の底から絞り出した。

 次に国王の視線が向かったのは、俺の少し後ろに控える勇者一行だった。

 レオンは唇を血が滲むほど引き結び、エレーヌは杖を抱きしめるようにして俯いている。イリアに至っては、両手の指をきつく絡ませ、祈るような姿勢で前を睨みつけていた。


「魔導士エレーヌ、其方が王太子の命令を無視した罪は、重い。だが、そもそも其方らは『魔王イルミナ討伐』という王国最大の使命を授かった身。にも関わらず、近年は辺境の小事に時間を費やし、本来の任務を未だ果たしておらぬ」


 レオンが、弾かれたように顔を上げた。

 理不尽な難癖だ。反論の言葉が喉の奥までせり上がってきているのが、痛いほど伝わってくる。だが、彼はそれをギリギリのところで飲み込んだ。


「よって、改めて王命を下す。即日、王都を発ち、魔族領へ赴き、魔王イルミナを討て。任を果たすまで、王都への帰還は許さぬ」


 誰も、口を開かなかった。

 表向きは「勇者の本懐への回帰」という大義名分。だが、この場にいる全員がその言葉の裏側を理解している。罰ではなく任務というオブラートに包んだ、あまりにも洗練された厄介払いの手口。


「そして、軍師ゼンよ。其方は王都への立ち入りを禁ずるが、軍師としての活躍を評価し、勇者一行への助勢を特別に許可する」


 俺は、もう一度、深く頭を下げた。

「謹んで、お受けいたします」


 謁見を終え、重い足取りで廊下を歩く。

 その背中に、低い声が投げかけられた。


「エレーヌ」


 ゼクスだった。

 エレーヌがビクッと肩を震わせ、足を止めて振り返る。

 昨夜、スラムで彼女に向けられていた、あの剥き出しの殺意はもう消え失せていた。代わりに彼の目に宿っていたのは、刃物のように冷たく、計算し尽くされた光だ。


「一つだけ、覚えておけ」


 エレーヌは答えない。ただ、怯えたような、それでいて射抜くような目でゼクスを見返している。


「お前が魔族領で『躊躇』を直して帰ってくれば、復権の道はある。次に私の前で杖を構える時は――迷わず撃て。それが、お前が王国軍魔導士であり続けるための、最後の条件だ」


 エレーヌの指が、ローブの下に隠されたペンダントをぎゅっと握りしめるのが見えた。

 死んだ四人の部下たちの遺品。それが今も彼女の掌の中で、呪いのように重く何かを訴えかけているのだろう。彼女は首を縦にも横にも振らず、ただ立ち尽くしていた。

 ゼクスは無言のまま、ローブの内側から小さな包みを取り出すと、それをエレーヌの掌に無理やり押し付けた。彼女の耳元で何かを短く囁き、そのまま振り返ることなく廊下の奥へと消えていく。


 エレーヌは押し付けられた包みを握りしめたまま、彫像のように動かなくなった。

 俺は、そっと彼女の頭上を見上げる。

 【感情排除】。

 昨夜、彼女の中で確かに崩れかけていたその無機質な文字列が、今はまた、はっきりと輪郭を取り戻しつつあった。ゼクスの囁きが、ひび割れた彼女の心に、新しい呪いの圧力をかけている。

 だけど、俺は何も言えなかった。今、俺が口を挟むべき場面じゃない。


 その少し先、廊下の角で、今度は国王がレオンを呼び止めた。

 周囲の警護を露骨に下がらせ、国王は声を潜めるようにして言った。


「聖剣を持つ者の使命は、王国を守ることである。決して忘れるな」

「御意」


 短い、業務連絡のようなやり取り。

 レオンがゆっくりと顔を上げ、俺を見る。

 俺は小さく頷いた。

 俺の目を見て、彼はふっと息を吐き、前を向き直った。


 王城からの帰り道。

 人気の絶えた中庭の柱廊。その冷たい石柱の影に、彼女は一人で立っていた。

 透き通るような金色の髪。

 目の下には薄くクマが浮かび、昨夜からおそらく一睡もしていないことが一目でわかる。前で組まれた白い指先には、洗っても落ちきらなかったインクの染みが、痛々しいほどに残っていた。


「殿下」

 俺が声をかけると、彼女はビクッと肩を揺らし、小さく首を横に振った。

 声は、出さない。

 昨夜、あれほど必死に言葉を紡ぎ出した喉は、今朝はまた硬く閉ざされてしまったらしい。

 ……無理もない。十六年もの間、王城では沈黙を強いられてきたのだ。一晩で全てが元通りになるなんて、そんな魔法みたいな話があるわけない。

 あの一日が、ただの奇跡だったんだ。

 でも、奇跡が消え去ったわけじゃない。ただ、彼女の小さな体が、声に出すという行為の重さに、まだ耐えきれていないだけだ。焦る必要なんて、どこにもない。


 フローラは、震える両手で、俺に向かって一冊の手記を差し出した。

 乾燥してひび割れた革表紙の手記。それは、彼女が王都の古文書館にこっそりと通い、隠された王国の記録を一枚ずつ書き写して綴じた、彼女の執念の結晶だった。国を追われる俺に、彼女は王女としての最大の武器を託したのだ。

 手記の表紙をめくると、まだ乾ききっていないインクで書かれた、薄い一枚の羊皮紙が挟まれていた。

 そこに記されていたのは、たった二行の、短い文章だった。

 

 行ってらっしゃい。

 戻る場所は、ここに、あります。


 十六年間、王城では笑うことすら禁じられてきた少女の、それが精一杯の「声」だった。

 ただの薄い紙切れのはずなのに、手のひらに乗ったそれは、ひどく重かった。

 震える指でペンを握り、どれだけの時間をかけて、この二行を綴ったのか。そう考えた瞬間、喉の奥が熱く引きつった。視界が滲みそうになるのを、必死に瞬きをして誤魔化す。


「……ありがとうございます、殿下」

 俺は、深く、深く頭を下げた。

「行ってまいります」


 フローラは、こくりと頷いた。

 そして、ほんの少しだけ。口の端を、ぎこちなく持ち上げた。

 歪で、不器用で、到底「笑顔」とは呼べないような表情だったかもしれない。だけどそれは、十六年間、王城では笑うことすら禁じられてきた少女が作った。


 ふと、彼女の頭上に視線をやる。

 昨夜まで彼女を縛り付けていた【贖罪】というアイコンは、今朝はもう、綺麗に消え去っていた。代わりに、ぼんやりとだが、新しい光の輪郭が浮かび上がりかけている。

 まだ文字の形にはなっていない。でも、絶対に悪いものじゃないと、直感が告げていた。


 彼女はもう一度だけ強く頷くと、くるりと背を向け、柱廊の奥へと歩き出した。

 振り返らない。

「振り返らない」という強さを、彼女はようやく自分自身に許せるようになったのだ。


 遠ざかる小さな背中を見送りながら、俺は手の中の羊皮紙をそっと握りしめた。

 指先に触れるインクは、まだ、しっとりと濡れていた。

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