表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第3章 王都

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

50/119

第50話 絶望の計算式

 新星商会、二階の事務所。

 昨夜、王国軍の先遣隊に蹴破られた一階の正面扉は、ノクトとガランが慌てて打ち付けた厚板で、無骨に塞がれていた。叩きつけるように打ち込まれた釘の頭が、いくつか歪んで浮いている。

 そんな脆い静けさの中、室内にはランプの橙色だけが、頼りなく灯っていた。

 窓の外、遠くの大通りからは、規則正しい軍靴の足音が波のように寄せては引いていく。

 包囲は、もう始まっていた。


 この密室に集まったのは、五人だけ。

 俺、ノクト、ガラン、ミレナ、そしてこの店の主であるリーシャ。

 レオンも、エレーヌも、イリアも、ここにはいない。

 三人は昨夜のうちに王城の特別宿舎へと連行され、そのまま第一王子ゼクスの直属指揮下に組み込まれた。新星商会への出入りは禁じられ、物理的な隔離。

 指先一つで世界と繋がれていた前世の感覚からすれば、喉を直接絞められているような、気味の悪い断絶だった。


「……やられたな」

 壁に背を預けたノクトが、忌々しげに舌打ちをした。

 普段の食えない笑みは消え、剥き出しの焦燥がその表情を険しくさせている。


「あの王子、最初から勇者組を取り上げる気だったんだ。いや、それだけじゃねえな。俺たちから一番の戦力を奪って、しかも――そいつらに、俺たちの城を焼かせる。一手で二度殺す気だ。性格が悪すぎて反吐が出るぜ」


 机の上には、王都南部の詳細な地図が広げられていた。

 そこに描かれているのは、俺たちが心血を注いだ物流ネットワークの心臓部であり、多くの獣人たちが肩を寄せ合って生きる場所――スラム街。

 ノクトはその区画を、苛立ちをぶつけるように爪の先で叩いた。


「現時点で確認できた包囲兵力は、第一師団と第三師団から抽出された約三千。装備は――」


「三千百五十名」

 淡々とした声が、ノクトの言葉を遮った。

 机の隅で羊皮紙にペンを走らせていたミレナが、顔も上げずに訂正を入れる。

「第一師団から千八百九十二名。第三師団から千二百五十八名。」


 ノクトが、言葉を飲み込んで目を丸くした。

「……お前、その数字、いつの間に集めた」

「あんたが昼に持ち帰ってきた断片的な情報と、リーシャの店に入ってきた配給請求の数字を突き合わせただけ」


 ミレナは顔を上げ、感情の読み取れない瞳でノクトを見た。

 錬金術師らしい几帳面な手つきで、ペン先のインクを拭いとる。


「数字の誤差は、死に直結する。私は無駄死にが嫌いなだけ」

「……へっ。錬金術師ってのは、こういう時にこそ役に立つもんなんだな」

「むしろ、こういう時にしか役に立たない」


 冗談なのか、それとも本気で言っているのか。

 俺は彼女の横顔を一瞬だけ見て、すぐに地図へと視線を戻した。

 三千人の軍勢の輪郭が、二十人単位の解像度で脳裏に立体化していく。

 コンサル時代、何度も繰り返した「現状分析」の癖が、こんな土壇場で冷徹に牙を剥く。


「……補給は」

 自分の声が、驚くほど低く響いた。


「六日分。油壺が四十二、松明用のタール樽が十八。投石機は三基あるけど、組み立ては半分ね」

 リーシャが、机に身を乗り出すようにして答えた。

 その瞳は、もはや「近所のお姉さん」のそれではない。完全に、冷徹な経営者の目だ。

「あと、ここ三日で王国軍の補給班が王都中の商会を回って、油と松明と食料を買い占めてる。しかも現金で、足元を見たような言い値でね」


 彼女は、地図の北端にある補給拠点を指差した。

「この油の量、建物三千軒分を軒並み焼ける計算よ。これ、ただの制圧じゃないわ。地下倉庫も、隠し蔵も、逃げ道の路地も――灰ひとつ、骨一片も残さない『消去』が目的。住民を生かして逃がす気なんて、さらさらない」


 ノクトが、乾いた口笛を吹いた。

「あんた、本当にただの商人かよ」

「商人だからこそよ。仕入帳簿は、口の軽い人間よりずっと真実を語るわ」


 俺は、あらためてリーシャの横顔を直視した。

 ただの物流ハブを担う協力者だと思っていたが、認識を改める必要がある。

 数字の裏にある「意図」を読み解くこの感覚は、王都を牛耳る大商会の会頭たちと渡り合えるレベルだ。

 盤面に強い手駒が増えた。喜ぶべきことだが、それだけ状況が「最悪」だという証明でもある。


「対する、こちら側の戦闘員は……」

 ノクトの視線が、部屋の隅で沈黙していた巨漢へと向いた。

「ガラン、ただ一人だ」


 ガランは答えなかった。

 ただ、両手の拳を、節が白く浮き出るほどに握り締めている。

 スラムに暮らす者たちは、彼にとって血の繋がらぬ家族だ。それが今、この瞬間にも灰にされようとしている。

 三千対一。

 戦いと呼ぶことすらおこがましい、一方的な蹂躙。


「……ゼン」

 地鳴りのような声が、ガランの喉から漏れた。

 太い指が、地図の中央に鎮座する『王城』の駒を、押し潰すように叩く。

「俺が、王子に斬り込む。道は俺が作る」

 ランプの光を受け、彼の瞳が獣の野性を帯びて光った。

「三千の末端を相手にする必要はねえ。あの男一人を落とせば、指揮系統は腐る。命令を出す口がなくなれば、軍は止まる。包囲も解けるはずだ」

 その体から立ち昇る殺気は、この部屋の空気を肌がヒリつくほどに変質させた。


 自分の命と引き換えに、同胞を救う。そんな自己犠牲の計算式が、彼の中で完成してしまっている。

 だが。

「却下だ、ガラン」

 俺は、意識的に温度を抜いた声で、彼の決意を撥ね退けた。

「お前が動けば、その瞬間にエレーヌの火炎魔法インフェルノがスラムを焼く」


「……何だと?」

 ガランの眉間に、深い皺が刻まれる。

「彼女は今、王命という鎖に繋がれている。『王子の保護』という大義名分の下にな。そこへ反逆者である俺たちの一員が刃を向けたと判断されれば、下る命令は一つだ。――『王子の盾となり、反逆勢力を最大火力で殲滅せよ』」

 俺は地図の上、逃げ場のないスラム街を指でなぞった。

「ここがお前の拠点であり、彼女の標的座標だ。お前の刃は、お前の守りたいものを焼き殺すための、最悪の引き金になる」

 ガランの巨体が、見えない鎖に縛られたように硬直した。

 ゆっくりと、本当にゆっくりと、彼は腰の剣から手を離す。

 やり場のない怒りが、彼の背中を、肩を、握り直された拳を、惨めに震わせ続けていた。


「……ゼン。エレーヌって人、本当に撃つのかな」

 震える声で、リーシャが尋ねてきた。

 先ほどの鋭さは消え、そこには一人の女性としての、剥き出しの恐怖があった。

「あの人、ルインの街であんたの言葉を聞いて、杖を下ろしたでしょ? まともな心があるなら、あんな場所を焼き払うなんて……できるわけ、ないよね?」

 彼女は自分を安心させるように、何度も小さく頷いている。


 その無垢な問いに、俺はすぐに答えられなかった。

 経営コンサルタントとしての俺なら「リスク管理上、撃つと仮定すべきだ」と即答しただろう。

 だが、今の俺は――。


「……分からない」

 それが精一杯の、誠実な答えだった。

「だが、ゼクスが王立軍に所属する数十名の魔導士の中から、わざわざエレーヌを『執行役』に名指しで選んだ。これには、明確な理由がある」


 俺は、ノクトに視線を投げた。

「ノクト。調べはついたか」


 ノクトは重々しく頷き、懐から折り畳まれた一枚の羊皮紙を取り出して、机の上に広げた。

 羊皮紙は端が擦り切れ、一晩中、王都の裏通りで情報を駆けずり回った男の苦労を物語っていた。


「ああ。三年前――王都北西の、セドナ村で起きた『事件』だ」


 誰も、すぐには口を開かなかった。

 窓の外、軍靴の足音が、また一度、波のように寄せて、引いていった。


 猶予は、削れ続けている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ