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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第2章 王都グランゼル

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第44話 再会

 王城での謁見から、三日が過ぎていた。


 与えられたのは「飼い殺しの首輪」としての金貨と、高級宿『銀の獅子亭』。

 王家は俺たちを厚遇しつつ、真綿で首を絞めるように自由を奪っている。おとなしく羽を休めるつもりなんてない。俺とノクトは、朝から晩まで王都の石畳を歩き続けていた。


 表向きは新星商会の拠点探し。裏の目的は、この巨大な都市の経済血管を肌で測量することだ。


「こっちの通り、やけに衛兵の目つきが険しいな」

「上級貴族の居住区だからな。俺みたいな柄の悪いのがウロついてたら、即刻しょっぴかれるぜ」


 ノクトの背中を追いながら、手帳にペンを走らせる。

 商品の流通経路、区画ごとの物価の歪み、商人ギルドの暗黙の縄張り。目に入るあらゆる情報を数字に変換し、脳内で盤面を組み上げていく。


 しかし、夕暮れに染まる王城の尖塔を見上げるたび、胃が重くなる感覚があった。

 ラスの闘技場でゼクスに見せつけられた圧倒的な力。玉座の間で国王が浮かべていた、すべてを見透かすような眼差し。

 盤面は完全に、奴らの手のひらの上だ。


 俺はまだ、この街での「最初の一手」すら見出せずにいた。打つ手がない。いや、見えていないだけか。焦燥が胃の底でチリチリと焼ける。


「ゼン、お前、また難しい顔をしてるぞ」

「……悪い。少し数字を追っていた」


 手帳を閉じ、強引に肺へ空気を送り込む。

 三日目の昼下がり。市場区の喧騒から少し外れた、うすら暗い路地裏を歩いていた時のことだ。

 隣のノクトが、ピタリと足を止めた。

 猟犬のように鼻をひくつかせ、細い路地の奥を睨みつける。


「なんだ、これ……」


 つられて、俺も風の匂いを嗅ぐ。

 脂と埃、そして甘ったるい安香水が混じり合う王都特有の空気を切り裂いて、それは漂ってきた。

 ひりつくような南方胡椒といくつかの薬味のハーモニー。

 脳を直接揺さぶられるような、強烈な既視感。

 『七星香』だ。

 ルインの街で、俺たちが調合したあのミックススパイスの匂い。

 二百キロも離れたこの王都で、嗅ぐはずのない香り。


「おい、こっちだ!」


 ノクトが石畳を蹴った。考えるより先に、俺の体も動いていた。

 曲がりくねった路地を抜け、不意に視界が開ける。


 そこには、異様な人だかりができていた。

 こぢんまりとした木造の店舗。カウンターには串焼きと、湯気を立てるスープの鍋。客が小銭を握りしめ、長蛇の列を作っている。


 そして、入り口の真新しい看板。


『新星商店 王都店』


「……嘘だろ」


 隣でノクトが呆けたように呟く。

 俺は一歩も動けなかった。声の出し方すら忘れていた。


「はい、七星香の串焼き三本とスープ! 熱いから気をつけてね!」


 威勢の良い声が響く。

 カウンターの奥で、次々と注文を捌く姿。赤髪を揺らし、額に汗を張り付かせながら、その瞳は商売の熱気で爛々と輝いていた。

 リーシャ、危険な旅に巻き込めないと、ルインの街に置いてきたはずの相棒だった。

 ふと、彼女が顔を上げた。

 宙で、視線がぶつかる。


「あっ」


 リーシャの動きが止まった。

 手の中の皿を机に置き、彼女はカウンターを飛び越えるようにして駆け出してきた。


「ゼンッ!」


 客の列を乱暴に掻き分け、一直線に向かってくる。

 大きな瞳の縁が、みるみる赤く染まっていくのが見えた。口が何かを言おうとして震え、けれど言葉にならないのか、ぐっと唇を噛む。


 ドン、と。

 小さな両の拳が、俺の胸にぶつかった。


「……バカ。遅い」


 押し殺した声。胸に押し付けられた拳が、小刻みに震えていた。

 置いていかれた不安と、無事を確かめられた安堵。その重さが、俺の心臓を直接叩いたような気がした。


「あんたらこそ、なんで王都にいんだよ!」

 ノクトが素っ頓狂な声を上げた。

 その声に応えるように、店の奥から静かな足音が近づいてくる。


「久しぶだな、ゼン」

 アッシュグレーの髪を揺らし、ミレナが静かに姿を現した。

「お前がそんなに間抜けな顔をしているの、初めて見たかもしれない」


 指摘されて、自分の顔の筋肉がひどく強張っていたことに気づいた。

 息を吐き出す。乾いた喉から、ようやく声が絞り出せた。


「どうして、ここにいるんだ」


 リーシャは俺の胸からバッと顔を上げると、乱暴に目元を拭った。

 そして両手を腰に当て、ふんっと大きく胸を張る。


「あんたを追いかけてきたに決まってるでしょ!」


 その目には、もう涙はなかった。代わりに、ギラギラとした商売人の炎が灯っている。


「あんた一人を、得体の知れない王都に放り込んでおけるわけないじゃない! だからあたしは、王都の市場を丸ごと飲み込んで、新星商会を王国一にしてやるって決めたの。あんたの背中くらい、莫大な資金力で無理やり支えてやるわよ!」


 強気なまくし立て。けれど、語尾がわずかに上ずっている。

 不安を強がりで塗り固めて、真正面からぶつけてくる。そういう女だった。


「私も、ゼン。お前を追いかけてきたわけではない」

 ミレナが隣に並び、淡々と告げた。

「先回りしてきた」


「……先回り?」


「そうだ。王都には、最高の魔導設備と素材がある。錬金術師として、ここを見過ごす手はない。私たちは先回りして、お前が戦うための準備を整える。それが、私たちの役目だ」


 鼓動が、一つ大きく跳ねた。

 俺たちが王城で雁字搦めにされている間、彼女たちは既に、この見知らぬ街で自分たちの戦いを始めていたのだ。


「王都に来てから調べたこと、ノート数冊分はあるわよ」

 リーシャが悪戯っぽく笑う。

「有力な店主の名前、客層の偏り、仕入れの悩み。あんたが何を仕掛けたいか知らないけど、材料ならいつでも出せるわ」


「私も、王立魔導院出入りの素材商と繋がりを作った」

 ミレナが続ける。

「表で買えるものと、裏でしか回らないもののリストアップは済んでいる。あとはお前が何を作らせたいかだけだ」


 熱い。

 胃の腑に溜まっていた重い泥が、内側から燃え上がるように溶けていく。

 俺は、元コンサルタントのくせに、根本的な見落としをしていた。

 盤面を動かすのは、俺一人じゃない。

 俺が描く「理屈」と「青写真」を、血の通った現実に変えてくれる相棒が、すでに王都の強固なシステムに風穴を開けて待っていたのだ。


「ゼン」

 リーシャが、上目遣いで俺を睨みつける。


「で? あんた、ここで何してんの。……言っとくけど、またあたしを置いてきぼりにしたら、今度こそ許さないからね」

 ルインの夜明け。俺が黙って出てきたあの日のことを言っている。


 肺いっぱいに、王都の空気と一緒に、ピリッとした七星香の匂いを吸い込んだ。

 全身の血が巡る音が聞こえる。

 冷徹な計算機としての仮面が剥がれ落ち、ただの一人の人間として、口の端が自然と吊り上がった。


「リーシャ。ミレナ」

 二人の顔を、交互に見る。


「――俺の駒を、そっちの盤面に置かせてくれ」

 巻き込むとか、手伝ってくれじゃない。

 彼女たちが切り拓いたこの場所に、俺自身が乗っかるんだ。


「王都の経済を、根こそぎひっくり返すぞ。四人で」

 リーシャは一瞬だけ目を丸くし。

 くしゃりと、泣き笑いのような、最高に不敵な笑顔を浮かべた。


「上等じゃない。やってやろうじゃないの!」

 ミレナは静かに頷き、その澄ました横顔に、誇り高い笑みを滲ませた。


 振り返れば、王城の尖塔は相変わらず夕暮れの空に黒々とそびえ立っている。

 だが、その影に押し潰されそうな気配は、もう微塵もなかった。

 活気に満ちた路地裏で、串焼きの煙が空へ昇っていく。俺たちの本当の戦いは、ここから始まる。

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