第43話 飼い殺しの首輪
王都グランゼルの中心にそびえる王城。
果てしなく続く白大理石の回廊に、俺たちの靴音だけが異物のように響いた。窓から射し込む陽光が床に反射し、網膜を焼く。壁一面のフレスコ画、柱に流し込まれた純金、見上げれば魔晶石のシャンデリア。あの石一つで、俺の生涯年収など軽く吹き飛ぶ。
「すげぇ……全部、魔晶石なのか……?」
ノクトがフードを深く被り、肩をすくめた。貧しい村から逃げてきた少年に、これは金と権力という名の暴力だろう。
ガランは無言。だが尖った耳が小刻みに震えている。微かな衣擦れ、革と鉄の擦れる音――この回廊の死角に、完全武装の近衛兵が何十人も潜んでいる。先導する騎士の背中は、俺たちが逃げ出せるはずがないと最初から見下していた。
巨大な樫の両開き扉が、軋みひとつなくぬらりと開く。
「勇者一行、ご入来――!」
血のように赤い絨毯。左右に並ぶ重臣たちの、表情のない値踏みする視線。
絨毯の先、階段の頂に老人が座っていた。
国王グランゼル三世。雪のような白髭、柔和な目尻の皺。だが玉座の肘掛けに置かれた指先は、岩のように微動だにしない。座っているだけで、空間全体が重くなる。
「面を上げよ、勇者一行。そして――辺境の窮地を救いし軍師、ゼンよ」
低く、腹に響く声。温かい――はずなのに。
国王の頭上にアイコンが浮かぶ。
【査定中】【有益】【排除】
……なるほど。前世で見飽きた、冷酷な「経営者」の目だ。
「ルインでの魔物討伐、ガレリア鉱山の再建、そしてラスの街での善行……実に見事であった」
侍従が銀の盆を捧げてくる。革袋の山が、ジャラッと金属音を響かせた。
「特別報奨金だ。受け取るがよい。そして――」
一瞬、王の目が細められた。室温が急に下がる。重臣たちの息遣いがピタリと止まった。
「ゼンよ。其方の知略は、少々……王都の秩序には刺激が強すぎるようだ」
上手い言い回し。労いの体裁で、真綿で首を絞めてくる。
「しばらくはここグランゼルで羽を休めるがよい。豪奢な邸宅も用意させよう。美味なる料理も、麗しき侍女も、望むままに与える。――別命あるまで、王都を出ることは許さぬ」
最後の一言が氷の刃となった。黄金の鳥籠。羽を休めろと微笑みながら、両翼をへし折りにきている。
【警戒】
アイコンが赤く瞬く。ここで刃向かえば、勇者一行ごと「反逆者」として処理できる。盤面は支配されている。
レオンとエレーヌが声を震わせて答えた。
「もったいなきお言葉、陛下! 我ら、これからも王国のために身を粉にする所存でございます!」
「陛下の御心、深く胸に刻みます……!」
馬鹿野郎。それは恩賞じゃない。純金でできた鎖だ。
俺は無言で前に進み出る。受け取った革袋の重みが、ずしりと腕に食い込んだ。圧倒的な富で俺というバグを幽閉する、タチの悪い飼い殺し。
内心とは真逆の言葉を出す。
「謹んで、頂戴いたします」
額が床に擦れるほど深々と頭を下げる。口角が上がりそうになるのを噛み殺した。王の足元を切り崩す資金を、王自身に出資させた。この事実は後で必ず効いてくる。
退室しようと身を翻した時、玉座の傍らに立つ男と視線が絡んだ。
第一王子ゼクス。ラスの街で、勇者一行を越える圧倒的な力を見せた彫刻のような顔貌。だが瞳孔には父のような冷徹な計算がない。もっと若く、純粋で――どうしようもなく狂っている。
彼の目は、俺やノクトを純白のテーブルクロスに落ちた泥水を見るそれだった。存在そのものが許せないという、信仰に近い潔癖症。
「軍師殿」
すれ違いざま、透き通る声が呼び止めた。
「この王国の美しさは、完璧な秩序によって保たれている。魔族や……得体の知れないロジックを操る不純物が、その調和を乱すことは断じて許されん」
【嫌悪】【排除】
悪意がない。歴史上、一番血を流すのは悪党じゃない。自分の正義を微塵も疑わない狂信者だ。
ノクトの息がヒュッと鳴る。ガランの指が背中の斧へ伸びかけ、踏みとどまる。
俺は無機質に頭を下げ、玉座の間を後にした。
裏廊下へ抜ける。等間隔で並ぶ監視窓が、嫌でも現実を突きつける。
ふと、左側の扉がわずかに開いていた。メイドが出てきた直後、扉が閉まるまでの数秒の隙間。
不意に、足が止まる。
夕日が差し込む薄暗い部屋。空中の埃が黄金色の粒となって光っている。
その光の柱の中心に、一人の少女がいた。山のような書類に噛みつく勢いで、ひたすら羽ペンを走らせている。
十五、六か。月光を編んだような金髪が頬で揺れる。
俺の目を釘付けにしたのは、その指先だった。白く細い指が、真っ黒なインクで無惨に汚れている。香油と宝石で飾られるべき王族の指が、書記官のように荒れ果てていた。
彼女が顔を上げ、目が合う。湖底のように深い青い瞳。王族の傲慢さは欠片もない。あるのは祈り。書類の向こうにいる「誰か」を本気で救おうと、もがく切実な光。
少女は何かを言いかけ、すぐ視線を落とした。パタン、と扉が閉まり、光は遮断された。
「……今の人は?」
無意識にこぼれた問い。先導の騎士が汚物を見るように鼻を鳴らす。
「フローラ王女殿下だ」
吐き捨てる響き。
「王妃様の命と引き換えに産まれた『呪いの姫』。表に出ぬよう、陛下も配慮されておられる。妙な噂が立つゆえ、関わらぬことだな」
……呪いの姫。完璧な王都のシステムから、ただ一人「零れ落とされた」少女。
胸の奥で何かが跳ねた。情ではない。打算的で致命的な――「可能性」の匂い。この息の詰まる狂ったシステムの中に、まだ俺の知らない「人間」がいる。その事実だけを、脳の奥深くへ仕舞い込んだ。
◇
城門を抜けた瞬間、ガランが堰を切ったように深く息を吐いた。ノクトはフードを引きむしるように下ろし、肩で息をしている。
「ゼン……」
ノクトの声は泣き出しそうに震えていた。
「無理だよ、こんなの。ルインの奴らとは格が違う。あれは人間じゃない。なんていうか……『国』そのものが喋ってるみたいだった」
正しい。悪党なら殺せば終わる。だが、あいつらは「制度」だ。首をすげ替えても、同じ理屈の歯車が湧いてくる。
「ああ。正面からまともにやり合えばな」
俺は革袋をわざとらしく揺らす。ジャラッ、と冷たい純金の音。
「ノクト、ガラン。よく聞け」
二人に向き直った。
「王様は、この金で俺たちを飼い殺す気だ。王都に縛り付け、贅沢漬けにして、牙を抜く。九割の人間はこれで満足して豚になる。見事な手だ」
「……でも、お前は違う、と?」
「ああ。残念ながら、俺はコンサルタントでね」
唇の端が吊り上がる。
「クライアントから預かった『投資資金』を、相手が一番嫌がる方法で使い切る。それが俺の本職だ。美味い飯や女のために用意されたこの金を――俺は、王のシステムを内側から食い破るための『種銭』に使わせてもらう」
振り返ると、黄昏の空に白亜の城が黒く浮かぶ。尖塔の王家の紋章が、夕陽を反射してギラギラと赤く光っていた。
「王国の経費で、王国をぶっ壊す」
「……具体的には、どうする」
「まずは拠点だ」
俺は革袋をぽんと叩いた。
「手配された『銀の獅子亭』なんて、盗聴器の塊みたいなもんだろ。あんな場所じゃ作戦会議もできやしない。王都の一等地に、俺たち専用の不動産を確保する」
「不動産……家を買うってのか!?」
「ああ。それも、貴族街のど真ん中の、一番目立つやつをな」
「正気か!? 目立ってどうする!」
「いいんだ。むしろ、徹底的に目立たせる」
薄暗くなり始めた街路へ歩き出す。
「王の鳥籠のど真ん中に、俺たちの城を建てる。向こうは俺を『金で転んだ俗物』だと笑って安心するだろうさ。安心すれば油断する。油断すれば――ボロを出す」
大通りでは豪奢な馬車の横で、路地裏の獣人の子供が残飯を漁る。光と影を飲み込んで、王都は夜を迎えようとしていた。
「ノクト。お前が震え上がったあの親子は、確かに『国』そのものだ。でもな、国なんてのは結局、無数の人間と、無数の取引と、無数の嘘を寄せ集めたハリボテに過ぎない。複雑になればなるほど、土台には必ず歪みが出る」
俺はノクトの肩に手を置いた。
「負けてない。むしろ、敵地のど真ん中にいきなりカードを置かせてもらえたんだ。これは、最高の『投資』のスタートラインだ」
ノクトがゆっくりと顔を上げる。城の中で死にかけていた瞳に、確かな熱が戻っていた。
「……わかった。ついてくよ」
「ああ。しっかり捕まってろ」
人間の最高峰、王都グランゼル。
この息の詰まるクソみたいな盤面を。
俺は、俺のやり方で、徹底的に書き換えてやる。




