第42話 王都グランゼル
王都グランゼルの正門。
西日を乱反射する巨大な白銀の装甲板が、天を貫くようにそびえ立っている。見上げているだけで、首筋を嫌な汗が伝い落ちた。
三つの三日月、王家の紋章。あんな高いところから、俺たちを見下ろしている。
門の前。列は三つに分かれていた。
右は装飾過多な貴族の馬車。衛兵が腰を折って素通りだ。
中央は商人たち。荷をひっくり返され、法外な通行料を巻き上げられている。
そして、左。
槍先に囲まれ、うずくまる獣人たちの群れ。衛兵の目は彼らを「人間」として見ていない。首輪の刻印をなぞる視線は、倉庫の在庫を数えるただの検品作業だ。
俺たちの馬車は、右の列へ進んだ。
先頭を行くレオンたちの馬車に「勇者」の紋章が揺れた途端、重々しい鉄門が跳ね上がる。
続く、俺とガラン、ノクトが乗るおんぼろ荷馬車。衛兵たちの眉間が微かに寄った。槍の柄を握る指が、白く張っている。
「勇者の連れ」という免罪符がなければ、左の列に何時間も列に並ばされただろう。
「ゼン。俺たち歓迎、されてないな」
「されるわけないだろ」
舌打ちしそうになるのを堪え、俺は前を向いた。
門の内側は、気味が悪いほど完璧だった。
チリ一つない石畳に、等間隔に並ぶ魔法灯。上質な絹のすれる音。飴玉を舐める子供たちの笑い声。
綺麗に飾り立てられた箱庭。
だが、ほころびは至る所にある。
建物の裏手。巨大な石材を素手で運ぶ獣人。道端で馬車を鏡のように拭かされている、肋骨の浮き出た老獣人。
行き交う着飾った人間たちは、彼らに見向きもしない。風景の一部として、見ることすら省いている。
隣で、ノクトがフードを深く被り直した。
すれ違う女が血相を変えて子供を引き寄せたからだ。魔族に向けられる視線は、獣人に対するそれよりさらに刺々しい。
「……ゼン。ここ、ルインより息が詰まる」
ノクトの声が震えていた。
ミシッ、と嫌な音がした。
ガランの手。腰の剣を握る指から、血が滲みそうなほど力がこもっている。彼の視線の先では、獣人の青年が路地裏で蹴り飛ばされていた。
俺は無言で、ガランの肩を掴んだ。
口を開けば、何か間違えそうだったから。ただ指先に体重を乗せる。
ガランの肩が大きく波打ち――ゆっくりと、剣から手が離れた。
馬車が商業区に入り、ふと視線を落とした先。
薄汚い排水溝の横で、俺は息を止めた。
六、七歳と思える細すぎる腕をした獣人の子供が、重厚な鉄の蓋を素手で持ち上げようとしている。
指先からはどす黒い血が流れ、爪が何枚も剥がれかけていた。それでも、貴族街から流れ着いたヘドロを、小さな手で掬い出し続けている。
「おい、ぐずぐずするな!」
乾いた破裂音。
監督官の鞭が、細い背中を薙いだ。薄い布が裂け、真っ赤なミミズ腫れが弾ける。
……声が出ない。俺じゃない。その子が。
悲鳴すら上げず、ただ背中を丸めて痛みが通り過ぎるのを待つ。そしてまた、泥水へ手を突っ込む。
感覚が、死んでいる。
心が、完全に閉ざされている。部品として壊れるのを、ただ待つだけの機械の目。
「あいつ、昔の俺と同じ目をしてる」
絞り出すようなノクトの声。
暗い牢獄で、すべてを諦めきっていた頃のノクトが、そこにいた。
「ゼン、俺は――」
「……」
喉が、焼け焦げたように熱い。
今すぐ飛び出して、あの監督官を殴り飛ばせば。あの子を抱き上げれば。
……それで?
俺は、ノクトの白く冷たい拳を、両手で包み込むように押さえた。
「今助けても、明日は別の奴に殺される。ここで一人拾ったって……ただの一時しのぎだ」
声が震えそうになるのを、奥歯を噛んで殺す。
「根っこが腐ってる。仕組みごと潰さないと、この鎖は終わらない。あの子だけじゃない。同じ目をしている奴らを、全員こっちに引きずり上げる。……それが、俺たちのやるべき『仕事』だろ」
ノクトの拳が、微かに緩んだ。
フードの奥で、小さく頷く気配がした。
馬車が角を曲がるまで、俺はその場から目を逸らさなかった。
あの剥がれかけた爪。赤黒い血。網膜に焼き付けておく。忘れないように。
◇
俺たちが泊まるのは「銀の獅子亭」という、いけ好かない高級宿だった。
通された部屋に一歩入った瞬間、ノクトが棒立ちになった。
天井から下がる水晶の灯り。羽根を敷き詰めたような寝台。卓には、果実の盛られた銀の皿。
「……ゼン」
「なんだ」
「俺、たぶんこのベッドに寝たらもう起きられない」
「ちゃんと明日は起きろよ」
「いや無理だって。こんなふかふかのベッドに寝たら、絶対起きられない」
「じゃあ、そのまま永遠の眠りにつけ」
「ひどっ」
路地裏で諦めていた頃のノクトはもういない。今のこいつは、ちゃんと仲間を見ている。
息をつく間もなく、硬質なノックの音が響いた。
「失礼いたします。王命をお持ちしました」
純白の儀礼服。若い騎士はノクトを一瞥して微かに眉をひそめ、すぐに訓練された動きで片膝をついた。
差し出された封書。三つの三日月の赤い封蝋。
笑みが、すっと消えていた。
「明朝、勇者一行および随行者は王城へ。国王陛下による謁見が許されました」
廊下から顔を出したレオンが、ぱっと花が咲いたように顔を輝かせた。
「謁見……! ついに陛下にお会いできるんだな!」
「ようやく認められたのね」
エレーヌもイリアも、安堵の息を吐いている。ルインを解放したことへの、純粋な「ご褒美」だと思っているらしい。
俺は、西日に赤く染まる王城を窓越しに見上げた。
『手に負えない歩く災害』の勇者達と、俺という得体の知れない異物。野放しにするには危うすぎる。だから手元に置いて「飼い慣らす」んだ。「英雄」という、聞こえのいい金ピカの首輪をつけて。
歓迎会? 違う。これは値踏みだ。
「さて。どんな首輪を持ってることやら」
手の中の封書を、卓へぽいと放り投げる。
明日の朝、俺たちはあの巨大な中枢に踏み込む。
相手が差し出す首輪ごと、根こそぎ奪い取ってやる。
腹の底で、冷たい炎がチロチロと燃え始めていた。




