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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第2章 王都グランゼル

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第33話 見えない罠

 夜明け前の冷気の中、細く揺れる蝋燭の灯りだけが頼りだった 。机の上に広げた羊皮紙に、カリカリとペンを走らせる 。

 ノクトの鼻が嗅ぎ取った血の匂いと、俺の目が暴き出した人々の感情 。バラバラの欠片を、一枚の『盤面』へと縫い合わせていく。


 上段には、ラスの街の表向きの産業 。

 中段に、あの狂った地下闘技場の収益予測 。

 下段には、領主ゼッドの指輪や悪趣味な装飾品、それに兵士たちの過剰な装備品


 表の帳簿とのひどいズレを書き出す。

 点と点が線で繋がった瞬間、ペンの動きがピタリと止まった。

 金貨にして年間十二万枚。

 あの血塗られたアリーナが吐き出す裏金で、きれいに説明がついてしまう 。

 闘技場という太い血管を一本断ち切れば、この街は一ヶ月で干上がる 。ゼッドの支配なんて、あっけなく崩れ去る。

 ロジックは完成していた。


 だけど。

 冷え切った指先でこめかみをぐっと押し込む。

 昨夜の、脳をかき回されるような痛みが蘇る 。

 ゼッドの頭上にあった塗りつぶされたアイコン 。そして、特等席に刻まれていた三つの三日月の紋章。


 ――第一王子ゼクス・ガイン・グランゼル。


 この腐敗は、地方の成金おやじを潰して終わるような可愛らしいものじゃない 。王国の心臓部と、ドクドク脈打つ太い管で繋がっている。

 俺の計算式は、経済の裏表を暴くところまでは届いた 。でも、ゼッドの中にあるバグと、王都の権力の闇。この二つだけはどうしても数式に乗らない。


 チュンチュン、と窓の外で鳥が鳴いた。

 足元の分厚い絨毯に、冷たい朝の光が薄く差し込んでくる。

 俺は羊皮紙を無造作に折り畳み、上着の内ポケットに押し込んだ。

 今日の盤面は、これでいく 。手が届かない闇は、今は放っておくしかない 。

 ロジックで届く範囲を、まず確実に刈り取るだけだ。



     ◇



 バターの香りが漂う朝食の席 。白いパンとハムエッグが並ぶ。

 給仕の娘が、重々しい赤い封蝋のされた手紙を運んできた 。

 差出人はもちろん、領主ゼッド・バルザック。


『本日午後、勇者一行様ご一同を、我が街の特別施設「貴賓用観覧室」へご招待いたしたく――』


「おお、領主殿直々の招待か! これは断れぬな」


 レオンが目を輝かせ、無邪気に笑っている。

「……観覧室、ね」


 エレーヌは千切ったパンを片手に、招待状を胡散臭そうに見下ろした。

 

「貴族の娯楽ってやつでしょ。まあ、旅の疲れを落とすには、高級ワインくらい付き合ってもいいかしら」

「ゼンさん、いかがしますか」


 向かいに座るイリアが、少し不安そうな視線を投げてくる。

 俺はトーストを齧りながら、薄く頷いた。


「行こう。レオンの言う通り、領主の招きを無下にはできない」


 頭の奥で、冷たい算盤を弾く。

 ゼッドは、昨夜のネズミが俺たちだと確信しているはずだ 。

 だからこそ「招待」という名の甘い罠で、勇者一行を丸飲みしようとしている。

 向こうから盤面を用意してくれるなら、好都合だ。わざわざこちらから動く手間が省ける 。相手の土俵に上がって、そこで盤をひっくり返してやる。


 ――問題は、俺の想像すら及ばない「何か」が、その盤面に置かれている可能性だ。


 コーヒーを飲み干して席を立つ 。廊下に出ると、壁に寄りかかっていたノクトを呼び止めた。


「ノクト。今日はお前、屋敷に残ってくれ」

「え? 俺だけ?」

「勇者一行全員が領主の招待で出払う。屋敷は手薄になる。……こういう時ほど、厄介な仕掛けが動くもんだ」


 懐から、新星商会の印を押した封書と、これまで書きためてきた手帳を取り出す。


「これをお前に預ける。俺たちが日暮れまでに戻らなければ、裏口から抜けて一番早い馬を奪え。そのままルインへ戻れ」


 ノクトの顔から、さっと血の気が引いていくのがわかった。


「……戻らねえ前提かよ」

「最悪の盤面を想定するのが軍師の仕事だ」


 少年の揺れる瞳を、真っ直ぐに射抜く。


「よく聞け。宛先は国王じゃない。商人ギルド本部の監査役、ハロルド・ウィンゲートだ 。リーシャに繋いでもらえ。向こうから迎えが来る」

「国王宛じゃダメなのか?」

「駄目だ」


 声のトーンを一段階、落とす。


「昨夜、特別席に第一王子ゼクスの家紋があった。月に一度、あの男がこの街に来てるって噂とも符合する。――この腐敗は、王都の中枢に直結してるんだ」

「……マジかよ」

「国王に送れば、握り潰されるか、俺たちが街道で消されるだけだ 。でも商人ギルドは軍の指揮系統から独立してる 。王子の権力でも、正規の監査は止められない」


 硬直するノクトの手に、強引に封書と手帳を押し付けた。


「もう一つ。封書にはリーシャへの手紙も入ってる 。新星商会のコネを使って、ラスの闘技場の件を王都中の商人にバラ撒けと書いてある 。商人は、一人だけズルして儲けるのが許せないものさ。一点突破じゃ潰されるが、何百人もの商人の噂になれば、王子だって蓋はできない」


「……リーシャにしかできねえ仕事だな」

「ああ。あいつにしか無理だ」


 ノクトは唇を噛み締め、封書と手帳を外套の奥へ隠した。

 いつもの生意気なガキの顔じゃない。裏路地の死線を潜り抜けてきた、鋭い目つきだった。


「ゼン」

「ん?」

「無事に戻ってこいよ。……俺、ひとりでなんて行きたかねえからな」


 強がるような震え声に、俺は短く笑い返した。


「善処する」



     ◇



 昼前 。ゼッドが用意した毒々しいほど豪華な馬車が、東の四区へ向かって進む。

 行き先は、闘技場に併設された貴賓用観覧室。


 向かいの席で、ガランは大盾を抱え込むようにして目を閉じている。

 俺は誰にも気付かれないよう、懐の革ケースを指先でなぞった 。ガレリアで使った記録水晶 。

 今日はこれを「契約」なんかじゃなく、刃として使う。

 ガランだけには、言っておくべきか。

 隣の巨漢に視線を送る 。彼は閉じた瞼の下で、確かな気配を感じ取っていた。


「ガラン」

 喉の奥だけで声を絞り出す。

「今日は、『戦士として』より『獣人として』、あの場に座ってくれ」


 車内の空気が一瞬、張り詰めた。

 ガランがゆっくりと瞼を開く。琥珀色の瞳が、俺を真っ直ぐに貫いた。

「……承知した」


 腹の底に響くような二つの音 。彼が背負い続けてきた重い鎖が、ほんの少しだけ解けたような、鈍い熱を感じた。


 貴賓用観覧室は、闘技場にくっついた石造りの館だった 。表向きは「貴族専用の狩猟クラブ」 。だが壁に触れると、地下の狂乱が気味の悪い振動となって掌に伝わってくる。

 奥の扉を抜けると、そこは吐き気がするほど豪華な空間だった。

 部屋の真ん中に長円形のテーブル 。そして壁の一面は巨大なガラス張りになっていて、眼下のアリーナを丸見えにしている 。血と死を安全圏から見下ろすための、悪趣味極まりない特等席だ。


「おお、勇者レオン殿! ようこそおいでくださった!」


 部屋の奥で、ゼッドが大仰に両手を広げた。

 樽のような体、てらてら光る口ひげ、成金趣味の指輪。


 目に力を込める。浮かび上がったアイコンは、昨夜の【陶酔】じゃない。冷たく研ぎ澄まされた【愉悦】だった 。罠にかかった獲物をねぶるような目 。そして俺を見た瞬間、目の奥にチリッと【警戒】が混じる。

 やはり、昨夜のネズミが俺だと気づいている。


「ささ、皆様どうぞこちらへ。最高の席を用意させていただいております!」


 レオンが上座にドカッと座り、エレーヌとイリアが脇を固める 。ガランは入口に大盾を立てかけ、岩のように沈黙した。

 俺は、ゼッドの真正面――一番相手の表情が読める席へ滑り込む。

 音もなく現れた給仕が、血のように赤いワインと肉の皿を並べていく。


「ささ、まずは乾杯を」

「領主殿」


 俺はワイングラスを無視して、低い声で遮った。

 懐から革のケースを取り出し、テーブルの真ん中に記録水晶をコトンと置く 。水晶の芯が、まるで生き物のように銀色の明滅を始めた 。ゼッドの脂ぎった目が、それに吸い寄せられる。


「これは……」

「記録水晶です。新星商会の商談用魔導具 。周囲の声を自動で拾います」


 俺はゼッドから目を逸らさない。


「本日の会話の要点を、これに残したい。後になって『言った言わない』で揉めないよう、正式な合意として記録する 。よろしいですね」


 部屋の空気が凍りついた。

 レオンが「商人は丁寧だな」と的外れな感心をし、エレーヌが面白そうに片眉を上げる 。ゼッドは口ひげをねっとりと撫でた 。表層の【愉悦】が、一瞬だけ泥のように濁る。


「……よろしいでしょう。我が街の歓待ぶりを記録していただくのも、一興です」


 水晶の明滅が続く 。盤面は、開かれた。

 懐から羊皮紙を取り出し、テーブルの上に叩きつけるように広げる 。勇者一行の視線が、俺の指先に集まった。


「単刀直入にいきましょう、領主殿」

 さらに声を低く落とす。

「この街の経済の柱は、魔鉱石でも観光でもない。地下でやってる、獣人と魔獣の殺し合い興行――これが、あなたの本当のシノギだ」


「なに――」

 レオンの顔から血の気が引いた 。エレーヌの手からグラスが滑り落ちそうになり、イリアが両手で口を強く覆う 。ガランの巨大な手がテーブルの縁をミシッと軋ませた。

 ゼッドの顔に張り付いた笑みが、ピシッと固まる 。だがすぐに余裕を取り繕い、ワインを喉に流し込んだ。


「ほう。夜間の秘密施設とは、随分と率直な物言いだ。証拠でも?」

「この試算表が証拠です」


 羊皮紙を指先で弾く。


「表の帳簿だけじゃ、年間十万枚以上の赤字だ 。だが、あなたの屋敷の金目のものや兵士の装備を足せば、年間十二万枚規模の興行収入でぴったり計算が合う」


「ただの推論ですね。物証がない」

「物証なら、今頃王都へ向かっていますよ」


 ゼッドの瞳孔がわずかに開いた。


「昨夜の客の筆跡、賭けコインの鋳造痕、石材の刻印 。相棒が今朝、商人ギルド本部へ走った 。二週間もすれば査察官がここへ来る」


 エレーヌが絞り出すように呻く。

「殺人興行……アリーナで獣人を殺してるってこと?」


「そうです。俺は昨夜、潜入してこの目で見た」


 イリアが小さく悲鳴を上げた。

 俺はゼッドを睨みつける。


「領主殿。条件次第じゃ、相棒を街道で呼び戻してやってもいい」


 指を一本ずつ立てていく。

「一つ、闘技場の即時閉鎖 。二つ、囚われている獣人の解放 。三つ、街の経済構造の再設計――向こう三年間、俺の商会がタダでコンサルタントをやってやる 。報酬は、あなたの命と領主のイスだ」


 容赦なく、冷たい言葉を叩きつける。


「呑めば、あなたは地味な領主として生き延びられる。呑まなければ、首が飛ぶ」


 重苦しい沈黙が部屋を満たす。

 ゼッドはワイングラスを置き、太い指をテーブルの上で絡ませた。

 そして。唐突に、腹の底から不気味な笑い声を上げ始めた。


「はっ、はっはっは……! いやぁ、噂に違わぬ『口だけ勇者』ぶりですな!」

 声は笑っているのに、頭上のアイコンは【焦燥】に切り替わっていた 。効いてる。確実に動揺している。


「軍師殿、あなたは確かに優秀だ。しかし、一つ計算違いをしている」


 ゼッドが手に持った小さな銀の鈴を二度、チリンチリンと鳴らす。


「私は、ギャンブラーなのですよ。ギャンブラーは追い詰められた時……一番大きな札を切る」


 巨大なガラスの向こう側 。砂地のアリーナに、二つの小さな影が引きずり出されるのが見えた。

 視界の端で、ガランの呼吸がピタリと止まる。

 汚れた服を着た獣人の男と、その手を必死に握りしめる八歳くらいの獣人の少女だった 。男の震える手には、使い物にならない錆びた短剣 。反対側の檻には、巨大な棘を生やした魔獣が二匹、ヨダレを垂らして待機している。


「これが、あなたの一番大きな札ですか」

 乾いた喉から、掠れた声が漏れた。

 ゼッドは薄ら笑いを浮かべ、手のひらの上で小さな銀の鈴を見せつける。


「よくできた盤面でしょう? あなたが告発を続けるなら、私はこの魔法の鈴を鳴らす 。この鈴は地下と連動していてね。次に鳴った瞬間、獣は放たれ、あの父娘は十秒で砂の上の染みになる」


「扉の外には、既に二十人の警備兵が待機している 。勇者殿が剣を抜いて駆けつけるというなら、二十人斬り伏せる勇姿を存分に拝見しましょう 。――もっとも、その間にあの娘は肉塊に変わりますがね」


 ゼッドの目が、爬虫類のようにねっとりと細められる。


「軍師殿、選んでいただきましょう。告発の材料を今ここで差し出すか。あの父娘の命と引き換えにするか」


 鼓動が耳の奥でうるさく鳴る。


「もちろん、材料さえいただければ、明日の朝には笑顔でこの街をお見送りしますよ。――道中、何が起きるかまでは保証しかねますがね」


 ダンッ!

 レオンが椅子を蹴り飛ばして立ち上がった 。顔を真っ赤に怒張させ、聖剣の柄を握りしめている。


「貴様ッ、我ら勇者一行を罠にかけたか――!」


「レオン、座れ」

 俺は低く、だが鋭く言い放った。


「動けば鈴が鳴る 。お前が外の兵士を片付けている間に、アリーナの父娘が死ぬ 。ゼッドの狙いはそれだ」


 レオンは奥歯をギリッと鳴らし、力なく椅子に崩れ落ちた。

 エレーヌは顔面を蒼白にして、指先をわななかせている 。イリアは胸の前で手を強く組み、過呼吸のように浅い息を繰り返していた。

 目が、三人の頭上を無機質に捉える。


 レオンは【憤怒】 。エレーヌは【硬直】 。イリアは【恐怖】。


 どれも、破裂しそうなほど異常な濃度に膨れ上がっていた。

 目の前で、罪のない子供が獣の餌食になろうとしている 。その狂った現実を、三人の心は処理しきれずに悲鳴を上げているのだ。

 イリアの手の甲は、血の気が引いて鬱血するほど真っ白になっていた 。ヒューッ、と喉の奥から引き攣った音が漏れる。

 レオンの手は聖剣の柄を握ったまま、カタカタと情けなく震え続けている 。今すぐ飛び出したい戦士の肉体と、動けば子供が死ぬという呪縛の板挟みになって、心が壊れかけている。

 エレーヌは虚空を見つめたまま、無意識に椅子を後ずさりさせていた 。いつもの余裕ぶった態度は、跡形もなく消し飛んでいる。


 誰も、動けない。

 動けば、父娘が死ぬ 。動かなければ、俺たちが呑まれる。


 詰みだ。普通なら。

 だが。

 俺はテーブルの下で、冷たく汗ばんだ手をきつく握り込んだ。

 この盤面をひっくり返せる人間は、もう、この部屋に一人しか残されていない。

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