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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第2章 王都グランゼル

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第32話 嘘と欲望の街

 夜風が頬を撫でる。

 ラスの街の異様な輪郭が少しずつ近づいてきた。

 光の街だと、聞いていた。

 だが、馬車が近づくほどに、鼻の奥にうっすらと錆びた鉄の匂いがこびりついてくる。

 すれ違う人々の頭上に、そっとスキルを走らせる。


 【欲望】【焦燥】【絶望】


 歓楽街に溢れているはずの【高揚】は、ふんぞり返って歩く一握りの貴族もどきにしか灯っていない。

 それ以外の連中の頭上には、例外なく黒く濁ったヘドロのような感情がぶら下がっていた。


 前にいたガレリアは、街全体が等しく死に欠けていた。

 でも、ここは違う。

 ごく一部の人間だけが光を貪り食い、残りの有象無象から強烈な「税」を搾り取って生き延びている。

 ひどく歪で、病的な街だ。


「ゼン殿。領主様のお屋敷に到着いたしました」


 御者台に座る獣人の声とともに、馬車が重々しい音を立てて止まった。

 領主ゼッド・バルザックの屋敷は、街を見下ろす丘のてっぺんにそびえ立っていた。

 通された大広間は、これでもかというほど成金趣味な装飾で埋め尽くされている。


 金がないわけじゃない。

 特定の場所にだけ、異常な密度で富が癒着している。

 そのアンバランスさが気持ち悪い。


「おおお、勇者レオン殿! よくぞこの辺境の地へおいでくだされた!」


 広間の奥から、丸々と肥えた男が両手を広げて歩み寄ってきた。

 上等な絹のローブが床を引きずる。

 領主ゼッドだ。

 すべての指にギラギラした宝石がはめられ、手入れされた口ひげには嫌な脂が光っていた。


「今宵は最高のワインと、一流の踊り子を用意しておりますぞ!」

「おお、それはかたじけない!」


 レオンは一切の疑いを持たず、豪快に笑ってふかふかの椅子に沈み込んだ。

 エレーヌは「……いかにも貴族の宴会ね」とつまらなそうに窓際へ。

 イリアは困ったように手を持て余し、ガランに至っては入口から一歩も動かない。


 俺は、ゼッドからきっちり三歩分の距離を空けて立ち止まった。

 目に意識を集める。


 【歓迎】【自尊】


 浮かび上がったのは、成金そのままのペラペラな感情。

 しばらくすると別のアイコンが浮かび上がった。

 

 【焦燥】


 分厚い肉に埋もれたゼッドの指先が、絶え間なく小刻みに絨毯を叩いていた。

 顔に張り付いた笑顔の下で、何かを隠している。

 焦りに満ちた、人間の挙動だ。


 さらに、もう少し集中すると。

 ほんの一瞬、視界の隅でチカッとノイズが走った。


 【■■】


 なんだ、これ。

 初めて見る表示だった。

 感情が「無い」のとは根本的に違う。

 アイコンが浮かぶはずの座標の一点だけが、不自然に削り取られている。

 何かを隠して真っ黒に塗りつぶしたアイコン。


 ズキッ。

 右のこめかみを、太い針で刺されたような痛みが突き抜けた。

 弾かれたようにスキルを叩き切る。


「ああ、こちらの方は軍師のゼン殿ですよ」


 レオンが赤いワインを煽りながら、俺を指差した。

 ゼッドの眉がピクリと動き、すぐにまた、油ぎった仮面の笑みが貼り付く。


「これはこれは。……あなたにも、是非この街を堪能していただきたい。我が街には、他では決して味わえぬ娯楽がございますゆえ」


 足元を這い回るような、ねっとりとした声。

 俺は上着のポケットに手を突っ込み、見えない手帳の中で猛スピードでペンを走らせていた。



     ◇



 夜もすっかり更けた頃。

 勇者一行の部屋からは、それぞれの寝息やいびきが漏れ聞こえてくる。


 音を殺して客間の窓枠に足をかけ、外壁を伝って裏庭へ降りた。

 土を踏むと同時に、影の中から黒い外套を被ったノクトが音もなく姿を現す。

 腰には短い刃。


「で、どこから探る?」

「まずは、金の流れだ」


 馬車の中で書き殴った、ラスの街の収支試算表。

 それを月明かりの下で広げた。


「魔力鉱石、ワイン、観光業。表の数字を全部足し合わせても、この異常な豪華さは絶対に維持できない。年間で金貨十万枚は赤字になる計算だ」

「十万枚って……お前、ガレリアの街が半分買える額じゃねえか」

「その通りだ。桁外れの裏帳簿が存在する」


 試算表を畳み、ノクトの顔を真っ直ぐに見た。


「お前の鼻を頼るぞ。表通りは肉の匂いが薄いと言ったな。じゃあ、どこに匂いが溜まってた?」

「東の四区だ。血と、鉄サビと、安酒の混ざった悪臭。昼間は死んだみたいに静かだったけど、夜になると人の流れがそっちに向かってる」

「よし。そこへ行くぞ」


 東の四区は、大通りの明りは届かない。

 どす黒い裏路地。

 そこを、深く頭巾を被った男や、外套で顔を隠す貴族風の二人組、腹の出た商人たちが、一言も発さずに同じ歩調で進んでいく。

 祭りに向かうような異様な熱気と、葬列のような冷たさ。

 その二つが混ざり合った、気持ちの悪い足並みだった。


 人の波が吸い込まれていく先。

 廃倉庫を装った巨大な石造りの建物。

 入り口の古びた看板には『絹商組合 第四倉庫』と刻まれている。

 入り口の厳つい門番に銀貨を一枚握らせると、冷たい銅のコインが二枚、無造作に押し付けられた。


「二階の立ち見席だ。行け」


 重苦しい木の扉が、ギィッと嫌な音を立てて開く。

 一歩、足を踏み入れた瞬間。

 ガレリアを出発してから俺の胸の中でくすぶっていた「やれる」という確かな熱が、頭から氷水をぶっかけられたように、一瞬で冷え切った。


 扉の向こうに広がっていたのは、すり鉢状になった巨大な闘技場だった。

 見上げるほど高い天井。

 すり鉢の底にある砂地を囲むように、着飾った貴族から目の血走った労働者まで、人間がぎっしりと詰め込まれている。

 肌が粟立つような熱気。

 粘り気のある興奮が、空間全体を支配していた。


「――さあ次の対戦だ! 東の森より仕入れた凶暴なるブラッドベア! 対するは、北の峠の山賊から買い上げた、獣人の戦士!」


 野太い声が響き渡る。

 乾いた砂地へ、重い鎖を引きずる音が二つ、投げ出された。


 一方は、真っ赤な毛並みの巨大な熊。

 そしてもう一方は――足枷を嵌められた、まだ若い獣人の男だった。

 防具なんて一つもない。

 その震える手には、短い剣が一本だけ握らされている。


 周囲を見渡す。

 貴族たちは目をひん剥いてオッズの板を睨みつけ、小さな子供を抱いた母親でさえ、紙切れを握りしめて熱狂の声を上げている。


「……嘘だろ」


 ノクトの喉から、掠れた声がこぼれ落ちた。

 獣人の男の肋骨は浮き出て、頬はコケている。

 それでも必死に、小刻みに震える足で砂を踏みしめて立ち上がった。


 ゴーン、と無慈悲な銅鑼が鳴り響く。

 ブラッドベアに躊躇いはなかった。

 黒い砲弾のように砂を蹴り上げ、一直線に男の胸元へ飛びかかり――その牙を深く突き立て、肉を裂いた。


 悲鳴すら、上がらなかった。

 ただ、白い砂の上に、赤い染みがべちゃりと放射状に広がっていく。

 手からこぼれ落ちた錆びた短剣が、乾いた音を立てて転がった。


「おおおおおおおッ!!」

「生存時間1分未満。オッズ三倍だぁ!」


 闘技場が、割れるような歓声で揺れた。

 どちらが勝つかの賭けではない。魔物に対し『何分持つか』の賭けだ。

 二人の下働きが小走りで現れると、ピクリとも動かなくなった亡骸をゴミ袋にでも突っ込むように乱暴に引きずり出していく。

 別の男が新しい砂をバサバサと撒いて、真新しい血の跡を覆い隠す。

 そしてすぐに、次の獲物を呼ぶ声が響き始めた。


 胸の奥がひどく冷たい。

 それなのに、俺の脳は勝手に冷徹な数字を弾き出していた。

 獣人一人の仕入れ値。

 一試合あたりの賭け金の動き。

 この狂った箱の収容人数。

 開催される頻度。


 ――金貨換算で、年間十二万枚。いや、もっとか。


 試算表に空いていた巨大な穴。

 裏帳簿の正体は、これだ。


 獣人を使い捨ての「消費財」として買い叩き、貴族たちの暴力的な娯楽という「商品」に変換して莫大な利益を生み出す。

 それがこの街の、血塗られた経済システムだった。


 せり上がってくる吐き気を飲み込み、もう一度、ぐるりと観客席を見上げる。


 三段構造になった貴賓席。

 その最上段――白大理石で豪奢に縁取られた特別席には、今夜は誰も座っていなかった。

 けれど。

 その空席の背もたれには、見覚えのある紋章が深く刻み込まれていた。

 三つの三日月のデザイン。

 第一王子、ゼクス・ガイン・グランゼルの家紋。


「……おい、ゼン。あの席」

「ああ」


 カラカラに乾いた喉から、音を絞り出す。


「月に一度、王都から『定期視察』にやってくる偉い奴がいる。……そういうことだろうな」


 馬車の中で思い返した、ガレリアの都市長の言葉が耳の奥で蘇る。

 『鉱山ごときに王軍を動かすのは税の無駄』と切り捨てた男。

 九歳で突然人が変わり、獣人を迫害する法案を次々と通した男。

 ガランが、触れてはならないと顔を強張らせた男。

 その王子の家紋が、この殺人ショーの特等席に、当たり前のような顔をして鎮座している。

 この狂った街を告発するということは。

 下劣な領主一人をどうにかして終わる話じゃない。

 この国の第一王子を、真正面から敵に回すということだ。


 ふと視線を動かすと、VIP席の反対側――領主専用の貴賓席に、ゼッドの姿があった。

 昼間、猫撫で声で俺たちをもてなしたあの男。

 薄着の踊り子を両脇に抱え、勝ち馬券の札束を山のように積み上げている。

 血を吸った砂地を、恍惚とした表情で見下ろしていた。

 反射的に、俺は目に力を込めた。


 【優越】【金欲】


 表層に並ぶのは、吐き気がするほど予想通りの醜悪な感情だ。

 俺は頭痛を奥歯で噛み殺し、スキルをもう一段、無理やり内側へねじ込んだ。


 【■■】


 ゼッドの感情の、一番奥底。

 本来なら何かアイコンが灯っているはずの座標が、ごっそりと抉り取られている。

 昼間に見た、あのドロドロに溶け落ちたインクの穴。

 そして、そのぽっかり空いた空白の縁を、黒いシミのようなノイズが、ぞわぞわと蠢いていた。


 違う。

 あれは感情じゃない。

 感情を表示するスキルが、「絶対に読み取ってはいけないもの」に触れてしまった時の、致命的なバグだ。

 俺のスキルが、初めて強烈に「拒絶」されている。

 背筋を、太い氷の柱が滑り落ちていくような強烈な寒気が走った。

 ガレリアの鉱山でスライムの海を見た時とは全く違う、得体の知れない恐怖。

 ゼッドは、ただの腐りきった金持ち貴族じゃない。

 この男の内側には……何か、別のモノが、棲んでいる。


「ゼン、顔色がヤベえぞ」


 不意に袖を強く引かれ、ノクトの声で現実に引き戻された。

 上唇を生暖かいものが伝う感触。

 そこで初めて、鼻からポタポタと血が垂れていることに気づいた。


 「……出るぞ。これ以上は、体が保たない」


 屋敷への帰路。

 冷たい裏路地を歩きながら、俺たちは一度も言葉を交わさなかった。

 闘技場を潰す。

 それだけなら、いくらでもやりようはある。

 賭け金の流れをシステムごと断ち切ってやればいい。

 ガレリアを立て直した時の逆算だ。

 二週間もあれば資金はショートさせられる。


 ――だが、それじゃあ意味がない。


 中央の政府に不正を告発したところで、王子の権力で一瞬で揉み消されるだけだ。

 最悪の場合、告発状が届く前に、俺たちが暗殺者の刃にかかって街道の土に還る。

 王子の目と権力をすり抜ける、全く別のルートが必要だった。


 頭の中で数字とロジックを組み上げ、屋敷の壁に辿り着く頃には、新しい盤面の設計図はほぼ組み上がっていた。


 だが。

 あのゼッドの奥底で蠢いていた「空白」と「黒いノイズ」。

 あれは、経営のロジックなんかじゃ絶対に解けないバグだ。

 ロジックが通じない相手。

 計算式に当てはまらない化け物。

 ガレリアで芽生えたばかりのちっぽけな自信が、足元でパキパキと音を立ててヒビ割れていくのを感じていた。


 客間の窓枠まで戻ってきた時。

 背後から、ノクトがぽつりと口を開いた。


「お前、明日どうする気だ? あの領主のジジイ、俺たちが昨夜あそこに潜ったってこと、もう気づいてるだろ」

「ああ。気づいてるだろうな」

「じゃあ、向こうも確実に罠を張ってくるぞ」

「だろうな。――だから、こっちから先に盤面をぶっ壊して、設計し直してやる」


 強がりだった。

 明日の盤面は、ガレリアの時とは比べ物にならないほど、重く、黒い。

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