第30話 スライム精製工場
ランタンの頼りない灯りが、じわりと闇に吸い込まれていく。
ガレリア鉱山の主坑道。その奥底から、濡れた雑巾を引きずるような不気味な音が這い上がってきた。
シュル、シュルル……。
心臓がドクン、ドクンと嫌な音を立てて暴れている。
落ち着け、と奥歯を噛み締める。
ここはあの森じゃない。すぐ隣には、大盾を構えたガランがいる。
それでも、足の裏から這い上がってくるような悪寒が止まらない。
思い出すのは、転生した直後のあの絶望だ。
這い寄る半透明の粘液。ジューッという音とともに、腕が溶かされかけたあの記憶。
スライム。
ゲームの中の愛嬌あるマスコットなんて嘘っぱちだ。俺にとってあいつらは、ただの歩く溶解液でしかない。
「おいゼン、あいつらマジでヤバいぜ。見てな」
ノクトが、足元に落ちていた折れた鉄のツルハシを拾い上げる。そして、薄闇の中で蠢く影の群れへ無造作に放り投げた。
ジュアァァァッ!
鼓膜を刺すような激しい溶解音とともに、鼻を突く白煙が噴き上がる。
分厚い鉄の塊が、ほんの十数秒。夏の日の飴玉みたいにドロドロに崩れ、跡形もなく消え去った。
「ッ、下がれノクト! 近づくな!」
喉が引きつっていた。
もし石につまずいて、あの海に突っ込んだら? 想像しただけで胃液が逆流しそうになる。骨一つ残らない。
ダンッ、と重い音が響いた。
ガランが即座に前に踏み出し、巨大な盾を構える。その圧倒的な威圧感に気圧されたのか、スライムたちはうぞうぞと後ずさって いった。
ふと、強張った頭の片隅で、何かが引っかかった。
おかしい。
これほど強力な酸だ。しかも、坑道を埋め尽くすほどの数がいる。
だとしたら、どうして『死傷者ゼロ』なんだ?
逃げ遅れた鉱夫の一人や二人、とっくに跡形もなく溶かされていてもおかしくないはずだ。
ガランの広い背中に隠れつつ、俺は右目のスキルを限界まで引き上げる。
じっと観察して、気づいた。
あいつら、俺たちの方へ襲いかかってこない。
じゃあ、何を群がって食べている? 鉱夫の死体じゃない。輝く魔力鉱石の原石でもない。
「あいつら……何を食べてるんだ?」
スライムの波が覆い被さっているのは、坑道の端にうず高く積み上げられた価値のないクズ鉱石の山だ。
「ノクト。スライムがどいた場所を、長めの棒で探ってみてくれ」
「は?」
「いいから。絶対に素手では触るなよ」
ノクトが怪訝に眉を寄せながらも、火掻き棒で慎重に地面の粘液を掻き分ける。
泥と、酸の匂い。
そこからコロンと転がり出てきたのは――暗闇の中でも鋭く光を放つ、小さな石だった。
「……嘘だろ」
棒の先でそれを拾い上げた瞬間、俺は息を呑んだ。
不純物まみれだったはずのクズ石。それが、市場でも滅多にお目にかかれない『純度一〇〇パーセントの魔力結晶』に作り変えられている。
クズを食べて、最高級の結晶を吐き出している?
こいつら……金を生む塊じゃないか。
殺す? 冗談じゃない。
雇え。
自然と、唇の端が歪むのがわかった。
*
「率直に言いましょう、都市長」
屋敷の応接間に戻るなり、俺はテーブルの上に光る結晶を転がした。
「あんたはこの街を破産寸前だと言ったが、それは間違いだ」
レオンたちが「早く焼き払おう」と騒いでいるのをよそに、俺は手帳を広げる。ペンを走らせる音が、静かな部屋にカツカツと響いた。
「現状の年間利益は金貨三十万枚。だが、そこから五百人の鉱夫の人件費、食費、坑道の維持費を引けば、手元に残るのは雀の涙。違いますか」
「そ、その通りですが……それがどうしたというのです」
「これからは、精製工程の人件費を大幅にカットできる」
都市長が目を瞬かせる。
「あそこにいるスライムは、魔物じゃない」
俺はテーブルを指先でトントンと叩いた。
「不純物を食って最高品質の結晶を排泄する、全自動の精製プラントだ」
ペンを置き、都市長の濁った目を真っ直ぐに見据える。
「討伐なんて馬鹿げてる。システム化するんだ」
人間は退避させ、スライムを特定区画に隔離する。鉱夫の仕事は、安全な場所からクズ鉱石を放り込み、排出された結晶を回収するだけの簡単なライン作業に変わる。
重労働も危険手当もいらない。スライムは二十四時間、無休で精製を続ける。
「システムが回れば、街の純利益は……控えめに見ても十倍以上に跳ね上がる」
「じ、十倍……!?」
都市長の頭上に、はっきりと見えた。
張り裂けそうな【驚愕】と、それをあっさり飲み込む【強欲】のアイコンが。
「だ、だが! あんな危険な魔物をどうやって隔離する! 巨大な防壁など、今の街の人手では何年もかかる!」
「問題ありませんよ」
俺は立ち上がり、隣でポカンと口を開けている連中を振り返った。
「ここに、最高の重機が揃ってますから」
*
「レオン! 切り出しが甘い! 誤差は三ミリ以内って言っただろ、隙間があれば漏れ出すぞ!」
「くっ……なぜ私の聖剣が、ただの土木工事に……!」
坑道の奥底。
屈辱で顔を真っ赤にしたレオンが、光の斬撃で正確に石材を切り出している。
それをガランが凄まじい怪力で積み上げ、エレーヌが火炎魔法で接合部を焼き固める。
「土運びが勇者の仕事とか、世界の終わりだねえ」
ノクトが砂まみれでクズ鉱石を運び込み、離れた場所ではイリアが鉱夫の治療と水や食料の配給に走り回っている。
俺はその中心で、手元の設計図と睨み合っていた。
三層構造の防壁。
厚さ五メートルの石材壁に、焼き固めた耐酸コーティング、念のための予備隔壁。
やりすぎなくらいだ。これならスライムがどれだけ増えても、絶対にお釣りはこない。
――異変は、唐突だった。
ドゴォッ!
腹の底に響く鈍い音。
ピキッと亀裂が走り、砂埃を立てて岩盤がパラパラと剥がれ落ちた。
「……あ」
エレーヌの顔から血の気が引く。
グシャァァァッ!
崩れた穴から、緑色の悪夢が吹き出した。
数十匹のスライムの群れと、強酸の粘液。
それが、津波のように俺たちに向かって押し寄せてくる。
「逃げて! みんな溶かされる!」
エレーヌの悲鳴。
レオンが咄嗟に剣を構えるが、液体の海を斬れるわけがない。
足元まで、ジューッという死の音が迫る。
背中を、氷の塊が滑り落ちていく感覚。
でも。
ここで立ちすくんで死ぬわけにはいかない。
「ガラン、右翼を盾で塞げ! ノクト、崩れた岩をレオンの方へ蹴り飛ばせ!」
喉が裂けるほどの声が出た。
震える膝を叩き、盤面を書き換える。
「レオン、迎撃するな! 岩を細かく砕いて通路を埋めろ!」
「エレーヌ! 絶叫してる暇があるなら、火力を一パーセントまで絞れ! 砕けた岩の表面だけを瞬時に焼き固めろ、今すぐだ!」
「そんな精密な制御……!」
「天才ならやってのけろ! 死にたくないだろ!」
言い返しながら、俺は祈った。
エレーヌが唇を噛む。極限まで絞り込まれた魔力の光。
ガランの盾が酸の飛沫を弾き、レオンの剣が即座に瓦礫の山を造り、エレーヌの繊細な熱がそれをガラスのように固めていく。
永遠のような数秒。
シューッという音を残し、溢れ出しかけた酸の波は、新たな防壁に完全に遮断された。
「はぁっ、はぁ……死ぬかと、思った……」
エレーヌが膝から崩れ落ちる。
肺が痛い。荒い息を無理やり吸い込みながら、俺は彼女の前に立った。
俺は小さく息を吐き、もう一度、現場監督の顔を被る。
「今のミスで、納期が一時間遅れたぞ」
「……さあ、立て。王都に行く前に……この街を、王国一の金持ちにする仕事が残ってる」




