第29話 死を待つ鉱山都市
エレーヌの土魔法と、ガランの大盾を使った重機張りの活躍。
その力業でなんとかクレーターを埋め戻し、街道の応急処置が終わった頃には、エレーヌは魔力切れと泥まみれの服で半泣きになっていた。
もちろん、誰も慰めない。自業自得だ。
それから馬車に揺られること数日。
俺たちはようやく、魔力鉱石の産地――ガレリア鉱山都市へと滑り込んだ。
馬車を降り、外の景色を見た瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
「……おいおい、ゴーストタウンかよ」
ノクトの低い声が、車内の空気を撫でる。
活気? そんなものは欠片もない。
街は、死体のように静まり返っていた。
空を突く巨大な精錬所の煙突からは、煤のひとつも吐き出されていない。
大通りに並ぶ商店は、そのほとんどが固く口を閉ざし、色褪せた「閉店」の木札が風に揺れて乾いた音を立てるだけ。
かろうじて開いている食料品店の前には、頬の痩せこけた人々が長い列を作っていた。配給の粗末なパンを受け取る彼らの目は、配給の粗末なパンを受け取る彼らの目は、どれも濁って、深い絶望が沈んでいる。
ふと、窓ガラス越しに視線が絡んだ。
五、六歳だろうか。自分の細い胴体より大きな水瓶を抱えた女の子。
たまらず、俺は目を逸らす。
胸の奥が、ひやりと冷たくなる。
この街には、臭いがある。
汗と、埃と、カビと、どうしようもない諦めの混じった淀んだ空気。
前世のコンサルタント時代、何度も嗅いだ。倒産が確定した企業の、社長室の扉を開けた瞬間に鼻をつく、あの『死にゆく経済の匂い』。
間違いない。この街は今、死にかけている。
「ひどい……。すぐにでも、救済しなければ」
イリアが祈るように両手を組んだ。
昨日までの気まずさはどこへやら、すがるような視線が俺の横顔に突き刺さる。
痛いくらいに熱い視線。
あえて、頭上のアイコンを視ないように進んだ。
◇
通された都市長の屋敷は、空虚だった。
壁には額縁を外した日焼けの跡だけが四角く残り、飾り棚には何かが置かれていたらしき白い布だけが虚しく垂れている。銀器も、宝飾品も、換金できるものは全部質草に流したんだろう。
「よくぞ……っ、よくぞ来てくださいました……!」
恰幅の『良かった』痕跡だけを残した都市長が、絨毯に擦りつけるように深く頭を下げる。
だぼだぼになった上着の背中が、小刻みに震えていた。
「顔を上げてください。我々が来たからにはもう安心です。して、魔物というのは?」
レオンの声は、相変わらず太陽みたいに真っ直ぐで、明るい。
けれど、この薄暗い部屋には、どうしようもなく不釣り合いで空回りして聞こえた。
都市長は震える手で出涸らしの茶を注ぎ――それも半分しか出ない――重い口を開く。
「第三坑道の最深部に……『分裂体』と呼ばれるスライムの変異種が、大量発生いたしまして」
手帳に走らせていた俺の万年筆が、ピタリと止まる。
スライム。
背筋を、嫌な汗がツーッと這い下りた。
剣で斬れば二匹になり、さらに斬れば四匹になる。物理攻撃は一切無効。
……最悪だ。あの粘液の海が増殖する情景がフラッシュバックして、吐き気がする。
「採掘が止まり……精錬所も止まり……税収はゼロです」
都市長の枯れた声が響く。
「資金はとうにショートしています。あと半月……半月もすれば、住民たちは食料を買う金すら底をつき……文字通り、餓死を待つしか……」
テーブルの下で、彼の両手が血の滲むような強さで握りしめられているのが見えた。
部屋が、しんと静まり返る。
王都への救援要請は、第一王子ゼクスによって握り潰されたという。
『たかがスライム駆除で軍を動かすのは、税の無駄遣いである』と。
――ふざけんな。
手帳の端に『ゼクス/要観察』と書きなぐり、ペンを置く。
前世にいた最悪のクライアント。社員の人生をエクセルの数字としか見ていなかった、あの男の顔がちらついた。
いや、あの男でさえ建前くらいは用意した。ゼクスはそれすらしない。
頭の中で帳簿の数字を弾いていた、その時だ。
「なーんだ、そんなこと!」
空気をぶち壊したのは、エレーヌの底抜けに明るい声だった。
ソファから勢いよく立ち上がり、自信満々に胸を張る。
「分裂するなら、それ以上の火力で蒸発させればいいのよ。私の超火炎魔法で、坑道ごと焼き尽くす。一網打尽。終わり!」
「うむ、それが最善だな。邪悪を浄化しよう」
パンッ!
レオンとエレーヌが、迷いなくハイタッチを交わす。
その乾いた音が、薄暗い部屋にやけに響いた。
都市長は「おお、勇者様……!」と涙を流して拝み倒している。
一見、正しい。
勇者らしい、痛快で、わかりやすい解決策。
……だからこそ、俺は。
「……確かに」
俺は、静かに口を開いた。
全員の視線が、俺に集まる。
「“敵を一掃する”だけなら、それが最適解だ」
エレーヌが、得意げに笑う。
「でしょ?」
レオンも深く頷く。
都市長が、安堵したように胸を撫で下ろす。
――だからこそ。
俺は、その短絡的な正義を、容赦なく叩き落とすことに決めた。
「――この街を、潰すならな」
応接間の空気が、一瞬で凍りついた。
「……は?」
間抜けな声を出すエレーヌの目を、俺は真っ直ぐに射抜いた。
「この鉱山の年間産出量、ざっと見積もって金貨三十万枚。王都の供給の二割を担う計算だ」
都市長がヒュッと息を呑んだ。当たっている証拠だ。
「魔力鉱石は熱に極めて弱い。インフェルノで焼けば純度は地に落ちる。ただの石ころだ」
言葉を刃にして、容赦なく切り刻む。
「おまけに坑道内の誘爆で崩落。インフラ復旧には最低十年。地質調査からやり直すなら十五年」
指を一本立て、ゆっくりと宙を切る。
「損失額と再開発費の合計は――金貨百万枚以上だ」
柱時計の振り子の音だけが、やけに大きく響いた。
「それでもやるか? あんたらの言う、“浄化”とやらを」
レオンの顔から、さっきまでの自信が綺麗に抜け落ちている。
エレーヌは唇を震わせ、何も言い返せずに俯いた。胸元のローブを、無意識にぎゅっと握りしめている。
都市長に至っては、白目を剥きそうな顔でガタガタと震えていた。
「あんたたちは今……街を救う顔をして、街を殺そうとしたんだ」
あの穴の奥には、何百人分の給料と、何万人分の冬の薪が詰まっている。
数字ごと焼き払って、何が勇者だ。
「……じゃあ、どうすんのよ」
長い沈黙のあと、エレーヌが消え入りそうな声でこぼす。
「現場を見る」
俺は立ち上がり、ガランを振り返った。
「護衛を頼めるか」
ガランは無言で頷き、大盾に手を当てる。
「ノクト。ランタンにロープ、記録用の羊皮紙を持てるだけ持て」
「へいへい、人使いが荒いねえ」とぼやきながらも、ノクトの指先は迷いなく道具を選び取っていた。
「ま、待ってください! 戦闘力のないあなたが、魔物の巣窟に!?」
イリアが弾かれたように立ち上がる。
焦げ茶の瞳が、本気で俺を心配して揺れていた。
レオンも眉をひそめて前に出る。
「私も行こう。お前だけで行かせるわけには――」
「俺は、戦いに行くわけじゃない」
片手で彼らを制し、扉のノブを握る。
本当は、足がすくんでいる。
スライムなんて、前世のゴキブリと同じくらいトラウマだ。近づくだけで吐き気がする。
でも、俺はコンサルタントだ。
現場を見ずに、机上の空論は吐けない。
「答えを持って帰るまで、そこで――」
出涸らしの冷めきったお茶を見やり、鼻で笑う。
「――おとなしく、茶でも飲んでてくれ」
扉を開ける。
廊下の窓から差し込む光が、やけに眩しかった。
その向こう側、街の外れに、真っ黒な鉱山の入り口がぽっかりと口を開けている。
小さく、深く、息を吸い込む。
……行くしかない。




